5.なつかしの味

第17話 なぞの男

 店にかかった時計で閉店時間を確認する。時刻は六時。まもなく店を閉める時間だ。


「ふう、今日も無事終わった」


 額の汗をぬぐうと入口へと向かう。私が店先に「準備中」の札をかけようとした時、入口のドアが激しく鳴った。


 ガタガタッ。


「ひっ」


 ドアの向こうに黒い大きな影が見えて、思わず声を上げる。


 入ってきたのは、一人の背の高い男の人だった。


 年齢は三十代半ばか後半くらいだろうか。

 黒の短髪をかっちりと固め、派手なスーツに高そうな金の時計とネックレス。顔は濃いめで渋く、中々の色男だけれど、どことなく普通じゃない雰囲気がある。


「い、いらっしゃいませ」


 慌てて会釈すると、男性は私の顔をじっと見つめ、愛想の良い笑みを浮かべた。


「お嬢ちゃん、悠一はいるかい?」


「はい、奥に。ただ今呼んで来ます」


 私が悠一さんを呼びに奥へ行こうとすると、男の人はがっしりと私の腕を掴んだ。


「いや、いい。僕はしばらくここで待たせてもらうさ」


「は、はい。分かりました」


 私は閉店の準備をしながらチラリと男の人を見た。


 あの人誰だろう。悠一さんのお友達?


 でも普通の会社員にしては派手だし、どう見てもカタギじゃないような感じがするんだけど……。


 ひょっとしてヤクザ?


 まさか悠一さんの借金を取り立てに来たとか!?


 ……いやいや、ヤクザだったらもっと乱暴にするはず。この人、見た目は怖いけど態度はどちらかというと紳士的だし。


 そんな風に考えていると、男の人は私を頭の先からつま先までじっくりと見つめた。


「君、もしかして、噂に聞く新しく入ったバイトの子?」


「はいそうです」


 噂に聞くって、どういう意味だろう。

 考えていると、男の人はズイと距離を縮めてきた。


「へぇー可愛いね。いくつ?」


「へっ!?」


 可愛いなんて言われたのは初めてで、戸惑っていると男の人は私の耳元で低くて渋い声を出した。


「可愛い子猫ちゃん……彼氏とかいるの?」


 ひえええええええ!


 な、何なの。何なのこれ。ひょっとして、これが世に聞くナンパってやつなのだろうか。

 

「うちのバイトにセクハラはやめてくれないか」


 戸惑っていると、奥から私たちの会話を聞きつけた悠一さんが来てくれた。


「悠一さん」


 悠一さんの姿を見て、男の人はやっと手を離してくれる。私はさりげなく悠一さんの後ろに隠れた。


「やだなー。そんなんじゃないってば」


 困ったように笑う男性。

 悠一さんはじろりと男性を睨んだ。


「全く、大吉兄さんは女の子と見るとすぐこれだから」


「大吉、兄さん?」


 お兄さん?


 私が首をひねっていると、男性はかしこまって頭を下げた。


「ああ、申し遅れました。僕の名前は卯月大吉。悠一と秋葉のお兄さんだよ。よろしくね」


 口をパクパクさせる私の手を握り、大吉さんはブンブンと大袈裟に握手をした。


 そう言えば秋葉くん、お兄さんと暮らしてるって言ってたっけ。


 でも二人のお兄さんだし、てっきりもっと線の細い優男タイプかと思ってたのに、こんなちょい悪オヤジみたいな人だなんて。悠一さんにも秋葉くんにも全然似てない!


「お、お兄さんでしたか」


 ほっと胸を撫で下ろしていると、悠一さんは呆れ顔で大吉さんを見やった。


「それで一体何の用」


「嫌だなぁ、そんなに怖い顔しないでよ。それよりこちらのレディを僕に紹介してはくれないの?」


 レ、レディ……。


 悠一さんは不審そうな顔で大吉さんを見やる。


「別に必要ないだろ」


「だからそんな怖い顔で見ないでってば!」


 大吉さんは大袈裟な仕草で後ずさる。


「実は僕、今日の晩ご飯をちょーっと作りすぎてしまってさ。だから今日はこの大吉お兄さんが二人にご馳走してあげようかと思ってここに来たんだよ」


「二人にって、私もですか?」


「もちろんだよ」


 どさくさに紛れて私の手を握ろうとする大吉さんの肩を、悠一さんは思い切り引っ張った。


「いや、いいよ。果歩さん、こんな怪しい奴の作るご飯なんて食べちゃ駄目だ」


「怪しい奴って、実の兄なんですけどぉ」


 わざとらしく泣き真似をする大吉さん。


「ほら、僕も忙しいし。もうすぐお中元の季節だし」


 そういえば最近悠一さんは最近、帰りが遅い事が多い。それはお中元シーズンに向けての商品開発のためだったんだ。


「じゃあ果歩ちゃんだけでも」


「ええ、私だけ?」


「そ、意地悪な悠一なんて置いてさ、お兄さんの家にご飯食べに来なよ、ねっ」


 そ、そんな。


「大吉兄さん、いいかげんに――」


 険しい顔をした悠一さんの肩を、大吉さんはニヤニヤしながら抱いた。


「冗談だよ。さて、せっかく僕が誘っているのだから、悠一も今日はこの辺にして晩ご飯にしようか」


「あ、ちょ、おい」


 大吉さんは無理矢理引っ張って行く。

 なんて強引な人なの。


「あ、待って下さーい」


 私は慌てて二人の後を追いかけた。


「ああ、果歩ちゃん、焦らなくても大丈夫。隣の家に行くだけだから」


 大吉さんが指さしたのは、兎月堂のすぐ横に建つ、クリーム色の外壁をした何の変哲もないアパートだった。


「ここ――」


 アパートの壁面には「卯月アパート」と書かれていた。

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