第28話 運命の瞬間

 翌朝。フライトの予想通り、彩京には大勢の人族が集まった。王宮前の広場を埋め尽くしている。

 その行列は、都の入り口から続いている。流石の人数に、住人達も手出しできずに居る。

「…………!」

 既に、軽く混乱状態だった。皆、ざわざわと『待っていた』。何かを。誰かを。

「実際見るとやべえな。急ごう」

 朝一番、ラス達も広場へ到着した。レナリアは見えない。そもそもライルとの話し合いで解決できていれば、今日虐殺などは起きない筈だ。彼女なら何とかして、彼ら人族を全員受け入れる方法を考えるだろう。

「どうすんだよ?」

「舞台に上がるしかないな。なんとか、あそこへ行こう」

「ねえラス」

「!」

 これから、『人族の波』へ飛び込む。そして舞台を目指す。

「大丈夫かな、私」

「……!」

 ラスの袖を掴み、不安そうに言ったのはリルリィ。彼女は竜人族だ。角と尻尾がある。彼女がこのまま人族の群れに飛び込めば、どうなるか。

「――分かった。リルはここに居ろ。ウェル、頼んだ」

「分かった」

 ラスはリルリィの頭にぽんと手を乗せた。ウェルフェアが頷く。彼女も、フードで隠しているとは言え耳も尻尾もある。誤解を招きかねない。


――


「――――!!」


――


「よし。じゃあ端から回って——」

「待て」

「!」

 ラスが制止を掛けた。見たのだ。人混みの中から。その先。

「あれは……」

 舞台には、竜人族が立った。集まった人族も見物の亜人も、全員が注目する。


 その、『輝く鱗の竜人族』を。


 舞台は。

 その昔は『台』だった。


【その処刑台に磔にされる女性】を。


「……は……?」

 何が起きたのか。ラスは目を疑った。『泥で汚れた白金の髪』が。『虚ろにしている虹色の瞳』が。――囚人服で鱗は見えないが、確かに。


「静まれ人族! これを見よ!」


 叫んだ、隣に立つ竜人族の男の『姉』だとラスには一目瞭然だった。つまり、その男は。

「『輝竜王ライル』だ……!」

 誰かが言った。人族の群れは一斉にその男を見る。

「……おいおい、嘘だろ……」

 ラスには驚愕と、焦燥が生まれた。ライルの後ろに控える竜人が、『処刑用の大鉈』を持っていたからだ。


—―


「…………」

 目が覚めた。まず始めに、『縄で縛られている』感覚。そして目に射し込む朝日。自由に動かない身体。地に付かない足。痛む背中の傷。

 そして喧騒。

「……ここは」

 目の前に、見たことも無いような大勢の『人族達』が、自分を見上げていた。


「……おい。拡声魔法だ」

「はっ」


 すぐ側に、ライルが居た。だが動けない。レナリアは今、丸太に縛り付けられている。

「…………ライルっ」

 そのか細い声は、彼には届かない。


『――聞け! 人族よ!』


 彼の声は、魔法の力により広場全体へ響いた。何千人居るか分からない人族の行列の、全員に聞こえている。


『――この女は先代女王レナリアになりすまし、王宮への侵入を謀った!』


「……なんだと?」

 ラスは、注意深く彼の言葉を聞く。


