第14話

「ははは、おまえはなんなんだ? いったいなんのカキが好きなんだ? 花卉ちゃんびっくりして、逃げちゃったじゃねえか」花卉の去った後を顎〈あご〉で示し、立石は親しみ深い笑みを浮かべる(コイツモ突然ダヨナ、見境ナイトイウカ、ケド、花卉チャンモマンザラジャネエゾ)。


「花卉に決まってんじゃないですかぁ! ああぁ、ああぁ、立石君、花卉は逃げました、花卉は逃げてしまいました、ああ、なんで、ああ、もういやだ、こんな目に合うなら、こんな所に来るんじゃなかった。酷い、酷いですよ立石君! これは見世物ですね? パーティーがつまらないからって、すこしでも暇つぶしになるよう仕組んだんですね? ええぇ? こんな子供だましのバーベキューセットを用意して、あの、卑小な池田君を使って、桂君という、ああっ! 桂君はどこですか? ちょっと、文句を言わなきゃなりません。ぼくの生死にひっぱくした音楽生活を邪魔して、純粋な思考を邪魔する外界へ引っ張り出した諸悪の根源、悪党桂君はどこにいるんですか? 呼び出しておいて、いまだぼくの前に顔を出さないなんて、なんて失礼極まる卑劣漢! 桂君に呼ばれなきゃ、こんな、ああ、花卉、花卉に逃げられた、ぼくの心をチェンソーで騒ぎ立てて、容赦なく引き裂いた、ああぁ、花の芳香さながら、ぼくを夢うつつに誘い、一瞬で糞尿井戸におとしいれやがった! ああ! かわいい人! 殺してやる! 嘆きを暴力に変えて、遊び心満載の性犯罪の対象として、悪夢を突き抜けた凶事を思い知らせてやる、ああ、容赦なんか絶対にするもんか! ふと冷静になって、思わず眼を閉じて叫び声をあげたくなっても、眼球も声帯も道連れにしてやる! 心の傷はあまりに強大すぎて、物質の境界越えて血を流しても、掻きむしるどころか、核に届けとマントル深くえぐって、ああぁ、このかわいい野郎、よくもくずをぶつけたな! 原始の地球ほど熱したアワビの貝殻を、皮膚のない粘膜に押しつけ……」  


「落ちつけよ柳、その、しょぼい火薬のような性質をちょっと抑えろよ、なあ、俺の見た感じじゃ、花卉ちゃんうれしくて逃げたみたいだぜ? じゃな……」


「うれしいから逃げる! はあぁ? うれしかったら、抱きついてくるに決まってんじゃないですか、ええぇ? うれしいから逃げる人間が、いったいこの世のどこに存在しますか? そんなの、まったくの矛盾じゃないですか、立石君の白くにごった目なん……」


「おまえも馬鹿だな、うれしくて逃げる人間なんかいくらでもいるんだよ、そんなことも知らねえのかぁ? 昔の乱れた花卉ちゃんならともかく、今の花卉ちゃんはなぁ、所々深い穴の空いた純潔な乙女心を持っていて、女の子よりも女の子らしく、男よりも豪快な面のある、非常にでこぼこした子なんだぜ? ああ、女性じゃない、まったくの女の子だ、わかるか? ほら、中学時代の花卉ちゃんを覚えているだろぉ? 生ガキってあだ名で呼ばれて、金払うなら猪とでもセックスしそうな、あの、安い割に質の高い売春婦として名を馳〈は〉せていた、お買い得な売女だったじゃね……」


「そんなの知りません! ぼくの知っている中学の花卉は、さっき会った花卉と何一つ変わっていません、ええ、そんな噂一度だって聞いたことありません! 誰の目も吸い寄せる憂いに澄んだ瞳も、低くてかわいい鼻も、薄い唇も、肌も、昔と何一つ変わることなく存在していました! お買い得な売女だってぇ? そんなはずないじゃないですか、いくら立石君でも、花卉をそんな悪く言って汚そうとするな……」


「覚えてねえならいいよ、ああ、んなことはべつにかまわねえ、とにかく、何があったのか詳しく知らねえが、今の花卉ちゃんは、恥じらうことなく男と接することができねえ、それどころか、汚い物を見る素振りも、なんとなく見せたりすることもあるぜ。初対面の男が親しげに花卉ちゃんに話しかけると、憎しみがにじみ出たようにひどく顔をしかめて、一心不乱に男から逃げることも多いぜ。柳、よく聞けよ、花卉ちゃんはどこかで男を恐れているんだよ、いや、嫌悪してるのかもしれねえ、それが原因か知らねえが、テキーラを注いでくれる時、必ず手が震えているんだぜ。非力なだけか、それか中毒症状かとも思ったけどよ、女に注ぐ時はまったく震えねえから、やっぱ男に何かしら思っているんだろうな。表情はそれほど変わらねえけど、ああ、でも我慢しているのか、わずかに眉をひそめているんだよなぁ、ほら、花卉ちゃんの眉毛きれいだろ? それがやけに魅力的でよ、その眉見たさに、ついつい、テキーラをもらいたくなっちま……」


「自慢ですかぁ? 立石君、花卉についての自慢ですかぁ? ええぇ? 自慢なんか……」


「おおわりいわりい、じゃなくてよ、霞〈かすみ〉のような淡い顔を、一度だって色よく染めたことのねえ花卉ちゃんがさぁ、そうだよ、いくらテキーラを飲んでも赤くならない、血が通っていないと疑うほどの顔がよぉ、柳に気づいた時点で、日の出に喜ぶ桃色空に染まっているんだぜぇ? 一瞬どっかわりいのかと思ったぜ、それに、進んで男に話しかけることなんて絶対しねえのに、どもりながら懸命に話しかけるだけじゃなく、はにかみにどうにか打ち勝った、素直な笑顔を浮かべてるんだぜぇ? だれが見たって、いつもの花卉ちゃんじゃないってわかっちまうよ、なあ、柴ちゃん?」


「うん、生き生きしてた」柴田は茄子を食べながら答える。 


「ええぇ? ええぇ?」柳は葉を震わせ困惑した顔を見せる。

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