さよなら僕の抱き枕カバー先輩

藤原マキシ

第1話 変身

「ねえ、圭介けいすけ君、ぼくはこの世界にほとほと愛想あいそきたよ。だからぼくは、人間であることをやめて、抱き枕カバーになろうかと思う」


 生徒会室で、みゆ先輩が窓の外を見ながらそう言ったとき、僕は、先輩に対してもう少し真剣に向き合うべきだったんだ。


「圭介君、ぼくが抱き枕カバーになっても、君は、ぼくのこと先輩って呼んでくれるかな?」


 みゆ先輩はそう言って、少しうるんだひとみを僕に向けた。


 窓際にたたずんでいる先輩の長い黒髪が、秋の乾いた風で揺れる。

 制服の紺のブレザーに臙脂えんじ色のリボンで、腕組みしているみゆ先輩。


「ええ、先輩が抱き枕カバーになろうと、悪魔に魂を売ろうと、全世界を敵に回そうとも、僕は先輩を先輩って呼び続けますよ」


 二人だけの生徒会室で、僕は文化祭のスポンサーにお礼状を書きながら答えた。


 みゆ先輩は生徒会長で、僕はその書記を務めている。

 不純な理由だけど、僕はみゆ先輩にあこがれて、少しでも先輩と一緒にいたくて生徒会に入った。


「そうか、良かった。それならぼくも安心して抱き枕カバーになれるよ」

 みゆ先輩がそう言って僕に微笑みかける。



 大体、二週間くらい前、先輩が一人称を「ぼく」って言い始めた頃から、予感はあったんだ。

 でも、普段の先輩のエキセントリックな言動から、そんなことは取るに足らないことだってスルーした。

 いつも通り、二週間くらいでそれも収まるだろうって、その時はそう考えた。

 生徒会で一緒に過ごす時間が多くなって、みゆ先輩が、ただ容姿端麗ようしたんれいで勉強ができるだけの人ではなくて、突然、おかしなことを言っては僕を振り回す存在だってことは、理解しているつもりだった。


 けれども、今回は「抱き枕カバーになる」とか言いだして、症状が悪化してるのかもしれない。



「どうして、抱き枕カバーになりたいんですか?」


 僕は、先輩に対して探るように訊いた。


「圭介君、良い質問だね。だって、抱き枕カバーになれば、一日中ベッドの上で寝ていられるし、寝ていても誰にも何も言われない。怠惰たいだな抱き枕カバーは、ベッドの上で寝ていることこそが仕事だ。そして、夜には誰かが優しく添い寝をしてくれる。こんなに素晴らしいことはないじゃないか」


 みゆ先輩は、両手を広げて、芝居じみた仕草をした。



「でも、抱き枕カバーになったら、もう、先輩が愛して止まない『げんこつハンバーグ』が食べられませんよ」


 知らない人はいないと思うけれど一応説明しておくと、「げんこつハンバーグ」とは、「炭火焼きレストランさわやか」のげんこつハンバーグのことだ。


「ああ、もちろんぼくもそれは考えた。熟考した。けれども、抱き枕カバーになるってことは、それをおぎなってあまりあるんじゃないかと思う。何かを得るには何かを捨てなきゃならない。だからこの場合、ぼくは抱き枕カバーになるために、血の涙を流しながら、さわやかのげんこつハンバーグを諦めようと思う」


 先輩がそう言って目をつぶる。


「まあ、先輩がそこまで覚悟してるなら、止めませんけど」


 おろかな僕は、そう言ってみゆ先輩との会話を終わらようとした。

 早くこの退屈な仕事を終わらせて、みゆ先輩と一緒に校内の見回りに出たかったから。


 でも、それがいけなかったんだ。


「うん、分かった」


 先輩が言うなり、ふわっと室内に一陣の風が流れたと思ったら、窓際からみゆ先輩の姿が消えた。


 代わりに、床に一枚の布切れが落ちている。


 一枚の布きれ、いや、抱き枕カバーになったみゆ先輩が落ちていた。

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