5.

 僕らのクラスは身長で席順を決めていた。僕はクラスで一番背が高かったから、席は窓際最後尾だった。

 僕の隣は、女子の中で一番背の高いアカシナさん。そのさらに隣がヤマモトくんの席だ。

 自分の席に着き、アカシナさん越しにチラリとヤマモトくんの様子をうかがった。

 カズヤは『最近ヤマモトくん元気が無い』と言ったけど、特別そんな風には見えなかった。

 もともと物静かなタイプで教室内で回るような少年じゃない。肌の色は相変わらず白かったけど、それは生まれつきだろう。病気や体調不良から来る『顔色の悪さ』とは違う気がした。

(それにしても、ヤマモトくんが担任のフクカワ先生となんてなぁ……ちょっとすぐには信じられんな)

 今まで、ヤマモトくんがらみで恋愛の噂は聞いたことがなかった。

 人は見かけによらないというから、可能性としては無い話じゃないんだろうけど……可能性の事を言うなら、そりゃ、どんな可能性だって有り得る。

(第一、ヤマモトくん程の秀才・美形がその気になってデートに誘えば、女子の九十パーセントはOKするだろうに……なにも担任教師と付き合わなくたって……)

 そういう意味でも、ヤマモトくんとフクカワ先生の恋愛話は信憑性しんぴょうせいに欠ける。

 ……ただ……

 

 フクカワ先生という人は何を仕出しでかすか分かったもんじゃ無い……フクカワ先生は何をやらかしても不思議じゃない……と、このクラスの誰もが思っていた。

 僕らのクラス担任フクカワ先生は、ちょっと性格に問題があった……いや、ちょっとどころか大いに問題があった。

 フクカワ先生なら、ヤマモトくんみたいな美少年に手を出す、というのは充分に有り得た。たとえ、それが未成年の教え子だったとしても、だ。 

 しかも先生は美人でスタイルも良かった。年齢は知らないけど、たぶん三十歳くらいだろう。

 仮に、フクカワ先生の方からヤマモトくんに迫ったんだとしたら?

 ヤマモトくんだって、十五歳、思春期ど真ん中の男子だ……最初は毅然きぜんとした態度をとっていたとしても、最後は先生に押し切られる形で一線を超えた……って事が絶対に無いとは言い切れない。

 そしてズルズル泥沼にはまるように、女教師の肉体に溺れて……

 なんて事を、ヤマモトくんの顔をボーッと見ながら妄想していたら、僕とヤマモトくんの間に座っていたアカシナさんが「さっきから何ヤマモトくんの顔ジーッと見てんの?」と僕に言ってきた。

「あれ?」とアカシナさん。「ひょっとして、キョウイチくんて、BL系?」

「ははは……無い無い」と僕。

「だよねぇ……だって、キョウイチくんが好きなのは、ユッカだもんねぇ」

「はあっ! な、な、何、言ってんだよ! 有りえないっしょ! ぼ、僕はともかくタナコエさんに失礼だろ!」

「あー、赤くなった。ビンゴ」

「だ、だから違うって!」

 タナコエ・ユウカさんは、廊下側一番前の席……つまり、僕の席から見て対角線の反対の端に座っている、このクラスで一番背の低い女子だった。

 メガネをして、休み時間はいつも分厚いハードカバーの小説か何かを読んでいる。

 一人で居ることが多いようだったけど、さりとて他の女子と仲が悪い訳でもなさそうだった。女子たちはタナコエさんを「ユッカ」と読んでいる。

「良いよ、良いよ。今さらつくろわなくたって」アカシナさんが落ち着いた声で僕をなだめるように言った。「キョウイチくんがユッカの事を好きってのは、うちらの中じゃ公然の事だから。女子全員が知ってる」

「ええ?」

「分っかり安いんだよねー、キョウイチくんはさぁ。暇さえあれば教室の反対側に座ってるユッカを見てんじゃん……でも、あんまりジロジロ見るのも相手に失礼だと思うけどね」

「女子全員って……じゃあ、タナコエさん自身も?」

「さあね……そんなの、第三者の私が言うべき事じゃないっしょ? 本人に聞いて確かめてみたら?」

「ほ、本人って言ってもなぁ……なんて言ってたずねるんだよ? 『あの、僕が貴女あなたを好きだという根も葉もない噂があるようですが、ご存知ですか?』とでも言うのかよ?」

「だ、か、ら、そういう台詞せりふ一つ一つを良く考えて吟味するところから勝負は始まってるんでしょ……相手を困らせない、不快にさせない、警戒させない、緊張させない……気づいたら相手のふところに入っているような、思わずリラックスして心のドアをちょっとだけ開けても良いかなって思っちゃうような言葉選びと話し方で……軽い冗談でクスッて笑わせることが出来れば、なお良し」

「勝負って……なんの勝負だよ」

「決まってるじゃん。男と女の恋の駆け引き」

「お前、それ、中学三年生の台詞せりふかぁ?」

「私のお姉ちゃん、有料の恋愛指南系オンライン・サロンに入ってるからさ……結構有名なやつ。ときどき見せてもらってんだ」

「はぁ……そうですか」

「ま、中三の私の目から見ても、ボッタクリのインチキ詐欺商法なんだけどね。そのオンライン・サロン。どうせお姉ちゃんのお小遣こづかいだし、何に使おうとお姉ちゃんの勝手かな、って。たまに見ると結構けっこう笑えるし」

