[1-17] 鏡渡り

 ヘイティはゆっくりと立ち上がった。

 すでにリュウは近づいてきていた。

 絶体絶命のピンチだが、さっそく勝機が見つかった。ソーヤたちが近くまできているらしい。聖騎士たちを中心とした軍勢を引き連れてだ。


 問題は時間だな。


 小さく手を上げながら無抵抗を装いつつ、すばやく襟に鏡を差し込んだ。これで、少なくともソーヤと会話はできる。


「ロンシャンのリュウに見つかった」と声を潜めてソーヤに伝える。

「何だと! あの人にか!?」


 あの人? ソーヤは奴のことを知ってんのか……。

 そうか。たしかアイツはリュウの聖都襲撃がきっかけで、英雄って呼ばれるようになったんだっけ。


「あとどのくらいで着く?」

「……砂時計で10回だ」

「気が遠くなるほど長げぇな、おい」

「ヘイティ、まわりに鏡はあるか?」

「今、鏡としゃべっているじゃねぇか」

「違う。人が通り抜けられるくらいの大きさの鏡だ」

「……なるほどねぇ。テメェはやっぱマブダチだよ」


 さて、問題は無駄に背が伸びたソーヤくらいの大きな鏡だが……。あるとすれば、あの家だろうな。

 飛竜が繋がれている広場の前にあるデカい家だ。

 おそらく、この村を治めていた貴族の家だろう。さっきの会話にも、貴族の娘を捕まえたようなことを言ってやがった。貴族たちは魔術のために色んな道具を持ってやがる。鏡は代表的な魔道具の一つだ。


「観念したか」とリュウがこちらに歩み寄ってくる。「ほう、それは白鹿の毛皮か……。なるほど村の生き残りというわけではなさそうだ」


 リュウを近くで見た。

 徹底的に鍛え上げられた体だ。その逞しい手には飛竜傭兵たちが好んで使う槍をもっているが、リュウがもつそれは少し長い。

 おそらく、やり合っても勝てない。剣の腕には自信があるが、だからといって試してみる気にはなれねぇ。万が一、こいつを切り抜けられたとしても、他の連中がすぐに集まってくるだろう。

