[1-08] ヘイティ

 宗谷とウィスが案内された部屋には、大きな椅子に深々と腰掛けた男がいた。

 まだ若い。小柄なせいで少年のように見える。黒い髪を後ろに束ね、陽に焼けた顔、眼光をギラギラで、口元は好奇心につられて笑っていた。

 ヘイティは変わらないな、と宗谷は可笑しく思った。

 彼の正確な年齢は誰にも分からない。そんなものを数えてくれる親など、彼にはいなかった。おそらく自分と同じくらいだろう。つまり、この世界では成人として扱われる年だ。

 それなのに、彼はまるでやんちゃ盛りの少年のようで、野性味に満ちあふれていた。


「何を笑ってやがる」とヘイティが口を開いた。「馬の勃起したチ○ポでもくわえて、顎を外しやがったか?」


 その時、背後で「なっ」とウィスさんが絶句する声が聞こえた。

 ……ウィスさん、こんなのまだ序の口ですよ。


「忘れたのか? スノーは牝馬だ」

「おお、そうだった。あのメス馬は良い馬だ。お前がスノーに種付けしたのなら子馬をぜひ買い取らせてくれ、そいつの体重と同じ重さの金貨を出そう」

「そうか、スノーとよく相談させてもらうよ」

「相変わらず、女はてんでダメなのに、馬の相手ばかり上手くなりやがって。どうだ? あのワガママ嬢ちゃんとは? そろそろ一発やったのか」


 黙ってヘイティを睨みつける。


「おいおい、怒るなよ」と彼は口を苦めた。「ったく、あの嬢ちゃんのことになったら冗談も通じねぇ。大体よぉ、これはあの嬢ちゃんを思っての親切なんだ。考えてみろよ。いや、童貞のお前では無理だ。だから、教えてやろう。いいか、その馬の糞がつまった耳穴ほじくり返して、よく聞け」


 ヘイティが椅子から飛び降りて、こっちに歩み寄ってくる。

 自分とくらべて、ちょうど頭半分くらい目線が低い。なるほど、確かに僕は聖都に行っている間に身長が伸びたようだ。別の言い方をすれば、ヘイティは身長が伸びなかったともいう。


「ちっ」とヘイティは舌打ちで睨み上げてくる。「忌々しい奴だ。無駄に伸びやがって、雑草かお前は」

「ヘイティは」変わらないな、と言いかけたが「……元気みたいだな」と誤魔化す。

「あぁ、元気さ。商売も順調」


 ヘイティは不意にニィと笑って、両腕を広げた。

 こっちも彼に応じて腕を広げ、思いっきり抱きしめる。


「久しぶりだ。冗談じゃない。くそったれめ。会えてうれしいぜ。ダチ公」

「ああ。一番にここに来たんだ。嘘じゃない」

「あったり前だ、オレが二番目なわけあるかよ」


 ヘイティとなれ合うのも本当に久しぶりだ。なんだか、昔からの生活リズムが戻って来たみたいで、妙に落ち着く。


「相変わらず、二人は仲が良いですねぇ」


 背後からギートさんの声がすると、僕らの横を通り過ぎてテーブルの上にカップを並べていく。


「ギート、酒を持ってこい」とヘイティが言いつける。

「お茶を持ってきました」

「酒だ。火酒を持ってこい! ソーヤが帰ってきたんだ。テメェの尿みたいな茶なんざ、飲んでられるかよ」

「悪ノリはほどほどになさいな。今夜は大事な仕事があるんでしょう?」

「あっ」とヘイティが思い出したように声をあげ「……そう、だったな」と難しい顔をする。


 ギートさんに勧められるまま椅子にすわり、煎れて貰ったカップを手に取った。この世界の茶は少し変わっている。花を丸ごと乾燥させたものを湯に浮かべて飲むことが多い。茶の中で花が開き、花びらが舞い躍っている。

 そういえば、レヴィに教えて貰ったことがある。

 お茶は花魔術とも関係していて、花の種類ごとに意味や効能があるらしい。だから茶は貴族の嗜みとされ、特に貴婦人たちにとって大変重要視されているそうだ。

 まあ、そう教えてくれたレヴィがお茶を煎れている姿なんて見たことないけど。


「このお茶の花にも意味があるんですか?」


 知らなければ後で後悔するかもしれない、とギートさんに聞いてみる。


「雪隠れ草ですね。聖都では見慣れませんが、ここらではそこら辺に生えているでしょう。雪が降り積もる前のわずかな時期に花をつけますから、気づかないかもしれません。まぁ、有り体に言うと、つまりは雑草です」

