四十 玄洋社設置届

 前回、国会期成同盟のところで「集会条例の発令で第一回国会期成同盟は解散させられ、(国会開設の)請願書も受理されなかった」ということをサラッと記したが、明治13年4月5日に布告されたこの集会条例は政治に関わる演説や講談論議を行う集会及び政治団体の結社を規制する法律で、新聞紙条例の改正や出版条例などと共に自由民権運動を抑圧するものであったという。


 集会については前もって届け出を行わせ、認可できない場合は中止、また当日も警察官が監視を行い、内容が届け出の記載から外れたり公安に害あるものと判断されれば中止解散に追い込まれる。


 そして政社についても、布告前に結社し活動しているものを含めて改めて社名・社則・会場の住所・社員名簿などを届け出て認可を得なければならなくなったため、立志社も玄洋社もこのタイミングで設置の届け出を出すことになる。


 その際、平岡浩太郎でも箱田六輔でもなく、進藤喜平太が二代目社長に就任して玄洋社の代表として設置届を提出している。平岡と箱田が負けず嫌いな上にガンガン進んでいくタイプだったのに対し、進藤はいつもにこやかでどんなつまらない相手だろうとさん付けか君付けで呼ぶ丁寧な人物だったとのことだから、こういう時はよく代表や交渉役などを任される人だったのかもしれない。


 にこやかとは言っても、ケンカの時などどれほど恐ろしい鉄火場であっても笑みを崩さないような怖いにこやかさだったようだが、届け出を出すのに支障はないだろう。


 そして社名などと一緒に社則も届け出なければならないということで、遅くともこの提出時までには玄洋社の憲則というものが定められた。



第一条皇室を敬戴すべし


第二条本国を愛重すべし


第三条人民の主権を固守すべし



 「皇室を敬戴」「本国を愛重」は時代の情勢や世相からしても当然のことであった。当時の日本人が間近に意識する政治問題として列強諸国の侵略や不平等条約の問題があり、国民国家としてまとまらなければという危機感は身に染みて強くあった。世界各地の植民地支配や関税自主権、領事裁判権の問題からもわかる通り、国権が崩れれば次は日本国民の人権が崩れ落ちる。

 また、政府や官憲の警戒感を少しでも和らげたいという狙いもあったかもしれない。


 しかし第三条の「人民の主権」という文言によってその効果は風の前の塵がごとく吹き飛び、福岡県警察本署の警戒心は急激に高まった。人民主権とは国家秩序を安定させるのに重要な天皇大権を脅かすものだと認識されてしまったのである。



 確かに植木枝盛を通じて革命後のフランスの急進的思想やアメリカ人宣教師アッキンソンなどの影響も多少はあったかもしれないが、玄洋社と人脈的な関りも深い共愛会は国会開設の建白書で「政権君権民権の分界」を主張しており、君主大権と国家の主権と人民の主権とはそこまで抵触することなく互いに並立共存できるものというのが彼らの考え方だった。


 しかし現在でもわざわざ好き好んで“人民主権”なんて言い方をするのは社会主義・共産主義者や共和主義者の中のよっぽど過激な部類ぐらいであろうから、その同類と見なされてしまうのも仕方ないかもしれない。


 最初に書類を提出したのは5月13日だったというのに、この件で進藤喜平太は幾度も県警に足を運んで3ヶ月も弁明と押し問答を繰り返す羽目になり、件の第三条を「人民の権利を固守すべし」と書き換えることで8月21日にようやく設立認可が得られたという。そんなわけで、




第一条皇室を敬戴すべし


第二条本国を愛重すべし


第三条人民の権利を固守すべし


右之条々各自の安寧幸福を保全する基なれば、熱望確護し、子孫の子孫に伝へ、人類の未だ此の世界に絶えざる間は、決して之を換ふることなかる可し、若し後世子孫これに背戻せば、粋然たる日本人民の後昆に非ず矣、嗚呼服膺すべき哉、此憲則。



というのが玄洋社の憲則になった。“人類が世界から滅亡するまで変えるな。これに背くようならその者は混じりけのない日本人の子孫とは言えない”というのは随分と大きく出たが、玄洋社の憲則として定められたこの三条はあまりにシンプル過ぎて最早自由民権運動の三原則みたいなものであり、「各自の安寧幸福を保全する基」というのはそこまで外れた話でもなく、他の条文などによっぽど抵触するような事態が起こらなければこの条文に大きく反対しなければならない事件もそうそうは起こるまい。


 頭山満はこの玄洋社憲則について、自らも尊敬する西郷隆盛の道義主義や日本主義を継承するものとして大いに満足したようである。

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