 だとすれば、回すのは剣ではなく、舌だ。


「た、助けてくだせぇよ」

「お前は誰だ」

「お、おらは、ここの近くの山ん中で炭焼きしてただ。それが、村がこんなになってるなんて」

「ほぅ、炭焼きか」


 息をのむ。

 炭焼きの男を装ってみたが、リュウの歩みは油断などない。その槍の射程は徐々に自分を捉えつつあった。ちくしょうが。近づいてくんじゃねぇよ。

 一歩、そして、二歩。

 間合いに入る。

 その時、リュウの運足が不意に流れて、垂れ流していた槍が蛇のように向かってきた。


「くそっが!」


 咄嗟に腰の曲剣を抜き、同時に体を沈めた。

 刃が絡まって槍の刺突の方向をかろうじて流すが、受けてばまさに豪槍。たまらず雪の上を転がって距離をとる。


「単なる炭焼きが、我が突きを受け流すか」

「くそっ」


 懐に手を差し入れて、刀子を投げつける。

 それは、返した槍柄で無造作に払いのけられるが、もとより当たることなど期待していない。

 欲しかったのは逃げる隙だ。

 そのまま駆け抜けて、広場の前の大きな家を目指す。鏡だ。鏡が必要なんだ。まともに戦って勝てる相手ではない。だが、ソーヤと一緒なら、あるいは……。


「貴様ぁ! 止まれ!」


 声だけは大きい老害が割って入ってきた。形ばかりに槍を構えて立ちふさがる。

 リュウの立ち姿とは比べものにならない。ぬるい構えだ。腰が引けて、前足が定まらず、しきりに槍を前後にしごいてやがる。まるで酔っ払いの自慰行為みたいだぜ。


「邪魔すんな、この雑魚がぁ!」


 腰のへたった突きを、剣で振り払って、そのまま柄頭をくり出して老害の眼球に突きこんだ。


「あぎゃ!」


 老害は両手で目を押さえて、槍を落としてうずくまった。

 できればそのまま止めを刺してやるのが飛竜民族たちのためだと思ったが、そこまでしてやる義理はない。こちらとら、リュウから逃げている最中だってんだ。

 後ろを振り返る。やべぇ、リュウの奴が追いかけてきてやがる。

 そのまま全速力で、目的の大きな家の中に転がりこむ。中の様子をじっくりと見ている余裕はない。広い玄関を無視して、とりあえず階段を駆け上がる。鏡はどこだ? 廊下を左右に見ると。


「おい、誰だ!」


 飛竜傭兵の一人が、廊下に座り込んでいた。

 慌てて立ち上がろうとするその顔面を蹴り上げて、露わになった喉元を切り裂いた。血しぶきをあげながら、虫みたいにのたうちまわる。

 それを足元に置きながら鏡を探す。どこだ、部屋の中か? だったら、どの部屋だ?

 その時、すぐそばの扉から声が聞こえた。


「な、何があったのですか?」


 女の声?

 囚われた貴族の娘がいることを思い出した。ええい、他にあてもねぇ。鏡のある場所を聞けるかも知れない。

 扉を開けて中に押し入る。


「だ、誰です」


 そこにいたのは、いかにもな田舎領主の娘だった。

 着ている服は商人の方がマシなものを仕立てられただろうし、まっすぐ流しただけの髪は、今の流行など完全に無視したものだ。

 そして、その首には糸で編まれた首輪がはめられていた。


「おい、鏡は?」

「ど、どなた」

「鏡はどこだって聞いてんだ!」


 怒鳴りつけると、ビクッと体をくすませて、震える指で横を指す。そこには、姿見の大きな鏡が壁に掛けられていた。


「やったぜ! ちくしょうが! おい、ソーヤ! 見つけたぞ」とスマホの魔道具に向かって叫ぶ。

「だったら、鏡に手を当てろ。指輪がある方の手だ」

「こうか?」


 スマホの白い糸で編まれた指輪をはめた手を鏡におしあてた。


「おい、おいおいっ。早くしやがれ! ソーヤぁ!」


 背後からは足音が近づいているのだ。このよどみない足音は絶対にリュウのものだ。

 すると、鏡の向こうから声が漏れているのが伝わって来る。向こう側の声だ。ソーヤがいる向こう側からだ。


「私は反対だ。絶対に反対だ。ソーヤを失うわけにはいかん!」

「ソーヤよ。勝算はあるのですか? 鏡渡りでレヴィア様を連れていくことは叶わぬのですよ」


 あの声は、ギートの兄貴のクヴァルって奴の声だ。後から聞こえてくるのはカーラとかいうやけに色っぽい女貴族。年増好きのソーヤがいつも鼻の下を伸ばしてチラチラ盗み見ていやがった。

