幕間 氷獄

最大の悪徳

   ◆ Side.???


「ボクと一緒に魔宝使まほうつかいをやる気はない?」


 長い長い回想の旅から戻っての第一声。

 水鏡君は情報過多にも程があるフレーズをぶちまけました。


「キミにはその資質がある」

 彼は畳み掛けます。瞳術に掛けられ洗いざらい色々知られた憐れな少女は、込み上げる不満や羞恥や怒りを全て困惑で上塗りされ、そのうえ性急な決断まで求められているのです。

 無茶苦茶です。詐欺の常套手段に違いありません。まず断るべきだと思いました。


「……私、退治されないんですか? これ、怪物の印、なんですよね……?」

 その質問に水鏡君はきょとんとして。自分の篭手を外してみせました。

 彼の手の甲にも、紋章。

 奇しくもそれは胸元に宿ったそれと同色。

 青く輝く幾何学模様は、赤い紋章よりも穏やかな形をしています。


「青い紋章はね、魔宝使いの聖痕なんだよ。……安心して良い。キミはルディクロじゃない」

「……水鏡君は、一体何者なんです?」

「自己紹介がまだだったね。……普段はメイとしか名乗らないんだけど、キミにはこう答えた方が良いかな。ボクは水鏡明みかがみ あかり。水鏡匠の妹で、魔宝使いだよ」

「……え? 妹、さん、ですか?」

「ずー―――っとボクのこと彼って言ってたでしょ。これでも一応女の子なんだからね。失礼しちゃうよ、ホント」

「あ、あぁ! ごめんなさい! お顔がとっても似てたので……」

「普段だったら許さないけど、今回は、まぁ、無理に聞き出したボクも悪かったしさ……。おあいこって事で」

「……ん? んん? 待ってください、それはちょっと納得できません。人の頭の中に土足で上がり込んでくれたじゃないですか。全然おあいこじゃないですよ。程度が違います。今になって怒りが……」

「ま、待って待って! 分かった! それはあとでちゃんと叱られるから、一旦待って!」

「……なんですか?」

「魔宝使いになるか、ならないか、キミは選ばなくちゃいけない」

「そんなこと、急に言われても……」

「人生の転機は急な物だよ。今ならないと決めたなら、その資質は永久に失われる。なると決めたなら、その立場にはリスクが伴う。……分かるよね、今夜を経験したキミなら」

「なら答えは決まってます。なりません」

「うん。わかった」


 メイさんから言い出した癖に、彼女はその答えを待っていたかのように微笑んで胸元の紋章へ手を翳しました。「後悔はしないね?」

「あんな怪獣に狙われるなんて、私にはとても……。それに、負けて死ぬのも、勝って殺すのも、嫌です」震える手を隠しながら、無理やり笑みを浮かべました。「部長なら提案に乗ったかも知れませんけどね! 人のためとか言っちゃって」

 場を取り繕う下手な冗談にメイさんは手を止めて、慰めるような声色で返しました。


「その、部長さんの事なんだけどね」

「……もしかして! 生き返ったりするのですか? 私が魔法使いになれば……」

「……ううん。それはない。確かに蘇ることは、あるかもしれない。けどそれはキミの望むような形じゃない」

「どんな形でも生き返ってくれるなら……」

「違うんだ。魔獣はね、不滅の存在なんだ。一度成ってしまえば、もう戻れない。討伐しても数年とか、数百年とか、そういう周期で蘇ってくる。人類の敵としてね。完全な消滅は不可能なんだよ。……だからさ、キミが気に止むことはない」