「はぁ」

「意味は、ようこそ懐かしの北国へ、と言ったところでしょうか? 花魔術的には鎮静作用があるそうですが、まぁ、魔力のない私には無意味なことです。大切なのは、この花茶は美味しい、ということでしょう」

「なるほど」


 ギートさんは生まれは貴族だ。

 それなのに勘当され、家を出たわけは、生まれつき魔力がなかったせいだ。彼のように魔力を持たない貴族の子は、家から忌み嫌われ、その存在自体を隠されてしまう。家全体が、貴族としての血が薄い、と後ろ指を刺されるからだ。


「か〜、花やら茶やら、そんな事はどーでもいいんだよ!」


 話しの腰を折ったのは、やはりヘイティだ。


「やい、童貞」

「なんだ? シャカシャカ」


 シャカシャカは、この世界の幼児をあやすオモチャだ。

 木彫りの器の中に、乾燥した豆を入れて蓋をする。それを振ると、シャカシャカ、と音が鳴ってうるさい。まるでヘイティみたいに。


「あそこで突っ立っている馬みたいにデカいの女は、女か?」


 ドアの付近で立っていたウィスさんを指差す。その拍子にウィスさんの眉間に稲妻が走るのが見えた。

 ウィ、ウィスさん。堪えてください。


「自分で、女って言ってるじゃないか」

「そういう意味じゃねぇ。お前の女か? そう聞いてるんだ」

「その質問は予想通りだよ。残念ながら、違う」


 本当に予想通りの質問で、逆にほっとしてしまった。


「そうか? お前好みのデカ女だ。いや、俺は心配してやってんだぜ。前に、お前を娼館に連れて行ってやった時も、お前はビビりまくって何も出来なかったじゃないか」

「ヘイティ、」

「そうだ。あの時にお前にあてがった女。あいつは領都でナンバーワンの娼婦だったんだ。あいつから、もう一回お前を連れてきてくれって頼まれてる。どうやら、お前に逃げられて火がついたらしい。金はいらないから、手引きしろってな。まるで飢えた狼のみたいに舌舐めずりしてやがったぜ」

「ヘイティ、いいか?」と、少し声を大きくする。


 どうにもこいつは言い出したら止まらない。|しゃべる狐(ヘイティフォア)とはよく名付けたものだ。


「なんだよ」

「真面目な話をしたい。とても重要な話だ」

「ほう。真面目なソーヤのクソ真面目な話ね……。そいつは、フェン公爵家は絡みか?」

「ああ。公爵家からの依頼だ」


 ヘイティの目の色が真剣になった。その悪ガキのような表情が、若くしてこの交易路をまかされた実力者の顔に変わる。


「金か? 人か? 物か? それとも情報か?」

「人だ」

「一番厄介なことを言いやがる。詳しく話せ」


 ヘイティはしゃべるのも速いが、話も早い。


「飛竜傭兵の件は知ってるな?」

「当たり前だ。言わせて貰えば、あのクヴァルよりも把握しているつもりだ。商人の情報網を舐めるなよ」

「その対策として斥候部隊を組織することになった。人材を用意してほしい。生半可なやつじゃ務まらないだろう。馬の扱いに長けた人が必要だ。それに読み書きも。ついでに、お前の目にかなった奴が欲しい」

「おいおい。簡単に言うなよ」


 ヘイティの声がより一層低くなる。


「そんな奴がいたとして、それをほいほいと貴族なんかに差し出すかよ。魔力だけの能無しなんかに俺の可愛い部下をやるなんて、あり得ないね」

「もう少し聞いてくれ、続きがある」

「まどろっこしいのは大っ嫌いなんだ。知ってるだろ? こちらから2つ質問がある。答えろ」

「……ああ」


 ヘイティが人差し指をたてた。


「まず、その舐めた要求を受けたとして俺たちに何の得がある?」


 ヘイティの感性は恐ろしく鋭い。

 それが後ろ盾を持たない彼がここまで成り上がれた理由だ。あのクヴァル様をして「奴には教養も礼儀もない。しかし知恵と嗅覚がある」と唸らせた男もある。


「新しい魔道具だ。これをお前に提供できる」

「……ほう」

「レヴィが開発した。おそらく、お前ならこの価値が分かるだろう」


 腰のポーチに入れておいた鏡と指輪を取り出すと、それを机の上に置く。四角い手鏡と白い糸指輪だ。この魔道具の由来となったスマートフォンは、元の世界でも人々の生活を変えた。


