第6話 二人ぐらしは甘くない

「よし、そうと決まったら荷物を運び入れよう」


 軽トラからダンボールを下ろし、階段を上り荷物を運び入れていく。


 狭くて急な階段だから、重い荷物を運び込むのは結構な重労働だ。


「これ重いね。何が入ってるの?」


 卯月さんがダンボールを持ち上げながら尋ねる。額にはうっすらと汗が浮かんでいた。


「すみません、本です」


「本? 文庫本?」


 聞き返され、思わず早口で返答をする。


「はい。私、読書が趣味で。一応引越しするので読まない本は売ったり、新しい本はなるべく電子書籍で買うようにしたんですが、多いですよね。すみません」


 学生時代、一人教室で本を読んでいる時に、オタクだとかガリ勉だとか言われて馬鹿にされたのを思い出し、真っ赤になる。


 卯月さんにも何か言われやしないかと身構えていたのだが、素っ気ない顔でダンボールを見渡した。


「ふぅん。じゃあ本が入ってる重いのは僕が持つから、果歩さんは軽いのを持って」


「はい」


 ホッと息を吐く。もしかしてこの人は、あまり細かいことを気にしないタイプなのかもしれない。


「ふー、疲れた」


 ダンボールを運び終えると、卯月さんは、居間のソファーに深く腰掛けた。


「果歩さんも座っていいからね」


「はい」


 とはいうものの、男の人とこんなに至近距離で座ることなんてあまりないので緊張してしまう。


「あ、そうそう」


 卯月さんはテレビの横に据え付けてあるキャビネットを開けた。そこにはびっしりと映画のDVDとブルーレイが詰まっている。


 そのうちいくつかは、私が見た事のあるものだった。原作本を持っているものもある。それを見る限りでは、映画の趣味は割と合うのではないかと思う。


「これは僕のコレクションだから、見たいものがあったら僕に言ってね。ただし、くれぐれも勝手に触らないように」


 そう言って卯月さんはキャビネットの扉を閉めた。


「はい」


 なるほど。卯月さんご私の文庫本コレクションに文句を言わなかったのはこれが原因だったのだ。


 恐らく彼にとっての本が、この映画のコレクションなのだ。ホッと胸をなでおろす。


 同居人が自分の趣味に文句をつけてこないというのは何となく安心出来る。



「それじゃあ、そろそろお昼ご飯にしようか」


 卯月さんはそう言うと時計に目をやる。時刻は十二時を少し回った所だった。小さくお腹が鳴る。そういえばお腹が空いた気もする。


「そうですね。残りはお昼を食べてからにしましょう」


 とりあえず軽トラに積んだ荷物は全部二階に運んだし、後はダンボールの中身を片付けるだけだ。


 卯月さんは冷蔵庫から麦茶を出してきて、青っぽいグラスに注いだ。


「お茶どうぞ」


 カランと氷が揺れる。


「ありがとうございます」


 ありがたく出された麦茶に手を伸ばす。朝から引越し作業をしていて喉がカラカラだ。口をつけると、麦の香り。しっかりと冷えていて美味しい。


「えーと、確かこの辺に蕎麦があったはず。今日は暑いから冷たいお蕎麦でいいよね?」


「はい」


 卯月さんはパックに入った茶そばを取り出すと、テキパキとお湯を沸かし始めた。


 私はとりあえず部屋の中央にあるソファーに腰掛けることにした。正面には、大きなテレビに立派なスピーカー。ボロい家にしては立派な装備だ。


「これ、近所のお蕎麦屋さんで買ったものだけど、美味しいよ」


 サッと茹でられた茶蕎麦が、キンキンの氷水で冷やされ鮮やかなグリーンに光る。そこに刻んだ海苔が散らされ、ネギとわさびが添えられた。


「どうぞ」


「ありがとうございます。いただきます。」


 早速蕎麦に口をつける。ツルッとしたのどごしに爽やかなお茶の香り。出汁の効いた麺つゆの風味。冷たいお蕎麦と麦茶が疲れた体に染み渡る。


「んー、美味しい!」


「でしょ? このお店、普通に店内でも食べられるし、持ち帰りでも美味しいんだよね」


 窓からは強い日差しと爽やかな春風が吹いてくる。


 蕎麦を食べた私は、すっかり気分が良くなっていた。


 ああ。これから新生活が始まるんだ。

 そう思うと、心が自然と沸き立つような気がした。


 

「ふう、引越ししたら何だか汗かいたな。ちょっとシャワー浴びてきてもいい?」


 卯月さんがタオルで汗をぬぐう。


「はい、どうぞ」


 卯月さんがバスルームにいる間、私はダンボールを開けて荷物の整理を再開することにした。


 特に悩むのは本の整理だ。出版社ごとに分けるか、筆者の名前事に分けるか、それともジャンルごとにするか。


 私は悩みながらも何とか本棚の整理を終えると、まだ開いていないダンボールに手を伸ばした。


 こっちのダンボールは何だっけと中を見ると、歯ブラシとコップ、洗顔料やタオルが入っている。これは洗面所かな。


 私は洗面用具を手に洗面所へと向かう。すると――。


 ドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのはシャワーを浴びたばかりで半裸の卯月さんだった。


「…………!」


「あっ、ごめん」


 びっくりして固まってしまった私に、なぜか卯月さんが謝る。いやいや、勝手に開けたのはこっちだし、どう考えても謝るのは私のほうなんだけど。


「こ、こちらこそすみませんっ」


 私は思い切り洗面所のドアを閉めた。

 チラリと見た卯月さんの裸に、顔がかぁっと熱くなる。


 いやいや。下半身を露出していたならともかく、裸だったのは上半身だけだ。男の人だし上半身裸でも何の問題もない……はずなんだけど……。


 自慢じゃないけど私、生まれてこのかた彼氏ができことがない。


 お父さん以外の人の裸なんて見るのは初めてだし、火照った肌とか濡れた髪とかが何だか生々しくて、つい照れてしまう。


 そっか。二人ぐらしってことは、こういう事もあるんだな。


 心臓がどきどきと音を立てて鳴り止まない。


 甘く見てた。

 男の人と暮らすのって結構大変かも!

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