衝突②

 漆黒の大剣使いは、大剣を扱っているとは感じさせない軽快な動作で剣を振るい、易々とハヤトを押し返す。

 ザザザッ! と、靴底を滑らせて、ハヤトは後退する体を引き留める。

「……お前は何者だ」

 冷静に声を出せたと、ハヤトは思った。荒ぶる感情に呑まれ、突貫する事がどんな結果を生むのかハヤトは知っている。

 だからこそ、ハヤトは逆立つ気持ちを必死に抑制した。

「アイツ、かなりヤバい雰囲気してるぜ。そこ等の連中とは別格だ」

 レインは槍の穂先を下に向けて構える。その表情は少し強張っていた。

 漆黒の大剣使いはハヤトを押し返すと、そのまま腕を下ろして悠然と佇んでいる。

 フードの中はまるでどこまでも奥へ続く闇の様に暗く、得体が知れない。

「え、援護感謝いたします、ジェネリード様」

 先ほどまでの動揺が嘘の様に、マークは余裕の笑みを浮かべて首を垂れた。

「ジェネリード……それがお前の名か」

 ハヤトの声に、ジェネリードと呼ばれた大剣使いは応えない。

「ジェネリード様、ここは我々にお任せ下さい」

 味方であるはずのマークの声にも、ジェネリードは反応を示さなかった。

 無言を了承と受け取ったのか、マークは漆黒の大剣使いの前へ歩み出ると、大きく息を吸い込み、声を張り上げる。

「紹介しよう! 我等レネゲイドの盟主である、ジェネリード様だ! さぁ同士諸君、我等の為に駈けつけてくださった恩義に、今こそ応え──」

 それは、何の前触れもなく行われた。

 プス、と。

 空気の抜ける音が、ハヤト達の耳に届く。

「あ、え……?」

 マークの首元。そこに赤黒い液体の入ったカプセルが差し込まれていた。

 先端の細い針が、マークの細い首筋に深々と突き刺さっている。

 そのカプセルを握りしめているのは──。

「ジ、ジェネリード……様?」

「いい事を教えてやる、マーク」

 体が硬直しているのか、マークは不自然に揺れる視線だけを後ろに向ける。そんなマークに、ジェネリードは底冷えする様な低い声で告げる。

「一つ、俺はお前等を助けに来たんじゃない。そしてもう一つ。これが重要だ」

 ジェネリードは試験管の様なカプセルの頭部にあるボタンに、親指を乗せる。


「モルモットが、俺を語るなよ」


 言葉と同時に、親指が押し込まれる。

 ゴボボ、と無数の気泡がカプセル内に浮上し、赤黒い液体がマークの体内に流入していく。

「あ、あッ、あぁぁああぁぁぁがあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼‼‼」

 途端に、マークは人とは思えない雄叫びを上げる。首筋に無数の血管を浮かび上がらせ、あらん限りの声で叫ぶ。その姿はまるで獣だ。

 尋常ではない光景に、レインはジェネリードを睨む。

「なんだ……何をしたんだよてめぇ⁉」

「モルモットって言ったら、やることは一つだろ」

「て、てめぇ!」

「ハァァァァ!」

 レインが駆け出すよりも早く、ハヤトはジェネリード目掛け突進する。

 地面を滑る様に駆け抜け、ハヤトは渾身の力で左手の剣を振り上げる。

 力強く振り下ろされるハヤトの風刀を、ジェネリードは鉄板の様に分厚い刀身で受け止めた。

 再び至近距離でハヤトとジェネリードが競り合う。

「……おい、ジェネリードっていったか」

「何だ」

「この獣武に覚えはないか?」

「獣武……?」

 被っているフードが少し角度を変える。

「知らんな、そんな獣武」

「ならッ! こっちはどうだッ⁉」

 ハヤトは右手の炎剣をジェネリードの顔の中心目掛け突き刺す。

 顔のど真ん中を貫く様に突き出されたそれを、ジェネリードは首の動きだけで回避する。

 ザシュ、とハヤトの刀身が、フードの端を僅かに裂く。

 その隙間から、ほんの一瞬、一秒にも満たない時間だが、確かにハヤトはジェネリードと視線を交えた。

 無限の闇に思えるフードの奥に垣間見える、感情の見えない冷徹な赤い瞳。

