13

柘榴♢紅玉

私は紅玉の父の兄、その子供で、生まれた時期も大体同じだった。なのでほとんどの時を一緒に過ごしている。長く隣にいるけれど、実は一番良く分かっていないのかもしれない。

会話の無い部屋も慣れればそれが当たり前だったし、相手がどのタイミングで立ち上がるか、何をしにいくのか、それもだいたい把握できていた。でも、それだけだ。実際に話した回数はどうだろう。私達のことを何でも分かりあっている素敵な親友同士、なんて思っている彼らの憧れはまやかしだ。

紅玉をどのような存在で見ていたか、私の方は思い出せない。そんなことを考えたことすらなかったのかもしれない。紅玉から僅かに滲み出た黒い物が現れ始めた時、私はきっと初めて紅玉の色を知ることができた。黒い芽を出す種は初めから彼の中に埋まっていたが、それに水をかけたのは私なのだろう。あっという間に、彼の父親と似たような色に染まっていった。

彼は私にどうしたら勝てるのかを、ずっと考えていたようだ。しかし紅玉が勝てる日は来ない。私が彼と争おうとは思っていないからだ。いくら剣を構えて待っていたとしても、私が剣を振るうことも、手に持つことすらこの先は無い。そのぐらい私はあらゆることに関して冷めきっていた。そんなものにどうして憧れたのか知らないが、私が興味なさそうな態度をとると、紅玉は僅かに不満そうな表情を浮かべた。それから気にしていないフリをして部屋を去る。

私が謝ったり、紅玉の方が上だと言ってみたところで、彼は納得しないだろう。彼は私が泣き叫んだり、感情を振り回して暴れる様を見て笑いたいのだ。そんな日が来るとは思えないけど。

「退屈だね。君もそんな本、ちっとも真剣に読んでなんかいないのだろう」

「……まぁね」

もう外で走り回ったりする歳でもない。毎日テーブルゲームを繰り返しても、結果は変わらない。本に囲まれた部屋の居心地は悪くなかった。大人が滅多に来ないし、姿勢を気にしなくてもいい。本は仕方なく、この部屋にいる理由を作っているだけの小道具だ。

本を閉じられて、体を起こすように言われた。彼は向き合うようにすると、私と目線を交わらせた。

「大人達がやっている退屈しのぎをやってみようか」

「……なに?」

「どうせ面白くないんだろうけど、確認しておこう」

目を閉じるという選択肢はなかった。私も相手も。どちらが目をずっと開けていられるか、そんなゲームにも思えた。やがてそれが重なったところで、感動もなかった。

「こんなのが面白いんだな、あの人たちは。何十年も生きて、答えに辿り着こうともしない。大人は子供なんかより、よっぽど不潔で馬鹿で素直だ」

そう吐き捨てると、一方的に出て行ってしまった。これは紅玉なりの告白かもしれないと、彼の後ろ姿を見て思った。初めての相手は一般的に大切にするものらしい。私を選んだら確かに、紅玉の知るところでは彼が初めてになる。同時に彼自身の初めてにも繋がるが、身を削ってでも奪い取りたかったのだろう。傷跡を復讐の火種にするように、消えない記憶を作って、自分を追い込むつもりかもしれない。愛憎、二つの感情が彼の中で渦回っているのだろう。



柘榴♢黒曜

庭の端っこ。白いテーブルは、今日も沢山の甘いもので敷き詰められている。その日は確かラズベリーのタルト。それを食べている時だった。

ざわざわと話し声が向こうで広がっている。紅玉のお父さんが知らない子を連れて立っていた。褐色の肌、そんな色は初めて見た。周りも白く、特に私は心配されるほど陽に照らされてこなかったから。

黒い肌でもその少年は美しかった。この地方には混ざらない異国の血、宝石のような瞳がぼうっと空を見つめている。手足が細く、私達より少し小さいだろうか。吸い込まれそうな魅力を持った少年、黒曜が初めて声を出すまでは数ヶ月かかった。

珍しさから皆が彼に声をかけていたが、言葉が分からないのか、声が出ないのか、そもそも話すという感覚を知っているのかと様々な憶測が飛んだ。理由が判明しないまま色々やってみたが、話す以前に表情も変わることがなかった。人形のようで、やっと最近一人で食事を取れるようになり始めたところだった。

