[0-02] 転移

 頬をのせた床の感触が、固くて冷たい。

 気がつくと、自分は横たわっていた。大理石の床の上だ。

 頭を持ち上げて、あたり見渡す。建物の中。見上げるほどに天井が高く、鏡の壁に囲まれていた。振り返ると、銀燭を添えた祭壇があって、その中央にはそびえ立つほどに巨大な鏡が立てつけられていた、のだが……。


「どこ、ここ……。それに、だれこれ?」


 祭壇の大きな鏡には、私が映っていなければならなかった。

 しかし、そこに映っているのは私ではない。40を過ぎたおばさんの姿ではなかったのだ。

 小柄で、まるで人形のように可愛らしい顔立ちの少女が映っている。


「どういう、ことなの?」


 そう呟いて、立ち上がった瞬間に違和感に驚かされた。

 異様に体が軽かった。そして、いつもより視線が低い。

 慣れ親しんだ体の感覚との違和感に驚いて、自分の手の平に視線を落とす。指がいつもよりも短くて細い。

 そのまま手を胸に当てると、小ぶりな膨らみの柔らかい弾力がある。女の子の感触。つぎに頬に手を当てれば、さらりと、指を弾くほどに若々しい肌の弾力は、まるで十代のようだった。


「この服装……ウエディングドレスなの?」


 いつもよりも短く感じる腕を伸ばして、スカートの裾をつまんでみた。今の私が着ているのは、初雪のように白く、薄いレースを何枚も重ねたドレスだった。


 ……これはひどい。


 酷いを通り越して、もはや痛々しい。

 おばさんが、ひらっひらのフリルをふんだんにしたドレスを着る。似合うわけもなく、社会適合性を疑われてもおかしくないだろう。


 ……えっ、あれ?


 やっぱり、おかしいよね。

 まるで、この鏡に映っている女の子が、私みたいだ。

 ああ、そうだ、宗谷はどこ? 宗谷が戻ってきたはず。


 ——もしかして、夢なの……。


「そこにいらっしゃるのは、レヴィア嬢か?」


 背後から男の声がした。

 驚いて振り向くと、甲冑を着た50歳前後の紳士がこちらを睨みつけていた。

 まぁ、なんて苦み走ったおじ様。いわゆる堅物系ね。攻め派と受け派で意見が分かれそう。


「レヴィア嬢、お答えください。禁域である聖壇で何を? 公爵家である御身であっても、捨て置けませんぞ」


 しかし、おじ様は眉間に皺をよせ声を低めて私のほうに問いかけている。

 えっ、私? 私のこと?

 どういうこと? もしかして、おばさんがフリフリドレス着ているから不審者と思われている? え、でも、そんな事を言われても、貴方だって甲冑よ。メチャクチャ似合っていますけど……。


「ヴァン騎士団長、レヴィアを見つけたか」


 おじ様の背後から若い男が姿を現した。

 波打つ金髪に切れ長の碧眼。背が高く均整の取れたその体をコスプレらしき軍服に包んでいる。細部まで作り込まれた衣装だ。袖には金の細やかな刺繍が施されている。モデルさんも一流なら、コスプレ衣装をつくった人も職人。

 その金髪の超絶イケメンの碧眼が、私のほうを向いた。


「レヴィア、こんなところに……。しかも、ウェディングドレスか」

「ミハイル王子、お下がりください」


 おじ様が腕を広げてイケメンを制する。


「ヴァン、聖宮警護は貴殿の職務であれば尊重したい。しかし、レヴィアは私の婚約者でもある」

「なりませぬ、ここは儂の指示に従って頂きましょう。貴方はいずれ王になられる方。ここは戦場よりも危険だ。相手は災厄と呼ばれるほどの魔力をもつ令嬢ですぞ。それに、今回の蛮行は目に余る」

「この私に、レヴィアが認めるほどの器がないだけでは?」

「戯れ言を申されるな。……レヴィア嬢には国家転覆の嫌疑がかかっております。いかに公爵家とはいえ看過できませぬ。お下がりくだされ。御身を危険にさらすわけにはいきません」


 なるほど、おじ様が騎士団長役でイケメンが王子役なのね。大好物だわ。写真撮影、お願いしてもいいかしら?


 撮影のためにスマホを探そうとすると、おじ様が腰から長剣を抜き払って、こちらに歩みを進めた。その背後に佇むイケメンは複雑な表情でこちらを眺めている。

 ん? これって、もしかして私のことを睨んでないかしら? ……レヴィア嬢って、もしかして私のこと? え、あれ?

 おじ様の表情は険しい。その手にはコスプレ用の模造とは思えないほどに鋭い光をはなつ鋭利な刃がある。ちょっと、イベントのときはコスプレ用の長物は振り回さないのがマナーよ。ましてや、人に向けるのは絶対にダメ。


「剣は振り回したらダメよ」


 いつもの癖で注意してしまった。

 イベントの運営することが多かったせいで、こういうのは慣れっこだ。みんなが楽しく過ごすためには、運営側がきちんと言うべきことを言わなければならない。


「……レヴィア嬢、御身には国家反逆の嫌疑がある」

「そういう設定なのね……。素敵なおじ様にお付き合い頂けるのは嬉しいのだけど、」


 出来れば、後ろの若いイケメンも一緒にしてしまって、堅物おじ様×オレ様イケメン、で妄想をくゆらせたいところなのは山々なのだけど……。いや、まてまて、むしろ、逆じゃないか? イケメン×おじ様の逆カップリングでも美味しそう。じゅるり。

