第二章 吸血鬼の城へ

吸血鬼の尻尾


 5月8日。


 新聞部は今日も二人ぼっち。

 高度に発達した情報化社会において、紙の媒体はどうにも隅に追いやられがちです。

 その煽りを受け、歴史ある我が部にも閑古鳥が鳴いていました。

 

 名簿上では二年生が四名、一年生が五名。

 そのうち半数は幽霊部員で、残りはスイーツ取材という名のサボリ。

 唯一の三年生はデスクに突っ伏してグースカ。


 記事を書くのは私だけ。

 寝ている先輩は、殆どマンガしか描きません。

 彼の仕入れてくるネタは記事にならないことが多いのです。

 その代替としてマンガコーナー。


 けれどその内容といえば外国人化した部長が日頃見かける悪行を遮っては説教を捲したて、口撃のサンドバッグにした挙げ句、悪役にわざと詭弁を喋らせて喝破し一抹の正論めいた雰囲気を創り出す、という愚劣極まりないものなのです。

 品性の歪みを感じます。

 そしてプライバシー保護の観点から悪役は必要以上に醜悪に描かれ、部長はギリシア彫像の如く美化されるのです。


 以前「なぜこんなにマッシブなのですか」と尋ねたところ「筋肉とは即ち説得力である」とジャーナリストに有るまじき答えが返ってきました。

 蛋白質の塊が説得力であって堪るものですか。

 私が渋い顔で答えると「芥川君も立派な説得力を持っている」などとセクハラめいたセリフをかましてきたので、お望み通り説得力でチョークをスリーパりました。

 「そういう意味じゃない」とはどういう意味だったのでしょう。別に回答は要りません。


 その原稿も、今は枕になっています。

 起こすのは簡単ですが、ここでもう一つ、彼のことを紹介しておきたいと思います。

 隙だらけな間抜け面に校正でも加えながら。

 マジックペンをきゅぽっ、と。……ふふふ。


 つくだ耕太郎こうたろうという男は、ひょろひょろと背が高く鼻も高く、柔らかなくせっ毛に柔らかな表情で、黙っていれば一見柔和な印象を受けます。

 黙っていればね。

 よく知らないと好青年に見えてしまうのです。

 私も長らく騙されていました。

 だからこれはささやかな復讐。


 彼のことが嫌いなのか、と問われれば、お答えには窮します。

 明確に言えるのは、乙女の純情を弄んだ仇敵であり、少しばかりムカついている、ということ。

 耳元に口を寄せ、普段、正面からは言えないような破廉恥な罵詈雑言を囁いてやります。

 ――――ふむ。起きませんね。トドメを刺しましょう。


「――――わっ!!」

「うわっ?!」

「おはようございます」

「……おは、よう……?」

「部長自らおサボリだなんて、部員に示しが付きませんよ?」

「……ん。む? なんだ、キミしかいないではないか」

「私の前でもシャキッとしてください、たまには」


 ――――昔みたいに。

 その言葉をグッと飲み込んで、お顔を洗うことを勧めました。


   ◇


 5月11日。彼はマントを翻しました。


「吸血鬼をらえるぞ!」

「はい?」

「我々はついに! 吸血鬼の尻尾を掴んだのだよ!」

「それはまた盛大なガセネタを掴まされましたね」

「いや、信頼できる筋の情報である!」

「……誰なんです? あなたに詐欺情報売りつけてるの」

「ふはははは。情報筋は明かせないのだよ。報道倫理に反するからな」

「献身的なカモですね。背中にネギが見えますよ」

 私は目を細めて言いました。


「そういうキミには漬け物石が乗っているな」

 わしゃわしゃ。頭を撫でやがります。

 暗に、おチビだね、と。


「……喧嘩売ってます?」

「いやいや、そうではない。ゴールデンウィークは実入りのない調査に売り払ってしまったがね。なに、奴さえ捕まえればお釣りがくるさ。これはもはや人類史に残る偉業! 今度こそ付き合ってくれるね?」

