第4話

 声のする方へ向くと、十人ぐらい入れそうな大型のテントの前に、顔の薄いスキンヘッドの男がアームチェアに腰掛けていた。バーベキューコンロを中心に、南アジアで見れる緑の生地を巻いた女と、眼玉の大きな顔立ちの整った男が囲っている。アルミのピクニックテーブルには種々の酒が置いてある。


「ここを拠点にみんな動いているから、ここに荷物を置けよ」立石と呼ばれるつるつる頭の男は立ち上がり、菅田に歩み寄る(ンッ、アノ髪ノ長イ男ダレダ?)。


「おっす立石、おお、治〈おさむ〉と円〈まどか〉も来てたんだ」池田がにこやかな顔した二人を見て声をかける。


「ひさしぶり」治と円も柳を除いた三人に挨拶する。


「柴ちゃんおひさ、その人は柴ちゃんの連れ? はじめまして、俺、立石って言います」


 柴田の影に潜む柳を見て、立石は手を差し伸べる(コイツハオタクカ? 薄気味悪イ風貌〈フウボウ〉ダナ)。


「おいおい、はじめましてじゃねえだろぉ? おまえの知り合いじゃねえかよ、忘れたのかぁ?」治と握手を交わす菅田は顔を向けて話す(オレモワカラナカッタケドナ)。


「そうだよ、同じ中学のクラスメートじゃんか」立石に近づき、池田は笑みを浮かべる(コンナ姿ヲ見テワカルワケナイヨ。ドウ見タッテ、異常ナヤツニシカ見エナイモンナ)。


「えっ? そうだっけ? あの、もうしわけないけど、俺、ちょっと度忘れしちゃったみたいで……」すべすべ坊主頭を撫でながら、へりくだった笑みを浮かべてぺこぺこする。


「立君、柳君だよ」柴田は表情変えず、ほんのり明るい調子で口を挟む。


「ええっ! 柳ぃ?」立石は眼をひん剥〈む〉いて驚く。


「えっ? 柳君なの?」円が口に手を据える(面影ナイジャナイ! ッテ、髪ガ邪魔デ、顔ガ見エナイ)。


「まじで?」腰を上げた治はにやついている(キタネエ格好ダナ、コイツヤベエンジャネエノ)。


「はい、柳です、柳と申します、すいません、あなた方には柳に見えませんが、ぼくは柳と言います、はい、ああ、でもどうでしょう、ぼくがあなた方の知る柳であるかどうか、はっきりと自信を持てません。もし違う柳と勘違いされて怒りを覚えられたりしても、ぼくは非常に困ります。いえ、困りませんが、どうも自分に責任があるように思えて、無性に心苦しくなります。なにしろ、ぼくが柳という名前だけであって、ぼく自身が自発的に何かしたのではなく、単に柳という名前で呼ばれているからだけであって、それで、あなた方にまぎらわしいと非難されても、ほんと、ぼく自体には責任がありませんから。それでもぼくは責任をとって、あなた方からの……、ああ、でも、ぼくはあなた方を覚えています。ぼくは記憶力に自信があるので、あなた方がぼくを覚えていなくても、手の甲に押されたタバコよろしく、消えない痕が脳に押し込まれていて、忘れようとしても、どうしても忘れられないのです。これを人に話すと、多くの人に羨ましいと言われますが、本人は忘れたい出来事を忘れることもできず、どれだけ人生に絶望したのかわかりません、いえ、わかっています、ええ、つらい出来事がいつまでも色あせず、頭の中にうごめいているのは、どれだけ良い出来事があっても慰めになりません。なにしろ、生きている間の、九十九パーセントは不幸な出来事でありまして、たったの一パーセントをさらに百で割った程度しか、良い事はありません。ああ頭が痛い、ああ、立石君、桂君はどこですか? 桂君はどこにいるんですか?」


 髪と一緒に顔を掻〈か〉きむしりながら、柳は訥々〈とつとつ〉と話す。


「ははは、ひさしぶりじゃん柳、すげえファンキーな格好してるじゃんかよ、なあ、覚えていてくれてうれしいぜ」立石は笑みを浮かべて柳の背中を叩く(コイツヤベエナ、外見以上ニ、中身ノ方ガヤベエジャン。長イコト見ナイ間ニ、オカシクナッチマッタンダナ、マエカラ一風変ワッタ天然キャラダッタケド、大人ニナッタセイデ勢イガ増シテ、完全ニ狂ッチマッタンダ。愛嬌アル天然キャラモ、大人ニナルト悲惨ダナ)。


