第3話 神色自若

一方の和馬たちは、少女が傍に来たのも気づかない程の『お取込み』中だった。


「和馬のバカバカバカぁ!」


「ごめん、メルちゃん……い、痛いよ、ちょっと……」


和馬の分厚い胸板に、メルが小さな拳をポカポカと叩き込む。駄々っ子のようなパンチを雨あられと浴びせられる和馬の表情は、困惑しきっていた。


「んもー、和馬は! 女心がぜんっぜん分かってない!」


「で、でも……この前は『何で青のりのこと教えてくれないの!』って怒ってたじゃん?」


「この前はこの前! 今は今!」


弱々しく反論してみたが、かえって火に油を注ぎこんでしまったようだ。

大男と小柄な少女の痴話喧嘩に、道行く人がニヤニヤ笑っている。

途方に暮れた和馬の視界に入ったのは、こちらに向けてひらひらと手を振るリヤカー少女の姿であった。


「あ、美帆さん……」


救いの女神とばかりに声をかけると、それまで目を三角にしていたメルの表情が瞬時にパッと明るくなった。


「どうも~、和馬さん、お疲れ様ですぅー」


「ミポリン! ちょっと聞いて、聞いて! 和馬ったらひどいんだよ!」


メルがリヤカー少女に抱きつき、マシンガンのように和馬への不平不満――和馬からすれば、ほぼ言いがかりに近いのだが――を並べ立てる。

女子高校生の平均身長に近い美帆も、彼女と並ぶとまるで母親か姉のように見えてしまう。


「あらあら、メルさんは本当に和馬さんのことが大好きですねぇ~。ところで和馬さん、今回のお仕事の方はいかがでした~?」


メルの髪を撫でながら訊ねてきたので、和馬は後頭部をポリポリと掻きながら、


「ああ、えっと……実は、不法入国者の方がいて……」


「あらあ~、それで、どうしたんですか?」


「物分かりのいい人だったから、話をして、帰ってもらえたけど……」


視線をあさっての方向に向けながら、自信なさげに答えた。


「えっ! やっぱりあたしも行けばよかったね!」


「あ、でも大丈夫だったよ、メルちゃん。暴れたりはしなかったから」


本当のことを言えば、例のアグを追い返したのはかなり力任せではあったが、手傷を負わされたというわけでもないので適当に話を濁していた。


「ふむふむ、そうですか、そうですか。それならまあ、私も手間が省けて良かったです~。おかげさまで、うちのたこ焼きも完売できましたし~」


「は、はあ……」


相変わらず、彼女の言うことはどこまでが本気でどこまでが冗談か分からない。

おっとりとして、どこか掴みどころのない風情であるが、彼女こそ魔界と人間界のテロリスト・犯罪者に恐れられる『狩人』の一人であった。


佐竹美帆、十六歳。

彼女はこの茅原市を担当する、凄腕の狩人だ。

先祖代々『退魔師』を生業としているのだという。

背中の竹刀袋に収めているのは、遠く平安時代から受け継がれてきた祓い刀だ。

その凄まじい威力と、彼女の腕前の確かさは和馬も熟知している。


和馬たちの住む人間界と、メルの生まれ故郷である魔界とを繋ぐ『門』は、その頃から盛んに開かれていた。

だがその歴史は、今の和馬とメルの関係からは想像もできないような、血塗られたものだったという。

人間たちの中には、魔族の持つ『魔力』を己の欲望や戦争の道具に利用しようという者が後を絶たなかった。

また魔界側も、人間たちを滅ぼす、あるいは支配下に治めようとしてきた。

そのために犠牲になった者の数は計り知れない。

そんな不幸な歴史に転機が訪れたのは、和馬が生まれるほんの数年前のことであった。


人間界・魔界それぞれの平和を望む者たち――いわゆる『穏健派』同士が会見を開き、平和条約が結ばれたのだ。

この歴史的な会見を機に、二つの世界は大きく変貌した。

平和を恒久のものとするためには、お互いの理解を深めることが先決という結論に至った両者は、『門』を通じて交換留学生制度を設けた。メルもその一人である。


