第5話 流麗飄々

「あんなの、あの女! フゴッ! もう! 腹立つぅ! フングッ!」


「メルちゃん、ボロボロ落ちてるよ……食べるか話すかどっちかにしないと……」


「あらひは怒ってるの!」


茅原駅南口から伸びる三本の大通りの一つ、雄山通り。

大量に買ったコロッケをがっつくメルを後ろに乗せ、和馬は自転車を押していた。

空には雲一つなく、風も穏やかだ。

昨夜とは打って変わって、少し汗ばむくらいの陽気だった。

夕飯の買い物をする主婦や、ランドセルを背負った小学生が、すれ違いざまに好奇の目を二人に向けてくる。

だが、それももう慣れっこだ。

和馬とメルの組み合わせでは、衆目を引きつけてしまうのも致し方ない。


(ええっと、この辺り……かな?)


昨夜遅く、代理人(エージェント)の大崎宏夢から連絡があった。

今月から来月にかけての仕事に関する打ち合わせをしておきたい、ということだったが――。


(何でまた、こういう場所を選ぶのかなあ、大崎さんは)


大崎は今回も、いわゆる夜のお店が立ち並ぶ繁華街を指定してきた。

もっとも、今の時間帯はまだ開店前ということもあり、猥雑な雰囲気はそれほど感じられない。せいぜい、パチンコ屋から流れる大音響のBGMぐらいだ。


「まったくもー、ピロってば真面目な和馬に悪いことばっかり教えようとして~」


「そういうつもりじゃないと思うよ。大崎さん、根は真面目な人だし……あっ」


「や! 和馬君、メルちゃん、元気~?」


噂をすれば影、大崎宏夢が目の前のパチンコ屋からご機嫌な様子で登場した。

丁寧に「こんにちは」と頭を下げる和馬と、「ほらやっぱり遊んでた!」と指差して抗議するメル。大崎はへらへらと笑うだけで、悪びれる様子もなかった。

見た目は二十代半ば、ボサボサの薄茶色の髪を肩まで伸ばした長身の男、大崎宏夢。

上下グレイのジャージにサンダルをつっかけた格好も、色白に細面でいかにも軽そうな顔立ちも、とてもこの茅原市専属の代理人とは思えない。

繁華街で平日昼間から遊ぶ、あまり素行のよろしくない人々のようだ。

だが、間違いなくこの大崎宏夢は強大な力を持った『魔族』であり、魔界の穏健派を代表して派遣された優秀な『代理人』の一人だった。


人間界と魔界の停戦協定が結ばれた直後、彼ら『代理人』は「人間界における過激派魔族の取締り」という名目で送り込まれた。

停戦に反対する過激派――その中でもとりわけ強硬路線に走るテロリストたちの多くは人間界に潜んでいる。

美帆や二階堂たち狩人、また理子が率いる警察組織だけでは彼らの暗躍を防ぎ切ることはできない。

大崎たちは彼女らと連携し、両世界の平和を守るという重大な任務を負っていた。

もちろん大崎宏夢、という名は人間界で生活を送るためにつけた仮の名だ。

魔族としての本名は彼曰く、


「物凄~く長いし、和馬君たちには正しい発音が難しいからさ、別に覚えなくていいよ~。ピロさんって気軽に呼んでね~」


と、いうことだった。

律儀な和馬はあくまでも、『大崎さん』と呼んでいるが。


「まったくもー、毎日毎日パチンコばっかりやって~。真面目に働きなさいよ~」


「その言い方はひどいなあ、メルちゃん。今日は久し振りの非番で、しかも新装開店だったんだよ~。多忙な僕にだって、たまには休暇が必要でしょ? あ、それとね、今日はパチンコじゃなくてパチスロだから」


