2-5
羽賀と彼女を、交互に見つめることしか出来ない武田、とその他一同。
「おめでとうございます」
開口一番、羽賀はそれだけ言った。少しの間、沈黙が流れる。
あまりに淡々とした祝福に彼女は拍子抜けしたが、らしさだと思えばすぐに納得できた。
「退院祝い……だった? 今年桜が見れんかった私にサクラを見せてくるとは、恐れ入りました」
彼女はなまりを含んだ優しい声に戻る。戻る、というのも、彼女は推理中はっきりと演技をしていた。探偵役になりきっていた。なまりなんか、一切消えていた。しかし、羽賀は彼女の魔法を解かしてしまう。彼女は羽賀を認めすぎている。
羽賀の才能に魅了された彼女は、役者としての彼女をあっさり捨てた。それに葛藤も後悔もなかった。
羽賀はそれが残念でたまらなかった。
彼女に憧れていたから。
「先輩、さすがですね。でも、一つだけ推理ミスがあります」
「え、どこ?」
「キャッチコピーにある五人目は、先輩のことです」
彼女は絶句した。あたたまりきった頭脳ですら、言葉の意味を理解できない。思考がまるで追いつかない。
「先輩、思い出しませんか? 一年前の公演。桜のように儚い女の子、の役。桜の木の生まれ変わり、みたいな設定でしたよね」
脳は逆回転をはじめる。ふるえる。自分だけに注がれる視線の数々、演技中の喜び、命をもう一つ貰ったようなあの感覚。そして、今日。探偵役として視線を浴び続けた今日――。
同じだ。
眠らせていた感情が飛び起きる。
それを明確に、彼女は自覚した。
彼女がそんな感情を巡らせている一方、羽賀も言葉を続けていた。どう憧れたのか、どう思っていたのか、肩を震わせて訴えている。羽賀は感情をむき出しにするのが大の苦手だ。苦しそうに言葉を絞り出している。
羽賀にも気付いていないことがある。羽賀が演劇を続けているのは、彼女への憧れだけが原動力ではない、ということ。基本的に大人しいスタンスの彼女が感情を吐き出せるのは、舞台を通して、キャラクターを通してだけだった。喜びも、悲しみも、情熱も、みんな。
「……とにかく、私は先輩に憧れて入部したんです。私に遠慮して脚本だけに情熱を注がないでください――
――また先輩の演技が見たいです」
という羽賀の言葉は、彼女の中でかけがえのないものとして残り続ける。あの日、彼女の演技を見た羽賀と同じように。
「私は、先輩に役者の楽しさを思い出してほしくて、無理を言ってみなさんに協力してもらいました。だから、五人目は先輩です」
ついに、羽賀は感情を絞りきる。
「さくらを前に何を思いますか」
桜を前に一年前の記憶を呼び起こさせ、サクラを前に演技の楽しさを思い出させ、羽賀さくらはもう答えを待つだけだった。
一方、彼女は巡らせていた感情を受け止め、冷静になりつつあった。
つまるところ、猛威をふるっていた彼女の無意識とは、彼女の才能だった。
彼女は初めて自身の才能に触れる。
今までは演技を褒められても、イマイチ実感が湧いてこなかった彼女。ただ純粋に演技を楽しむだけで、評価など特に求めもしなかった。だが、評価するのは好きだった。そっち側の人間だと、自分を決めつけていた。彼女にはあらゆるものの自覚が欠けている。欠けて鋭くとがった自覚が傷つけたものに、彼女はようやく気が付いた。
「ごめん、ハガちゃん。気が付かなくて」
何言ってるんだ、と武田。
「羽賀さんにこれだけ褒められて羨ましいやつ。ありがとうだろ、フツー」
「そうだね。久しぶりに演じられて、楽しかった。私、気付くの遅すぎるんだけど、こんなに演技が好きなこと、知らんくて」
大きな深呼吸をはさむ。興奮で途切れ途切れの言葉を立て直すように。
「最高の退院祝いだった。みんなありがとう。また役者やらせてもらっても、いいかな?」
みんなこたえる。とびきりの笑みで。裏方、受付のスタッフもいつの間にか舞台に出てきている。
そういえば、とさくらが言う。
「先輩、私の脚本には全然興味ないんですね。裸眼で来たって言われて、実はショックでした」
「や、ごめん、でもあれは違くて……」
「いーや、深層心理が表れてるね」
と横やりを入れる武田。うるさい、と叩く彼女。吹き出す何人かのサクラ――もとい新入生。
「おれ、言ったじゃん。脚本の才能もあるって。そうそう思いつかないよな、こんな脚本」
「先輩、次、私が書いてもいいですか? 裸眼の件のショックで気付いたんですけど、なんか、脚本にこだわりというか、愛着湧きはじめていて。もちろん先輩も私も出演させる方向で」
彼女は満面の笑みで頷く。
新入生たちは緊張の糸が切れ、しきりに文句を言い始める。サクラだとばれやすいような演技なんて無茶だ、とか、先輩もやってくださいよ、とか、好き放題言い出す。彼らも感じ取っていた。この演劇部、これから面白くなる。なんとなく、そんな期待を寄せていた。
彼ら、それぞれに何かが息づくのを、無意識だけが感じ取っている。
「ハガちゃん、プロットある? ちょっと参考にしたい」
「裏の控え室にあります」
上手に消えていったさくらの背中。
春の残り香。
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