五人目 リョウとぼくのこどもへの応援コメント
うーん。かわいそうにな。
俺が側にいたら、一つ一つ説明してやれたのに。
どういう仕組みでそういうことが起こるのか。
個性の強い人間が、集団圧力の強い中にいるということについて、もっと俯瞰で眺めることができていれば、ここまで苦しんでない。
もしもこの集団が、もう少し多様性を認めていれば、こんなことは起こらない。
小学校や中学校から、クラスという括りをなくして、自由な授業をそれぞれに大学のように受講させる単位制を導入したら、全く別の未来が3人にあっただろうな。
リョウのおばさんの気持ちも、俺が説明してやれた。
人というのはな、それぞれの立場から見た目線、主観からなかなか超えた視線で物事を見ることができない。それは、肉体に付随して、とある一点の視点から物事を見ないと、肉体の安全を守れないからなんだ。
自分が幽霊のように自分の肉体を扱ってふわふわしていると、車に轢かれるだろ。
常にセットで動かないとダメという基本原理があるから、視点が固まった状態での思考になるんだよ。子供はどうしても、未発達な体を操るところからスタートして、全てリセットされて生まれてきているから、コントロール感覚がここまで苦労しないと早い段階では、また一からの訓練だからな。
長々書いてもアレだが、今回の辛い経験は、必要だから起こってきたと考えるしかない。腹立たしいだろうが、全てはそういう法則でこの世界は成り立っているから。
俺がもしも仲間として出会っていたら、おい落ち着けよ、と言ってあげた。乖離する感覚というのはな、身についてどうしても削り落とせない不快感が引き金になるから、それだけその時の状況が自分にとって耐え難いものということだ。起こらないようにするには、環境を完全にリセットするしか。両親の圧力を逃す方法としての友達の存在が、むしろ逆に働いていたのが残念だ。
四人目 リョウとユウキとぼくへの応援コメント
うーん。まずいですね。
解離性人格障害。
たかだか学校に行かない、行けないくらいでそこまで自分自身を追い込むもんじゃないと、親が大きく構えてないからかな。
学校のレベルが合わないとか、まあいろいろ要素はあるでしょうね。
太っているということは食生活や運動の状態の改善、小児糖尿病などの検査、他の角度からのサポートが必要だった。
他の二人の子もこのトワイライトがあまり有効でなかったことの証明のような状態ですね。
子供に過剰な歪んだ情報を、基本的な人格形成が出来上がるまでに与えるのは良くないという良い例の気がします。
三人目 ぼくとリョウとユウキへの応援コメント
トワイライトでなく、無理やりキャンプとかの方が良かったでしょうね。
生死を分けるかもしれないような厳しい自然の中の体験が、子供には必要です。
たるいよ、と、当の子供は思いますが、死にかけるような場面を何度も体験すると、生きることがよくわかりますから。
もし俺があなたの友人であれば、山でサバゲーに誘いますね。でも俺は、モデルガンみたいなエアガンみたいなのは実は嫌いです。リアルに野営を経験すれば、生きる意味がわかりますよ。今からでも遅くないくらいに。セックスなんて、全てじゃないし、他の人のいない世界に入れば、そのうち人恋しくなるから面白い。
二人目 ぼくとぼくのセックスへの応援コメント
ヤベー。俺も気をつけます。青少年はともかく、いたいけな子供が読むような場所に、うっかりしたこと書かないようにします。
真面目にこれ、神の啓示だろうか。
今このタイミングで出てこられると、喉元に柔らかなナイフ。
本当に申し訳ありません。子供が読まないところにだけ書くことを気をつけます。
ちなみに、親御さんは必ず、ペアレンタルコントロールをPCにかけるべきです。
そこ、とても重要ですよ。
一人目 ぼくとぼくのなかまたちへの応援コメント
13歳から15歳。児童虐待案件。
義務教育……
うーん。
日本国憲法条文第二十六条に違反していますね。思わぬ呪詛に行き着いた。後でまた続き読みます。
第二段 ぼくのともだちへの応援コメント
久しぶりに聞く呪詛、ある意味、俺にとっては懐かしく聞こえる。
いや、これは失礼。
同じ穴の……なんていうような、赤の他人にとって、突然の見知らぬ俺のコメントが「失礼、不遜な書き込み」に聞こえるかもしれないこと、俺は言いません。今回に限ってだけ。
編集済
序段 ぼくとかみさまへの応援コメント
宗教に救いを求める人の影、だな。
いや、新興のというのを足す。おそらく。