第3話 Holodomor

当たり前の光景と思っていたものが

実のところ異常事態だったということは稀にある


私にとって 幼少期の飢えが

正にそれだった


幼い頃 私の家には殆ど食糧がなく

私と妹 そして母はいつも腹をすかせていた

不満はあったが 母は諦めた顔で

戦争だから仕方ないと言ったので そんなものと思ったし

私も不満を口にすることはしなかった


さらに周囲を見渡せば

家と同じような飢餓地獄が広がっていた

家よりも酷い飢餓地獄が広がっていた


同じ仲間であった者同士が

僅かな食料を奪い合っている

同じ仲間であった者の墓を暴き

死体を掘り起こして食糧にしている

同じ仲間であった者を殺し

その死体を食料としている

それができない者は飢え苦しんだ上で

干乾びて死んでいった


誰かを殺さなければ食っていけない

誰かに殺されその人の食糧にされる

そんな地獄が当たり前の光景となっていた

私はその中で育った


さて 今日母が出してくれたボルシチの肉は何だったのか?

食事が出されれば 出されたで

その内訳を訊けない食事が幼少期に続く内


今日の不味い肉は 最近見かけなくなった

近所の口煩いオッサンのものではないか?

今日のちょっと美味しい肉は 昨日引っ越していった

近所の可愛いあの子のものではないか?


そんなカニバリズム思想をするようになり

私は周囲に毒されるようになっていた


周囲を見渡せばずっと

何処までも同じ飢餓地獄が広がっているから

何処も酷い飢餓地獄が広がっているから

私はその景色をただ受け入れるだけで


これが国による民へのイジメ

国による民の虐殺と知るのは

随分先のことだ


国とか政府とか 幼少だった私には分からないことだったし

国とか政府とかでは 大人達でもどうしようもない相手だったので

極限の飢えの中 弱い者から順に 皆死んでいった


その中で軍の幹部といった

お上連中だけはぬくぬくとしている


そう この世は弱肉強食で

強くなければ生きていくことすらできず

こんな鬼畜生の食いものとされる


そんな地獄の光景さえ

私は当たり前の光景と思っていた

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