望まぬ再会


「ああ、よくやった。間違いない」


 セメントの怪物の体内から排出され、初めて見たのは男の顔だった。

 夜闇の中、SFめいたバイザーゴーグルを赤く灯らせる男。

 彼もまた少女の顔を確認し、アナマリア・リリンラクと断定する。


 周囲には先程の妖魔の群れ。

 セメントの化け物が三体、ガーゴイルが十数体、その他、石製の妖魔が多数。

 平積みされた廃車に腰掛けるなどしつつ、アナの様子を伺っている。

 石に巻かれ転がされた彼女に逃げ場はない。


「招待は断ったはずだが」

「お前に拒否権はない。王の命令は絶対だ」

「どこの王だ?」

「ルディクロの王、ロロ・アクバス。お前にはその妃となってもらう」

 バイザーの男は厳かに言った。

 アナは鼻で笑ってみせる。

「またか。……何度遣いを寄越しても答えは同じだ」

「答えを聞いたつもりはない」


 男が手を翳すと、廃車置き場の開けた空間に黒塗りの機体が現れた。

 多目的軍用ヘリ、ブラックホーク。

 四翅のシングルローター、全長19.76m。尾部には静音性を高める改造が成されており、継ぎ目のない特殊素材に覆われた鋭角なボディも、対レーダーに特化したステルス仕様。

 物質生成かアポート能力。どちらかの異能を持つ魔人だろうとアナは予想する。

 しかしどちらにせよ大差はない。石に巻かれたまま抱え上げられる。


「や、やめろ! 離せ! 私はもう、誰の物にもならん!」

「そのなりで良く吠える。……今回のチャンス、断るのはお前のためにもならないぞ、アナマリア。……ヘルシング家の庇護を失って、この先無事で済むと思うか? お前を疎ましく思う連中は大勢いると聞く。その点、我らが王は真祖の嫁を欲しがっている。……身の振り方を考えろ。――――俺程度に捕まるようなら、尚更だ」

「言うじゃないか、今回のパシリは……。けどな、新入り。私への迎えは毎回変わるんだ。……失敗した奴がどうなってるか、知ってるか? ロロ・アクバスが慈悲深い王だとでも?」

