0時になると気持ちがすっきりする。

ほんの一瞬のことなのだけど、画面内の時計が数ヶ所変わると少しハッとする。僕はゾロ目が好きだ。特に0が揃うと綺麗で気持ちがいい。

誕生日は残念ながら揃っていない数字だけど、あの子はどうかな……。

そして僕はいつものように、頭の中にいる君のことについて考え始めてしまう。誕生日が綺麗な数字だったらいいのになんて。もし本当にそうだった場合、それに興奮してしまう自分も変だ。

まぁでも、僕と君が今後交わることなんかない。この世界で、同じ国で、同じ学校で、同じクラス……それだけで僕は恵まれすぎているのだ。これ以上の運はもう残っていないだろう。

それとも君のことなんかいっそのこと知らなかったら、もっと平和で素直に……こんな思考を持たずに生きていられたのだろうか。

思春期ならそんな感情誰でも持つんだと、大人や先生なら言ってくれるだろう。でも僕はそんな自分がまだ分からなくて、受け入れられなくて、成長という文字が大きな化物みたいに見えている。

こんなことが本当に普通、なんだろうか。

いつも教室の端からバレないように見つめて、それだけで胸が詰まって、家に帰っても忘れられなくて、震える体を抱きしめたりなんかして……。

でも君の頭はきっと全然別のことを考えていて、それが僕と交わることはやっぱりないんだ。

僕に少しだけ勝ち目があるとすれば、君があまり他人と関わるのを見たことがないこと……かな。ただそれだけで、ちょっと似た部分があるのかな、なんて思っちゃったりして。

でもいざ本物を目にすると全然違う。君は雲の上の透き通った世界にいるみたいなのに、僕はただ地上で誰とも馴染めずにいる。

美しく舞う黒髪。眼鏡で分かりづらいけど、その奥には綺麗な瞳があって、少し不健康そうな白い肌……細い曲線を描く身体。初めは芸術的な美しさを感じていた。どこかの展示品のような、花のような……。

一度だけ何かの行事の説明だったかで、君が僕の前に並んでいたことがある。今も昔も合わせて、それが一番君と近づいた瞬間だった。そのときの君は人形ではなく、ちゃんと体温があった。匂いもした。

顔が、体が熱くてほとんど俯いてしまっていたけど、あの瞬間どうしようもなく焦がれてしまったんだ。

あれから君が言うはずの無い言葉、するはずの無い動き、僕に向けられることのない笑顔を想像して、頭から離れない。嬉しくなったり悲しくなったり、切なかったり虚しかったりで疲れて……それでもまた君のことを朝に起きた時から、夜眠ってからだって考えている。

ああ……君のことが、どうしようもなく好きだよ。

一生言うことのない台詞。勝手に届けばいいのに……そうしたら、今よりは傷つかなくて済むかもしれない。

いや、気持ち悪いと思われるかな。だって僕は何も知らないんだ。好きな物のことも、どんな一日を過ごして、どこに帰って……どんなことを考えて眠るのか。知りたいと思う反面、思ってもみなかった部分を見て、勝手に幻滅してしまうかもしれない。それで気持ちが冷めても、そんな自分を更に嫌いになりそうだ。

どうして自分はこんな性格なんだろう。もし、もっと皆みたいに普通にできていたら、そんなことも思わなかったのかな……。

僕は明日、急に君がみんなに囲まれて、笑顔で話している様子を想像して胸が詰まってしまった。

でも有り得ないことなんて無い世界。また一秒が経った……世界は動きに蠢いている。その中で僕は、また何もできないでいた。


《2の4 東校舎》

廊下側の列、その後ろから二番目が君の席。僕はその二つ離れた列の、一番後ろに座っている。よく見えるかと言ったらそうでもないんだけど、この距離感が自分らしいかなとも思う。

あくまで積極性の無い自分に苦笑いして、時計を見上げる。意外だけど、君が来るのは結構ギリギリだ。たまに物凄く早く来ているみたいだけど、その時は教室にはいない。一度だけ早く来た時に、図書室にいるのを見かけたことがある。君は教室でもいつも本を見ているけど、何が書かれているんだろう。

読んでいるではなく見ていると言ったのは、そうとしか思えないからだ。本を読んでいる時なんて大体そうかもしれないけど、君はどこかつまらなそうで、嫌々目を通しているかのように見える。それでも本を手放さないのだから、ただ感情が表に出づらいタイプなのかもしれない。