彼が初めて発した言葉は、最初の文字『a』だった。どうして話せるのかと皆が驚いた時、以外な人物が胸を張って立ち上がった。

「僕が! 僕がね、教えたんだ。紙に書くことだってできるようになったんだよ」

灰蓮の弟、双子の一人。玻璃が得意そうに黒曜の肩を叩いた。

「おお、そっか。玻璃が教えてあげたのか」

弟を溺愛する兄は嬉しそうに頭を撫でた。当然玻璃自身も嬉しそうだ。瑠璃はというと、いつものようにどこか空を眺めていた。

「そうね、ゆっくり覚えればいいんだもの。黒曜ちゃんが喋れないって訳じゃなくて安心したわ。ふふ、きっとすぐ沢山話せるようになるわよ」

それからよく、黒曜と玻璃が二人で過ごしているのを見かけた。玻璃は、本当は黒曜の方が年齢的にはお兄さんだろうけど、下の立場ができたことが嬉しかったのだろう。灰蓮は寂しがっていたけど、瑠璃はいつも通りだった。

黒曜はすぐに言葉を覚えたが、自分から積極的に会話をするようなタイプではなかったらしい。必要最低限の単語しか呟かなかった。だからいつまで経っても、黒曜の声を覚えられなかった。彼が長い言葉を喋ってくれる日は来るのだろうか。

何を話しているのかは聞こえないが、二人で絨毯の上に寝そべっている姿をよく見た。本が二人の周りに散らばっていて、それを覗き込んでいる。それは純粋に微笑ましい光景だった。

玻璃の方は笑顔で、黒曜は人形のように動かないままではあったけど。何度か目にしたということは、私自身がそれを無意識のうちに追っていたのかもしれない。他の光景も同じだけ見ていたのに、二人の姿だけ記憶に残ってしまった可能性もある。いや、これから起きるあの事件、それによって二人の様子を思い出すようにしていただけか。事情聴取、そんな大層なことではない。でも子供の力とはいえ、取り返しのつかないことになっていた可能性はある。

誰かの喚くような声、それを追っていると、ある部屋から泣き叫ぶ声が聞こえた。私が開けると、机の向こう側に誰かいるのが見える。彼らから見える距離に移動して初めて、こちらに顔を向けた。

涙でボロボロになった玻璃は、その下で黒曜の首に手をかけていた。黒曜は抵抗する力がないのか、する気がないのか、動く様子はなかった。顔が真っ赤に染まっていて、私は玻璃の肩を掴んで離そうとした。子供の力で、私より一回り小さい筈なのに、それは恐ろしい程の力だった。手をなんとか剥がそうとしながら、黒曜に呼びかけた。

「黒曜お願い! 起きてっ」

何度か呼びかけているうちに、黒曜の瞳が開いた。ぼうっとこちらを見上げてから、歯を食いしばった。それからハッとしたように玻璃を見つめる。その目は殺気を纏うほどの憎しみを込めていた。あっという間に指を首から剥がし、逆に玻璃を押さえつける。その頃にはもう玻璃は静かに泣くだけになっていた。黒曜はその上に馬乗りになり、獣のように荒い息を吐きながら、玻璃の関節を痛めつけるように力を込めた。今度は痛みで泣き叫ぶ玻璃に、黒曜は力を緩めようとしない。

「黒曜……離してあげて……折れちゃう」

その時の私はほとんど恐怖で動けなかった。こんなやりとりが自分達の間で起こるなんて思ってもいなかった。二人が本当にお互いを殺めてしまう。でも私ではどうすることもできない。いざという時に私は何もできない。

痛みで動けないのか、もう全てを放棄したいのか、玻璃は呼吸をするだけで動かなくなっていた。黒曜は相変わらず玻璃を睨んでいる。

「……黒曜。部屋に戻っていて。後から行くから」

素直に立ち上がって部屋を出て行った。黒曜の方はそれほどダメージを受けてはいないらしい。

「玻璃……起きれる?」

その返事はなかった。とりあえず兄を呼んでこようか。でもあの灰蓮が、こんな姿の弟を見たら余計拗れるかもしれない。しかし報告しない訳にはいかないだろう。先に紅玉に言っておこうか。

「少し待っていてね。冷やすものを持ってくるから」

部屋を出ると、すぐに灰蓮の姿を見つけた。珍しく一人でいる。事情は後で説明するからと、玻璃を部屋に運ばせた。私は黒曜の方に行き、首にタオルを当てる。

「……痛む? 苦しくない?」

こんなことを聞くことしかできない。痛くない筈ないだろう。黒曜はゆっくり顔を上げた。

「大、丈夫……もう苦しく、ない」

そっと手を外される。その時、初めてこんなに近くで彼を見たと思った。冷たく他者を遠ざけていた少年は、心配するような瞳を私に向けている。

「黒曜……」

私が泣く理由はない。なのに気がついたら彼に飛びかかって泣いていた。本当に痛くないのかと、何度も聞いていたらしい。顔を上げると、彼は笑っていた。

「柘榴、聞きすぎ」

まだどこかぎこちない言葉が愛おしかった。笑い合うと、彼と気持ちが繋がった気がして、心がじわりと暖かくなった。でもこれから、二人には辛い事を聞かなくてはいけないのかもしれない。

