第3話 弁当は食べるものだ、投げるものじゃない。


 三階のナースステーションまで順調に来た。偉いよ俺。

 見事に弁当が一つ残っていて、自分の適当加減を呪いたくなる。俺は職員の悪魔へ一声かけて弁当を回収し、エレベーターまで急いだ。

 お化け屋敷探索気分はまだ抜けない。いや絶対抜けない。テトラいないだけでここまで心細いとは……。

 上を示すボタンを押しエレベーターの到着を待つ。早く来い来いお正月。とか言ってる場合じゃないマジで早く来い。

 エレベーターがやけに遅く感じる。

 ……いや、実際遅い! めっちゃ遅い! 他の業者も入っているらしいので、俺の様な子羊が各階でエレベーターをヒッチハイクしているのか……?

 あぁもう。この際、階段で行った方が早


「シソウ」


 耳元で低くどす黒い音が聞こえた。俺は反射的に横へ飛びのき、後ろを確認する。

 が、誰も居ない。でも確かに今、変な音が聞こ

「シソウ」

 また耳元で不審な声。振り向くと――今度は居た。

 ……やばい。

 五本の足に獅子の様な頭、でかい一つ目。形容するなら異物。気持ち悪い。闇の中から吐き気を強要してくる。

 こいつは、悪魔型に変身した悪魔だ。

 俺は警戒しながら、数歩後ろに下がる。

 なんだコレ。こんなでかいの、いつのまに現れた?

「オイシソウ」

「お、美味しそう? あ、弁当……?」

 悪魔は三歩分の距離を一気に詰めてくる。その歩はネぎゅち、と両生類を踏み潰したような音がした。俺のほぼ目の前、一つ目がぶつからんばかりに凝視してくる。

「こ、これっ、たっ、食べますかっ」

 俺が差し出したこの弁当、商品だが背に腹は代えられない。弁当一つで命が拾えるなら安すぎる。

 その悪魔は大きく腰を折った。多分、頷いたんだと思う。

 俺は一歩下がりそっと弁当を差し出す。弁当を握っている手がめちゃくちゃ震えている。情けない。

 いや誰だってこうなるはずだ。悪魔型の悪魔だぞ。勘弁してくれ。

 相手は差し出した弁当と同時に、俺の事も交互に見る。

 ん?

 あれ、もしかして――

 俺が嫌な想像をした刹那、相手の一つ目が真ん中からぱっくり割れ、無数の禍々しい牙が現れた。これは恐らく『口』だ。

「――おいしそうって、俺も!?」

 『口』が襲い掛かってくる。俺は奇跡的にその牙をよけ、下半身だけの存在になる事を免れる。

「あっ、あぶな、ぁっ……ぁぶ……!」

 俺は腰が抜けてそのまま転んでしまった。悪魔が滑稽な俺を見る。眼が、ゆっくりと合う。

 悪魔は興味本位で人を殺す事はあってもなんて聞いた事ない。いやしかし、あの禍々しい牙はまた俺に向けられる。次は無理だ、避けられない、死ぬ、絶対死ぬ!

 慌てる俺の手に何かが当たる。弁当だ。渡す前に俺が転んだせいで、中身が床に散乱している。弁当は食べるものだ、投げるものじゃない。

 でも、今はなんでもいい!

 そう思って床の残骸をやつの口へ放り込む。

「食らえ! 特性のタレに付け込んだ鶏の竜田揚げだ、人気商品だぞ!」

 やけくそとパニックと勢いで意味不明な事を付け加えてしまう。

 悪魔はもっちゃもっちゃと咀嚼をする。牙は向けてこない。少しの沈黙が続いたあと、低い声で唸った。

「オイシイ」

「あ、どうも……」

 短い感想。この化け物の舌に気に入られたらしい。このままどうにか見逃してもらえないだろうか。もしくはこいつが落ち着いた所で、ナースステーションまで駆け抜けるか。

「モット」

 もっと? あぁ、もっと食べたい? 確かにお腹空いているのに、竜田揚げ一個じゃ足りないよな。体でかいし。と、悠長に構えている場合じゃない。

「あ、あの、注文して頂ければ毎日でもお届けできますので……どうか命だけは」

「タツタアゲ」

「話聞いて……ってか、美味しい臭いがするのは俺じゃなくて、弁当だから!」

 再びあの牙がこちらを向く。

 ダメだ、終わった。こんなに早く、あの世で祖母の作った煮込みハンバーグを食べる時が来るとは。せめて痛くしないで……。

 死を覚悟した瞬間、俺の視界から悪魔が消える。

 そしてすぐに、遠くのエレベーターの方で轟音が鳴り響いた。俺の目の前に居た悪魔は、いつの間にかエレベーターの前で倒れている。

「やけに遅いと思ったけど、ナンパされてるとは思わなかったわ」

「て、テっ、テッ……!」

 見上げるとテトラが居た。どうやらアレをぶっ飛ばしてくれたらしい。テトラは右手の甲にふっと息を吹きかけた後、ぶらぶらと手首を揺すった。

「とりあえず殴っておいたけど。誰よ、あれ」

「いや俺が聞きたい……」

 殴り飛ばされた悪魔はピクリとも動かない。そういえば、テトラは華奢なくせに腕っぷしが強いのだった。こいつの一撃をモロに食らえば、まず立ち上がって来れないだろう。

 ……そして、吹っ飛んだ悪魔が追突したから、エレベーターが見事に壊れている。弁償沙汰にならないだろうな。

「お弁当は?」

 何事もなかった様にテトラは聞いてくる。この状況に動揺するのは俺が人間だからなのか? それともテトラの肝が据わっているからか? 両方かもしれない。

「落としちゃったんで、さっきの悪魔にあげちゃいました」

「その辺の野生動物にエサやるみたいに言うわね。懐かれるわよ、あんた」

「はは、それは大変光栄な事で……。とりあえず、車に戻りますか。予備があります」

「……えぇ、わかったわ」

 お、あれ? もっとぐちぐち小言が来ると思ったが、意外とあっさりだ。よかったよかった。

「ユキヒラ」

 テトラは俺を呼び、背を向けたまま喋り続ける。

「一人にして悪かったわね。私としたことが油断してたわ」

「はっ?」

 そんな馬鹿な。初めて聞いた。こいつ、謝ると言う概念を知っていたのか……。正直、今襲われた出来事以上のインパクトがある。

「ほら、行くわよ」

 我が主人は早歩きで階段に向かって歩いていく。俺は緊張が解けたのか、膝がガクガクしている事に気が付いた。小さな歩幅について行くのがやっとだ。

 そして、職員が今の騒ぎを駆け付けたのだろう、俺達の後ろから悲鳴めいた驚きの声が聞こえて来る。

 急いでその場を立ち去ったのは逃げる為でもあったんだな、と今更気が付いた。


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