短編置き場

来栖

第1話 「7月」「屋上」「謝罪」

 蝉の鳴き声が五月蝿い。

 ようやく俺は思い出した。そうだ、もう夏なのだと。

 部屋の隅。ベッドから気だるく体を持ち上げて、季節感すら曖昧になった自分に苦笑を零す。

 丁度一年ちょっと。この部屋に引っ越して、それだけの日々が経過していた。

 大学進学を機に東京で一人暮らし――若者にありがちな経緯を辿ったのが俺だった。

 

 東京の狭いワンルーム。ユニットバスとエアコンに冷蔵庫、そこそこのネット回線がついて五万、半分を親持ちで残りを自分持ち。 しかも、何処ぞの格安部屋と違って他人の気配もそこまで感じない。

 いい部屋を見つけてくれたものだと、当時叔父には感謝したものだった――いや、今もしている。

 同期、大学の奴らにはそれこそとんでもない部屋に住んでいるやつも居るのだ。

 

 例えば、シェアハウスのやつ。

 こいつは三週もすれば病んでいた。どうにも同居人にトイレがまともに出来ないやつが居るらしい。犯人は未だ不明とのこと。

 ――最低だ。

 

 例えば、よくある格安物件のやつ。トイレと調理場と風呂が共有。

 そこは問題無いとのことだが、どうやら壁が激薄で左右から毎晩喘ぎ声が聞こえて辛いとのこと。なによりも辛いのがそこでシェアしているのに自分には全く回ってこないところ。

 ――ご愁傷様。

 

 最後に、アパートのやつ。下町の古いアパート。俺と同じ家賃で2Kだとか(そこは羨ましかった)他も似たり寄ったり。

 なのだが、ちょくちょく前の住人宛に碌でもないのが来るとか。大体は直ぐに引き下がるらしいが、どうやらお猿さんが時折混ざっていて警察沙汰が絶えないとか。

 ――もうなんて言えば良いのか分からない。

 

 つまるところ、俺はこの部屋が気に入っているという話。

 しかし、この通り。俺はとても忙しかった。

 部屋の隅に掛かっているカレンダー。月は七月。丁度一年前。

 それから俺は忙しかった。

 正直なところ、この部屋でこうやって目覚めるのも久しぶりだった。

 ずっと泊まり込みだった。

 だからそう、今、そのカレンダーを見て思い出したのだ。

 

 「……ああ、くっそ」

 

 寝癖に絡まる髪を気にせず掻き混ぜていた。何故、今の今まで忘れていたのだと。

 自責の念が脳髄に絡みつく。

 遅すぎた。もう遅すぎた。あまりにも遅すぎた。

 俺は思い出してしまっていた。

 忘れていればよかった。無責任で最低だけれど、忘れていればこんな感情は芽生えなかった。胸を掻き毟るような激しい衝動に駆られる必要はなかったのだ。

 ベッドの上で片膝を抱えて丸くなる。もう、どうしようもないから自分自身の内側で抱え込むしかなかった。

 

 「くっそ……」

 

 ベッドの隣。一度も使ったことのないベランダの方。暫く開けてないカーテンを今、久しぶりに開き。

 始めに目にしたのは、反射するあまりに情けない顔。

 

 「くっそぉ!!」

 

 見たくないあまりに硝子を叩き砕いてしまう。

 バラバラとけたたましく砕ける。

 脳裏に過る敷金。脳裏に過る隣人。

 ――直ぐに気づく。もうそんな者は居ない。

 ――そう、同期も誰ももう居ない。

 割れた硝子を物ともせずに踏みつけて、俺は引っ越して二回目のベランダに踏み出した。

 鉄製の錆が目立つ柵に手を掛けて、広がるもう見慣れてしまった光景が視界一面を埋め尽くした。

 

 「……もう無いんだよ」

 

 ぽつり。

 

 「もう、あの屋上は無いんだ…………!!」

 

 耐えきれず、声になる。

 けれど、聞くものは彼一人。

 虚しさは押さえきれず、嗚咽となる。

 けれど無情かな。

 日夜問わず身につけている、身につけざるを得ない彼のブレスレッドが彼に告げる。

 

 

 ――――敵が来た、と。

 

 

 直後、東京に大きなものが降ってきた。

 

 

 

 

 ++++

 

 

 

 

 ――31536000秒前から私は戻ってきた。

 この惑星ホシに私は、一年ぶりに降り立った。

 指定の場所。時間も丁度。

 きっと彼は来る。

 だから、あの時の遅刻の謝罪を聞こう。

 そして、彼の言葉を聞こう。

 きっと、聞ける。



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