「指輪と鏡か。まるで貴族じゃねぇか」

「原理は貴族の指輪と同じらしい。説明するより、やってみた方がいい。さっそく使ってみるか」


 テーブルにおいた指輪を一つ取り上げて、適当な指にはめようとしたところで「まてよ」とヘイティが手の平を向けた。


「聞き捨てならねぇな。こいつは貴族どもと同じ指輪だって?」

「少し違う。綾取りの指輪は二人としか交わさない。だが、こいつは何人とでも共有できる。指輪を結んだ相手と、こっちの鏡を通して声や風景を伝えることができる」


 ヒュー、とヘイティは口笛を鳴らした。


「そいつはすげぇ。本当に、そんなことが出来るのなら、お前のお嬢様はとんでもない奴だ。後でちゃんと抱いてやれよ、せめて尻くらいは撫でてやれ」

「おい」

「いちいち怒るなって、まったくよぉ。しかし、俺が問題にしているのは別のことだ」


 ヘイティはテーブルに置いた指輪をつまみあげ、それを真剣な目で見る。


「おい、ギート」と呼びつけて「貴族どもの糸くずの指輪にはややこしい効果があったろ」

「ええ、」とギートさんがカップを置いた。「同じ指で交わせば対等、異なる指で従属の契約魔術ですね」

「それで」


 ヘイティは眺めていた指輪の穴から、こちらを覗き込んでくる。


「それで、ソーヤ。大切なことの確認だ」

「なんだ」

「要は、この指輪をはめて斥候部隊を作れってのが公爵家の命令だ、そうだな?」

「ああ」

「だったら、この話は無しだ。クヴァルの陰険野郎にでも、お前のワガママ嬢ちゃんにでも、ふざけんなって怒鳴り返してこい。俺たちを指輪で飼い慣らせるとでも思ったか! ってな」

「落ち着け。貴族はこんな指輪はしない。ねぇ、ギートさん」

「まぁ、そうでしょうね。彼らは銀糸で編んだ一対の指輪を交換するのです。こんな白い糸指輪など絶対にしない」

「ああ? だったら誰がその斥候を率いるんだよ」

「……僕だ」


 その時、よく動くヘイティの口が止まり「ほう」とため息をついた。


「そうか、そうかよ。……お前か。お前かよ」

「人を集めて欲しいだけなんだ」


 と、慌てて説明しようとしたが、ヘイティの耳には入らなかった。


「だったら、だったらよ。……悪くねぇ。悪くはねぇよ。ちーとばかしだがな。悪くはねぇ」

「受けてくれるのか?」

「まてまて、急かすな。お前が隊長ってぇことはよ。俺がお前の下になるってぇことだ。そいつは流石に面白くねぇな。いや、まったくをもって舐めた話だ。俺たちはダチだろう。出会った頃からそうで、今からもずっとだ。……しかし、そうだな。そいつをちょっと我慢すれば、この魔法の道具をくれるというなら、まぁ、考えてやってもいいかもしれないが」


 などと、ヘイティはしきりに頭をひねり出した。

 するとその横にいたギートさんがこちらに目配せをすると、すっと人差し指を立てて、意味深ににっこりと笑う。


 ……ああ、なるほどね。


「ヘイティ、悩んでいるところ悪いんだが」


 なるべく、わざとらしくならないように呼びかけた。


「あんだよ」

「一応、僕が隊長ということになっているけど、それは貴族たちへの見え方であって、僕らの関係はあくまでも貧民街の流儀だ」

「おうよ! 男も女も年寄りもガキも助け合う。それが俺たちだ。それを上だの下だの理由をつける貴族とはハナっから違う」

「ああ、だから」


 ヘイティの左手を掴むと、それを手元に引き寄せた。

 彼の手は節くれていて黒ずんでいた。貧民街での過酷な生活を耐え抜いてきた証だ。その指の一番に長い人差し指をつまみ出す。

 綾取りでは、人差し指は対象を象徴する。転じて、目標、選出、ライバルを意味するのだ。


「人差し指は、互いを目標とする人と交わすものらしい。僕とヘイティにぴったりじゃないか?」

「……おう」


 指輪をひとつ取り、それをヘイティの人差し指にくぐらした。

 ヘイティは呆然としたまま左手を握ったり開いたりして、その人差し指にはめられた指輪を眺めていた。


「ほら、今度はそっちの番だ。僕の人差し指にはめてくれ」

「……お、おうよ! あったり前だ。俺とお前ならよ、人差し指だ。はじめっからの対等だからな」


 ヘイティがもう一つの指輪を取り上げる。

 彼がはめやすいように人差し指を伸ばしてやったが、彼は緊張で手が震えてしまって、ちゃんとはめるまで何度も何度も失敗した。



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