3-4

時計の短針が7に触れはじめる頃、吹奏楽部はすっかり魔法がとけて雑談部に。千紗は余韻に浸る間もとらず帰る準備を整えた。鍵閉め係は3年の千紗と真文がやっていて、ゆえに都合良く「よーし、出てねー。カギ閉めるよー」と言える。二人とも、早く帰りたい、が脳内を埋め尽くしている。魔法がとけた音楽室に用はない。

ふいに鼻歌が聞こえたので、千紗は振り返った。同じ3年の神林だった。あれ、今日、メガネしてない。

「ご機嫌だね、神林くん。コンタクトにしたの?」

「お前もな。メガネ壊れててさ。六鈴の顔、ぼやけてるわ」

千紗は全くこれっぽっちもご機嫌ではなかったが、適当に笑っておいた。自分がご機嫌だと周りすべてピッカピカの一等星に見えたりするのだろうか。千紗は、案外冷めた性格で現実主義的、髪色と音楽だけが彼女の非日常だった。もっとも真文以外の人間には能天気なチャラチャラした女、にしか見られない思われない評価がくだらない。それゆえの神林の「お前もな」である。つまり「お前もいつも底なしに明るいじゃん」そこまで察せられるから、千紗はいつも息苦しい。酸素が足りていない。

「教頭の孫が来てるって知ってるか? 可愛くてさ、男の子なんだけど。お前、遊んだ?」

「ううん」

「俺、ちっちゃい子大好きでさ〜」

分からなくもないけれど、早く帰ってほしくて「じゃあ早く行ってあげなきゃじゃん!」と言ったら従順な犬みたいに一目散に走っていったからありがたい。全くどっちが子供なんだか。母性本能がうずく。

千紗にとって神林は癒しでもあった。鈍いところはあるにはあるが、ギスギスしない。男とか女とか言うのは好きじゃないけれど、いいなー男って、こういうとこ、って思うたび、見た目は男が寄り付くようにするし、女に陰口は叩かれる。千紗はつばさが欲しかった。なんていうか、自由へのつばさが。


千紗と真文以外の全員が出ていった後、千紗は「飛ばないね」と窓際の折り鶴に言った。真文も折り鶴に「飛ばないね」千紗に向き直って「でも、もし飛んだら困る」と言った。

折り鶴のつばさの中には名前が書かれている。片方のつばさは自分の名前、もう一方は誰かの名前。いわゆる恋のまじないであった。そして名前を書いた折り鶴は、その人の下まで飛んでいって想いを伝えてくれるとか、くれないとか。

それにしても奥ゆかしい。折り鶴を裏返して、つばさの中まで覗かないと文字が見えないなんて。真文からまじないを聞いて作った折り鶴。紙を4等分に分けて対角線上にそれぞれ自分と相手の名前を書けば完成。丁寧に折りすぎて隙間がない立派な鶴になったはいいが、誰も気づくはずがない、こんなの。真文は気づかれればそれはそれで困るが、千紗は違った。折り鶴よ彼の心に飛んでいけと願っていた。


施錠を確認すると、まだ右隣の漫研が賑やかだった。右隣の漫研さんと真下、3階の天文部さんは吹奏楽部うるさくないのかな、といつも気になる。奥にはご立派なエレベーター。しかしあれは来賓のみが貰えるカードキーがないと動かない無能な文明の遺産で、我々のように制服に身を包んだものは、若々しく階段を使うので、左向け左。女がわざわざ階段を使うのは見積もっても中学生までだ、覚えとけ、校長。

階段も賑やかだった。椎名、岸蔦、鍵丸の生徒会男子が仲良くグリコをしている。真文は唖然としていたが、千紗はまたアレがくすぐられて、ノスタルジーが感情を揺らし、テンションがちょっぴりハイに。

「かーいちょ!」抱きつきかける千紗をひらりとかわす椎名。

「どうした?」

「ううん、グリコとか懐かしいなと思って」

「教頭先生の孫のゆうとくんが来て、グリコやろう! って言われて。もう行っちゃったんだけど、今から2回戦」

例のゆうとくんより、幼い顔で笑う椎名はしゃべるしゃべる、生徒会の銀の腕章が欲しいって聞かなくてさ、グリコで腕章かけてやったんだけど負けた、そのままプレゼントしちゃった。

「鍵返したら私も入りたい!」

えー、千紗帰らないのー? とは言ったものの、真文も仕方ないとあきらめて、鍵ちょうだい、返しとくから。千紗は無駄に発音の良いThank you! を浴びせて投げキッス。振り払うかのようにバイバイの手を振って真文は退場、千紗はグリコへ。

なんだかんだで高校生、真文は男の子と気軽に混じれる親友がうらやましいし、千紗はどこか冷めてはいても、楽しいこと、盛り上がることは好きだった。無論、椎名も岸蔦も鍵丸も幼さをにじませた笑顔がはじけて止まらない。なんだかんだで高校生、彼らはまだ大人には足りなさすぎるくらい純粋無垢で、大人には眩しすぎるくらい若々しい。


階段が一段と賑やかになってゆく。

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