私と灰蓮と紅玉で集まり、二人にはそれぞれ別の場所で話を聞くことにした。玻璃はベッドに潜ったまま出てこないというので、先に黒曜の話からだ。

灰蓮の顔はまるで当事者のように落ち込んでいた。可哀想になったが仕方ない。紅玉は冷静そうだ。こういう役目がいるのは、この場においては有難いのだろう。

私の隣に黒曜を座らせて、そっと支える。一応新しいタオルも用意しておいた。

「さて、黒曜。首を絞められていたようだけど、話すことはできそうかな」

黒曜は前の二人を見て、頷いた。

「玻璃は、俺に色々教えてくれた。知らないこと、沢山あった。みんなの名前も呼べるようになった……でもだんだん怒ることが、増えていった」

玻璃が不機嫌になるのは、瑠璃と灰蓮が二人で遊ぶのを見た時が多かったらしい。そういう時は決まって、「お兄ちゃんは僕より瑠璃の方が好きなんだ」と言った。「僕と見た目は一緒なのに。中身が瑠璃の方が良かったら、僕がいる意味がないじゃん。瑠璃が一人の方がみんな良かったのに」。黒曜の前では泣くのを我慢していた。むやみに慰めたりしないのも良かったのかもしれない。何も言わない、言えない黒曜は、自分の事をなんでも聞く便利な人形に相応しかった。

初めは簡単なことだったらしい。本を片付けろ、窓を閉めてこい。黒曜はただそれに従う。やがてお願いが難しくなってくると、失敗することも増えてしまった。つい最近ここに来た黒曜が、部屋の場所などを全て覚えられているはずもない。

理不尽なお願いで、本当に追い詰められているのは玻璃の方だった。失敗すると分かっていてやらせる。それに苛々して黒曜を怒っても、彼は反応を示さない。酷いことを言っても動じない。そんなことが積み重なって、玻璃はついに手を出してしまった。それでも抵抗しなかった黒曜だが、私が来たことにより少し冷静になったらしい。これはおかしい、こんなところで玻璃の為に死んでしまう訳にいかないと。

「もう、玻璃とは一緒にいられない。俺の顔を見たくないと思うから」

「黒曜……」

冷えている黒曜の手を温めるように寄り添う。灰蓮は口を噛み締めながら、流れる涙を乱暴に拭った。今、彼にかけてあげられる言葉が見つからない。紅玉は口元に手を当て、何か考えるように首を捻っている。

「玻璃の様子を見てこよう。まだ無理そうなら、明日にする」

先に黒曜を部屋に返して、灰蓮の部屋の前で待つ。その間私と紅玉に会話はなかった。やがて灰蓮が部屋から出てくると、ごめんと呟いた。玻璃は何も答えず、毛布を剥ぎ取っても、目を閉じているだけらしい。

それから何日か経てばその内話せるだろうと思ったが、玻璃はあれから初めの頃の黒曜のように、何も話さない、表情も変えない子になってしまった。

黒曜の話だけで判断するしかないが、この件はどんな形で終わらせるべきなのか。

私は玻璃の代わりに黒曜といることが多くなった。紅玉と二人の時とは比べられないほど、穏やかで微笑ましい日々が流れていたが、灰蓮達とは会いにくかった。その代わり黒曜が話し相手になってくれるから寂しくはない。玻璃がそうしていたように、黒曜に色々なことを教えていた。時折玻璃がこちらを見ていた気がして、背筋が冷たくなるということがあった。その内の何度かは、実際に見ていたのかもしれない。

私は恨まれているだろうか。玻璃は、本当はまだ黒曜といたかったのかもしれない。その本音を聞ける日はもう来ない。玻璃は……この世からいなくなってしまったから。

黒曜は、みんなはどう思っただろうか。灰蓮は二人の弟を大事にしていたのに。みんなも玻璃のことを嫌いだなんて言った人はいなかった。何が彼を、そこまで追い詰めてしまったのだろう。私たちの間で最も悲しく、忘れてはいけない事件だった。玻璃はきっと、まだみんなの心の中で生きている。

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