「ッ!」

 ハヤトの背筋に、冷たいものが走る。

「鬱陶しいな、お前……」

 ジェネリードは一歩下がりながら体を回転させ、横薙ぎの一撃をハヤトに叩き込む。

 躱せないと判断したハヤトは咄嗟に体前で両手の剣を交差させ、一気に後ろへ跳び退る。

 ゴッッ‼ と分厚い漆黒の刃が、ハヤトを双剣諸共もろともぎ払う。

「ぐ、うぅ……!」

 凄まじく重い一撃に、ハヤトは成す術なく吹き飛ばされる。何とか態勢を整えて着地した頃には、ジェネリードは身を翻していた。

 一気に廃墟の天井へと跳躍して鉄骨に降り立つジェネリードを見上げて、ハヤトは叫ぶ。

「待て! 本当にこの獣武を知らないのか⁉」

「気になるなら追ってこい。最も、そいつを倒して来れるのならな」

「ハヤト! マークの様子がおかしい!」

 レインに呼ばれ、ハヤトは視線をマークに移す。

「グゥッ‼」

 バクンッ‼ とマークの体が大きく跳ねる。

「ハァ……ハァ……ふ、ふふ……来る、感じるぞ……力だ、力が湧き上がってくる‼」

 マークの体から大量の蒸気が上がり、体が跳ね上がる様に痙攣する。

「ハァ、ハァ、ガ、ガアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ‼」

 跳ね上がる度に、背丈が拡張される。手足はもはや人間の物ではなく、獣の様に鋭く、毛深くなっていく。

「なんだよ、これ……こんなの聞いてねぇぞ……」

 レインは目の前にいるマークだった者を見上げて呟く。

 ハヤト達の前に立っているのは、人間の倍以上の大きさをした怪物だった。

「これが俺達レネゲイドが長年の研究の末に作り上げた、霊獣士に代わる新たなる力。その名も『獣霊士ベースティア』」

 ジェネリードが静かに、しかしハッキリと宣言する。

 頭の上には大きな耳があり、口と鼻は前に突き出て刃の様に鋭い歯が並んでいる。体は長い体毛で覆われ、人間だった頃の面影はどこにも残っていない。

 その姿はまがう事なき狼男バケモノだった。

獣霊士ベースティア……獣の戦士、という訳か。本当に、まさしく言葉通りだよ」

 吐き捨てる様に言って、ハヤトは双剣を構える。

「あァ、あァ! 力が湧きあがってくるゥ‼ すごい、すごいゾぉぉぉぉぉぉ‼」

 腹の底に重く響き渡ってくる雄叫びを上げながら、獣人へと変化したマークは天を仰ぐ。

「レイン、ここからは全力でいくぞ。少しでも気を抜いたらやられると思っておけ」

「さっきから足が震えるのを必死に我慢してんだ。一瞬だって気を抜いてやるかよ」

 レインも緊張した面持ちで槍を構え、ハヤトと肩を合わせる。

「実験は一先ず成功か」

 それだけ言い残し、ジェネリードは朽ちて開いた天井から夜空へ跳び出し、その姿を闇にくらませた。

「くっ……」

 追い掛けたい衝動を何とか堪え、ハヤトは目を閉じる。昂る感情を心の湖に浸し、熱くなった自分の心を呼吸と共にゆっくりと冷やしていく。

「──側面からの同時攻撃でいくぞ。絶対に奴の正面には立たない様に気をつけろ」

「了解。初撃は俺に任せろ!」

「頼んだ!」

 ハヤトとレインが同時に走り出す。獣人へと変化したマークを中心に、ハヤトは左へ、レインは右側へ回り込む。

 二手に分かれたハヤト達を前にして、マークの動きに一瞬、迷いが生じる。

 その隙にレインは槍の穂先をマークに向ける。

「スタンレイドォ!」

 電流を纏って、レインが一直線に駆け抜ける。

 しかし。

「ガァァァ‼」

 マークは獣の様な雄叫びと共にレインの雷槍を両手で掴み、押し留めた。

 バチン、と雷撃が霧散し、レインの槍はがっちりと拘束ホールドされる。

「マジかよ……」

 愕然とするレインに、マークは丸太の様な腕を振り上げる。

 しかし、レインのおかげでガラ空きになった背後からハヤトが一気に距離を詰める。

 背後からの一撃。対処に遅れるはずの死角の位置。

(これなら、いけるッ!)