『王宮への侵入は、大罪である! よって、この場で処刑する!』


「!」

 ざわめきが大きくなる。、『その女』は人族だ。竜人族の王が、人族を処刑すると言ったのだ。つまり。


『我は虹の国第8代国王「ライル・イェリスハート」! その名に於いて、処刑を執行する! 人族よ! この国と王が、お前達を受け入れることは無いと知れ!』


「なっ!」

「なんだと!?」

「どういうことだ!」

「竜王は、俺達を保護してくれるんじゃないのか!?」

「その女は誰だよ!」

「勝手に侵入したんだろ! 俺達は関係ねえ!」

「また殺されるのかよ! 亜人に!」

「っ!!」

 困惑し、口々に叫ぶ人族。その中で。

「おい! ちょっと、どいてくれ! 道を! 開けてくれ!」

 人の波を掻き分けて、ラスが進む。どういう経緯でこうなったかは分からない。だがここでじっとしていれば、レナリアは殺される。他でもない、実弟に。

 そんなことは、許されない。

「頼む! 通してくれ!」

 だが、どうしようもない。まとまりの無い行列では、思うように進めない。ラスも、『人混み』など生まれて初めて経験するのだ。

「くそっ! おいライル! てめえこっち向けっ!!」

 せめて、舞台の上の誰かがラスを発見すれば。『気』を向けてくれれば。気絶させることができる。

 だが、大量の人混みの中から遠く離れた個人を特定できる筈も無い。

「レナ!!」

 見る間に、処刑人が大鉈を振りかぶった。


—―


「レナさまっ!!」

「駄目だよ!!」

 身を乗り出したのはリルリィ。だがウェルフェアがそれを止めた。

「今変身したら駄目っ! 押し潰されて、人族が沢山死んじゃう!」

「……っ!!」

 処刑を止めるだけなら。変身すれば容易いだろう。だがその犠牲に、目の前の人族を巻き込めはしない。そこまでの決断は、今の彼女達にはできない。

「ラス……っ!」

 リルリィは【祈る】ように彼の名を呼んだ。

「――っ!」

 ウェルフェアは。


—―


「……ライル。貴方は間違っています」

「うるさいぞ偽者の人族。……やれ」

 ライルはもう、この件について何も考えない。いくら声が、仕草が姉と瓜二つだろうと、決して振り向かない。何故なら姉はもう『死んでいるの』だから。

「――ラス。貴方に感謝を。……そして……これからの貴方達の人生へ、せめて応援を」

「…………」

「……【祈って】います」

 無情に、刑は執行された。処刑人の大鉈が、彼女の首元を目掛けて勢いよく。


「――――!!」


 ウェルフェアは。空を見た。【見えた】。――彼女が『影響を受けた』のは。


—―


「リルっ!! 【風魔法】っ!!」

「えっ!? えっ!」

 飛び上がる。リルリィの肩の上に立つ。そこから、思い切り『駆け出した』。

「――<フルトゥーナ>っ……!?」

 急に振られたリルリィはつい、『最も便利な魔法』を最大威力で放ってしまった。『充てられた』ウェルフェアは、『空中を走り出す』。最大威力で問題ない。彼女は人族の群れの真上を滑るように弧を描いて駆ける。

