第3話 花魁淵

 墓参りを終えて車に戻ると、時間はまだ昼過ぎだった。

「よし、時間も早いし、今日はドライブがてら柳沢峠を越えて、奥多摩経由で帰ろう。」

と決めて、車をスタートさせた。

 青梅街道は柳沢峠を越えると、柳沢川が流れる丹波渓谷を縫うように走り、丹波山村を越えて奥多摩へと向かう。柳沢峠を越えて下り始めてしばらく行くと、右手南側には黒川鶏冠山(標高1,710m)がそびえ立ち、その山裾には、かつて『黒川千軒』と呼ばれた黒川金山があった。

 今ではすっかり藪に埋もれてしまった黒川金山跡は、戦国時代の武田信虎の世に採鉱が始まり、武田信玄の頃に最盛期を迎えて、武田軍の軍用金の多くはこの黒川金山から産出されたものだという。僕の先祖もこの黒川金山で金の採鉱に携わっていたのだろうか。

 金の採掘が盛んだった頃、黒川千軒には金山で働く坑夫の慰安のために遊郭が設けられていたが、武田勝頼は金山を閉山する際、遊女たちを金山の秘密を守るために殺してしまったという。以来、誰が言うともなくここを『花魁淵』と呼ぶようになった。


 青梅街道は、数日前に降った雪が辺り一面に積もっていて、道から外れると、轍も無ければ足跡もない。現在は花魁淵の手前からトンネルができて道が付け替えられたため、花魁淵の前は廃道になっている。

 柳沢峠を越えてしばらく道を下るとと、花魁淵へと向かう廃道の入口の路肩に車を止めた。以前はたまに花魁淵の前を通ることはあったが、車を止めたことはない。花魁淵の前の道が廃道になってしまい、もう通ることはないと思うと、行ってみたくなった。

 車を降りてリモコンキーでドアをロックすると、ひざ下まで積もった足跡一つない雪道を歩いて行った。ガードレール越しに淵を覗くと、昼もなお薄暗く陽が当たることはない底から、水が砕け散る音が聞こえてくる。道の両側は急峻な斜面がそそり立っていて、まるで自分に向かって倒れてくるかのようだ。

 しばらく歩くと、背の高い大きな木製の四角柱が見えてくる。これが花魁淵の場所を指し示す慰霊塔だ。何かに呼び寄せられるように慰霊塔に近づくと、静寂を破って聴こえてくるのは、自分の息をする音と、水の砕け散る音のみだ。

 淵の様子をよく見ようと、慰霊塔の裏に回り、淵にせり出した岩に足をかけた。岩には雪が降り積もっていて、どこまでが岩でどこからが雪庇か判らず、足元を確かめながら恐る恐る足を踏み出す。

 岩は雪で滑りやすく、足元がおぼつかない。水の砕ける音が、あたかも花魁が「こちらの世界においで!」と言っているように聴こえて、背筋がすぅっと寒くなった。

 なんとか岩の先端まで行き淵を覗き込むと、凍り付いた岩や川面には雪が積もり、まるで白装束を纏った花魁が何人も佇んでいるように見える。さらに周りの斜面からは、槍衾が這い上がろうとする花魁を威嚇する様に、幾筋もの氷柱が垂れ下がっている。

 渦巻く本流は、凍りついた氷柱の脇を轟音を立てて流れていく。あらゆるものを拭い去るかのように・・・


・・・・つづく

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