 しかし、ハヤトは一つ失念していた。

 今、自分達が相手しているのは人間ではないという事を。

 ギョロリ、と。

 獣人となって広い視野を手に入れたマークの瞳が、背後にいるハヤトを捉える。

「なッ⁉」

「ガアァッ‼」

 マークはレインの槍を掴んだまま、その巨体を勢いよく捻る。遠心力によって振り回されたレインを投げ飛ばし、斬りかかろうとしていたハヤトへ力任せにぶつける。

「グゥッ!」「ウァッ!」

 大した受け身も取れないまま、ハヤト達は背後の木箱の山へと勢いよく突っ込んだ。

 倉庫中に砂と埃の入り混じった粉塵が舞い上がる。

「クッ……大丈夫か、レイン」

「あ、あぁ……なんとかな」

 痛む体を起こしながらハヤトが呼ぶと、すぐ隣で返事が返ってきた。

「くっそ、俺の一張羅が台無しだぜ」

「気を抜くな! 次来るぞ!」

 マークは両手の爪に獣力を纏い、交互に腕を振るう。血の様に赤い光沢をした十本もの斬撃が、乱雑な軌道でハヤト達に飛来する。

「レイン! 俺は左側!」

「右側行く!」

 言葉少なに行動を伝え合えるのは、お互いが場慣れしているからこその荒技だった。

 ハヤトは左手の剣に右手の剣を擦り合わせる。

 すると、両方の刀身に激しい炎風が吹き荒れる。

「双武流特技、風塵ふうじん炎舞えんぶ‼」

 炎風を纏った双剣で飛来する斬撃を斬り払っていく。

 レインも雷槍を巧みに操り、赤い斬爪の軌道を何とか逸らす。

 マークは既に次の攻撃に移っていた。犬の様に突き出た口をバカリと広げ、獣力の塊を凝縮していく。口いっぱいに凝縮した獣力の砲弾を、マークはハヤト達に向けて盛大に吐き出した。

 一直線に伸びる獣力の光線が、圧倒的な熱を持ってハヤト達に迫る。

「避けろッ‼」

 ハヤトとレインは、左右に別れて跳ぶ。直後、

 ゴボァッッ‼ 先ほどまでハヤト達のいた場所を獣力の光線が突き抜ける。光線は背後の壁をごっそりと貫き、激しい爆発を引き起こした。

 何とか受け身を取って素早く起き上がったハヤトの目の前に、マークが迫る。

「ガアァァァァ‼」

「忙しいな、くそっ!」

 防御は困難と判断したハヤトは、両手の獣武を強く握りしめる。

「グルァァァ‼」

 マークが右手を大きく振りかぶり、鎌の様に鋭い鉤爪を振り下ろす。ハヤトはそれを左手の剣で斬り流し、マークの懐に潜り込む。そのまま滑る様に脇を通り抜け、マークの背後で距離を取る。なるべく正面に立たない様に側面に周りながら、隙を見てマークに斬りかかる。

 ハヤトの剣はマークの腕や胴体に浅い傷を付けるが、決定打には程遠い斬撃しか与えられていない。

 マークの攻撃を必死に弾いては攻撃に転じるハヤトだが、完全には防ぐ事は出来ず、腕や脚に爪の切り傷を蓄積させていく。

「敵、テキ、殺スゥ!」

 いつまで立っても捉えられない事に業を煮やしたマークが右手を大きく振り上げた。その隙を、ハヤトは見逃さない。

(ここだ!)

 威力重視の攻撃をするにはどうしても力のタメが必要になる。その僅かに与えられた時間の中で、ハヤトは右手の剣だけを逆手に持ち替え、両拳を重ねる。

 マークは上からハヤトを文字通り叩き潰すように大きな手を振り落とす。

 対して、ハヤトは一つに重ねた双剣を右腰の後ろまで引き絞り、全力で左側へ踏み込む。

 岩塊の様なマークの獣手が、ハヤトに迫る。

 目の前に迫る拳に向け、ハヤトはありったけの獣力を込めて、両手を振り抜いた。反時計回りに振り抜かれた双剣の刀身と、マークの右手が噛み合う。

「うおぉぉぉぉぉぉ‼」

 両手に激しい抵抗を受けるが、ハヤトは構わず双剣を振り抜く為に出せる獣力を全て込める。

 そして。

「ガァァ!」

 両手の剣はマークの小指の付け根から肘辺りまで深い傷跡を残し、振り抜かれた。

(どうだッ⁉)

