第48話 リルリィ・ジェラの帰郷

「大丈夫だ」

「えっ」

 いつまでも。ずっと休まず仕事をするレナリアを見兼ねて、ルクスタシアが遂に言った。

「レナ嬢。多少の間なら貴女が居なくても大丈夫なように、私が居る。行ってきたら良い」

「……えっと……何がですか?」

「いつまで待たせる気だ? あの子供を」

「——あっ」

 まさか忘れていたのか?

 否。

 既に彼女にとって、当たり前になってしまっていたのだ。分かってはいるが、どうしても、優先順位の高い仕事がやってくるから。

「そんなに掛からないだろう。危険な旅でもない。……良いから、行ってきたら良い。『3人』で」

「……ありがとうございます。ルクスタシア」

「ふん……」

 レナリアはぺこりと頭を下げ、執務室から出ていった。


——


 ラスは。

 実は仕事が無い。

「……なんか、暇だな」

「そうなの?」

 王の公務はレイジが行っている。諸々の業務も、レナリアと上手く連携を取っているようだ。

 組織として、『和の国』の指揮も、元革命軍の男達が買って出てくれている。ラスが顔を出しても『良いから良いから』と遠慮されてしまい、仕事が無い。

 レイジの所へ行っても、『これは俺の仕事だ』と、張り切ってしまっている。

「……あの『宣言』以外、俺の立ち位置決めてなかったな……失敗した」

「でものんびりできるじゃん」

「それはなー。……んーまあ、欲しかった生活ではあるんだが。何かしら『和の国』の為の手伝いはしたいんだよな」

 日がな、『彩京』をぶらついていた。そこにリルリィもくっついている。彼女こそ、ここでやることがない。しかし忙しいレナリアと、まだ動き始めたばかりの『和の国』が心配なラスに対して、『催促』などは決してできなかった。思ってもいない。自分が帰るタイミングは彼らが決めるのだと、リルリィは思っている。