「あああああああ!!」

 一直線に、舞台へ。

 彼女がこんな『無茶』をやるようになったのは。


—―


 運命の瞬間。

「!!」

 振り抜かれた。赤い血が。『全人種族共通』の深紅の血が。首から噴き出す。

「…………は?」

 ライルが、間の抜けた声を出した。


 その『ナイフ』が、【処刑人】の首を切り裂いたからだ。


—―


「きゃあああああっ!!」

「うわああああああっ!!」

 惨劇。それを目の当たりにした人族達はさらに混乱し、広場はパニックになった。

「…………!!」

 その男は、いきなり現れた。

 その男は、右腕が無かった。

 —―舞台には、『黒い羽根』が舞った。

「よぉ。…………『亜人の王様』」

「お前は……誰だ!」

 ナイフを振り、滴る血を床に飛ばす。ライルの虹色の目には、その男がとても不気味に映った。

「……かっ……!」

 そこでようやく、処刑人の竜人族が倒れて死んだ。

 その男は、左手で持つナイフをライルへ向ける。と同時に、男の背後に何者かが着地した。

「!?」

 男の影に隠れて姿は見えない。だが『男の翼』であるように、その背中から『黒い翼』が拡げられていた。……ちらりと、横から黒い瞳を覗かせた。

「……『翼人族』だと? どこから——」

「【ブラック・アウト死角の外側】からだ。覚えとけ」

「!」


—―


 ライルは息を吐いた。いくら不意討ちで竜人ひとりを殺そうとも。いくら気をてらった派手な登場をしようとも。

 人族だ。

「……眠れ」

「あぁ!?」

 視線誘導と催眠術。種を知らない者に対してはほとんど見切ることを許さない戦闘術。

「……っ!?」

 だが、不発に終わった。目の前の怒れる人族の男に、効かなかったのだ。

「……ちっ!」

「おらぁ!」

 男はナイフを振りライルへ迫る。ライルは竜尾の先、刃物のように尖った部分で受け流す。

「(誰かは知らないが、あいつの言っていた『気功使いの人族』かっ)」

「(なんだこいつ、気絶しやがらねえ!)」

 お互いに距離を取った。互角。男はそう感じていた。だが。

 ライルには『魔法』がある。

「死ねっ!」

 彼の両手に、炎が宿った。基本の魔法である。『基本的に必殺』の魔法。男には、どうすることもできない。

「シエラっ!!」

「!」

 男は叫んだ。黒い翼は彼を魔法から守るのではなく、飛び立った。

「行けっ!」

「ご武運をっ!!」

 代わりに。

「――ぁぁあああ!!」

 ライルが放った魔法を防ぐように、『赤い影』がふたりの間に割って入った。

「!」


—―


 ウェルフェアがこんな無茶をするようになったのは、ラスではなく。


 —―この男の影響である。

「……よぉウェルフェア。ちっと背え伸びたか」

「そんな訳無いでしょヒューリ。たった1ヶ月だよ」

「……ウェル……さん……?」

「レナ様……」

 ウェルフェアは水の魔法で炎を防ぎ、急停止してヒューリの隣に立った。

 ヒューリは目を合わせず、にやりと笑った。


 ばさりと、黒い羽根が舞う。

 阿鼻叫喚の人族の群れを飛び越え、シエラは荷物を抱えて行った。

「――あれは!」

 ライルの動きが止まった。『感じた』のだ。

 その魔力。その色。その輝き。

「…………『姉さんの……』!?」

 間違える筈が無い。『見惚れた鱗』『妬んだ魔力』『憧れた輝き』。間違いなく——

「!」

 ヒューリは一瞬、怯んでしまった。勿論魔力は感じることができない。だが『その感覚』は、『激怒した者』が発する、『見覚えのある』感覚。


「お前ら、姉さんに何をしたっ!!」


 竜王の怒号が広場に響いた。


「……魔法と『気』。ならヒューリと私で五分だね」

「—―ああ。まあ、俺ひとりで余裕だがな」

「減らず口。……ねえ、シエラが持ってったのって」

「『墓』でドワーフのオヤジに会ってな」

「墓?」

「まあ、話は後だ」

「うん。レナ様待っててね。この人との間で何があったかは知らないけどーー」

 怒れる竜王へ、ふたりは対峙した。

「お前ら、許さないぞっ!!」

「こっちの台詞だァ馬鹿野郎!」


—―


—―


「……このパニックの中、ラス殿を見付けられるでしょうか」

 シエラは彩京の上空を飛んでいた。翼人族は珍しく、この峰には彼女以外居ないようだ。ならば、空は彼女の独壇場である。

 彼女が大事そうに抱える『荷物』。それは【革命軍】の希望とも言えるものだった。


 —―希望は。


「……おっと。霧が濃いですね。うっかり屋根にぶつかりそうです」

 急に目の前に現れた『影』を避ける。もっと低空を飛ばなければ、広場の様子が分からない。

「…………?」

 シエラは気付かなかった。あまりにも『予想外』だったから。

「がふ……っ。……あれ?」

 体勢を崩した。

 黒い羽根が散った。【シエラの背中から、羽根と同時に血飛沫が噴き出した】。

「…………っ」

 そして、あまりにも速かったから。

 避けたのは、屋根では無かった。避けてさえもいなかった。


 —―希望は、容易く『捥がれる』。


「ガアアあああああああっ!!」


 この世のものと思えない咆哮が『虹の都』に轟いた。

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