グール強襲
それから数日が経ち、グールの話題などとうに色褪せた頃。
――――ドンッ! ドンッ! ドンッ!
そんな音で夢の中から引っ張り上げられました。
寝惚け眼でぼんやり。カーテンの外はまだ暗く、常夜灯を頼りにスマホを取ります。
――――ドンッ! ドンッ! ドンッ!
音は玄関の方からでした。
「な、なんですか? どなたですか?」
「あ゛、ああ、良かった、照子。まだ起きてたか。すまん。出先で鍵を無くしちゃって」
「なんだ、パパ……。しっかりしてよ、全く」
あくびを噛み殺しながら鍵を回します。
瞬間、ドアが弾けるように開き、ドゴンッ、とつっかえました。
伸びきったチェーンロックの隙間から、見知らぬ男性がギョロギョロとこちらを覗き込み、浅黒い腕を突っ込んできます。
私を掠めるボロボロの黒い爪。
血走った目には瞼がなく、溶けた頬から剥き出しの歯茎。
まるで腐乱死体。
父を装う優しげな口調は絶叫に変わり、無茶苦茶にドアを引っ張り出しました。
――――ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ!
扉ごと壊しそうな勢いに気圧され、私はぺたん、と腰を抜かしてしまいました。
すっかり眼が覚めたはずなのに、悪夢は消えてくれません。
「ひや、あ、あ…………」
声が掠れて叫ぶことすらままならない。
窮地の私はいつだってポンコツで、私は私を救えない。
……いつもそうです。
頼みの親二人は泊まり込みのお仕事。大きく大きく叫ばなくては。隣近所に届くほど。
「あ……っ、あぁ……っ、…………た、たしけて……っ!」
分かっています。無理なのです。獣みたいな暴力を見せつけられて、歯の根が噛み合いません。反射的に身を固めてしまいます。ここにいてはいけないと、分かっているのに。
団亀を決め込んだグズの私を嘲笑うように、ちょっと間抜けな着信音が響きました。誰ですか、こんな曲セットしたの。
震える手でスマホに触れると、いつもの声が流れ出します。
「やった、繋がった! 芥川君、無事かね!?」
「こ、耕太郎しゃんっ!?」
「いいか、落ち着いて聞いてくれ。発信器付きのグールがキミの家の方に向かってる。まさかとは思うが――――」
「来てます! もう来ちゃってます! どしたら、どしたら良いんですか!?」
「……じゃあ下手に動いちゃ駄目だ。吸血鬼は招かれてない家に入れない。その眷属も一緒かもしれない。何をされても絶対に鍵を開けないように」
「も、もう開けちゃった場合はっ!?」
凄まじい衝撃が家を揺らしました。
振り返ればキッチンの方が紅蓮に染まっています。天井を這うように濛々と立ち籠める黒煙。何が起きたのか推測する前に、続け様、お風呂場も爆発しました。
火の手が次々に上がります。
目の前では複数のグールが玄関扉にしがみつき、力任せにベキベキベキッと引き壊すところでした。
私は二階に駆け上がり、自分でも信じられないパワーでソファーを動かして扉を塞ぎました。息継ぎする間もなく、外からタックルされます。
もう、家の中すら安全じゃない。
「このあとは、どうしたら――――」
隣に話しかけて、誰もいないことに気が付きました。
スマホは玄関に置いたまま。取りには戻れません。
途端にへこたれそうになる自分の頬を叩き、覚悟を決めます。家を捨てる覚悟です。このままでは蒸し焼きにされるだけ。ベランダ伝いに外へ。そう思ってカーテンを開けると、窓にへばりついたグールと目が合いました。
「わぁぁぁあっ!?」
なけなしの気力は、もう消えそう。
腐れた人間は尻餅を付いた私を見下ろすと、窓に頭突きを始めました。
自分が破片で傷つくのもお構いなしに。
鮮血がピシピシと飛び散って、見るだけで痛々しい。
ノーガードの強攻はあっという間に窓を割るでしょう。私は和室に逃げ込みました。
――――が、バリケードの材料がありません。
足音は部屋の外まで迫っています。急いで押し入れの中へ。
グールは花瓶をひっくり返し、柱時計を倒し、私が息をひそめる押し入れまでやってきました。私を捕まえてどうしようというのでしょう。ただ殺しにきたのでしょうか。目的が全く解りません。もしかして私が通報したから、その報復に――――。
――――ガラッ、と押し入れが開け放たれました。
直後グールに押し掛かる布団の津波。私が逆サイドから押したのです。和室を飛び出すとリビングにはグールの影が数人。しかし充満した煙のお陰で向こうの反応が遅れます。一気に駆け抜けて再びベランダへ。庭木に飛び移ると私を追って手を伸ばしたグールが頭から転げ落ちました。