「ヒューリ、さん……? は、何をしてるの?」

「……あいつも何もしてねえな。確か軍の責任者だか教官だか、そんな役割だった気がするけどな」

「そうなんだ。強いもんね」

「だが、今は建国へ向けて全員が色々なことを進めてる。訓練なんかしてる暇は無い。……だから、ヒューリが暇な訳だな」

「じゃあ、ドレドとフライトは?」

「ドレドは、なんか竜人族の護衛付けて貰ってどっか行ったな。『種族ALPHA』の遺跡じゃねえかな。あいつも好きだな」

「そうなんだ」

「まあ、過去を明かすことは世界の利益に繋がると考えりゃな。レナも興味あるみたいだし。フライトは——あいつは普通に働いてると思うぜ。元々革命軍の一員だったしな」

「ふぅん」

 英雄は、戦争が終われば役割は無い。建国が目的だった。それを達成すればもう、やることは無くなってしまった。だがそれを、年端のいかぬ子供に押し付けるのはいけない。

「ラスっ」

「ん」

 あと、残ったのは。

「レナさま」

「おいおいどうした? こんな時間に」

 まだ陽が高い。レナリアは忙殺されている筈だ。ラスは少し驚いて彼女を見る。

「……休暇を。貰いました」

「?」

 杖を突きながら、レナリアはリルリィの元へ歩いていく。

「リル。随分と、お待たせしましたね」

「!」

 そのひと言で、ピンと来た。

「帰りましょう。貴女の故郷、『翡翠領』に。お送りします」

「おおっ」

「ね? ラス」

 ラスも声を挙げた。そうだ。それが残っていた。

「——ああ。行こう。なあリル」

「うんっ!」


——


 護衛を付ければ。別に女王がわざわざ送る必要もない。だがそうしなかったのは。

 道中の旅を、楽しみたかったからだ。

「おお、すげえ。『峰』のこっち側はさらに山脈になってんだ」

「ええ。ここから『山鱗の街』まで行って、そこから南下します。山を降りてからは、馬車での旅ですよ」

「馬車か。良いな」

「やったー!」

 命の危険の無い旅。それはこれまでの旅とは、見える景色が何もかも違っていた。

「あれは?」

「狐ですね。魔物ではありません」

「あ! あれ、レナさまだ!」

「ん?」

「ふふふ。……見てくださいラス。あれが『レナリアの花』です。この辺りは自然に生えているんですね」

 笑顔。笑い声。楽しい旅。最高の旅である。木漏れ日の射す山道を、3人で進む。

 山を越え、谷を越え。

 そういう時間は、すぐに過ぎるものだ。


——


「——着きましたね」

「おっ」

 森となだらかな山に囲まれた雄大な自然の土地。隣に『鉄の国』との国境を持つ、『虹の国』南東の地。

「……『翡翠領』!」

 地方領主『地竜』ジェラ家が統治する広い広い領地である。

「懐かしい。あの頃と変わってませんね」

「レナも来たことがあるのか」

「ええ。ここで、魔法の勉強をしていました。もう20年前ですけれど」

「あー……。ウェルが言ってたな、確か」

 彼女が8歳の時に。

 国境付近で大量発生した魔物の群れをひとりで殲滅したと。

 ウェルフェアは言っていた。

「さあ、行きましょう。『翡翠卿』のお屋敷までは町をもういくつか越えないといけません」

「ここまで来れば、わたしが案内できるよ!」

 リルリィがぴょんと先頭に立ち、ふたりを先導していった。


——


 そこから、のんびりと。たっぷり1日使って『翡翠領』を観光した。

 そして。

 やがて見えてきた大きな屋敷に辿り着く。

「……ここか」

「うん」

 霊峰に鎮座する王宮とは違い、平地に建てられた屋敷。瓦の屋根は同じだが、階層は2階までしか無いようだ。

「……?」

 こちらを見る視線に気付いたのは、使用人だろうか。竜人族の少女。箒を持ち門前で掃除をしていたようだ。

「……えっと」

 一歩出る、リルリィ。だが緊張している様子。

 彼女が行方不明になったのは、5年前。彼女を知らぬ使用人も何人も居るだろう。

「……『ジェラ家』……の、方……?」

「……うん。えっと、わたしね」

 だがこの領地で『翡翠の鱗』を持つ者は。

「申し訳ありません。私、先週からお仕えさせていただいている者で。えっと……まだ皆様のお顔も……」

「……うん。次女の、リルリィなんだけど。じゃあ、誰か、呼んできてくれるかな」

「か、畏まりました」

 言うと、使用人は門の中へぱたぱたと小走りで入っていった。

「……お嬢様、か」

「…………」

 ラスの呟きに、レナリアはにこりと微笑んだ。


——


「リルリィっ!」

「うん」

「リルリィっっ!」

「……うん」

「うああ! リルリィっっ!!」

「…………ちょ」

 一番。

 出てくるや否や、大声で叫びながらリルリィを抱き締めた女性。彼女も『地竜』だ。深緑の髪に黄土色の角。

「うあああああん!!」

「……苦しいよ。お姉さま」

 ひたすらに泣き、崩れる。その脇から、壮年の男性が歩み出た。

「……レナリア陛下。お迎えに上がらず、いきなりの無礼を働いてしまい誠に申し訳ありません」

 白髪に尖った耳、そして額の宝石。エルフの使用人だった。

「いえ。良いのです。家族の再会は、『こう』あるべきだと、私も思います」

「…………」

 その言葉に、ラスはライルのことを思い出した。やはり彼女も、『こう』ありたかったのだ。

「うあああああん!! リルリィぃぃ!」

「……ええ。5年振り。いや、もうそろそろ6年が経とうとしていました。ティロルお嬢様のお気持ち。どうかご容赦を」

「勿論です。今日私は、『王』としてここへ来た訳ではありませんから」

「!」

 そう言えば。レナリアが来ているというのに街も誰も反応を示さなかった。

 分からないのだ。ここまで来ると。王が大怪我を負ったことは文字で見て知っていても。白金の髪で、面影くらいはあるかもしれないが。彼女がこの街に居たのは20年前。魔力も角も尾も無い彼女を見て、『竜王』だと気付くのは知識階級のみ。

「それでは、皆様こちらへ。『用意』は既に出来ておりますので」

 壮年のエルフは柔らかな物腰で、屋敷の中へ案内を始めた。


——


「……先程はお見苦しい所を。わたくしはティロル・ジェラ。長女ですわ」

 立つとすらりと、細く華奢だとラスは思った。真っ白な衣装を身に付け、『翡翠色』が映えている。普段レナリアを見ていても慣れない『高貴な感じ』に、少しだけ気圧される。

「ラスだ」

「ええ。お久し振りです。さらにお綺麗になりましたね。『深緑姫』ティロルさん」

「なっ! そそ、そんな。お恥ずかしいですわ。こちらこそ、ですわよ。わざわざこちらまで赴いて戴いて、何のお構いもできず申し訳ございません」

 頭を下げながら、リルリィと手を繋いで歩くティロル。

「ティロル・ジェラと言えばこの『翡翠領』のお姫様です。才色兼備で有名なんですよ」

「なるほど」

「なっ! ちょちょ! ……もう、陛下ったら、意地悪ですわ」

 照れながら、リルリィの頭を撫でるティロル。

「……お姉さま」

「何かしら? リルリィ」

「ただいま」

「っ!」

 自分を撫で回す手をいとおしそうに握るリルリィが呟いた。

 ティロルはそれで固まってしまった。

「……ええ。お父様もお母様もお兄様も、心待ちにしているわ。……貴女のその言葉を。その声を」

 優しい手。傷ひとつ無い綺麗な手。『戦い』など知らぬ、平和の手。そんな『手』で撫でられたのは、やはり5年振りであった。


——


「——!」

「!」

 少しだけ、後押しする。ティロルに押されて、リルリィは駆け出した。

 そして飛び込んだ。暖かな『母』の懐へ。

「お母さまっ!!」

「リルリィ!」

 何度泣き、叫ぶのか。仕方が無いのだ。この家族は全員。

 この5年間、彼女の身を案じない日は無かったと断言できる。

「よく……! よく無事で……。…………貴女、左目がっ」

「うん……っ。大丈夫、わたしの怪我は『これだけ』だよ。だから、大丈夫……!」

「……!」

 リルリィのその台詞に。彼女の母と、隣に立つ父が前を見た。

 あちこちに傷痕が見える人族の青年。そして。

 片角を折られ、尾を切られ。杖を突く女王。

「……陛下」

「急の訪問で申し訳ありません。『翡翠卿』。どうしても、彼女を送り届けるのは『私達の旅』でありたかったのです」

「…………ありがとう、ございます……!」

 深々と、頭を下げた。

「……お帰りなさい。私の愛しいリルリィ」

「うん。ただいま、お母さま」

 始まりは、『鉄の国』だった。過酷な生活と、壮絶な旅と、戦争を経験して。

 リルリィ・ジェラは、自分の家へ帰ってきた。

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