第44話 最後の夜②

「風邪を」

「……」

 目的地は特に無かった。気の向くまま進むと、ここに辿り着いた。『それ』を見付けてくれる、ある種の信頼。だから特別驚きもしなかった。

「引かれますよ。ヒューリ様」

 旅館の屋根の上で。ヒューリは空を見ていた。雪は降っているのに、星が見える。不思議な空を。

「……ああ」

 こちらを見ることもなく、ぞんざいな返事をした彼を見て、シエラはにこりと笑って右隣に立った。同じく、星を見る。

「熱魔法は?」

「……ああ」

 ふわりと、翼を広げる。彼女の右の翼は魔物にもがれて無くなっている。残る左側の翼で、撫でるようにヒューリを包む。

 そしてゆっくりと腰を下ろし、彼へ熱魔法を掛けた。

「……遂に、ですね」

「ああ」

 次に、下を見る。この建物は特別高い訳ではないが、眼下には街が見える。魔物が破壊した街と、それを建て直す人々の様子。流石に夜は作業をしないようで、どこも寝静まっている。

「亜人でも、『市民』なら戦闘に慣れていないことを知った。『魔道具』と『気功』があれば、人族でも充分国を護っていける」

「……ええ」

「建国は成る。今は考えなくて良いが、やがて『虹の国』の庇護下からの独立も。レイジの言う『人権』を、人族全員が獲得できる時代になる」

「ええ」

 ヒューリは機嫌が良いようだった。それを見たシエラも、笑みを絶やさない。

「……『根絶やし』は、もう良いので?」

 そして、悪戯にそう言った。

「ふん。それは手段だ。目的と手段は履き違えちゃいけねえ。『思い知らせる』目的は果たせる。俺達の怒りは、な」

「……ふふ。ええ」

「お前は、どうするんだ」

「!」

 そこで初めて、ヒューリはシエラを見た。夜空より黒い漆黒の瞳を。

「…………。私はどこまでも。ヒューリ様のお側に」

「嘘吐け」

「!」

 返事までの少しの『間』を、ヒューリは見逃さなかった。

「本心を言え。シエラ」

「…………はい」

 シエラも、彼の瞳を見返した。あの日の決意の揺るがぬ炎の瞳を。

「……どれだけ掛かっても。やはり『再興』……したいと、思っています。私も一応、王女ですので……。『羽の国』を」

「それだけか?」

 ヒューリには、全てお見通しであった。

「……できればヒューリ様と、共に。ですがそれはヒューリ様の邪魔になります。お聞き長しください」

 口を滑らせた後、目線を逸らして慌てて否定する。だが。

「見せろ」

「えっ……」

 ヒューリがぐいと、シエラを『捕まえた』。

「砕けた羽根の痕だ。どこが痛む。見せてみろ」

「あっ……。ヒューリ様」

 やや強引に抱き寄せる。シエラはひとつも抵抗しない。

「『次は俺の番だ』」

「!」

 そして耳元で小さく囁いた。

「お前の国を救えないくらい。それを許さないくらい、俺の器が小さいと思っているのか、お前は」

「いえ。……そんな。……あっ」

 両肩を鷲掴み。

 無理矢理『視線を叩き付けた』。

「お前には本当に感謝している。【だから】」

 そして、うなじに生える羽毛を撫でる。

「あっ……」

 シエラから、嬌声が漏れた。

「『残る左翼も懸けろ』。それでお前を」

「!!」

「——必ず『羽の国』の玉座に座らせてやる」

 ヒューリはもう、『人族の国のことなど』見てはいなかった。

 種族の悲願は達成された。後はもう。

 『個人の自由』を。

「……はいっ」

 両目に涙を浮かべたシエラが、惜し気もなく寒空の下、衣服を脱ぎ捨てた。

「ヒューリ様っ」

「……こんな所で良いのかよ」

「勿論です。——抱いてください」

 そして。


——


——


 一番奥の部屋。頑丈な造りと豪華な装飾。厳つい鍵の付けられた引き戸。近付くとふわり、『花』のような香りが漂ってくる。

 知らないが、知っている。しっかりと嗅いだことは無いが、これが何の香りなのか、理解できる。

 旅の間は、身を清めることなど無かった。お互いに。だが。


『人族にとって、亜人族は皆美男美女に見える』


 彼にとって、いくら『体臭』だろうが。『花のような香り』に感じてしまう。


 否。


 『その花』が『彼女と同じ』香りであることは、まだ気付いていない。部屋に生けられた『国花』の香り。恐らく彼が一番。

 安心する香り。

「……レナ?」

 外からは開けられない。ラスは部屋の前まで来てどうして良いか分からず、部屋の主の名前を呼んだ。

「——『ノック』を」

「なんだって?」

 扉の奥から返ってきた言葉を、理解できなくて訊き返す。その文化は、今の人族には無い。

「……手の甲で軽く、扉を3度叩くのです」

「…………?」

「マナー、ですよ」

「また『それ』か」

 訳も分からず、その通りにする。コンコンコンと3回。

「…………」

 ややあって、ガチャンと鍵の開く音がする。それからようやく、扉が開かれる。

