アストライアー

富士田けやき

独白:愚かなる選択

 葛城 善という人間は平々凡々な人間だった。

 取り立ててスポーツが得意と言うわけではなく、身長体重は常にほぼ平均少し下を推移。中学に入るまで学力も平均的な、特筆して語るべきことの無い平凡な少年でしかなかった。

 決して正義感が強いわけでもなく、かといって悪に染まれる度胸も無い。

 何も持たない人間、それが俺、葛城 善という人間の本性である。


 それでも中学時代、ちょっとした経緯と下心から学業に勤しみ、学力だけは客観的に見て人並み以上と成った。今思えば、其処で得たちっぽけなプライドがまずかったのだろう。自分は出来る方だ。優秀な人間なんだ、と何も持たなかったがゆえに、そう思いたかった。

 運命の高校受験、出来ることは全てやった。普段顧みることもしない癖に、神頼みにも行った。それでも俺は普通の人間で、同じことをやっている人間はゴマンといて、倍率二倍、半分が落ちる。何故、自分がそっち側に成らないと思ったのか、『今』の俺には理解できない。だってそうだ。『彼女』に合わせて背伸びした凡人が、今まで大した積み重ねも無い人間が、一念発起したからと言って同じステージに立てるわけがない。

 案の定、受験は失敗。失意のどん底、『今』思えばなんて事の無い挫折、絶望と呼ぶにはあまりにも緩い失敗体験を経て、滑り止めの私立高校へ入学。

 自分はあちら側の人間で、此処にいるのは間違いだ。愚かにも、入学してなお俺の心はどこかでそう考えていた。表に出したつもりはないけれど、そういうモノは零れるものなのだ。入学後、ひと月経った頃には、周囲から浮いていた。

 ふた月も経てば、クラスの異分子として排除、つまり虐められていた。俺はそれを環境のせいにした。自分ではなくこの環境が、この高校が、今、自分が存在している全てが間違っているのだと、そう考えた。愚かにも。

 すべて自分が悪いわけではないだろう。いじめられた側が言うのも何だが、いじめはいじめたやつが悪い。それは正しい考えだ。でも、俺の場合は、きっと俺も悪かった。悪いのは環境だと決めつけ、ちっぽけなプライドとも呼べない虚構に縋り、自分を変えようなど一切考えなかった。だから、俺が悪い。

 俺はきっと何度あの日をやり直しても、同じ選択をする。自分が間違っていると、努力して変えようと思っていない、愚かな自分は全てを環境のせいにして、必ず選択をする。そして何度でも、俺は後悔することに成る。

 俺は逃げるべきではなかった。自分を変えようと努力すべきだった。誰が悪いとするならば、やはり俺が悪い。だから性質が悪いのだ。だって、これは過去の俺が選択したことで、どれだけ悔いたとしてもその選択肢を与えられた時点で、俺は必ずそれを選ぶから。


 机には落書き、破かれた教科書、上履きは片っぽ花壇の上に横たわっている。それを阻もうとして振り払われた結果、偶然当たった拳によって左目は腫れていた。もう限界だと思った。何故、自分がこんな目にあわなければならないのかと呪った。

 そんな小さな絶望を嗅ぎつけ、これは現れたのだ。

「…………」

 真紅の魔術式。見たことも聞いたことも無いそれは、俺には救いの手に見えた。こんな現実から救い出してくれる、神の導き。何の躊躇いもなかった。家族のことや、中学時代好きだった少女のことを思い浮かべることも無く、俺はそれに触れた。

 嗚呼、きっと俺は何度でもこの選択をしてしまう。その確信だけはあった。

 俺は弱くて、何も持たず、それなのに変える勇気を持たなかったから。

 そして俺は――真の絶望を知る。


     ○


 おどろおどろしい空間だった。王道RPGで見るような魔王の城、陳腐だが、まさにそんな感じの空間で、まるで自分がファンタジーの世界に入り込んだような気がした。この時点でわずかだが俺は浮かれていた。何かに選ばれた気がしたから。

 こんな場所に召喚、転移、されたのだ。自分が、日本だけでも一億人以上いる人の中から、選ばれた。特別だと錯覚してしまうのも無理はない。そう思わせるのも、『奴ら』の遊興、その一環なのだから。