「だから、忘れられないって今説明したじゃないですか、わかります? 忘れたくても、忘れられないんですよ! ああ、ああ、立石君勘違いしないでください、そういう、悪い意味で言ったわけじゃありません、ただ、たとえとして説明しようとしただけで、立石君を忘れたいなんて言ったわけじゃありません。ほんとです、勘違いしてぼくを睨〈にら〉んだりしないでください、ああ、立石君、元気そうですね、ほんと君の髪型は変わりませんね、中学の野球部を思い出しますよ。……夏の守備練習の合間、一二塁間を守る君が帽子を脱いで、光る後頭部を太陽に輝かせたのを、ぼくは右翼から幾度となく見ました、ええ、おかげで眼が悪くなりましたよ、まさに後光が射す、いやそんなおしとやかじゃないですね、もっと精力ほとばしる、ええ、スペルマが眼に飛び込む、ええ、もちろん忘れるわけがありません、忘れられないのですから、忘れようがありません。それにこの記憶はぼくにとって良くも悪くもなく、どぶ川を泳ぐつるっとした亀ですから、ぼくの情操をつねったりひっかいたりすることもなく、そうです、むしろくすぐる記憶であると言えます、そうですそうです、ほんと、ファンキーな格好ってなんですかぁ? ぼくはそんなに可笑しく見えますか? ぼく自身、髪の毛が伸びるという自然の作用を、成すがままほうったらかしただけの、しがない結果でしかないと思っていますが、どうやら、立石君の眼には違った風に見えるみたいですね、ええ、ファンキーってどういう意味ですか? ぼくはそういった、なんて言うんですかね、従順な植民地気質の国民が持つ言葉を、よくわからないんですよ。だからといって、立石君を卑下したわけじゃありませんよぉ? ぼくは常々、口にした言葉を思いもよらない受け止め方をされるので、交通事故らしい突発した、ああ、頭が痛い、ねえ円、桂君がどこにいるか知ってる? あなたは変わらず優しい顔をしているね、ここに来て、第一番にあなたの姿に気づいたよ、もちろんそれは、あなたにそれだけの価値があり、人に幸せな印象を与えるからなんだけどね、ぼくはね、あなたのような、温かみのある肉づきがたまらなく好きでね、ぎすぎすしたような鶏がら女は、見ただけでいらつくんだよ! ああ、円君、五年と三ヶ月と十六日振りの再会だね、細かい時間も入れたほうがいいかな、ええっと、今の時間がええっと、ああ再会って良いもんだな、あなたのような神経の高ぶりを沈めてくれる、母性らしいふくよかさに出会えることで、ぼくは今後なん十年も生きていける気力が……」


「おい柳、ひさしぶりに会っておいて、いきなり人の女を口説くなよ」皮肉と怒りを笑みに堪〈たた〉えて、治が柳に歩み寄る(ナンダヨコノオタク野郎、俺ニアイサツスル前ニ円ニ話シカケヤガッテ、シカモコイツ、急ニ敬語カラ、馴レ馴レシイ言葉遣イニ変ワッタゾ、フザケンジャネエゾ)。


「ちょっと、治」まさしくちんぴら歩きをする治を見て、円は引き止めようと声を出す。


「ああ? すいませんすいません、円は君とつきあっているんですか? つきあっているんですね? そうですねぇ? すいません、知りませんでした、でも、ぼくは幼稚園から円を知っているので、慣れ親しんだ口調に聞こえたかもしれませんが、特別いやらしい気を起こして話しかけたのではなく、幼馴染に会えた喜びを素直に口に出しただけでして、円をかどわかそうなどとは、粒にも思っていないどころか、ここにいる誰よりも一緒に話していたいと、いえ、そんなわけでなくて、ああぁ!」


 谷間を揺るがす血脈のドラムは轟〈とどろ〉き、波動を伝え、梢〈こずえ〉を震わし、旋回する熱いうねりを込み上げさせる。音の気泡は一定を持って破裂し続ける。


「言い訳がましいんだよ、糞野郎!」声を挙げて柳の襟〈えり〉に掴〈つか〉みかかる。


「やめろ治!」アームチェアを用意していた菅田は手を止め、威勢良い声を投げつける。


「おいおい、こんなところで喧嘩なんかするなよ」立石がどこか不真面目な顔して二人に割って入る(治ノ気持チモワカルケドヨォ、ヒサシブリノ再会ガ殴リ合イナンテ、良クネエヨ)。


「そうだよ」池田も止めに入る(チッ、コンナヤツ、殴ラレレバイイノニ)。


「やめてよ治!」一間空いた所から円も声を出す(タシカニ柳君ハ気持チ悪イケド、昔カラ気取ッタ話シ方ヲスルシ、オモシロイカラ割ト嫌イジャナイシ)。


「こいつ! 人の女にちょっかいだしたんだぜ?」背後から飛びかかった菅田に羽交〈はが〉い絞めされながら、柳を睨んで荒げた声を出す(フン、コレダケ脅セバ、モウ近ヅカネエダロ)。