 ちくしょうが! 勝手に言いやがってよぉ。さっさとしろってんだ。俺とソーヤの二人がかりだったら、あのロンシャンのリュウだって……。


「ソーヤ、とお前は言ったか?」


 その時、奴の低い声が背中を刺した。

 振り返ると、リュウが部屋に入ってきたところだ。眉間に力を込めその鋭い目をさらに尖らせてこちらを睨みつけている。


「ソーヤ、とお前は言ったのか?」

「な、なんだよ」

「それは、あの少女の騎士のことか」

「ちくしょう! ソーヤ、はやくしやがれ!」


 その時、姿見の鏡からソーヤの声が漏れた。


「レヴィ、つなげ」それは低い。だけど、間違いなくソーヤの声だ。


 ソーヤのさらに大きくなった声が、鏡を振るわした。


「はやくしろ!」


 その命令に従うように、鏡からが光り出した。

 思わず触っていた手を鏡から離す。

 すると、鏡から足が出てきやがった。まるで夜這いの時に窓枠から部屋に忍び込むように、ソーヤの手が現れて枠を掴む。

 そして、ソーヤが鏡の向こうからこっち側に飛び出てきた。

 ソーヤはそのまま腰をかがめて長剣の柄に手をかけながら、まっすぐとリュウを睨みつけた。


「リュウ……さん」

「相変わらず、奇っ怪な術を使う。しかし、こんなところで再び相見えようとはな。少年」

「おい、おいおい。おいおいおいって、おい!」


 俺の口から何かがだだ漏れになる。

 ちくしょう。本当にちくしょうが。今だったら、ソーヤに尻の穴を掘られたっていい。本当だ。このドチクショウが!


「お前って奴はよぉ。本当にマブダチだ」

「ヘイティ、そこの女の子を連れて逃げろ」

「はぁ!?」


 ソーヤが急にとんちんかんな事を口走りやがる。何を格好つけてやがんだ、その横っ面をはり飛ばされてぇのか?


「おいおい、二人がかりだろ、」

「二人でも……勝てるか分からない。上手くいっても時間がかかる。ここは敵地のど真ん中だ」

「でもよ。万が一、オレが逃げられても。お前はどうするんだ」

「僕には鏡がある」

「……」


 なるほど。俺さえ逃げればお前は鏡から来た道を戻って、すたこらさっさ、というわけか。だったら、確かに問題は俺のほうだ。

 しかし、逃げ道なんてあるのか。しかも、女を連れて行けったぁ、無理難題だ。ソーヤらしいちゃぁ、その通りだが……、しかし。

 ちらり、と視線をそらすと部屋の隅でガタガタと震えている女が見えた。

 見たところ戦いとは疎遠な貴族の娘だ。将来は工房魔術士にでもなるつもりだったのだろう。女の魔術士にはよくあることだが、それにしても、戦うこと第一とする貴族にしちゃあ、情けない。


「ヘイティ、彼女は首輪をされている。外してやってくれ」

「あ?」

「奴隷帝国が使う。奴隷用の魔道具だ」

「……なるほどね」


 ソーヤの声が沈んでやがる。

 リュウの奴は……、さっきからソーヤの様子を眺めてばかりで動かない。もはや、こっちの事は気にもかけてもいないようだ。オレがじりじりと女の方に近寄っても、まったく気にとめる様子がない。ただ、ソーヤを見つめているだけだ。

 おいおい。まるで喧嘩別れしたホモダチみたいじゃねぇか。


「おい、女。動くなよ、その首輪をはずしてやる」

「は、はい」


 指が首輪に触れた瞬間、気色の悪い感覚が全身を襲った。

 まるで女の脳に指を突っ込んでかき回すような感覚。なんだこれは、これが操りの魔道具か。気持ち悪すぎるだろう。

 首輪は何かの金属を糸編みにしたものだ。結び目に刀子を差し込んで、切りほぐして外してやる。

 外れた瞬間、女の全ての意思を握ったような感覚は消えて無くなった。あまりにも気色がわるかったので、それを床に投げ捨ててしまう。


「立てるか? 逃げるぞ」

「……はい」


 首輪を外した女はいくぶん生気を取り戻したようだが、声はまだ細い。虐殺の唯一の生き残りだ。無理もない。しかし、立ってもらわなければ置いていくしかない。

 さて、しかし、どうやって逃げる?

 その時、飛竜の咆哮が窓から聞こえた。そこに目を向けると、窓の下が広場だ。そして、そこには例の飛竜たちが繋がれていた。やたら吠える青い飛竜もその中にいる。


 ……こいつだ!


「ソーヤ、いい逃げ道を見つけたぜ」

「そうか」


 ソーヤは重心を落とした抜刀の構えリュウを睨みつけたままだった。


「だからよ。後は気にすんな!」


 女の手を引き、そのまま抱え上げる。「きゃっ」と女の鳴く声が聞こえるが、構ってやる暇はねぇ。

 オレはそのまま窓から飛び降りた。


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