 俺以外にも何十人、正確な数は分からないが、この場にいた。そしてそれはどんどん増え続ける。赤い文様が輝き、呆然と人が涌き出てくる。裸で。他人の裸を見て、自分も裸だと気づいた。間抜けにも、それなりに時間が経った後で。

 男も女も関係ない。全員裸。其処でようやく、俺は少し寒気を覚えた気がする。何かがおかしい、と。まるで此処にいる全員が、家畜のように見えたから。

「よお坊主。タバコ、持ってるわけねえか。邪魔したな」

 最初に声をかけてきた男は、首に真新しいあざがあった。

「自殺者ってとこか。他も似たようなもんだぜ。どいつもこいつも、どん底って感じの面だ。そういう俺も、か。お前は、そうでもなさそうだけど」

 二度目は小悪党と言う表現がぴったりな男だった。俺はその言葉にムッとしたのを覚えている。自分の境遇が馬鹿にされた気がしたから。俺は世間知らずのガキで、自分より下なんて、自分よりひどい環境なんて、考えもしなかった。

 そう言う甘さが透けていたからこの男は茶化したのだろう。

「まあでも、この状況で浮かれている奴らよりはマシかもな。見てみろよ、あの弛んだデブ。勇者だチートだなんだとわけわかんねえこと叫んでるけど、この面子にそんな上等な奴がいると思うか? 全員漏れなく、ド底辺って面してんのによ」

 へらへら笑う男は、余裕を取り繕う。まるで怯えを隠すように。

「どん底に落ちて、其処からも逃げ出した先によ、都合の良い世界なんてねえさ。まあ、分かっていても掴んじまうから、ド底辺のクズってことなんだろうけど」

 男は嗤う。きっとこの笑みは自分に向けてのモノ。彼はどこかで気づいていたのかもしれない。この先に幸福なんて無いってことを。逃げて逃げて逃げて、差し出された手の怖さを男は知っていたのかもしれない。

 都合の良い物語なんて、無いのだと。

「おい、何かでけえ扉が開いたぞ」

 誰が言ったのか分からないけれど、その言葉が、皆の視線が指し示した先に、悪魔が大きく口を開けたかのような趣味の悪い扉があった。誰も近づこうとしない。先ほどまで騒いでいた連中も大人しくなっていた。

「……くだらねえ」

 ただ、一人、誰よりも先に動いたのは刺青の入った男。肝が据わっているのか臆することなく奥へと進んでいく。次に続くのは青白い今にも死にそうな少年。この中で彼ら二人だけが何の感情も無く、極々平静に足を前へと進めていた。

「大したもんだぜ。恐れを知らねえってか。ま、行くしかねえのは様子見りゃあ猿でもわかるわな。俺も行くかね。じゃあな、また会うことがあったら、酒でも飲もうや」

 ぞろぞろと進み出す一団。男もまたその一団に飲まれて姿を消した。一度動き出した流れは止めらない。誰もがこわごわと足を前へと進める。其処しか道がないのだ。

「あの、皆さん、どこに向かって?」

「なに、あんた目見えないの?」

「え、と、メガネがないので」

「……そりゃあご愁傷様。おーいそこの少年」

 おっぱいを恥ずかしげもなく揺らし、こちらを手招きする女性。その隣にはおどおどしながら周囲の様子を窺う少女もいた。

「はい、男の子ならエスコートして。同い年くらいでしょ?」

「え、と、高校一年生です」

「若ッ!? 私は華の大学二年生ね。年齢は秘密」

「私は、中学二年生です」

「もっと若ッ!? はあ、びっくり。まあいっか。私らも進も。どうせ行くしかないみたいだし。なーんか嫌な予感しかしないよね、この状況」

「……はい」

 その時、俺はと言うとたぶん気恥ずかしさに下を向いていたと思う。母親以外の女性の裸なんて初めて見たし、直視できないのも仕方がない。あまり見つめると生理現象の類でなおまずかっただろう。この時点でかなりまずかったのだから。

