第4話  始動 -1-

 『LunaLessルナレス』とは僕が今一番夢中になっているアーティストだ。特に注目しているのは、作詞を担当しているライカという人物。年齢も性別も全てが謎に包まれているが、ライカの紡ぐ歌詞はどれも心の奥底を突き動かす。遣る瀬無い人生への嘆き、理不尽な人間への反発……人の生き様を切り取っているかのような感覚。

 そんな歌詞をもって、時には脳みそを揺さぶられる程激しく、時には優しく寄り添うような音色を奏でる。一曲一曲をまるで別人が作っているかのような真新しさは、聴く者全てを魅了していく。

 ライカという人物は、一体どんな人なのだろうか。知りたいと思うファンは多いと思うが、どうにもライカは表立つ事は一切無い。曰く、本人が出てしまうと匿名性が失われて価値が下がる、との事だ。

 だから、普段ネットに上げられる動画にはボーカル、ギター、ベース、ドラムのメイン四人しか現れてくれない。本人の意見を尊重したいし同感でもあるが……ファンというやつはどうにも面倒な生き物で、それでも一目見たいと思ってしまうものだ。

 今回、そんなライカの作った歌詞は相変わらずメッセージ性が強く、十代の学校に通う僕達の視点に合わせられたそれは、若者の叫びといっても間違いではない代物だった。




 あれから一週間が経ち、その間ずっと曲を聞き続けたがどうにも飽きる気配がやってこない。今朝だって曲を聞いている内に寝てしまったのか、気が付くと朝になっていた。そんな事をもう何回も繰り返している事実に、半ば呆れのような笑いが込み上げてくる。歌詞の書かれた紙が、一晩中握っていた所為でその形を覚えてしまって忘れてくれない。

 朝食の時間までまだある。もう少しゆっくりしてからリビングへ降りるとしよう。そう思ってもう一度ベッドの上に軽く寝転び、携帯画面を開く。無作為にネットを眺めていると、部屋の扉の向こうから声がした。


「和久、起きてるか?」


 壱哉の声だった。


「うん、起きてるよ。どうしたの?」

「お、ちゃんと起きてるな。おはよう和久。昨日も夜遅くまで部屋の電気が付きっぱなしだったからな、寝坊しないように起こしてやろうと思って」


 そう言いながら、壱哉は僕の部屋に入ってくる。


「それなら大丈夫。現にこうして起きれているじゃないか」

「けどな……クマ、結構目立つぞ? 駄目だとは言わないが、程々にな?」


 わかってる、とだけ返事をした。寝不足気味の頭ではあるが、それ程心配しなくてもとは思う。だが、ここはせっかくの善意で声を掛けてくれた兄の顔を立たせておこう。


「ところで、ちょっと質問があるんだけど、いいか?」

「質問? 壱哉に分からない事を僕が答えられるかは分からないけれど、いいよ」


 横にしたままだった体勢を起こし、話を聞く姿勢を作る。壱哉は扉に体重を預け、立ったまま口を開いた。


「最近クラスの雰囲気なんて、どうだ? 曲がりなりにも、俺はまだ生徒会に所属してる訳だから、そういう噂も耳に入ってくるんだ。実際の所どうなのかと思ってな」

「曲り形だなんて、やめてよ。壱哉は生徒会長なんだから、学校の顔として堂々としていればいい。それで……質問の返事だけど、ある。最近はその内容も過激に、直接的なものになっているような気がする」


 壱哉は顎に手を沿え、ふぅ、と溜息をこぼす。


「やっぱりか。ふむ、どうしたものかな……。先生達に頼まれたんだよ。もしもそういう事実があるなら、教師側から手を差し伸べるより同じ生徒が手を引いた方が効果的だ。何とかしてやってくれないか、ってね」

「生徒会は、なんでもやらされる訳だ」


 それは体裁を良くしただけの、ただの押し付け行為だ。面倒事を生徒らに投げ捨て、責任を免れようとする汚い大人のやり方だ。そういうやり方をすれば、いざとなった時には「生徒の自主性を信じた」等と、思ってもみない事を口にするのだろう。

 流石に壱哉も参っている様子だった。虐めの解決など、結局は本人同士のわだかまりを解くしか方法は無い。外野が口を挟んで解決する程度なら、そもそも虐めなど起こらないだろう。正解の無い問いの前じゃ、頭の良さだけでは到底太刀打ちなど出来ない。


「対象になっているのは、確か……逢来さんで間違いないか?」


 黙って頷く。先週CDショップで遭遇したのを思い出しても、どうしたって彼女が虐められているだなんて想像もできない。「可愛い」だけじゃ、世の中は優しくしてくれないんだなと思う。


「……うん、わかった。一先ず事実確認が出来ただけで十分だ、ありがとう和久。それじゃあ、下に降りよう。もうそろそろ朝食の時間になる」


 本当に、壱哉はすごいな。生徒会長としても、バスケットプレイヤーとしても信頼は厚い。勿論生徒からも教師からもだ。困った事があれば、この男に相談すれば間違いないと、校内の噂で広まった事もある。それほど完璧の肩書きを背負っていながらも、気取った態度はおくびにも出さない。人気があるのも頷ける。

 あぁ、本当にすごいな。羨ましくて、恨めしくて、僕という存在が恥ずかしくなる。それなのに、兄というこの存在を頼らざるを得ない。切って離す事ができないのだ。弟ながら……いや、弟だからこそ尊敬の念が大きく宿ってしまう。