「ヤですよ。そんなアホなこと。その『人類史に残るイギョー』ってのは、いったい何度失敗したら懲りるんです?」


 部長には霊感がありません。

 余計なものが映り込まない恵まれた眼を持ちながら、その健康さをかなぐり捨てて妖怪を探し回る姿は、どっから見ても奇人の類い。


 向こうは、私があの時の恥ずかしい女の子だと気付いていません。

 ドがつくほどの黒髪も明るい栗毛に染め直し、今時のおしゃれな感じで高校デビューを飾りましたから。

 ――――お化けなんて見たこともない普通の子、という路線を狙ってたのに。

 どこぞのアホに崩されたセットを手櫛で整えます。


 ああ、バレたら何を言われるか。

 私ってば、この変人を彼とも知らずに煽り倒した過去があります。

 そして入部時に間違えた付き合い方は、今更変えられず、現在進行形。

 急にデレたとか言われるのも嫌ですし……。


「ははぁん。……さてはビビッてるな? なるほど確かに、この街に吸血鬼が住んでいると知れば、必死に否定したくもなるだろう。芥川君は『怖がり』だから」


 その指摘にギクッと肩が跳ねました。

 思い出される黒歴史。記憶の中の甘えん坊。

 そんな想起を撥ね付けるように立ち上がります。


「は、はぁっ?! こ、こ、怖くないですし!」

「ふふふ。図星だな? 焦っていると見える」

「ちっ、違っ! これは、その……、あなたが変なこと言うから!」

「ならば仕方あるまい。怖がる部員を無理には連れて行けないからな」

「怖くないって言ってるでしょう!?」

「では付き合ってくれるのかね?」

「いや、それは……、そ、その手には引っかかりませんよ!? おあいにく様でしたー!」

「やはり怖いのだな、諦めよう」

「こ、怖くないですしっ! 行けますし!」


 つい口走ってしまって。

 手で押さえても後の祭り。部長の顔には「言質取ったぞ」と言いたげな笑みが張り付いています。


「い、行けますけど、行きませんよ?! どうせデマだもんっ! 骨折り損の草臥くたびれ儲け。『オカルトバカ、また騙されるー』って記事なら書いてあげてもいいですけどねー!?」

「ふむ。メリットがあればいいのか? ……ならばこれを授けよう」

「……なんです? お守り?」

「ただのお守りじゃないぞ。開運招福・商売繁盛・航空安全・安産成就・大漁満足・全部乗せのウルトラスーパーデラックスアミュレットだ。7人の僧が7日間かけて777万遍祝詞を唱えて謹製した至高の一品。持ってるだけで願いが叶う」

「またオカルト……。ほんと部長はそういう胡散臭いの好きですね」

「いつもの壮言大語と思ってもらっては困るな」

「自覚あったんですか」

「何を隠そう我輩に絵心が付いたのもこのお守りの力があったればこそ」

「……猛練習したのをこじつけてるんでしょう? そんな力があるなら手放すはずないじゃないですか」

「芥川君にも効果を体験して欲しいのだよ。そしてそのオカルト嫌いを直したまえ」

「ふーん……。そんな大層なものには見えませんけれど」


 眼前にぶら下げられたお守り袋には、何やらみっちりと梵語が縫い込まれています。

 流石に読めませんがきっとお経でしょう。

 たいへん厳めしい印象を受けますが、厳めしいだけで何の意味もありません。


 新聞部の歴代発行物に混じって壁面に飾られている各地神社の護符や魔除けの御札、目玉を象ったトルコのストーン、額に入った四つ葉のクローバー、東南アジアの怪しげな人形、ブータンの聖的な棒、インディアンのドリームキャッチャー、メキシコの金の馬蹄、その他出自の分からないエトセトラ。

 そういうありふれたパワーなんちゃらとか、オカルトグッズと同じ、気休めの一品です。


 今度は一体どこで騙されてきたのかと御守りを回してみますが、製造元は書いてません。

 かわりに何やら硬い感触。

 普通こういったものには厚紙か木の護符が入ってると聞きましたが、それにしては随分いびつ。巾着か香り袋にも見えます。

 そんな事を思っていると、私より先に部長が手を離してしまいました。


「受け取ったな? 取引は成立だ」

「あっ! 部長ズルい! 見てただけですよ! 受け取りません! いりません!」


 私が突き返そうとしても、彼は両手を上げてしまって返せない。

 この男は本当に無駄に背が高いのです。人を食ったような笑顔が小憎たらしい。


「願い事を決めたら、七週間は肌身離さず持っておくのだ」

「使い方なんて聞いてませんよ」

「寝るときも、風呂に入るときも、ずっと持っておかないと効果が出ない」

「……それ、部長もやったんですか?」

「勿論だとも」

「なんかばっちぃ!」

「失敬な! 我輩は常に清潔である!」


 マジで突き返してやりたかったけれど頑として受けとりません。

 本当に本当にどうしようもない部長です。

 溜め息が出てしまうのもごく自然。

 これみよがしに恩を売りつけて主導権を握ろうとか、そんな駆け引きは微塵もありません。


「はぁぁぁぁ……。じゃあ、一日だけですよ?」

「一日では効果が……」

「そっちの話じゃねぇですし」

「……付き合ってくれるのかね?」

「勘違いしないでくださいね。これは部長の為じゃありません。私は吸血鬼なんて、そもそもオカルト全部、微塵も信じてませんから。さっさと取材して、さっさと諦めて、まともな記事に取り組んで欲しいだけです」

「そうと決まれば明日の放課後、即座に集合だ」

「……今日じゃないんですか?」

「いや、奴が動くのは今日ではない。芥川君にも時間がいるだろう」

「私に? 何故です?」


 ドサッ、と山のような資料を抱えさせられました。

「本件に関して編纂へんさんした『De Vermis Mysteriis――――妖蛆ようしょの秘密』である。明日までに目を通しておきたまえ」

 重さにして辞書4~5冊分ほど。

 膨大な紙束を留める鉄製のファイルが無意味な重厚感の演出に一役買っています。嫌がらせか。

 全く、仏心など出すべきではありませんでした。


 纏めてゴミに出してしまいましょうか。

 心に抱え込んだまま、6年目に突入しそうな不燃物と一緒に。

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