「なに? 二人ともいじめ? 仲間じゃん」

「葛城さんも?」

「う、うん。君もなんだ」

 俺だけ名前を明かしたけど、結局この二人の名前やパーソナルな情報を聞くことは無かった。聞こうと思った時には、地獄の光景が俺たちを迎えていたから。

「なによ、これ」

 集められた全員が愕然とした表情でこの光景を見ていた。

 進んだ先には拓けた場所があり、そこで全員が立ち往生している。問題は其処ではなく、巨大な空間を埋め尽くす異形、異形、異形、この世のものとは思えない化け物が『ショー』を見るために集まっていた。中央にはツボのような何かがある。

 それが全てのキーであることは、当然この時の俺は知らなかった。

「第百二十六回、魔獣生誕祭の時間だァ! 目ん玉かっぽじってよーく見とけよ。我らが真なる大魔王シン・イブリース様がクズどもを召喚してくださった! 楽しい楽しいゴミクズどもが生まれ変わる瞬間だぜェ? 今日は掘り出し物があるかなっとォ」

 その空間の中央、宙に浮いてマイクパフォーマンスをする化け物。誰もがトリックだと思った。上から糸で釣っているのだと、そう思うしかなかった。

「何ですかいこの趣味の悪い仮装パーティは? ハロウィンって時期でもあるめえし」

「おっ、早速活きの良いのがいるねえ。スジもんってやつ? おーこわ」

 誰よりも早く動き出した男は気合のまなざしで化け物を見つめていた。

 だが、次の瞬間――

「イキがんのは生まれ変わった後で、な。王クラスに成ったら俺様を顎で使っていいぜ。まあたぶん、テメエは魔人止まりだろうけどな。それでも上等な方だが」

 男の目の前に、まるで瞬間移動でもしたかのように化け物が立ち塞がった。男は反射的に化け物を殴るも、殴った拳が自らの血にまみれただけ。

 ここで全員が理解する。これは――仮装ではないのだと。

「ほい、ステージ上昇、転生ロード展開。さあ、始まるぜェ。皆さん課金の準備はいいかい? 欲しい素体にBETだ! さあ、ショウタイムってなァ!」

 俺たちが立っていた場所、舞台が上昇する。何かに支えられているわけでもなく、突如浮き上がるステージ。根源的な恐怖が俺たちを襲う。もう誰も、声を発することすら出来ない。ただ、震えることだけしか、出来なかった。

 ステージから、巨大なツボのような、釜のようなモノに向けて橋が伸びる。どんな物質で出来ているかもわからない。わかるのは、それが途切れているということ。そこが、紅い湯気が立ち上がるあそこが、終点なのだと言うこと。

「いやぁぁぁぁぁあああああ!?」

 悲鳴が上がる。当たり前である。こんなもの俺たちは望んでいない。

「いつもながら良い音色だこと。あら、可愛らしい子、あの子にしましょ、そうしましょ。絶対欲しいから、んー、いくら積もうかしら、迷っちゃうわァ」

「こちら側の住人では中々ない軟弱さ。オツなものですなあ。私はあのデブに一点賭けで。戦力が余ってまして、質が欲しいのですが」

「馬鹿な連中だぜ。自分から拉致られて最悪の選択をしたんだ。もう、後悔しても遅いっての。さて、俺はどいつに金入れようかな」

「ギャハハ、どの種族に成るかは運と適性次第。魔獣か、魔人か、魔王か、どちらにしろ、人にはもう戻れない。そこに立ったが最後、魔に転生するのは決まっているのだ。さあさあよぉく顔を見せてくれ。この素体を選んでいる時が一番楽しいのだから」

 足が、動かない。橋は俺たちをまるで工場の製品みたいに自動的に、ベルトコンベアーのように運ぶ。いくら叫んでも届かない。先頭の方はどんどんと落とされている。地獄の釜、真紅の煙が昇り立つ中へと。この角度からでは何も見えない。それが怖い。

 絶望の絶叫だけが天蓋に響く。その度に爆笑の渦が生まれる。

「おおッ! さっきのやつ、アタリだ!」

「ドラコニュートか。いいね、強そうだ」

「うっひょお、あのデブ、期待通りトロルだ!」

「太るのも才能って言うしな。そこそこアタリだな。戦わせて良し、力仕事やらせて良し、馬鹿で何も考えられないのも利点だぜ」

 いったい彼らが何を見て笑っているのかが分からない。『今』の俺だってこんなくそったれな光景を見ても笑みの一つだって零れやしない。人の不幸は蜜の味、そう言う連中が生き残る世界。そう言う連中ばかりが集められた集団。