 そんな暗い感情を抱きながら階下へ降りた。

 薄味の、食物繊維が適度に盛り込まれた朝食を済ます。トーストにジャムを塗っただけの簡単な朝食でいいのにと、もう何年も思っている。

 身支度を整え、壱哉よりも早く家を出た。ずっと家の中にいるのは息が詰まりそうだ。通学路を歩き始めてすぐ、音楽プレイヤーを取り出しイヤホンを耳に付けた。流す音楽は勿論『LunaLess』の、ライカの作った曲だ。

 暫く歩いて、駅に着き。電車に数十分揺られて学校に着くまでの時間があっという間に過ぎ去った。

 一曲目では、自らの弱さに気が付き無力さを嘆いた。二曲目は、這い蹲ってでも立ち向かっていく強かさを。三曲目は、どんなに傷を負っても上を見続ける勇気を。それぞれが独立した一つの作品なのに、全てが繋がっていてストーリー性があった。まるで小説の中の物語のようで、耳で音楽を読んだような、そんな感覚。

 この音楽をもっと聴きたい、深く知りたい。ネットの感想を読むだけじゃ物足りず、誰かと直接会ってこの想いを交わしたい。学校の中で唯一の友達である佐武と高津は、それ程音楽に詳しくない。有名な所は流石に知っているようだが、マイナーな話になるとてんで話について来れなくなる。彼らじゃ駄目だ、話が出来ない。だからといって他の話せる誰かを探すのか、と言われれば、きっと首を横に振るのだろう。これ以上人間関係を広める必要はない。いずれは離れ離れになってしまう関係なのだから、輪を広げるだけ時間の無駄だ。


 いつの間にか靴が上履きに履き変わっており、教室までの階段を上っていた。扉を開いて中に入るも、特に誰かと挨拶も交わさず自分の席に腰を下ろした。同じクラスの佐武と話すのは、昼休みの時間か放課後の時間がほとんど。それ以外は空気となって溶け込むのが僕達だ。

 ぼちぼち生徒らの数も増え、あっという間にHRの時間になった。教師の下らない話は聞き流し、それは授業が始まっても変わらなかった。

 勉強したって意味が無いと思う。どれだけ頑張っても、上には上がいるのだ。どうやっても埋まらない差があるのに、そんな無駄な努力したって虚しいだけじゃないか。それだったら無難に、真ん中位の成績を保って人の波に埋もれてしまえばいい。中途半端に目立つと、また兄の壱哉と比べられてしまうから。

 幸いな事に、僕が壱哉の弟である事を知っているのは教師だけだ。だからこのままひっそりと暮らして、高校はどこか遠くの場所へ行くんだ。兄のいない、比べられる必要の無い場所へ行って、それから頑張っていけば良い。

 そんな風にして時間が過ぎて行く中、授業の合間に行われる、いつも通りの虐めも見てみぬ振りをした。少し接点があっただけで彼女の友達面をするつもりは無いし、ましてや割って入って助けてやろうだなんて度胸は持ち合わせていない。いつも通りでいいのだ。


 そうやっている内に、昼休みになっていた。

 教室の前方では配膳担当の数名が忙しなく手を動かしている。それ以外の生徒は、僕を含めて列を作って並び、今か今かと食事にありつける時を待っていた。

 と、そんな時だ。

 いつも逢来を虐めている女、確か名前は岡本……まり? とか何とかと呼ばれていた気がする。その彼女がおもむろに、逢来が座る席へと近付いていく。手には受け取ったばかりの給食があった。

 既に自分の給食を確保していた逢来は、机の上に広がるそれらを呑気に眺めていた。何食わぬ顔で歩く岡本は、その横を通り過ぎるか否かといった所で、手元にあった給食の皿を全てひっくり返した。

 零れ落ちるものはその殆どが逢来を襲い、一瞬にして制服を汚した。


「……熱っ……ちょっと、どういうつもり……!」


 その中には味噌汁もあった。湯気の立つほど温まっていたそれは、火傷してもおかしくない温度だったんじゃないだろうか。口調に怒気を混じらせながら、逢来は痛みに顔を歪ませていた。


「ご、ごめんなさい! 躓いちゃって……私何やってるんだろう……ごめんね逢来さん、火傷してない?」


 教室には担任の教師もいる。いつもの人を煽るような口調ではなく、あくまで不慮の事故だったと、心配をしているぞといった口調だった。教師の目線ではそう見えるのかもしれないが、実際に被害を被った身としてはこれ程癪に障るものは無いだろう。


「おい、大丈夫か? 火傷だったら大変だ、保健室に行きなさい」


 心配そうに声を掛ける教師ではあったが、実際にはその場で立ち上がって遠くから見ているだけ。近くに駆け寄って安否を確認する事もしない。結局そんなものだ。


「……分かりました」


 じろりと岡本を睨みつけて、逢来はゆっくりと教室の外へと姿を消していった。結局、給食の時間が終わり昼休みの時間になっても、彼女は教室に姿を現さなかった。その間「ざまあみろ」という岡本を初めとした女子数人のグループがにやにやと笑っていた。物を隠す、盗る、汚す。そういった事は何度もやっていたが、こうして怪我に直接繋がるようなものは今回が初めてだった。

 火傷を負わせたかもしれないというのに、へらへらと笑う彼女達を見て、ぞっと悪寒が走る。絶対に自分はそうなってたまるか、そう思っていると昼休みの時間も終わった。

 結局、逢来が戻ってきたのは五時限目が始まってから二十分は経った頃だった。

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