「どっちだって一緒でしょ! もー、和馬、こんなしょーもない大人になっちゃダメだよ?」


「うははは! 厳しいなぁ。大丈夫、和馬君はしっかり者だからね?」


「そんなことないですよ……。それに、大崎さんは凄い方だと思います。僕、いつもお世話になりっぱなしで……」


首の後ろをさすりながら、はにかんで答える。

実際、和馬は大崎に何度も危地から救ってもらっていた。

そのため、彼には頭が上がらないところがある。

メルなどはいつも「そんなの気にしなくていいのよ~」と言うし、大崎も恩に着せるような態度はまるで示さないのだが。


「すいません大崎さん……領収書、いいですか? 昨日はバスを使ったので……」


「あー、はいはい、確かに。でもさ、どーせ経費で落とせるんだからタクシー拾えば良かったのに。本当に真面目だよねえ、和馬君は」


領収書を受け取ると、大崎は尻ポケットの小銭入れから硬貨を取り出し、


「はい、これはオマケ、というか僕からのささやかなプレゼントね~」


腕に引っ掛けていたビニール袋から出した板チョコをひょいと和馬の掌に乗せた。

ありがとうございます、と頭を下げる和馬の腕にメルが抱きつくと、


「んもー、これパチンコ屋の景品じゃないのー」


「いいじゃ~ん、別に景品だろうとお店で買おうと、どっちにしたってチョコはチョコ、でしょ? 疲れた時には甘いものが一番、悩み事がある時は人に話すのが一番だよお~」


ハッとして和馬は顔を上げた。

隠すつもりはなかったが、言い出す前に見抜かれてしまったらしい。やはり、この人には敵わない。

だが、


「そう! あの女のせいで困ってるのよ! ああ、思い出したらまた腹が立ってきた!」


先にメルに言われてしまった。

和馬が口を挟む間もなく、メルが二階堂葉月の一件をまくし立てていく。

確かに彼女のことが気にかかっていたが、和馬はメルほど怒ってはいなかった。

ただ、彼女の様子から「何か事情があるのではないか」と察し、できる限り力になりたいとは思っていた。


「ふうん、葉月ちゃんがねえ。ああ、でも実に彼女らしい自己紹介だとは思うよ、うん、。僕に対しても、だいたいそんな調子だからねえ」


魔族が嫌い、という先刻の発言はどうやら本気だったらしい。


「あたしが嫌われるのは別にいいわよ。でもさあ、せっかく和馬が仲良くしようって自己紹介しようとしたのに、あんな態度はひどいよ!」


メルはいつでも和馬のことを優先的に考えてくれる。

その点はとても嬉しいのだが、時にその思いが強すぎてかえって困ってしまうこともあった。


「まー、そうだねえ。葉月ちゃんはちょっとぶっきらぼうすぎるよね。まあ、美帆ちゃんみたいに愛想よくしろとは言わないけど」


「ミポリンはねえ……。あは、そういえばミポリンの自己紹介って面白かったよね、和馬」


いつの間にか話が本題から逸れてしまった。

だがメルの言う通り、確かに彼女の自己紹介は非常に『個性的』であった。


それはかれこれ二年前、まだ和馬たちが中学二年生だった頃のことだ。

状況は今朝とほぼ同じで、美帆は茅原市に新たに赴任した狩人として、和馬の通う学校に転校してきた。

美人でスタイルの良い美帆であるから、和馬やメルだけでなくクラスメイトからも大いに注目を集めたのだが――。

クラス担任に促された美帆は、教壇の横ですうっと深呼吸し、一同を眺め回すと、


「これは、これは、さっそくお控えくださいましてありがとうございます。あげます言葉、前後間違いありましたら御免こうむります。手前、生国と発しますは関東にござんす。関東、関東と言いましてもいささか広うござんす。花のお江戸の大東京、西にずずいっと下りまして港街・横浜にござんす。みなとみらい、ランドマークを望む石畳の紅葉坂、天照大御神をいただく伊勢山皇大神宮、紅葉が丘の生まれにござんす。親分なしの子分なし、いずこへ回りましてもお兄いさん、お姐えさん、お友だちさんにご厄介をかける粗忽者にござんす。姓名と発します。失礼さんでございます。姓は佐竹、名は美帆、稼業昨今駆け出しの者にござんす。今日向面態(きょうこうめんてい)お見知りおかれまして昵懇に願います」


と、見事な調子で自己紹介――あとで美帆に確認したところ、「メンツーを切った」とのことであったが――を行った。

当然ながら、担任含めて教室一同唖然である。

ただ、「何だかよく分からないけれど面白い子が来た」という強い印象を与えることには成功したし、現実に彼女のキャラクターは非常に変わっているので、正しい自己紹介だったとも言えるだろう。

ちなみに和馬は、この後美帆が進級並び進学のたびにこの口上を聞かされているので、だいたい暗記してしまっている。


「何でミポリンってさ、普段はあんな感じでのほほんと喋ってるのに、あの時だけスラスラ……って、あれ、何の話してたんだっけ?」


「葉月ちゃんの話でしょ。ま、悪い子じゃないよ」


「……あの、大崎さん……。彼女は、二階堂さんはどうして……」


「僕たち魔族を嫌うのか、かい?」


おずおずと問いかけた和馬に対する、大崎の反応は速かった。


「はい……」


和馬たち封門師とは違い、狩人は魔族と戦うための力を備えている。

停戦協定が結ばれる前の時代、彼女たちは命懸けで魔族と戦うことを使命としてきた。だから、狩人が魔族を憎むのは至極当然のことだった。

だが、今は時代が違う。

停戦協定以後、狩人の果たす役割はあくまでも「条例違反の魔族を捕えること」だ。狩人という名称も、理子から聞いた話によれば「悪い印象を与える」ということで変更が検討されているという。この新たな時代に彼女たちが憎むべきは『条例違反』であり、魔族そのものであってはいけないのだ。

和馬も、今の任務に就く以前の研修で学んでいる。

戦乱の時代は終わった、これからは人類も魔族も平和のために己の力を使わなければならないのだ、と。


(もちろん、好き嫌いは誰にでもあるだろうけれど……)


あえてそれを、しかも交換留学生のメルに向かって言う必要はないだろう。

メルはまぎれもなく魔族の一員であるが、人間界に長く滞在しているいわば『平和の使者』だ。確かに一風変わった性格ではあるが、和馬は彼女に不快感を覚えたことはない。


(そんなメルちゃんに向かって、何もあんな態度をしなくても……)