続いて着地すると、自宅を取り巻いていたグール達が集まってきます。
震える足で構えを取り繕うものの、ジリジリと追い詰められて庭の隅へ。
グズグズに爛れた腐肉が私に触れる――――
――――刹那、グールが吹き飛びました。
「ワシの可愛い孫娘に、何しやがる!」
傍らに現れた声の主。
道着を纏った骸骨が、
仲間を巻き込んで倒れる亡者の群れを見送って、彼は自嘲しました。
「ふん。年は取りたくないもんだ。過保護になっていかんな」
「お爺ちゃん! 無事だったんですね!」
「応とも。この身は既に火葬済みよ」
堅い頭蓋骨を和らげて笑うお爺ちゃん。
彼は人間ではありません。
私がまだ小さい頃、父がどこぞで押しつけられた曰くの品に憑いていました。
なので血の繋がりもありません。
しかし私にとって唯一お爺ちゃんと呼べる存在で、例外的に嫌いじゃないオカルトです。
両親は駆け落ち同然で家を出ていますから。ホントの祖父祖母の顔は知りません。
斃れたはずのグール達が起き上がり、尚もこちらへ向かってきます。
カンフー映画みたいな動きでそれらを蹴散らすお爺ちゃん。まさに一騎当千。
しかしグール達は一向に減りません。
関節があらぬ方向に曲がっても、頭がひしゃげても、お構いなしに立ち上がるのです。
「……照子、ここはワシが抑える。そっから逃げろ」
お爺ちゃんは生け垣の下に開いた穴を指しました。
「お爺ちゃんも一緒に!」
「無理じゃ。依代はまだ家の中。アレからは離れられんし、ワシには動かせん」
「だったら私、取ってきます! 瓢箪!」
「アホ抜かせ。孫娘を火の中に送り出すジジイがどこにおる」
「でも……!」
「見くびられたもんじゃのう。ワシがキョンシー共に遅れをとるとでも?」
私が返答に困っていると、お爺ちゃんは付け加えました。
「だが、どうしても力になりたいというのなら、一つ頼みがある」
「私に出来ることでしたら、なんでも……!」
「
「
「ああ、つまり対価の約束じゃ。ここを脱したら生前叶わなんだ
「――――頑張ってね、お爺ちゃん!」
老骨との会話を打ち切って生け垣の下に潜り込みました。
汗と土が交じって泥んこ。いくら小柄な私でもこの直径は少しキツい。
それでも、このトンネルを掘ってしまった隣家のホタ君に今は感謝しながら、モグラのように穴を抜けます。
直後、熱風と火の粉が私の背を押しました。
振り返れば轟々燃え盛る自宅が屋根から潰れていくところで。
思い出が潰えるような喪失感に、ああ、息が漏れました。
これだけの大火事、間違いなく騒ぎになっているはず。
人目があればグールだって動けない。
庭から道路に飛び出すと、私の期待に反して近くに立っているのは二人だけでした。
土気色のチンピラが二人だけ。あとの野次馬は寝ていました。アスファルトに血だまりを作って。顔見知りのご近所さんたちが、パジャマに上衣を羽織ったまま。ピクリとも動きません。
「な、なんで…………」
そう呟いた瞬間、グール二人が血濡れの鈍器を振り上げて向かってきます。
私は裸足のまま駆けました。生温いアスファルトをグリップして。
投げられたバールがヒュオンッと頭の横を掠めます。
当たれば即死。足を止めれば殺される。恐怖が鳥肌となって全身を覆いました。
そんな中、目の前がカッと白く染まります。鮮烈なヘッドライト。真っ赤なパトランプ。
市民の味方、お巡りさん! 信じられない奇跡です!
「助けて! 助けてくだしゃいっ!」
声、出ました! 急停止するパトカー。飛び出した二人のお巡りさんの内、年配の方が拳銃を抜きます。その鋭い眼光には見覚えがあって――――。
「え?」
銃口の先に居るのは私。
綺麗に見えた警官の制服は瞬く間にボロ布と化し、胸には貫通した大穴。左半分が爛れていきます。その変貌から目を離せず。
――――ダァンッ! と乾いた銃声。
続いて、ぐしゃんっ、ゴロゴロゴロ、と転がる人だったもの。
「乗って!」
白いバイクに乗って颯爽と現れた部長は、警官グールを轢き飛ばし、私の前でドリフトターンを決めました。
後ろに飛び乗った途端、嘶く馬のようにガオンッと車体が持ち上がり、ウィリーしたまま急発進! 私は死に物狂いでしがみつきました。
こういう時は『しっかり掴まっていろ』とか、一声あるべきなんじゃないですか!?
私の悲鳴も、蹌踉めく怪物達も置いてけぼりにして、バイクはぐんぐん加速します。
背後から追い縋る銃声。彼の背に顔を埋め、当たらないことを祈りました。
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