 メイさんは震える手を取って、温めてくれました。

 言外に「キミは人を殺したわけじゃない」と。

 思っても見ませんでしたが、そういう取り方もあるのだと、ハッと気が付かされました。

 そして同時に申し訳ない気持ちにもなります。

 メイさんの言葉には、何よりも彼女自身に言い含めている気配がありましたから。

 それを汲み取れるほど頭はキンキンに冷えていました。長らく氷に漬けられて。


「……でもそれじゃ彼は、これからも人を襲い続けるんですか? さっきみたいに……」

「魔獣ならそれは避けられない。けどキミは、彼の未来を想像して胸を痛める必要も、もう無くなる」

「……どういう意味ですか?」

「最初に言ったよね。今晩見た物は悪夢と同じだって。夜明けが来れば綺麗さっぱり、消えてなくなる」

「い、嫌です!」

「……じゃあそれが、キミに提案できる唯一のメリットだ。魔宝使いは世界の裏側の事象をそのまま覚えておける。表と裏を一つに戻した時、裏の記憶を優先できる」

「それはつまり私が魔法使いにならなかったら……」


「普通の日常に戻れるだろうね。表側の記憶が挿入されて、世界は明日も明後日も魔法なんか無いみたいに運用される。街が一つ消えても、世界が終わりかけても、知らずに生きていける。……それはとても幸せなことだと、ボクは思う」

「忘れるのは今夜のことだけ? でも部長を思い出さないって……」

「……キミはグールに起こされなかった。ご近所さんが殺されることもなく、家が燃やされることもなく、ルディクロなんて知らない。けれど明日、部長さんは学校に来ない。それがずっと続く。彼は数いる失踪者の一人に数えられておしまい。それが表側のキミだ。……それでもボクは『ならない』ことをオススメしたい」

「…………」

「だけど同時に、そうでない選択肢も知らせておくべきだと思った。純人間ヒュームに聖痕が出るのは、滅多に起きないことだから。なにか意味があるのかもしれない」


 そしてメイさんは、青い輝きに目を落しました。

「……さっきのお誘い、こう言い換えても良い。……キミは人間に戻りたいかい? 望むなら、その力は奪ってあげよう。魔器マギが定着してない今なら、ボクが取り除いてあげられる。瘴気を浴びて開花した才能を――――」

「……ちなみに、魔宝使いのまま、戦わないっていうのはありですか?」

「愚問だね。キミはそんなに器用じゃない。――――中を見せてもらって、よく分かったよ。もし魔法を悪用する人間なら、こんなこと聞かずにすぐ消していた。もし力を使わず隠しておける人間なら、そのままにしていただろう。けどキミは、どっちでもなかった。……目の前で困っている人間を見れば放っておけない、不器用なお節介しい。それが芥屋照子だ」

「買い被りすぎです。……ただの臆病者ですよ、私は。痛いのも、怖いのも、嫌いなんです」

「一度力が露見すれば、それを狙う敵は多い。戦いは避けられない。そうなってからやっぱり辞めるは通じないよ。人に戻れるのは今しかない」

「…………」

「平穏を天秤に掛けて尚、反対に傾かせてる想いがある。それも大切なことだと思う」

「恥ずかしいこと言わないでください。……お別れくらい覚えていなくちゃ、彼が何者だったのか、分からなくなってしまいます。……そんなのは、すごく寂しいってだけで」芥屋さんは、はたと言葉を切ってメイさんから目を逸らしました。「……まだ瞳術使ってます?」

「使ってないよ。……でも、今のはキミの本心に聞こえた」

「……わかりました。魔法使い、やります、私」


 二人の話が纏まりました。



 けれど、ダメです。

 そんなのは認められるわけがありません。


 僕のせいで芥屋さんが魔人や魔獣と戦うなど、冗談ではないのです。


 魂の最奥でメラメラと滾る瘴気は、氷に閉ざされた今も健在で。

 消えぬ炉で燃え上がる義憤が、体を芯から温めていました。

 拳を握れば氷が砕け、身震いすれば霜が落ち、咆吼すれば兜が割れる。


 思考はスッキリと冴え渡り、ノイズめいた蝗の羽音はもう聞こえません。


「僕は……、我輩は……! 反対だ!」

「ふぁっ?!」

「佃先輩っ?! も、もう、生き返って……!?」


 ガールズトークに割って入るなどという酷く烏滸がましい真似が出来てしまいました。

 かなり頭を冷やしていたはずですが、テンションは依然振り切れています。

 力の限り落ち着いて話さねばなりません。落ち着いて落ち着いて落チ着イテ。


「断固として認めない! 彼女は我が新聞部のものである! 妙な勧誘は止めて頂こうッ!」

「お、おぉう……」

 メイさんは若干引いているようでした。僕もドン引きです。

 この横柄な物言いに引いてない人間はこの場に一人しか居ません。

 タックルも斯くやという勢いで抱き付かれました。

「よかったっ、部長っ、よかったぁぁぁ……っ!」


 あああっ、胸が、当たってるんですよ! 毎度のことながら芥屋さんは自分の攻撃力を理解していません。正気値がゴリゴリ削られます。うん、でも大丈夫。鎧越しだからセーフ。