 獣力を無理矢理引き出した代償で痛む体を強引に捻りながら、ハヤトは背後を振り返る。

 そして、驚きに目を見張った。

「グルアァァァァァァァァ‼」

 あれだけ深い傷を受けたにも関わらず、マークは負傷した右手をそのまま振り下ろした。

 ドッゴォ‼ と鎚の様な拳が石造りの床を粉々に砕き、激しい衝撃波が辺りを襲う。

「ッッッッッッ!」

 傍らにいたハヤトの被害は凄まじく、視界が不自然に揺らいだまま吹き飛ばされる。平衡感覚を掻き乱され、視界がハッキリしないままハヤトは床に叩き付けられた。

「ガッッッハッ! ゴッ、ゴホッ!」

 呼吸が上手く出来ず何度も咳き込みながら、ハヤトは必死に体を起き上がらせる。

「ガァァァァァァァァァァ! 敵は、殺ス! 殺すゥゥゥ!」

 興奮というより狂気に近い瞳で、マークは吼える。

「ハヤト! 大丈夫か⁉」

 レインが庇う様にハヤトの前に躍り出る。マークはゴツゴツした両足を深く折り曲げ、一気にハヤト達へ飛び掛かろうとして、

「待てマーク! そいつらはまだ殺すな!」

 背後に控えていたレネゲイド兵の一人が、突然マークを呼び止めた。

「……アァ?」

 ギロリ、とマークの視線が背後に向けられる。異様な形相にレネゲイド兵は一瞬怯むが、

「や、奴らにはまだ聞きたいことがある」

「……」

 マークは黙って仲間を見ている。それを了承と受け取ったのか、レネゲイド兵の肩から力が抜けた。

「そ、それにしても凄まじい力だな。これなら霊獣士に変わる新たな力となってくれるに違いない。そうだろう、マーク?」

 そして、レネゲイド兵はマークの傍に歩み寄り、大木の様に太いマークの右手に手を伸ばす。

「……ッ⁉ よせっ! 近づくな!」

 ようやく視界が戻り始めたハヤトが慌てて声を張り上げるが、

「人……間、霊獣士……敵……敵は、殺ス‼」

「え?」

 ゴキャッ! と。

 間の抜けた声が上がった時には、既にレネゲイド兵の体は宙を舞っていた。大木の様な腕で薙ぎ払われたレネゲイド兵は、横の壁に勢いよく叩きつけられ、そのまま地面に倒れる。

「ま、マーク⁉ 貴様、何のつもりだッ!」

 他のレネゲイド兵達が糾弾する様に声を張り上げる。

 マークはそちらに視線を向けると、一気に仲間だった者達の元へと駆け出していく。

「貴様‼ 裏切る気かッ⁉」

 雄叫びを上げて向かってくるマークに、レネゲイド兵達が次々に砲術を放つ。

「敵は、殺ス! 霊獣士、殺ス‼」

 最早、まともな思慮はなくなっていた。

「どうなってやがる?」

「あれは獣力が暴走した成れの果て『異獣化いじゅうか』だ」

 困惑するレインに、ハヤトは痛む体を立ち上がらせて言った。

「ああなるともうまともな思慮は残っていない。暴走した獣そのものだ」

「異獣化……」

 目の前の獣を見ながら、レインが呟く。そこには既に人間だった頃のマークの姿はない。あるのは、理性とはかけ離れた、本能のままに動く獣の姿だけだった。

「そんなの、軍でも聞いたことがないぜ……ハヤト、お前は一体何を知ってるんだ?」

 レインの問いかけに、ハヤトは答えなかった。

「……止めるぞ。アイツを外に放ったら大変なことになる」

「あぁ、分かった!」

 ハヤト達はレネゲイドと交戦しているマーク目掛け斬撃を飛ばす。飛来する無数の斬撃に気付いたマークは両手を体の前で交差させて斬撃を弾く。

 その間に、ハヤト達は一気にマークへと接近する為に地面を蹴る。

 しかし、そこで不意にマークの視線がハヤト達の背後へと向けられた。

(なんだ、何処を見て……まさかッ⁉)

 嫌な予感がハヤトの脳裏に浮かび上がる。慌てて背後を振り返り、息を呑む。

 振り返った先には、気絶から回復し、上体を起こしたヨーグの姿があった。

「マズイ‼」

 ハヤトが声を上げるよりも早く、マークは一気に天井近くまで跳躍すると、そのまま屋根をを蹴ってヨーグへと急降下する。

(くっ、間に合わないッ!)

 手負いのヨーグ目掛け、獣の巨体が襲い掛かる

 その大木の様な腕が、ナイフの様な爪が、無防備なヨーグの体に振りかざされ、


「──衝波ショット!」


 ゴバァッ‼

 突然ヨーグの背後の壁が爆発し、瓦礫が爆風と共にマークを押し返した。

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