 嗚呼、わかっていたさ。わかっていて目をそらしていた。

「助けて、怖いよ」

 名も知らない女の子。さっき出会ったばかりで、彼女のことは目が悪いことと中学二年生だと言うことしか知らない。他人だろう。だからこれは、決して彼女を想っての行動ではない。あの時の俺は、『今』の俺だってそうだ。

 俺はそんなに上等な人間じゃない。

「葛城さん!」

 手を伸ばす少女。その手が――もう少しで触れ合う。

 その時――

「なんだ、落ちる瞬間は、足、動くんじゃん」

 俺は肩を掴まれた。とても強い力。生きるための、力。

「ごめんね。私、死にたくないの」

 名前も知らない女子大生。俺は彼女を責める言葉は持ち合わせていない。彼女の気持ちは痛いほどわかる。俺にはそうするだけの度胸すらなかっただけ。

「あっ」

 少女と、その手が触れ合うことは無かった。俺は別の女性の代わりに落ちる。

 落ちる先を見て、俺は自分が死ぬのだと理解した。

 煮え立つ釜。紅蓮の、血の池地獄。

「あああああああアアアアアアアアアア亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜ッ!?」

 生まれて初めての絶叫。自分にこんな声が出せるのかと笑ってしまうほど、それは人生最大の咆哮だっただろう。此処までの人生で一番大きかった怪我は指の骨折。当然、それとは比較に成らない莫大な痛みが全身を犯す。

 痛い、痛い、イタイ、いたい、痛い――

 皮膚が蕩け、肉が焼かれ、血色の灼熱が全身を駆け回る。沁み込んでいるのだ。全身を、人を構成するモノを破壊しながら。自分の身体が、焼け爛れ、蕩けて、消えていく感覚。生きたまま熱湯に放り込まれて、ぐつぐつと色が変わるまで、熱が通るまで――

「やめ、あたし、まだ、死にたくな――」

 そこでの最後の記憶は、自分を利用してでも生き延びようとした彼女が、翼をもつ化け物に拘束されて落とされる映像。眼は、もう機能していないはずなのに。耳なんて最初に灼熱によって鼓膜ごと蕩けたのに。何故、それを感知出来たのか。

 それはきっと、もう、俺が人じゃなくなっていたから。

(死にたく、ないよ。かあ、さん。とおさん。ゆ、う)

 思考も消える。記憶も、何もかもがリセットされる。

 自分の外側に膜が出来て、『転生ガチャ』と奴らが呼称する趣味の悪い釜から排泄された俺は、自らが生み出した膜を喰い破り外へ出た。その瞬間、全身にみなぎる活力と何でも出来る全能感が身を包む。人であった頃とは比べ物にならない。何でも出来る。何がしたかったのか、何も考えられなかったけれど、俺は、その瞬間だけは世界の王だった。

「お、ああー、残念賞。クズオブクズ、オークだわ、こいつ」

 だが――

「どっか適当に配置しとけよ。どうせすぐ死ぬだろ」

 立ち上がった瞬間、目を開けた瞬間、飛び込んできたのは全て自分の上位種。それもそのはず、自分はオーク。この転生ガチャから生まれる魔獣の中で最下層の種族であったのだから。その上、位階は魔獣。自分より下は、いない。

「ギ、ガ」

 一瞬で自分の立ち位置を理解した。理解させられた。

「おら、さっさと歩けクズ。俺らの代わりに魔術に当たって死ぬのが仕事だカス」

 わかっていることは彼らに逆らってはいけないと言うこと。種族が違うのだ。生まれた瞬間、彼らに勝てないことは決まっている。獣は決して群れのボスには逆らわない。俺も同じ、嗚呼、まさに俺はこの時、獣であった。

 絶対に勝てない者たちに逆らわず、彼らの命に従う下っ端。そもそも逆らおうと言う発想すらない。力なき獣が上位である者たちに牙を剥くことは無いのだ。

 ならばその牙、何処に向けるか――そんなもの決まっている。

 より弱い種族、人に向けるのだ。

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