第8話 教育係は高校生

 仕事場につくと、さっそく秋葉くんの指導が始まった。


「じゃあ仕事を教えろと言われたから教えるけど、とりあえず朝来たらすることはレジの準備と商品の確認と補充、それから掃除……」


 レジに小銭を詰めながら辺りを見回す秋葉くん。


「なるほど」


 私がいそいそとメモをしていると、秋葉くんが尋ねてくる。


「ところでお前、和菓子屋で働いた経験は?」


「いえ」


「はぁ、全くの素人かよ」


 秋葉くんがあからさまにガッカリした顔を見せる。


「す、すみません」


「じゃあレジの打ち方は分かるか?」


「大学生の時にスーパーでバイトしていたので少しは」


「大学生の時? お前いくつだよ」


「三十ですけど」


「マジかよ。ババアじゃん」


 秋葉くんは素っ頓狂な声を出した。


 失礼な!


 そりゃ高校生からしたらちょっと年上かもしれないけど。地味にショック。


「そっか。俺はてっきりまだ二十くらいかと思ってたぜ。大学生のアルバイトかと」


「えっ。いやいや、そこまで若くないでしょ」


 新入社員と間違えられたことならあるけど、まさか学生と間違われるなんて。


「ま、色気がないからな」


 吐き捨てるように秋葉くんが言う。ええ、分かっていましたとも。


「ちなみに秋葉くんはいくつなんですか?」


「高三。十七歳」


「そうなんだ。じゃあこれから受験とか――」


 すると奥から卯月さんが腕まくりをしながらやって来た。


「お、やってるな」


「お疲れ様です、卯月さん」


 頭を下げると、卯月さんは小さく微笑んだ。


「そういえば果歩さん」


「何でしょうか」


「言い忘れてたけど、僕のことはこれから卯月じゃなくて悠一と呼んでくれないか?」


「えっ」


 思わず大きな声を出してしまう。そんな、下の名前で呼ぶだなんて恐れ多い!


「ほら、秋葉と僕、ここにいる二人とも卯月だろう?」


「あ、そうか。紛らわしいですもんね。これからはそうします」


「うん。じゃ、試しに一度僕のこと悠一って呼んでみて」


「へっ」


 そ、そんな、いきなり!


「あ、えっと……ゆ、ゆういちさ……」


 私がテンパっていると、秋葉くんが肘で小突いた。


「おい、照れてんじゃねーよ」


「照れてないっ」


 卯月さん……じゃなくて悠一さんは、そんな私たちのやり取りを見てクスリと笑った。


「うん、心配してたけど仲良くやってるみたいだな」


 仲良く……どこが!?

 私が口をパクパクさせていると、悠一さんは、茶色くて柔らかい秋葉くんの髪をくしゃりと撫でた。


「秋葉、ちゃんと果歩さんに仕事教えてやってくれよ」


「おう。分かってるよ」


 秋葉くんはチッと舌打ちをすると私を横目で睨んだ。あの、本当に分かってます?


「じゃーとりあえず、レジ打ちはお客さんが来たら俺が横について教えるとして、開店までは商品の在庫確認と、掃除でもしてもらうか」


「はい!」


「それと」


 秋葉くんは声を低くして言った。


「レジ打ちミスったら殺すから」


「……はい」


 目が怖いんですけど。


 こうして私は、初出勤の日を迎えたのであった。





「ありがとうございました」


 数人のお客さんの会計を無事終える。

 ホッと息をついていると秋葉くんが話しかけてきた。


「ふぅん、どん臭そうな顔して、レジは大丈夫そうだな」


「ありがとうございます」


 レジのバイトしてたのって昔だから、てっきり忘れちゃったと思ってたんだけど、体が覚えてたみたいで自分でもびっくりしている。

 もしかしてここのバイト、意外と自分に合っているのかも?

 そんなことを考えていると、ガラリと音がしてドアが開いた。


「ほら、次の客が来たぞ」


「い、いらっしゃいませ」


 入ってきたのは、サラリーマン風の男の人だった。彼は店内をしばらく見ると、お饅頭の詰め合わせを手に取った。


「あのー、すみません、このお饅頭、熨斗のしをつけてほしいんですけど」


 熨斗のし。新しいパターンだ。

 背中に冷や汗をかきながらも、なんとか対応をする。


「はい。表書きは何にいたしますか?」


「『内祝』で」


「かしこまりました。少々お待ちください」


 私はお客さんのお饅頭を預かると深呼吸をした。


「秋葉くん、熨斗のしのお客様が来たんですけど」


熨斗のしはここにある」


 秋葉くんがレジの横の引き出しを開けた。


「汚ねえ字を書いたらただじゃ済まないからな」


「は、はい」


 秋葉くんに見つめられながらも筆ペンを取る。うう、横でじっと見られていると緊張するなあ。

 私は字が震えそうになりながらも、何とか熨斗のしに文字を書いた。


「へぇ、上手いじゃん」


「小学生のころ習字を習ってたので」


 小さい頃は習字教室に行くのが嫌だったけど、こればっかりは習字を習わせてくれたお母さんに感謝だ。


「あー確かに習字やってそうな顔してるわ。習字顔」


 納得したようにうなずく秋葉くん。

 習字顔ってどんな顔?


「ありがとうございました」


 お客様に商品を渡し、笑顔で見送る。

 失敗しなくて良かった。

 ホッと胸を撫で下ろす私を、秋葉くんは意地悪そうな顔で見た。


「ふんっ、ちょっと字が上手いからって調子乗んなよな。本番はお中元とお歳暮のシーズン、そこを乗り切れるかだからな」


 脅しをかけてくる秋葉くん。


「はいっ」


 私が元気よく返事をすると、秋葉くんは眉間に皺を寄せフンと鼻を鳴らした。


「さてと、もうすぐ閉店だな。この後の業務だけど――」


「はいっ」


 私はエプロンからメモを取り出し秋葉くんの元へと走った。と――


「わわっ」


 走った拍子に足がもつれて、私は思い切り床に倒れ込んだ。それだけなら良かったんだけど、何やら体の下に柔らかい感触。手を伸ばすと、そこにはお饅頭が三つ。


「か~ほ~!」


「ひいっ」


 秋葉くんが目を吊り上げ、私の手から潰れたお饅頭を引ったくった。


「あーあ、こんなんじゃ売り物にならねーじゃねーか!」


「す、すみません」


 必死に頭を下げる私に、秋葉くんは可愛い顔を歪ませ、鬼のような形相で詰め寄った。


「罰として、この饅頭は買い取りだからな!」


「はい……すみません」


 あーあ。上手くいったと思ったのに、どうして最後の最後でこうなるんだろう?



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