Embalming My Heart

Embalming My Heart - 1

 ウェディンググローブを着けたまま聖堂の壁肌に触れても何ら趣はなかった。白とピンク、明るい色彩のブーケに顔を埋め、匂いを嗅いでも何も思わない。木彫りの主祭壇に佇む神父様の頭上にある直径三メートルの極彩色のバラ窓は聖母マリアを暗示していると教わった。

 生来から母の顔を見たことがない僕は何の感想も覚えない。


 僕こと草摩春秋は何をするにしても無感動の至りだ。

 例えそれが自分の結婚式の時であろうと変わらないみたいだ。


 と、言うのも――


 僕の前に唐突に現れた姉は僕にお見合い写真を持って来た。

 お見合い写真に写っている精悍な青年の視線は明後日の方を向いている。

 どう見てもこの写真はお見合い用に撮ったものじゃなかった。


「彼の生家はウェンディングコンシェルジュを営んでいる。彼自身はベンチャー企業を起ち上げ業績は可もなく不可もなく、このたび両親からの言い付けで結婚相手を探している最中だった」


 僕が厭そうに顔を顰めていると、姉さんは一本筋通った凛々しい声音で淡泊に説明する。

 彼女が言うには、物臭な僕には相応しい花婿だと言う。


 だから僕は姉さんに、お見合い相手に付いていくつか質問したんだ。

 先ずは料理の腕前から。


「彼の料理は宮廷御用達のように鮮やかな手際だぞ」

 じゃあ掃除は?


「彼は炊事掃除洗濯の全てが専門分野だと聞いているよ」

 じゃあ性格は?


「お前と同じで感情の起伏が乏しいらしい。結婚しても馬が合うと思う」

 じゃあ――


「いくらエンバーミングの腕が立つからって、婚期を逃すと後々面倒だぞ?」

 その後、姉は延々と行き遅れることのデメリットを僕に講釈した。

 明朝まで続いた姉の愚痴に、僕は面倒になって結婚を承諾したんだ。


 だから僕は今純白のウェディングドレスを着て、彼とバージンロードを歩んでいる。

 それは何の変哲もない政略結婚だった。


 神父様が二人の表情を確認するようゆっくりと頷くと、僕と彼は向き合う。

 僕達の手元に結婚指輪が運ばれ、彼は僕の左手を手に取った。


 結婚指輪の円環は『永遠に途切れることのない愛情』を意味しているんだそうだ。


 結婚後、僕は愛猫を抱え定位置のラウンジチェアに座り左薬指を眺めている。

 僕と、永遠に途切れることのない愛情を酌み交わした彼はもうこの世にいない。

 僕との結婚を決める前から彼に残された時間は僅かなものだったらしい。


 だから姉は僕に相応しい相手だと豪語したんだ。


 ここで生前の彼と過ごした夫婦生活を綴りたく思う。

 結婚して、夫婦となった僕達は僕が元々暮らしていた社長室で同棲し始めた。

 社長室は三十平米はある立派な住まいだったから、特に問題なく思えた。


 物臭な僕、としては彼に家事の全てを一任したかったんだ。

 けど彼は家庭のことそっちの気で、いつも夜の街へと繰り出し、遊んでいた。

 姉さんから寄越された彼の情報は全部でたらめだったんだ。


 まぁ、結婚したとは言え、馴れ馴れしく接されても面倒だったからいいけど。

「……ただいま」

 朝方になれば彼は家に帰って来る、どんなに酔いつぶれようとも帰巣本能が働くようだ。

 お帰り、昨日はどこで何を? そう訊くと、彼は飲料水を口にしながら答えた。


「昨日は、元カノと今生の別れを告げて来た」

 確かそれは一昨日も聞いたと思ったけど?

「一昨日はまた別の元カノと、俺には後最低でも二十人の大切な元カノが――」

 

 のように、彼は僕と結婚してから夜な夜な元カノと逢瀬していた。

 毎朝彼から違った女の匂いがする、典型的な色男だった。

 彼の名前は『花菱トオル』、世間で言う所のヤリチンだ。

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