「まさかちょっかいだなんて、違います違います、ぼくは今説明したとおり、小さい頃から大好きな円と巡り会えたことに、純然たる偶然への喜悦を感じただけで、やましいはかりごとを巡らしたのではなく、おいしい食べ物を見た者が自然と食欲をそそられて、かぶりつこうとするごとく、頭を使って行動したのではなく、そうですそうです、勘違いしないでください、何も悪いことは考えていませんから。でも、初めて会った人に、いきなりつかみかかるなんて酷いじゃないですか、ほんと、ぼくに悪気があって、何か直接の害を君に与えたのならともかく、君が浅はかにも早とちり、いえ違います、ぼくにも君の事情がわかりますよ、ほんと君、わかります、でも、あまりにも衝動的すぎますよ、君ぃ、相手がぼくだったからよかったですが、君ぃ、ちょっとずる賢い人を相手にしていたら、君ぃ、間違いなく警察に通報して、傷害事件へと発展させますよ。君ぃ、いいですか? 金が欲しいんじゃないんですよ、ただねぇ、あんたに法を犯したという汚点をこびりつけて、取り除くことの出来ない枷〈かせ〉をはめたまま、やり直しのきかない人生を這いずりまわって、泥水の中をのたうち回って欲しいだけです! ええ、ほんと殺しますよ、ああ頭が痛い、ほんとなんなんですか! もう、桂君に呼ばれたから来てみたものの、外はやっぱり……」


「うるせえぞ柳! すこし黙りやがれ!」菅田が大声を響かせる。


「てめえなんだと? ぶっ殺すだってぇ? 上等だよ!」治はそれらしく演技する(コノオタク野郎、調子ニ乗リヤガッテ)。


「おめえも黙れ!」菅田は治の体をきつく締める。


「菅田君、ぼくがうるさいですって? 今うるさいって言いましたね、それはどういう意味ですか? ぼくの声がうるさいんですか? そうなんですかぁ? ぼくはそんなうるさい声で話してませんよ、わかりますか? むしろ菅田君や、その見知らぬ君の声のほうがずいぶんうるさ……」


「だからうるせんだよ、張り倒すぞ!」菅田は怒声を挙げ、ついでに治の体を強く締める。


「いてぇ! 菅、いてえよ!」治が叫〈わめ〉く(力ガツエエンダヨ、デカ頭)。


「円ちゃん、わりいけど治を連れてさ、ここからちょっと離れててくんない?」立石はバーベキューコンロ越しに立つ円に、事情を察っするよう訴えた顔をする(メンドクセエナァ、柳モ柳ダケド、治モコンナヤツニ、マジニナラナクテイイノニヨォ、スグニ調子ニ乗ルカラ良クネエヨ)。


 円は申し訳なさそうに頷〈うなず〉く(モォ、治モ子供ナンダカラ、コンナササイナ事デ、柳君ニツッカカラナクテイイノニ、セッカクヒサシブリニ会ッタンダカラ、仲良クデキナイノカナァ?)。


 柴田は口を挟まず、表情変えず、この場に居るそれぞれに目を向ける(ヒサシブリノ再会ダトイウノニ、柳君カワイソウ。治君モ、柳君ノ外見カラ、何カ感ジテクレレバイインダケド……)。


「なあ治、おれブース前に行くから、一緒に行かないか?」真面目腐った池田が治に話しかける(アンナ陰気臭イヤツナンカト、一緒ニイタクナイヨ。モウ散々〈サンザン〉車ノ中デ相手シタカラ、スコシデモ離レテヨウ。ソレニシテモ、治モ馬鹿ダヨナ、コンナヤツニムキニナッテ、何気取ッテンダロウ。円ガ目ノ前ニイルカラ、弱イヤツヲ見ルト、ツイ良イ格好シタクナルンダロウ、ホント治ハセコイヨナ。アァア、コノママ柳ガ殴ラレレバ、オモシロカッタンダケド……)。


「ああ行ってこい! わだかまりがとけるように、たくさん踊ってこいよ!」柳に背を向けて、菅田は締めていた治の体を放す(気持チ良ク踊レバ、コイツモスッキリ水ニ流スダロ)。


「ったく、わかったよ、ここにいるといらつくから、離れてやるよ。おい、円、行くぞ」片手で首を押さえたまま空いている手で円を掴み、ブースへ続く小道を歩いて行く(アノデカ頭メ、強ク締メツケスギナンダヨ、首ガイテエジャンカ。マァ、コレデ円モ柳ト話サナイダロ、大体、円ハ男ト気安ク話シスギナンダヨ、……ニシテモ、柳ノ野郎、ズイブン気持チ悪イヤツニナッタナ)。


「柴ちゃんはどうする? 一緒に行かない?」治の後ろに付いて歩き、池田が振り返る(柳ノオ守〈モ〉リハ、菅ト立ニ任セレバイイダロ)。


「あっ、ぼくはあとで行くよ」瞬〈まばた〉きを三度してとろい返事をする(アッ、アア)。


「俺もあとで行くから、池ちゃんは先に行ってくれよ、あっ、桂に会ったら、俺達がここに居ることを伝えておいてくれ」後ろを振り返りながら話し、菅田は柳に近づく(コイツモ見タ目ハ変ワッタケド、中身ハソンナニ変ワッテネエナ、ウルササガ大分増シタケド)。

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