表には出していないものの、和馬はいつになく憤慨していた。

彼は、よっぽどのことがない限り怒ることはない。


「和馬。俺たちみたいに身体が大きい人間はな、できるだけ怒らないようにするんだ。もちろん、叩いたり蹴ったりするのもダメだぞ。嫌なことがあっても、ぐっと堪えるんだ」


幼少の頃から、父に何度も繰り返し言われてきたことだった。

和馬の体格は父親譲りだ。父方の祖父、叔父たちもかなりの偉丈夫揃いで、間違いなく遺伝によるものであろう。とにかく身体が大きい、それが結城家の血統だ。

また、母からも繰り返し、


「いい? たとえ何があっても、本気で怒ってはダメよ。あなたが我を忘れてしまったら……」


と言われてきた。封門師として授かった力を、決して暴走させてしまってはいけない、ということだった。

和馬は素直に両親の言葉を信じ、実践してきた。

幸い、怒りを我慢できないほど嫌なことは今までに経験していない。

昨日のアグのように、力づくで魔界に帰ってもらったケースは何度もあったが、父の教えの通り殴ったり蹴ったりはしたことがなかった。

アグと同じく、たいていの魔族は和馬が掴むと大人しくなり説得に応じてくれる。

仕事とは関係ないが、相手が人間の場合も同様だった。

だから和馬はこれまで、暴力とはほとんど無縁の世界で生きてきたのだ。


「葉月ちゃんがなぜ魔族を嫌っているか、心当たりはあるよ」


「え? 何それ、教えて、教えて!」


大崎が顎に手をあてて呟くと、メルが体当たりせんばかりの勢いで迫った。


「でも和馬君、それでいいのかい?」


「え?」


メルは無視し、和馬の目を真っ直ぐに見上げてくる。

日頃のおちゃらけた態度とはまるで別人の、仕事に臨む際の真剣な顔だ。

和馬は一瞬、言葉を失った。


「特に理由もなく何かを好きになるってことは、割とあるものさ。だけど、逆に何かを嫌う時には、何かしらの理由がある……偏見や、当人の思い違いなども含めてね。それを気安く覗き見るようなことはするべきじゃないね。たとえ君に、悪意が無いとしても」


「そう、ですね……」


和馬はすぐに言葉の意味を理解し、己を恥じた。

二階堂葉月の心の深奥を、当人の預かり知らないところで覗こうとしたのだ――ほんの、軽い気持ちで。

ある種の善意を盾にして、無意識のまま、他者の尊重すべき心にずかずかと踏み入ろうとしてしまったのだ。


「もちろん、和馬君の気持ちは理解できるよ。気になるよね、そりゃそうさ。これから一緒に仕事をしていかなきゃいけないわけだしね。それに、葉月ちゃんは可愛いし」


思いがけない言葉に和馬の頬が紅潮すると、


「それは関係ないでしょ! このエロピロ菌!」


メルがすかさず、素早い右ストレートを大崎の腹に叩き込む。


「ちょ、痛いよ、メルちゃ~ん。それに、その呼び方はいくら何でもひどすぎるよ~。ま、とにかくこれから忙しくなるからさ、あんまり気にしないようにね、和馬君」


俯いていた和馬が、ハッとしたように顔を上げて大きく頷いた。

大崎が言っているのは、来月に迫った『調印式』のことだ。

停戦協定以来、人間界と魔界の間で四年に一度行われている重要なイベントであった。

双方の代表が集まり、四年間の交流による成果を振り返る会談と、新たな条約の締結を行うことになっている。

もちろん、ある程度まで事前に根回しはされているので、調印そのものはもとより、会談において揉めることはほとんどない。


問題は、『テロリスト』だ。

思わず拳を握りしめてしまった。

和馬はまだ、彼らと接触したことはないが、どういう思想を持った者たちなのかは研修で習っている。

簡単に言えば、今の人間界と魔界の関係に不満を抱き、力づくでそれを変えようとしている者たちだ。当然、その『力』には和馬が嫌いな『暴力』が含まれている。

テロリストは双方の世界に存在しているが、どちらにも共通しているのは、


「相手側の世界を激しく憎み、停戦協定を破ろうとしている」


ということだ。

むろん、彼らテロリスト以外にも、現状に不満を持つ者はいるだろう。

全ての人が同じことを望むなどあり得ないし、かえって不健全なことだということは和馬にも理解できる。

多数決によって定められたものが、必ずしも正しいとは限らないということ――その不当性が後世に証明される例があることも、歴史から学んでいた。

だが、少なくとも和馬は現状の『平和』を愛していた。

そしてこの平和を何とか維持しつつ、いくつかの段階を踏ん上で、全ての人類が魔界の存在を知り、共生できるようになる――それが和馬の考える理想の未来だ。


「じゃ、僕はこれで。まったね~」


「え、まだ遊ぶ気なの!? どんだけクズなのよ~、このダメ魔族は!」


手をひらひらと振りながら、笑顔でパチンコ屋へと戻っていく大崎を見送りつつ、


(うん、そうだよね。平和のために、僕も少しでも頑張らないと!)


決意を新たにするのであった。


(続く)

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