8.

 階段を登り切った場所は、屋上に突き出た小屋……いわゆる『塔屋とうや』になっている。

 第三中学校本校舎の塔屋は比較的大きく、昼間は『屋上管理人』のシバヌマさんが常駐している。

 シバヌマさんはヒョロリと痩せて背の高い、顔の長い二十代半ばの男性で、いつも白衣を着ていた。

 僕が階段から塔屋とうやに顔を出した瞬間、「パンッ」という小さな炸裂音が響いた。

 音の方を見ると、シバヌマさんがガラス窓を少しだけ開け、スコープと消音器の付いた小型ライフルの銃口を外に出していた。

 階段を登り切って銃身の延長線を辿たどっていくと、窓越しに、巨木の根元で回る〈カラスモドキ〉が見えた。

〈カラスモドキ〉は人間に良く似た生き物だ。

 その姿を一言で表すなら、『全身の毛を剃って全身に銀色の塗料を塗った全裸の人間』だ。さらに短縮して表現するなら『毛の無い銀色の人間』

 姿が人間に似ているというだけで、実際には人間じゃない。

〈カラスモドキ〉という全く別の生物だ。

 柿の木の根元で回っている〈カラスモドキ〉は、大人の男の姿をしていた。

 首の根元あたりから赤い血が流れて銀色の体を染めていた。

 流れ出る血が、降り注ぐ雨水で薄まりコンクリートの屋上に広がっていく。

「くそっ、撃ち損じた」

 言いながら、シバヌマさんはライフルの遊底をガシャ、ガシャ、と前後させた。

 薬莢が飛び、シバヌマさんは再びスコープをのぞき、少しの間をおいて引き金を引いた。

 また「パンッ」という小さな乾いた音がして、今度は〈カラスモドキ〉のツルッとした頭部に穴が開いた。

〈カラスモドキ〉の動きが止まった。

 頭蓋骨に開いた穴からも血がドクドクと流れたけど、それもすぐに止まった。

〈カラスモドキ〉が動かなくなった直後から、上空のカラスが一羽二羽と舞い降りて来て、その銀色の体をついばんだ。カラスが食いちぎった〈カラスモドキ〉の肉片はピンク色だった。皮膚が銀色なだけで中の肉はピンク色らしい。

 屋上に舞い降りて〈カラスモドキ〉の死体をついばむカラスはどんどん増え、黒い塊になって死体を覆った。

 シバヌマさんは窓を閉めてライフルを壁に掛けた。

「やあ」シバヌマさんが僕に言った。

「こんにちは」僕はシバヌマさんに言った。

「ライフル銃の音、うるさかったかい?」

「いいえ。それほどでもありません」

「まあ、22LRは小口径・低威力の弾丸たまだし、ボルト・アクションは発射時に遊底が完全に閉鎖されるし、銃口には消音器サプレッサーも付けているからね。それでも全くの無音というわけには行かないが」

「〈カラスモドキ〉……ですか?」

 僕はもう一度、窓越しに大木の根元を見てたずねた。相変わらず無数のカラスが群れて死体の肉をついばんでいた。

「ああ。最近ちょっと屋上ここに昇ってくる頻度が増え始めていてね。どうしたものかと思っているよ」

 そこで初めて、僕は塔屋とうやの中を見回した。

 十メートル×四メートルほどの室内には、シバヌマさんの定位置であるパソコンデスクの他に八人がけの大机があって、その両側にパイプ椅子が八脚並んでた。

 タナコエ・ユウカさんの姿は無かった。

 分厚いハードカバーが一冊、大机の上にポツンとっていた。背表紙に、学校の図書室の貸し出し品であることを示す分類ラベルが貼ってあった。

 ここ三日間、タナコエさんが休み時間に読んでいる本に間違いなかった。

 つまり、タナコエさんは確かにこの場所に来たということだ。

 きっとトイレにでも行っているのだろう。

 塔屋とうやにはトイレが無いし、最上階である五階は立ち入り禁止だから、用を足すためには二つ下の四階まで降りなくてはいけない。

 僕がここに上がる直前、僕と行き違いで四階のトイレに行ったのだろう。

 僕は、彼女が帰って来るのを待つことにした。

 ハードカバー本が置いてある席の斜め向かいに座り、制服のポケットから文庫本を出して読み始めた……いや、読むをした。正直、本の内容なんかどうでも良かった。

 しばらくして、誰かが上がってくる気配を感じた。

 僕は、あえて階段の方を見ないで文庫本を読むふりを続けた。

 彼女が斜め向かいの席に腰を下ろしたタイミングを見計らって、僕は顔を上げた。

 タナコエさんのかけているメガネ越しに、彼女と視線が合った。

 僕は軽く微笑んでみた。

 向こうも微笑み返してきたら、それをけに話しかけてみようと思っていたけど、その作戦は失敗した。

 彼女はサッと目を伏せて分厚いハードカバーに視線を落とし、それっきり僕の方を見ようともしない。

 僕は机に両ひじをついて文庫本を持ち上げ、表紙に書かれたタイトルを彼女の方へ向けた。

 三日前の休み時間、僕はタナコエさんがトイレに行っている間に彼女の席まで行き、机の上にっていた分厚いハードカバーのタイトルをさりげなく見て記憶した。

 放課後、町の本屋へ行ってタイトルを店員に言うと、店員は文庫本の棚を指さした。

 どうやらハードカバー版と文庫版の両方で出版されているらしく、その本屋に置いてあるのは文庫版だけのようだった。

 僕は迷わず、その文庫版を買った。

 つまり、塔屋とうやの大机の斜め向かいに座った僕とタナコエさんが読んでいる本は、文庫とハードカバーという版の違いこそあれ、同じ内容ものだった。

 僕は、タナコエさんが一瞬でも僕の本に視線を向けて、二人が同じ本を読んでいると気づいてくれるのを待った。

 本を読むふりをしながら、ときどき文庫本ごしにタナコエさんの顔を盗み見た。

 でも、彼女は本に集中していて顔を上げようとしなかった。

 結局、午後の授業の始まりを告げる予鈴が鳴るまで彼女は顔を上げず本を読み続け、僕は彼女の顔をときどきチラチラ盗み見ながら文庫本を読むふりを続けた。

 予鈴が鳴ってようやくタナコエさんが顔を上げ、彼女の視線と僕の視線が合った。

 彼女は何も言わずにスッと立ち上がって、そのままスタスタと階段を降りて行った。

 シバヌマさんが「ははは」と軽く笑った。

 僕が振り向くと、「きみ、それじゃあ上手うまく行かないよ」とシバヌマさんが言った。

「え? 何の事ですか?」

 僕の問いには答えず、彼はもう一度「それじゃあ上手うまく行かない」と言った。

 何の事か……どういう意味なのか問い詰めたかったけど、本鈴が鳴る前に教室へ戻らなくてはいけない。

 なんとなく屋上の塔屋とうやに心を残したまま、僕は階段を降りて自分の教室へ向かった。

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