人間界と魔界を繋ぐのが『門』であり、和馬の一族は代々、『門』を開閉する能力を持っていた。魔族にも、和馬たちと同様の能力を有する者たちがいる。

かつては両世界の戦争の道具として用いられた力であるが、今は言ってみれば空港や駅の役割を果たしている。

和馬たち『封門師』は、その『交通手段』を管理する任務を与えられていた。


だが、いくら平和条約が結ばれたとはいえ、何の制限も課すことなく二つの世界を人間・魔族が行き交うようにする段階にはまだ至っていない。

そもそも、人間界ではいまだに魔族はその存在すら公にはされていなかった。

全人類の内、ごく一部の限られた人々だけが知り得る秘密なのだ。


(いずれは、皆が知ることになるんだろうけれどなあ……)


和馬個人としては、なるべく早いに越したことはないと考えていたが、それにより巻き起こるであろう大混乱を想像すると、決して簡単なことではないことも重々理解していた。


(それにしても、アグさんみたいな密入国の人は……困るよなあ)


魔族の存在は前述のように秘密であるから、先程のアグのような誰がどう見ても異形の姿の魔族は原則として人間界への入国を禁じられている。

だが、魔族でも特に能力の高い者は『変化』の術を身につけている。

メルも無論その一人で、本来の彼女の姿を普段は隠している。

さっきの尻尾は、油断してその変化が解けていた、というわけだ。

かれこれ十年の付き合いになるが、和馬はまだ彼女の完全な魔族の姿を見たことはない。メル曰く、「そんなに今と変わらない」とのことであるが。


「まあ、あれですねー。最近は色々と物騒ですねー。門も去年に比べると、頻繁に開けられていますし~」


まるで緊張感のない美帆の口調であるが、何かと物騒なのは本当のことであった。

ここ数ヶ月間で、違法な『開門』が頻発している。

和馬たちは、茅原警察署生活安全課と協力し、これらの条例違反を取り締まる任務を与えられていた。生活安全課の蘆名理子刑事も、かつては美帆と同様、この茅原市を守る優秀な『狩人』だったという。

彼女たち狩人は、不法入国者を強制排除するのが仕事だ。

当然ながら、命懸けの危険な任務である。理子や美帆の普段の様子からは、とても連想することはできないが。


「……あら?」


美帆が小首を傾げ、足元に視線を向けた。和馬とメルもすぐに気づき、


「あっ」「あはは♪」


同時に声を出す。少し眉をしかめた和馬に対し、メルはまるで仔猫でも見つけたかのように楽しそうな様子だった。美帆は変わらず笑顔のままである。


(……さっきの魑魅かぁ……)


魑魅とは、先程の門の一件で現れた小さな魔物たちのことだ。個体ごとにバラバラな姿をしているが、同種の存在として扱われている。

今、足元にいる一匹は全身が灰色で、尖った耳の一つ目の小鬼の姿であった。彼らは力も知能も低いが繁殖力だけは凄まじく、メルによれば、


「魔界だと、こっちの世界のハエとか蚊みたいな感じ。そこら中にうじゃうじゃいるよ~」


とのことだった。

魔界でも短命な彼らだが、生きる環境としては適さない人間界ではものの半日も生き長らえることはできない。それが『門』を開けられてしまった際に、半ば巻き込まれるような形でこちらに来てしまったというわけだ。


(可哀相だなあ……)


厳密に考えれば、彼らもまた不法入国者なのだが、その儚い運命を知る和馬は同情せずにはいられなかった。各個体は魔力も僅かしか有していないため、メルやアグとは違い、常人の感覚では存在を認知することすらできない。


「あらあら~♪」


美帆がしゃがみ込み、落ち着きなく歩き回る魑魅をそっと両手で包むようにして捕まえた。

そのまま胸に押し当てると、目を瞑って二言三言呟く。


「……うふふ、これで良し、ですねえ~」


美帆が手を開くと、一回り小さくなった魑魅が団子のように丸まっていた。目も閉じているので、眠ってしまった小動物にも見える。


「可愛らしいですね~」


(そ、そうかなあ……?)