「……そう信じろ。強者に媚び、慈悲を願う。弱者に出来る生き方はそれだけだ。知らなかったか?」


 彫像のようにヘリに詰め込まれる少女。バイザーの男は運転席に座った。

 エンジンが始動し、回転翼が静かに唸りを上げる。


 緩やかに機体が持ち上がった直後、突然揚力を失い、三本の車軸が折れそうな勢いでハードランディング。凄まじい衝撃が機内を見舞った。

 それから何度操縦桿を動かしても、ヘリは動かない。

 男は外に飛び出し、そこで唖然とした。

 回転翼が氷漬けなのだ。

 凍った羽根に座り、男を見下ろす犬耳犬尻尾の少女、メイ。


「悪いね。彼女を連れて行かれるわけにはいかないんだ。……どこの誰とも知らない人」

「――――恩に着るぞ。魔宝使い」

 バイザーの男は手元にアサルトライフルを錬成して掃射。

 魔力で編まれた銃弾は魔宝使いの肌にも届きうる。

 それらを跳び越えて着地する少女。


 地を這うように加速し、追い縋る弾幕を幅広剣の横っ面で受け、一気に肉薄する。

 近接戦闘に持ち込めば彼女に分がある――――が、セメントの怪物が行く手を阻んだ。

 突き出した氷の剣がグプグプと軟泥の巨体に飲み込まれていく。


 セメントは水と混ざって発熱する。全身を凍らせるよりも、剣ごとメイが飲み込まれる方が早い。それをダメ押しするように〝壁〟がメイへと倒れ込んだ。

 ぶちゅんっ、と。灰色の波が彼女を飲み込む。

 それがそのまま彼女の墓標。化け物の背には「cemento mori」と。


 男がふぅ、と息をついたのも束の間。

 化け物の背中がズドンッと爆ぜた。

 雪の結晶を撒き散らし、凍った泥の中から現れる少女。

 バイザーの男は手を揮った。


「総員、掛かれ! 魔宝使いを捕らえろ!」

 有翼のガーゴイル達が嘲笑を奏でながら飛びかかっていく。

 氷の魔法剣は石の体を物ともせずに両断してみせ、一欠片の刃毀れさえない。

 戦いは終始、メイが優勢に見えた。


 しかし。

 ――――数が減らない。

 倒しても倒しても、ガーゴイルが湧き出してくるのだ。

 セメントの化け物の体内から。


「退け、魔宝使い。お前に勝ち目はない」

「……そうさせてもらうよっ」

 ガーゴイルを踏み台にして包囲から脱出し、叫んだ「――――照子ッ!」

 呼び掛けた先には栗毛のロリッ娘。

 龍の角と尻尾を生やした純白のチャイナドレス姿で、ヘリの扉からぴょんっと跳び出た。

 アナマリアの手を引いて。


「サプラジオ――――瞬雷光ッ!」

 呪文めいたフレーズを結んだ瞬間、強烈な光が放射された。

 瞼すら射貫く白の濁流。余りの目映さに周囲の色が飛ぶ。

「ぐぉぉぉッ?!」

 暗視ゴーグルをかけていれば一溜まりもない。

「ま、待て……!」

 バイザーを抑えて呻く男の声は、もう届かない。

 少女らは同士討ちするガーゴイルの群れを尻目に駆けだしていた。



「照子、何だその格好は」

「魔法のコスチュームです!」


 アナに問われて、チビッ娘はチョーカーに付いた宝石を指す。

 透き通った蜂蜜色。魔法の力を秘めた宝石、魔宝珠まほうじゅだ。

 そこから奇蹟を引き出す者を総称して、魔宝使いと呼ぶ。


 ――――そんなことは600年前から知っていた。


 人知の及ばぬ神秘を意のままに操る希有な天賦は、時に現人神として崇められ、時に異端として処刑された。

 故に彼らは慎ましやかなローブを好んで着込んだ。

 異端審問を逃れるために青い聖痕をひた隠し、常人を装ったのだ。

 それがアナの知る魔宝使い。


 だと言うのにこいつは。

 ――――上下に貫通した胸元から、青い紋章が丸見え。

 吸い付くように張り付く滑らかな生地で体のラインが尚際立つ。足を回す度、深く入ったスリットから紐パンの紐がチラチラと見え、たわわな果実がたゆたゆと弾む。


「……大胆になったな。最近の魔宝使いは」

「す、好きこのんで着てるわけじゃないですっ! 作った方に言ってください!」

「でもお前、現に着てるじゃないか」

「仕方なくですっ! 仕方なく! これ着てると、『魔宝珠まほうじゅとのシンクロ率』が上がって、メイさんみたいに魔法を使えるんです!」

「ホントか? 趣味でなく?」

「違いますよっ! もう!」

 ニヤニヤと見られ、赤面する照子。お尻から伸びる龍の尻尾が、怒りを示すようにビンッと立ち上がった「――――助けに来て損しました!」

「それよりどうしてここが分かったんだ?」

「……これです」


 頬を膨らませていた照子は、胸の谷間から一枚の紙を取り出した。

 先だってアナマリアが受け取り、破り捨てた招待状だ。

 確かに屑籠に放ったはずのそれが、テープで直されている。

「様子がおかしかったので……」

「お前な……。……で、そっちは?」

 走りながら犬耳の少女へ向き直った。

「ボク? ボクは照子に頼まれてね」「彼女がメイさんです。魔宝使いの先輩の……」「キミを助け出す間、囮役を買ってたのさ」

「……ふん。助けてくれなんて頼んでないぞ、私は」

 アナが憮然とした態度をとると、メイはくす、と微笑んだ。

「迷惑だったかい?」

「……それより、大丈夫なのか? 魔宝使いが亜人型リリスの味方などして」

「あはは、大丈夫じゃないよ」

「だったら何で」

「……恩があるのさ、加治健斗には。……不本意だけどね。……彼が全てを投げ打ってまで、何を守ろうとしてたのか。ボクには見届ける義務がある。……安全であれば良し。危険なものなら――――」


