第16話 崩壊 -1-

 夕日に照らされ赤く染まった教室の中、僕は気を失う前と同じく、横向きに寝そべった体勢で目を覚ました。

 辺りを見渡すと、先程までいた連中の顔は見当たらなかった。その代わりに、僕の後ろには佐武と高津が座り込んでいた。


「あ、やっと起きたね。大丈夫、鞍嶋君?」

「全然起きてこないから、死んだのかと思ったぞ」


 身体を起こす元気がなかったから、仰向けになって目線だけを彼らに合わせる。


「二人は、どうしてここに……」

「そんなの当たり前じゃないか。君の怪我の手当てをしに来たんだよ」


 佐武がそう答えながら僕の手を握った。いつもと同じような口調なのに、その顔に浮かぶ笑顔が何故か嘘のように見えて少し寒気がする。返事の内容もあまり的を得ていないように思えた。


「お前、顔が腫れて凄かったからさ。ちゃんと目を覚ましてくれて安心した」


 高津の方も、佐武に感じたものと同じような何かがあった。しかし、その言葉は確かに僕を心配するものだったから深く考えない事にした。きっと目を覚まして直ぐだった事と、最近話す機会が減っていたから普段の二人を少し忘れてしまっているのだろう。


「うん、ありがとう二人共」

「あぁ、これ位なんて事ないさ。今、偶然近くを通りかかった結崎さんが保健室から医療道具を持ってきてくれるから、もう少し待っていて」


 結崎さん……? どうして壱哉がこんな所を……?

 考えていると、教室の扉を開く音が聞こえた。救急箱を手に、額にうっすらと汗を浮かべた壱哉だった。


「あ、かず……鞍嶋、目が覚めたか」

「……結崎さん、なんでこんな所に?」


 学校の中で僕らは赤の他人だ。しっかりとその約束を覚えていてくれた壱哉に感謝をしつつ、その疑問をぶつけた。


「君、昨日もここで問題を起こしただろう? 先生から再犯防止の為に様子を見ておけって頼まれてたんだ」


 あぁ。そういえば昨日、すぐそこの廊下で火災報知機を鳴らしたんだっけ。

 壱哉は受験間近だっていうのに、相変わらず頼りにされているんだな。


「しかし、まさかこんな事になっているなんて……。誰にやられた?」


 一瞬、小宮の名前を出そうかと喉元まで声が来ていた。しかし、それが外に出る事はなかった。ここで全て話してしまうという事は、逢来の身に起こった事も全て話す事になる。それだけは嫌だった。

 そして……僕の手の骨を軋ませる位に握る佐武の手が、それを許してくれなかった。


「……な、なんでもないんです。ちょっと友達と喧嘩しちゃっただけなんです。それで喧嘩に負けて、不貞寝してる所を佐武君に見つかって……」


 ばればれな嘘を口にしている事位、自分にも分かっていた。


「……分かった。それでも一応、先生方には報告させて貰うからな」


 勿論手当てをしてからな――と言って壱哉は、僕の顔にできた傷を消毒液の染みたガーゼでなぞる。殴られた時の痛みが大き過ぎたから、傷口に染みる諸毒液の痛みはそれ程痛く感じなかった。

 一通り手当てを終えた壱哉は教室を後にし、職員室へと向かった。絆創膏だらけになった自分の顔を触りながら、残った二人へと視線を向ける。


「なんだか、迷惑をかけちゃったみたいでごめん」


 軽く頭を下げた。


「いいんだよ、君はもっと酷い目に遭ってるんだからさ」

「そうそう。は愛想良くしてやらないと、後味が悪いからな」


 作り物のような笑顔を浮かべた二人はそんな事を口にする。


「え……最後? どういう意味……?」

「言葉の通りだよ。君、小宮君の虐めの対象になった自覚ある?」

「そんなやつといつまでも一緒にいる意味なんてないだろ? 俺達は元々それが嫌で仲良くやってたんだから」


 一体何を言っているのか、全く理解できなかった。いや、理解したくなかったのかもしれない。虐め? 対象? そう言い切るという事は、さっきまでの光景を見ていた?


「もしかして二人共……さっきまでの、見てた……?」

「いや、見てはいないかな」

「そうだな、見ていたと言うより、一緒にいたの方が正しいな」


 なんだ、何が起こっている。二人は何を言っているんだ。二人は普段、こんな顔をするような人間だったか? 何故こんなに僕の事を冷たい目で見られるんだ。その目は人間以下の屑を見る目だ、どうして僕を見下すんだ。