美帆の美的センスは、いまいち和馬には理解できなかった。彼女の好きな音楽や絵画の趣味も、和馬の好みとはことごとくかけ離れている。


「……はむっ」


(うわっ……やっぱり何度見ても、これは慣れないなあ……)


美帆がいきなり魑魅を自らの口に放り込んだ。

満面の笑みは変わらないままなので、本当に団子か何かを食べたようにしか見えない。もちろん、魑魅の存在すら認識できない普通の人々には、彼女が何をしたのかさえ分からなかっただろう。

美帆はそのままゴクリと魑魅を呑み下すと、バッグから取り出した水筒の茶を飲んで大きく息をついた。


「あはは、何度見ても、ミポリンが魑魅を食べちゃうのって面白いよね~」


それを面白がることができるメルの感覚も、和馬の理解の範疇外であった。


「ううん、違いますよぉメルさん~。その言い方ですと、まるで私が魑魅の皆さんを美味しく頂いちゃっているみたいじゃないですかあ。これはあくまでも、『浄化』ですからね~」


「いやあミポリン、それを言うなら『消化』でしょ?」


和馬もメルと同意見だった。

一応、美帆の名誉のために補足しておくと、魑魅は人間界では長生きできず、遺骸はいずれ他の生物同様、自然に分解されてしまう。

だが、その過程で微量な魔力が人間の体内に――呼吸器官や肌を通して――影響を与えるケースがある。

和馬や美帆のように魔力に対して免疫を持つ者ならば問題なく、むしろ自身が持つ特殊な力を発揮するためのエネルギー源ともなる。

しかし免疫のない、特に身体の弱い人や精神が不安定な人の場合は、これが悪い方に作用することもあるということだった。

ちなみに美帆によれば、魑魅を放り込んだ後に呑んだ水筒の茶も、事前に彼女が清めた聖水で淹れたものなのだという。


「メルさんたら~。でもまあ、これでこの子の魂も浄化されて、今はもう――」


愛おしげに腹をさすさすと撫でながら、美帆が空を仰いだ。

ネオンの光であまり綺麗には見えないが、夜空を流れ星が一つ横切って――は、いなかった。


(今はもう、何なんだろう?)


そんな疑問を抱きつつも、あえて問いはしない和馬であった。



「あっ、ところでさ、ミポリン! 明日だよね、新しい狩人の人が来るのって」


「ああ、そういえばそうでしたね~」


「どんな人なのかな? ミポリンは前、一緒にお仕事してたんでしょ?」


「ええ。まぁちょっと、真面目すぎるというか、硬~い感じの人ですかねえ~」


「うぇー、何か怖そう……」


美帆が少し不真面目すぎるのではないか、という一言を和馬はあえて自重した。

今日も、門の始末は和馬に任せて普段通りたこ焼きを売っていた程だ。

彼女は、


「ふふ、和馬さん一人で大丈夫ですよ~」


などと呑気に言っていたが、本来なら狩人は真っ先に駆けつけて門の周辺を見張らなくてはならないのだ。

先程のアグのような、密入国者を捕えるのが彼女の任務なのだから。


(ま、まあ、結果オーライではあったけれど……)


アグが比較的くみし易い相手だったから良かったものの、もっと凶悪な魔族の犯罪者であったら、和馬一人ではどうにもならない。

一応、門を封印する以外にも、自分の身を守る術を母から教わってはいるし、父から継いだ屈強な肉体もある。

だが、それだけで凌げるほど甘いものではない。

ただ女子高生の生足を拝みに来ただけならともかく、もっと恐ろしい目的でこの人界に侵入を企む者は後を絶たないのだ。

はっきり言えば怖い。

なるべくならば穏便に解決したいというのが、和馬の本音だった。


「うーん、確かに気難しくて、あまり感情を表に出さないタイプで、しかも魔族が大嫌いという人ですが……。うん、きっと和馬さんもメルさんも、すぐに仲良くなりますよ~」


美帆は満面の笑顔で言っているが、話を聞く限りではどう考えても付き合いにくそうな相手であった。


(でも、せっかく一緒に仕事をするんだし、できれば仲良くなれたらいいなぁ)


(続く)

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