 青いトタン板と積み上げられた車体、古タイヤからなるフェンスの切れ間。

 廃車置き場の出口が見えてきた。

 ここを抜ければ街の校外。身を隠す場所には事欠かない。



 その希望に蓋するように長いリムジンが止まった。

 一斉に降りてくるトレンチコートの一団。

 皆が中折れ帽を被る中、一人だけ素顔を晒した女性が混ざっている。


「いやいや、お勤めご苦労様です、お嬢様。……あとはこちらでお預かりしますので~」

 朗らかな笑みを浮かべた女性が前に歩み出た。

 メイはアナを庇うように立ち塞がり、睨みを効かせる。

 照子は剣呑な雰囲気に戸惑いを浮かべ、見知った顔の女性へ声を掛けた。


「どういうことですか、藤林さん……。どうしてあなた方まで……」

「それは私のセリフよ~? 上から聞いてないもの。アナマリアの案件に、芥屋さんが加わるなんて」

「アナさんをどうされるつもりです?」

「……亜人型半獣タイプ・リリスは封印、及び終了処理。そう決まってるのよ」

「しゅ、終了って……?」


 トレンチコートを着こなした藤林は何も答えず、真っ直ぐに歩いてくる。

「……だ、ダメです! させませんっ、そんなこと!」

 一歩踏み出して腕を広げる照子。

「バカやめろ! 逆らうな! お前らの立場がなくなるぞ!」

「でもっ!」

「いいからどけっ!」

 盾と化した少女達を、アナが背後から退かした。

 それを見たトレンチコートの面々が一斉に杖を抜き放つ。

 凡そ35cmのワンド。グリップの後方にクリスタルが付随した形状だ。


「すぐ離れて。――――そのルディクロは危険なのよ」

 藤林も杖を構えながら、普段の剽軽さを排した冷徹な声で告げた。

 首を横に振る照子。

 向けられた十数の杖が輝き、表面に電子回路に似た幾何学模様が浮かび上がる。

 文様は杖を握った手の甲、人体にまで侵食して。


 ――――ズギャンッ、と光弾が放たれた。

 流星めいて殺到する光の群れ。

 矢よりも速く体を抉り、粉々に吹き飛ばす。

 そうして砂利に還るガーゴイル。



「え?」

 振り返れば妖魔の軍隊。

 ショットガンを握ったガーゴイルは、光弾の返礼とばかりに引き金を絞った。

 次々に火を噴く銃口。

 両軍に挟まれた照子達はあわや蜂の巣かに思われたが、散弾は炸裂することなく飛翔して、トレンチコートに突き刺さった。

 ぎゃっ、と短い悲鳴を上げて倒れ伏す彼ら。そこに血は流れない。


 ――――感電したのだ。

 ワイヤレス式テーザー銃。撃ち終えたそれをジャコッとポンプアクションさせ、ガーゴイル達は再び狙いを付ける。


 こうして撃ち合いが始まった。

 飛び交う魔力光弾。有翼のガーゴイルは三次元的に飛び交わし、相手を気絶させて回る。積み上げられた廃車の影に隠れ、それを狙撃するトレンチコート。廃車の山をひっくり返し、泥の大砲を撃ち出すセメントの化け物。

 メイと照子は背中を預け合って両軍に応戦する。


「こんなの背信行為ですよ――――お分かりですか、お嬢様っ!」

「キミこそ、ボクに杖を抜くなんて……!」

「私の主人は貴女じゃないもの。お嬢様といえど、我が儘が過ぎます!」

 メイは飛来する光弾を剣で弾き、氷の礫で応戦する。


 一方で照子の武器は体術。

 ここ数週間、メイのスパルタを受けながら、魔宝使いとしての力を伸ばしていた。

 祖父直伝の華拳に電撃魔法を乗せて、軽快な身のこなし。柔軟な体捌き。

 他の二人を狙う銃弾も掴み取って握りつぶし、装填の暇さえ与えず一撃昏倒。

 チャイナドレスにはかなり上までスリットが入っていて、紐パンの結び目がチラチラと揺れるのが見える。ともすれば更に先まで露わになりそう。

 不意に180度開かれる脚。

 釘付けになったガーゴイルへ踵が打ち下ろされ、また一体粉砕された。


 銀幕のスターさながらの動きで身を翻すと、廃車を蹴って高く跳躍し、上空のガーゴイルまで墜としてみせる。

 二人の実力は余りに驚異的だった。驚異的すぎた。

 脅威は第一に排除せねばならない。

 反目しあっていた両軍は図らずも共闘の形をとり、結果、メイと照子は物量に押し潰されることとなる。



「こっちに来い、アナマリア」「いいえ、こっちよ」

 バイザーの男と藤林は、異口同音のセリフを吐いた。

 集中砲火を浴びて動けなくなった二人を、それぞれ人質のように引き立てながら。――――来なければ殺す、と暗に示しているのだ。苦渋を浮かべながら。


「アナさん、逃げてください……!」

 ぜぇぜぇと肩で息しながら、照子は続けた「今度は私が助ける番です……!」

「余計なこと言わないで」

 杖の先がこめかみに押し当てられる。

 それを見てアナはトレンチコートの一団へ歩き出した。

 バイザーの男が背後から声を上げるが、まるで無視して両手を挙げた。

「捕まえたいなら早くしろ」


 藤林の杖が振られた。

 閃光と共に放たれた魔力弾がアナマリアを吹き飛ばす。

 ドッ、と荒れ地にバウンドする小柄な体。

 中折れ帽の一団が取り囲み、色白な手足に鎖を掛けていく。


 直後、アナはカッと目を見開き、トレンチコートの袖を捕まえて引っ張った。ごちんっと頭をぶつける大人二人。

「照子ッ!」叫ぶアナ。

「サプラジオ――――瞬雷光ッ!」


 照子を光源にして、鮮烈なフラッシュが焚かれた。

 瞼を閉じようとも焼け付くように真っ白。

 輝きの洪水の中、人も妖魔も後ろから殴られて次々に昏倒していく。

 藤林やバイザーの男も例外ではない。彼らより二回りほど大きな影法師が、彼らを打ちのめした。

 強い光はより色濃い影を形作る。

 アナの異能は完全に消えたわけではないのだ。


 魔力を使い切って倒れ伏す照子を藤林の下から引っ張り出す。

「大丈夫か?!」

「行ってください。こちらに構わず……」

「しかし……!」

「私達なら、平気です。普段は優しい方々ですから……」


 影の軍勢は数秒と維持できずに掻き消えてしまう。

 藤林は朦朧としながらも、照子の服を握り締めた。

 絶対に逃がさないという執念が白む指先から伝わってくる。

「くそっ……、信じるからな……っ」

「ええ、また、どこかで」

 力を抜いて微笑む照子を一瞥して、アナは闇の中に走り去っていった。

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