「全く手の掛かる部員だ。おちおち死んでもいられない」

「鉄板ネタにするのやめてください! 本気で心配したんですからね!?」

「待って待って、おかしいよ?! 佃耕太郎、キミ、魔獣……だよね?」

「我輩は人である」

「そんな瘴気だだ漏れの人間はいないよ?! 照子も、そんな傍で吸ったら良くないって!」

「んな、呼び捨てですか!? 後輩の、妹に……!」

「魔宝使いならボクのが先輩だもん! もう10年もやってるんだから!」

「芥川君は魔法使いになどならん! これからは我輩の活躍を記事にするのだ!」

「初耳! なんですかそれ! やりませんよ!?」

「ていうか元の人殻じんかくがあるの……? あ、いや、そうか! 擬態能力だね!? ボクは騙されないよ!」メイさんはそう言って手元のデバイスを操作しました。


 此方を映す投影モニターには『????型魔獣:Error 未定義の魔獣型』と。


「魔獣判定なのに、種別が出ない……? 擬態してないの? 偽神型魔獣ディープ・アルコーンでもない……?」

 メイさんの自信が徐々に無くなっていきます。


 状況は混沌を極めて参りました。それより偽神型魔獣ディープ・アルコーンって何? と聞くのも癪なので聞きません。専門用語をひけらかすの、良くないと思う。


「勝手に人を型にはめるな。我輩こそ魔獣を越えた魔獣。……そう! 言うなれば超魔獣である!」

「なにそれ知らない……」


 僕も知らない。


「違います、これが友情の力です! 友情の力で部長は正気に戻ったのです! 見たかアンデルセン!」

「瘴気吸いすぎだよ、照子。アホの子になってる」

 メイさんは芥屋さんを窘めたのち、射るような目付きで僕を睨みました。

「ともかくこれで振り出しだ。照子には悪いけど、キミは討たせて貰う」


「笑わせるな。貴君にそれが出来るのか?」

「――ま、待ってください! 今の部長は完全に人です! 他の人を襲ったりはしません! ……ですよね?」

「悪人でなければな」

「部長っ!」


 挑発的なフレーズが口をついてスラスラと飛び出すのです。止めようがありません。最早演技なのか本心なのか僕にも判別できず、体を支配する熱が思考中枢にまで回っているのだと気付きました。