 などと、頭の片隅で妄想をフル回転させておきながらも、おじ様を睨みつけてみる。


「けど、道具を振り回すのは感心しないわ。素敵なおじ様、とてもお似合いよ。だけど、もう少しだけ冷静になってください。ほんの少しだけでいいの」

「……」


 騎士団長の役のおじ様は、その皺深い表情を歪めて歩みを止めた。その手には、まだ抜き身の長剣が所在なく垂れている。

 その白い髭に覆われた口が小さく開いた。


「なぜ、結界を張らない? すでに剣士の間合い。いかに稀代の術士である御身とはいえ、この距離、無事ではすみませんぞ」


 ……完全になりきってるわね。


 熱心なのは嫌いじゃ無いわ。

 これは何の作品のコスプレなのかしら? もしかして宗谷と同じコスプレ? そういえば、デザインがよく似ている。こんなにたくさんのレイヤーさんがのめり込むのなら、きっと素晴らしい作品に違いない。

 是非、見てみたい。円盤もお布施しちゃう。


「あなたの話に興味があるの。できればその長物を納めてからお話がしたいわ。それとも、剣を抜かないとお話もできないようなキャラクターなのかしら?」


 オタク対応マニュアルその1!

 キャラ愛ゆえの逸脱行為ならば、キャラ愛でさとせ。


「奇っ怪な事を申されるな。儂は武骨者ゆえ、貴族術士の言葉をかいさぬ。それが災厄とまで称された御身の言葉であればなおのことよ」


 ……ダメね。愛が深すぎるわ。


「ヴァン様! お待ちください!」


 その時、今度は私の背後から宗谷の声がした。


「宗谷!」と私は振り返ると、そこには息子がこちらに向かった走っている。

 ああっ、夢じゃなかったのだ。成長した宗谷がそこにいる。思わずそちらに走り寄っていくと、宗谷は私を抱きとめてくれた。

 そのまま、宗谷は流れるような動作で、腰の剣を抜きはなって、おじ様の前に立ちはだかる。

 やだ、守ってくれるの? おいしいシチュエーションだわ。息子相手でもキュンキュンしちゃう。


「ソーヤか、どこから現れた」

「かあさ……レヴィに剣を向けるのであれば、ヴァン様とはいえ見過ごせません」

「レヴィア嬢に拾われ、その従者であるお前であれば無理もない。……しかし、よく考えろ。お前ほどの男が忠義を尽くす価値があるのか? お前の主人には反逆罪に関与しているという嫌疑があるのだぞ」

「……存じ上げています」

「ほう」


 宗谷は背中に私を庇いながら、長剣を両手で構え直した。

 目の前の大きくなった息子の背に、思わずドキドキしてしまっている。嫌だわ。おばさんなのに、こんなフリフリを着せられて、こんなお姫様みたいなことさせられるなんて……。

 正直、悪くないわ。むしろ、めちゃくちゃ気持ちいい!


 宗谷と対峙するおじ様は、カチャ、と剣を鳴らす。


「知って上のことであれば、致し方あるまい。英雄とまで呼ばれたお前にこの老体の剣、どこまで通じるか」

「……ヴァン様」

「言葉は無粋じゃろう。すでに刃圏ぞ」

「……」


 おじ様の剣が、すぅと弧を描いてピタリと止まる。ぴりり、とひりつくような緊張感が二人の間に張り詰めはじめた。

 なんだか、凄いことになってきたわね。と、思わず私がつばをのみこんだ時、


「ヴァン、止めよ。……これは第一王子ミハエルとしての命令だ」


 ピタリ、と空気が止まった。

 扉のそばで待機していた金髪の超絶イケメンが腕を組んだまま、二人の間に入って立ちふさがった。おじ様は目を閉じて「失礼しました」と息をついて剣を鞘におさめる。


「ソーヤは引けぬのか?」

「……ミハエル様」


 宗谷はおじ様がすでに剣を引いているのを確認すると、切っ先を横に払って、剣を腰の鞘におさめる。


「失礼いたしました」

「ああ、構わんよ。どうやら、我々には行き違いがあったようだ。そうだろ? まぁ、私の婚約者であるレヴィアが花嫁衣装で聖壇にいたのは不可思議だったが……」


 イケメンは意味深な流し目で私を一瞥すると、その視線は私の薬指にとまった。


「綾取りの指輪か……。しかし、ソーヤとではないのか?」


 最後のほうはかろうじて聞き取れるくらいの呟きで、イケメン王子は反応を確かめるように宗谷の顔を覗き込んだ。

 宗谷は無言のまま目を閉じた。

 くくっ、と小さく笑いをこぼしたイケメン王子はくるりと背を向けた。豪奢な金髪をたなびかせ、彼は背中越しにヒラヒラと手を振ってみせた。


「今日は何もなかった、という事にしようじゃないか。ヴァン騎士団長、すまない。貴殿の職分を犯してしまった。しかし、本件はもう少し複雑で根深いようだ。ここは私に預けてはくれまいか?」

「はっ……それがミハエル様のご判断なれば」

「助かるよ」


 超絶イケメンは豪奢な金髪をゆらし、おじ様を引き連れて部屋を出て行った。



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