これが、僕が勝手に君を盗み見した結果に分かったことだ。

携帯が震え、自分の思考が一度止まる。一件のメールに、今は唯一と言っていいだろうか、その友人から教科書忘れたから貸してというだけのものだった。

あいつまた……と思いながらも、少しだけ嬉しく感じている自分もいた。

彼とは小学校からの付き合いだ。特別仲が良かったという訳ではなかったけど、こうして高校まで同じになった縁か、入学式でお互い知った顔を見た時は、どちらともなく話しかけていたと思う。

そのまま一年間同じクラスで過ごしていたけど、今年は別になってしまった。だから会う回数は減ったけど、お節介が少しある彼はちょくちょく様子を見に……いや、ただ忘れ物が多いだけか。

机の中を漁り、教科書を確認する。数分も経っていない、数秒後に彼が来た。

あお、ごめんな〜」

つかつかと一直線に教室を横切り、僕のところへ向かってくる。

「何の教科書?」

「んー英語と……あっ数学のノートもちょっと貸して」

「数学? でもやってるところ違うかもよ」

ノートを渡すと、ペラペラめくった後、何かを凝視するかのように覗き込んだ。字が綺麗なわけでも、ちゃんと理解しているというわけでもない。ただ内容を写しただけのものなので、少し恥ずかしい。

「あっ……」

視界の端に彼女が映った。長い髪を揺らして、無駄のない動きで座る。ただそれだけの動作が綺麗で、気がついたら目で追っていた。

「あーここはまだか。じゃあいいや、ありがと」

「あぁ……うん」

空返事が過ぎたのか、ノートで視界を遮られた。

「うわっ。ちょっと春昭はるあき……」

「何見てんの?」

「別になんでもないよ」

「ふーん……そう? まぁ、いいや。じゃあ終わったら、すぐ返しにくるから」

「英語はまだだから急がなくても大丈夫だよ」

「おう、了解」

それだけ言って、人の教室だということを気にすることなく出ていった。小さく溜め息を吐いて、ゆっくりと視線をずらす。

また本を読んでいる……深い青色のブックカバー。それに模様や絵柄は入っていない。そんなシンプルなものが似合っていた。

春昭に相談してみたらと一瞬考えて止める。アイツ適当な奴だし、イベント感覚で面白がられそうだ。

彼女とは全然進まない関係でもいいんだ。でも望むなら一緒に喫茶店で本を読んだり、音楽を共有して聞いたりなんて……そういうことがしたいだけで。

実際は誘うこともできない。話しかけるのさえ不可能な自分を思うと嫌になる。そんなの今更だけどね。

「でさー、ありえなくね?」

ギャハハと数人の笑い声が後ろでして、身を硬直させてしまった。笑い声が起こると、大抵悪いことしか想像できなくなってしまう。

聞いていないフリをして、耳を立ててみる。どうやら僕の話ではなさそうだ。

「親父がさ、若い女に貢いでるらしくて。でもどうやらキャバとか風俗じゃねえの。少ししか見えなかったんだけどさー、携帯の待ち受けが……よく神社にいるじゃん、巫女っての? あれのもっとコスプレみたいな感じでさ……地下アイドルみてえな? そんな感じなんだよ」

「それコスプレ込みのサービスなんじゃね? 親父さんいくら息子がこれだからってねぇわー」

「ってめぇ、どういう意味だよ」

また笑い声が上がった。本格的に僕に関係の無い話だけど、なんとなく聞いてしまう。

「ロリコンかよっつーのな。だからババアにも愛想つかされんだよ」

「お前と二人暮らしなんだっけ?」

「そーそー。お互い会話しねーから親って感じはしねえけど……見知らぬ女に貢いでるぐらいなら、俺を追い出す資金に使えっての」

中心で話している彼は原聖也はらせいやだ。このグループはいわゆる僕と正反対の、少し不良っぽいくせに、いきなり行事ごとでリーダーになっちゃったりするタイプの人たちで、良い奴なんだろうけど僕は苦手だ。

親とは少しあるみたいだけど、こんなに同級生から好かれているならいいじゃないか。

「親父のこと、わかんねーんだよな……。変わっちまったんだ……アイツが出て行ってから」

周りの雑音が消えて、あるはずの無い静寂の中で、この声だけがクリアに僕の耳に届いた。

次にはチャイムの音にかき消されたけど、少しだけ彼を見る目が変わってしまいそうになる。どうして僕はこの声を拾ったんだろう……。

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