 いわばこれは理想とか、欲望とか、そういったものを見据えてフラットアウトでかっ飛ばしているのでしょう。

 こうして冷静に分析できるのも高速には高速なりの慣性があるから。

 下手にブレーキを踏み込めば忽ちスピンして僕は僕でなくなります。

 メイさんは魔法剣の青い刃を長く伸ばして構えました。


「照子どいて。そいつ斬るから」

「タイム! タイムです! ……そうだ、部長! その瘴気、止められませんか? 瘴気が出てるから魔獣認定されるのです! 出さなきゃただのコスプレです!」

「ふむ。やってみよう」


 とはいえ、どうやって止めるのかは、皆目見当がつきません。息を止めたり、力んだりしますが、燻る瘴気には何の影響もなく。

「心頭滅却ですよ!」

 煩悩の塊を押し付けられては、そんなの釈迦だって無理でしょう。

 暫く様子を見ていたメイさんも無駄と悟って口を開きました。

「いま、どんな状態だとかは関係ないんだよ。倒さなきゃ、魂魄を奪われた人達は――」


 一触即発の空気、シリアスな台詞を遮って彼女の通信機が短く鳴りました。

 インカムに手を当て、こちらには聞こえない声と会話を始めてしまいます。

「……え? 起きたの? ……さっきから? なんで連絡を……。……ああ、そう……。……うん。うん。うん。分かった……」


 通信を切ると、メイさんはバツが悪そうに剣を下げました。

「……キミの奪った魂魄、さっきの仮死状態で解放されたんだね。起き始めたらしいよ。……戦う理由がなくなっちゃった」

「馬鹿な……。またしても喰い直しか」

「部長、黙って!」

「ふふ、果たしてそう上手く行くかな?」メイさんは、ニヤリと笑って言いました。

「……どういう意味だ」

「魔人の身柄はもう押さえたよ。悪人を野に放ったりはしないさ。それともキミは檻の中まで押し入って裁くのかい?」

「それは……」

「しないよね? 人を護るって言う大義名分が成立しないもの」


 今度は僕の方が振りあげた拳の下ろし所を見失いました。


「……ふん。ならば精々、しっかりと閉じ込めておくことだな」

「分かってるさ。大事なのは更正の機会、って意見だけには賛同するよ。人間は、いつからだってやり直せるんだから」

「それではまるで、不可逆の人外には出来ない、と言っているようだが」

「災害のように降って湧き、我が儘の末に退治され、反省もなく蘇生する。……キミら魔獣には進歩がない。永遠を生きるものとしてあまりに御粗末だ」

「ふ、ふふ……」

「なにがおかしいのさ」

「いや、その通りだと思ってな。魔獣に成ってみて……、いや、初めて半獣に成った夜から、心に決めたただ一つのことだけが愉しかった。それさえ満たされれば、他には何も要らないと思った。なるほどこれでは反省など出来ようはずがない」

「…………」

「……部長、それは、どういう……」

 メイさんは何も言わず、芥屋さんだけが声を上げました。


「我輩のことなど忘れろ。魔法使いなぞになるな。……我輩はもう、自分の価値を他者に依存しない。そのような段階は過ぎ去ったのだ。誰の目に留まらずとも、記憶に残らずとも満たされる。我輩は人というからを破ったのだよ!」

「なに訳のわからないことを言ってるですか! 自分に酔うのも大概にしてください!」

「人語を操れても所詮は魔獣か」とメイさんは吐き捨てました。


「貴君には感謝するぞ、水鏡明。悪人を更正させると聞いても大して心が滾らなかった。つまらんとすら感じた。それこそが我輩の本性なのだ。我輩が満たされるのは、悪い奴を叩きのめすこと。ただその一点のみ。小綺麗な建前など全く不要、ボコボコに出来ればそれでいい」

「……もの凄い開き直りだね」

「品性の歪みを感じます」

「ふは! ふははははは! この世の悪の! その全て! 先んじて浚えるならばやって見せよ! 出来はしないだろうがな!」

「いよいよもってキミを倒した方が早そうだ」

「部長、いい加減にしてくださいよ!」

「正義の行使こそ我が最大の悪徳にして、最大の快楽と成り果てた今、止め得るものはありえない!」

「そこまで自覚してるなら、どうして……」

「止めようがないのさ! この感情は! 轍を残せぬ幻影の、唯一の存在証明であればこそ! どうしてもというなら掛かってくるが良い、水鏡明。命擦り切れるその時まで、一つでも多くの悪を摘んで見せよう!」

「部長のアホ!」

「ふははははは! さらばだ! レディ諸君!」


 引っ付く芥屋さんの首ねっこを摘まみ上げてメイさんにパス。

 反転して1歩、2歩。スプリングを踏み込んで跳躍。天窓を抜ける。

 四角く切り抜かれていた星の海が目の前にわっと広がって、綺麗。

 屋根を足場にして更に遠くへ。星の灯りの少ない方へ。

 二人の罵声は置き去りになって、もう後には振り返りません。言い逃げです。

 思考は末端まで熱を持ち、初夏の夜風が妙に涼しく感じました。

 本来墓場まで持っていくような恥ずべき欲望を曝け出し、幻滅されたことでしょう。

 しかしそれでこそ目論見は叶うのです。

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