 顔が青ざめていくのが分かった。それは血を流したからなのか、それとも今起こっている事に対してなのか、もはや冷静な判断も出来ない程だった。


「それじゃあ、僕達は帰るよ。君と一緒にいるのを誰かに見られると不味いからね」

「俺も佐武と同じ事を言おうと思ってた。あ、もう放送部には来るなよ?」


 ゆっくりと立ち上がる二人。置いてけぼりにされたままの僕の頭の中は、反射でその手を動かした。「待って」そう言いながら伸びた手は、立ち上がる途中の佐武の制服の裾を掴んだ。するとその拍子にバランスを崩した佐武は、胸ポケットからデジタルカメラを零した。床に落ちたその衝撃で、偶然にもカメラの電源が入る。自然とそこに僕の視線は奪われて、目に入った写真が目に映る。

 その瞬間、首を絞められたように息が出来なくなった。

 写っていたのは、逢来の写真。

 しかも、きっと数分前に撮られたものなのだろう。

 ぐったりと横たわる、乱暴をされた後の逢来の姿がそこにはあった。


「……見たな」


 そんな動きが出来たんだなと思わせる位に、素早い動きでカメラは回収された。佐武の声が、重く重く僕の身体に圧を掛ける。

 しかし、僕の脳みそはさっきから驚きの連発でむしろクリーンな状態になり始めていた。


「――そういえば、佐武君は写真が趣味だったね」


 佐武は黙ったまま――今朝の事だったか、その時と同じように汗をだらだらと流して挙動不審になっていた。


「写真、他にもあるだろ」


 僕がそう確信めいて佐武に問うと、何か大事な線が切れてしまったのか頭のネジが数本飛んでしまったのか、佐武は高笑いをし始めた。横の高津は、対照的に不安そうな顔をしている。


「あははは! 鞍嶋君、勘が鋭いね! もう言い逃れできないや! 何で分かったの?」

「君、今朝もそうやって挙動不審になってたろ。多分そのカメラには黒板に張られたあの写真も入っていると思ったんだ。それに……ずっと気になってたんだ。あの日、逢来さんがまた虐められる原因になった写真は、誰が撮った物なんだろうって。普通、僕らがいる場所に偶然出会うなんてありえないだろ。できるとしたら逢来さんのストーカーか……僕らの行き先を予め知っていた人だけだ。一人だけいたよね? その日僕が向かう場所を知っていた人がさ」


 いつの日か聞かれた、放課後はどうするのかという質問。逢来と会うだなんて言えないから、とっさに誤魔化してCDを買いに行くと言った覚えがある。

 その時の話し相手とは――そう、佐武だ。


「あぁ、よく覚えてるね鞍嶋君。その通りだよ、僕があの写真を撮った張本人さ」


 開き直ったのか、未だ高らかに笑い続ける佐武は本当にこれまでの佐武と同一人物なのか、疑わしい所である。


「でもさぁ、仕方が無いんだ。君が部室に来なくなって、僕と高津君は二人になった。最初はそれでも良かったけれど、ある日突然……小宮君達が部室に現れてさ。ここを遊び場に使わせろとか、僕らを使い走りにさせたり……時には万引きをさせられた事もあった。偶然見つからなかったから助かったけれど、それを良い事に「もう一回やってこい」って言うんだよ。次はもう絶対に見つかる、許してって必死にお願いしたらさ、小宮君は「それじゃあ他に誰か代わりになるやつ連れて来い」って言ったんだ」


 僕が逢来との仲を深めている間、二人にはそんな出来事があったのか。本当に、全く知らなかった。


「……それで、僕の事を身代わりにしようとしたのか……」

「その通り。それであの日、鞍嶋君の後を付けてみたら、面白い人が現れるじゃないか! まさか裏でこそこそと逢来さんに会っていたなんて……本当に、許せないと思ったよ! 僕らは地獄みたいな毎日を過ごしていたのに、君は女の子と仲良くお喋りしていた訳だ? 身代わりにされたって、文句は言えないよね! だって、君の自業自得じゃないか!」


 虐めだなんて下らないものに巻き込まれるのは御免だ。普段から思っている僕達の共通認識である。人は自分が逃れる為に酷く残酷になれる生き物だ。誰だって面倒事は避けていきたい……その為には平気で人を売るような醜い生き物だ。

 どうやら、僕のこれまでの認識は間違っていなかったらしい。あまりにも正確に、僕が思った通りの人間が今目の前にいて、思わず笑いが込み上げてくる。


「どうしたの、突然笑い出したりなんかして。頭でもおかしくなったのかい?」

「ははは……お前には言われたくないね」

「嫌だな、「お前」だなんて。いつもみたいに「佐武君」って呼んでよ」


 もう何も、口にする気力は無かった。

 本当に笑える。笑いすぎて腹が痛い位だ。

 満足気な表情をした佐武は立ち上がり、教室を出て行った。去り際に「これから頑張ってね?」と、いつも僕に見せていたあの柔らかい表情を見せて姿を消す。その後ろを付いていった高津は大変申し訳なさそうな顔をして、僕の事を何度も振り返りながら教室を出て行った。

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