「……」もう返す言葉も無かった。

 僕はふと窓の外を見た。

 ポツリッ、ポツリッと窓ガラスに水滴が当たった。

(雨だ……)

 雨粒が校庭の地面を濡らしていく。

 天気予報どおりだ。

 僕は、心の底からと思った。

 教室の扉が開いて、担任のフクカワ先生が入って来た。

 入って来ると同時に、朝のショート・ホームルーム開始のチャイムが鳴った。

 先生に挨拶し、僕は何の気なしに、もう一度窓の外……校門の方へ目を向けた。

『異様な物体』が、重い鉄の門扉をスライドさせ、校庭に侵入して来るのが見えた。

 一言で表現するなら『巨大なミミズの塊』だった。

 長さ約一メートル、太さは人間の腕ほどもある赤黒いミミズが、うねうねと動きながら何十匹も集まって一つのかたまりを作り、校庭を横切って、校舎に向かって歩いて来る……そう、んだ。

「先生! あれ!」

 僕は、思わず窓ガラス越しに校庭を指差し、フクカワ先生に向かって叫んでしまった。

「んん? どうした?」言いながら、先生が窓際まで来て校庭を見下ろす。

「ああ……あれ、シマダ先生だわ……」フクカワ先生は、校庭をズルズルと本校舎に向かって前進する大ミミズの塊を見て言った。

「ええ?」

 シマダ先生は、去年新卒でこの学校に赴任して来たばかりの若い男性教師だ。

「あー、やっぱ、遅刻しちゃったかぁ……昨日は夜遅くまで体力使わせちゃったからなぁ。ベッドの上で……あと、アルコールに睡眠薬」

 校庭を歩く巨大ミミズの塊をジッと見つめながら、フクカワ先生が不穏なことを言い出した。

 昨日の夜遅くまで、フクカワ先生とシマダ先生が一緒に居た?

 夜遅くまで体力使わせた? ベッドの上で?

 アルコールに……睡眠薬?

「私の使ってる睡眠薬、けっこう効くんだよねぇ……かかりつけのお医者さんに無理言って強力なやつ処方してもらってるから」

 先生は誰に言うでもなく、ひとりごとのようにしゃべり続ける。しかし独り言にしては声のボリュームが大きい。教室に雨音とフクカワ先生の声が響いた。

 生徒は皆、黙ってる。

「ああ、そういえば絶対にアルコールと同時に服用しないでくださいって医者に言われてたわ……すっかり忘れてた……あはは」

 先生は「あはは」と笑ったあと、ひと呼吸置いて「でも今日は雨が降るって天気予報で分かってたのにねぇ……遅刻しちゃあ駄目だよねぇ……って知らない訳じゃないだろうに、さ……」

 ……そうだ。『雨の日は〈チコクイ・ミミズ〉が出る』……

 人間の全身に何十匹もき、ヤスリのような歯がビッシリ生えた肛門型の口を全身の皮膚に押し付け、食い破り、肉を削り、内臓を削り、血をすすり、骨を砕いて飲み込む。

 ゆっくりと時間をかけて生きたまま人間を喰らい、消化し、最後に血だまりと破れた衣類だけを残して何処どこかへ散っていく。

〈チコクイ・ミミズ〉の群れに襲われる条件は二つ。

 その一、雨が降っていること。

 その二、襲われるのは『遅刻した者ら』だ。学校に遅れた学生、会社に遅れた会社員、デートに遅れた恋人、飲み会に遅れた参加者……とにかく何であれ雨の日に遅刻した者は必ず餌食になる。

「……でも……」フクカワ先生がボソリと言った。「人間が〈チコクイ・ミミズ〉に食べられるとこ見るのって、

 僕は思わず、窓際に立つフクカワ先生の横顔を凝視した。

「赤黒くて長い物が何十本も一塊ひとかたまりになってからまり合ってウネウネ動いてるのって……」先生が振り返って僕を見た。「なんか、気持ち良くない?」

 最後の言葉は、まるで僕に……僕一人に語りかけるような感じだった。

 僕はゴクリと唾を飲み込んだ。

(この先生ひと……わざとだ……今日は雨で〈チコクイ・ミミズ〉が出るって分かっていて……わざと昨日の夜にシマダ先生を誘って夜更よふかしさせ、酒と睡眠薬を飲ませて寝坊するように仕向け、シマダ先生がミミズに食われて死ぬ様を見て楽しんでいるんだ)

「でも、こんなに上手うまく行くなんて運が良いわぁ。まさか学校の校庭まで来て死んでくれるなんてねぇ……きっとギリギリ間に合うか、間に合わないか、って所だったのね……結局、間に合わなかったんだけどさ……みんなも窓際に来て見たら? 大量のミミズに人間が喰われていく様子なんて、そうそう見られるもンじゃないわよ」

 教室の誰ひとり、動こうとしなかった。

「まったく……」急に憎々しそうな顔になって、フクカワ先生が低い声で言った。「教員なりたての青二才がこの私にチンコ突っ込もうなんて一万年はええってんだ。地獄でテメェのチンチンしゃぶってろっ」

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