「…………ラス」

 ひょっこりと、浴衣姿のレナリアが顔を覗かせた。

「……変な儀式だな」

「お互い様ですよ」

 顔を合わせるふたり。自然と顔が綻んでしまう。

「さあ、ようこそ来てくれました。どうぞ」

「あんたが呼んだんだろ?」

「あはは」

 猫のように手招きされ、部屋へ上がる。中は他の部屋と同じような畳が敷かれ、卓袱台と座布団がある。レナリアはそこへ、徳利と御猪口を用意していた。

「座ってください」

「……ああ」

 言われるがまま、座布団に胡座をかく。卓袱台を挟んだ対面、星と雪がよく見える窓を背にしてレナリアも正座した。

「さあ、まずは一杯」

「……良いけどよ。あんたはあんまり呑むなよ」

「あはは。何でですか?」

「…………」

 既に少し酒が入っていると感じたラス。だが注いで貰えば注ぎ返す。それがマナーである。

「『虹の国』の法か」

「いえ。違いますよ。『規則ルール』ではなく、『作法マナー』。破っても罰則はありませんが、『皆から嫌な顔』されます」

「……変な文化だ」

「物事を円滑に進めるのに必要なものです。……と、そんな話は置いておいて」

「ん」

 レナリアがふと、姿勢を正した。

「お疲れ様でした。ラス」

 色んな意味を込めて。

 御猪口を持ち、掲げる。風でふわりと揺れた白金の髪越しに、窓から星明かりと淡雪。

「……ああ。お疲れ様」

 一瞬だけ、『その景色』に見惚れてしまった。釣られて掲げた御猪口が『レナリアの位置より高い』のを見て、彼女は嬉しそうに笑った。

「なんだ?」


————


「……いえ。そう言えば、貴方とこうしてふたりで呑むのは初めてですね」


「まあ、そうか。呑気な旅じゃ無かったからな」


「どうですか? 私の国は」


「……良いな。暖かくて、美味くて、安全だ。ここだけじゃない。街全部、雰囲気が良い。まるで別世界だ。俺達の居た世界とは本当に何もかも違う」


「喜んでいただけたようで何よりです」


「『和』……て言うんだよな。良い言葉だ」


「私も好きです。理想論と言われようと、世界に広めたい考えですよ」


「……そうだな。そうなんだ。まだまだ世界は広い。まだまだ、苦しめられてる人族は沢山居る」


「でも、今日が最後の夜ですよ」


「……? 何がだ?」


「『人族が奴隷である』最後の夜」


「!」


「明日。私は解放宣言をします。世界に、人族の解放を呼び掛けます。そして、それが実行されるよう手段を尽くします」


「……ああ。感謝する。俺達も精一杯協力する」


「ふふっ。逆ですよ」


「?」


「『感謝』は私の台詞。『協力』も私達のすることです。……ありがとうございます、ラス」


「…………ああ」


「どうか、協力させてください。『人族の国』を。貴方達の、安息の地を」


「——分かってる。だが問題は山程ある」


「『それ』は、また明日から考えましょう。今は——……ただ貴方と、呑みたい気分です」


「…………ああ。そうだな」


「旅の終わりの乾杯ですよ。リルとウェルさんは寝てしまいましたけど」


「ああ。あのふたりにも世話になった。……リルは、家まで送ってやらなきゃな」


「ええ。行きましょう。きっと今度は、もっと楽しい旅です」


「そうだな。違いねえ」


「…………ラス」


————


「ん?」

 ちびちびと少しずつ呑んでいたレナリアが、御猪口を置いた。

 その白く綺麗な手の所作を見てから、顔を見上げる。

 すると、彼女の瞳と口元は少しだけ。

「『今』はまだ、貴方はただの『人族』です」

「ああ。……そう、だな……?」

「私は、会ったこともない『エドナ・ルーガ』を尊敬しています」

「はっ?」

「ラス」

「おう?」

 御猪口を置いたのは。経験からの対策である。

 これ以上呑んで、潰れない為に。

 今度こそ。


「私は貴方が好きです」


 気持ちを伝える為に。

「!」

 どくんと、心臓が揺れた。ふたりとも。レナリアは急激に緊張し、少しふらついてしまう。

「おいっ」

「………………」

 いくら、女王でも。『酒の力を借りなければ』伝えられなかった言葉。しかしそれを責める者は居ない。

 これが。

 これが『恋』であり。『駄目』であることは。

 その壁は。

 きっと素面では乗り越えられない高さなのだ。

「……私は子供に見えますか?」

 肩を支える、腕の中の彼女と目が合う。虹色の瞳。この世のものとは思えない、幻想的な妖しさと美しさを感じる『亜人人外の瞳』。

「…………見えねえ」

 自然と着崩された浴衣から覗く柔肌は、確実にラスの脳天を直撃した。

「良かった。……——んっ」

 接吻は2度目だが、『彼から』は。

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