爽やかな朝?

 臨海学校の二日目。朝、桜崎の生徒達は、ホテル内のレストランでバイキング形式の朝食をとっている。アタシも琴音ちゃんと一緒に、パンやスープを取ってはトレイに乗せていた。

 ただこのバイキングで出される料理と言うのは、普通のホテルの朝食とは比べ物にならないくらい豪華な物で、琴音ちゃんはついつい取るのを躊躇してしまっている。


「私、本当にこれらを食べていいのかなあ?何だか罪悪感が……」


 特待生の琴音ちゃんは、今回の臨海学校の費用も免除されている。それだけだったらまだ良かったのだろうけど、一般庶民からすれば少々お高い食事までタダで食べられるという事は、どうやら気にしてしまうらしい。昨夜のディナーバイキングでも同じことを言って、結局あんまり口にしていなかったっけ。だけど。


「ダメだよ、朝はしっかり食べなくちゃ。琴音ちゃんなら、ダイエットもする必要ないしね。ほら、これなんかおススメだよ」


 そう言っておかずを一品、琴音ちゃんのお皿にとってあげる。特待生が優遇されるのは、頑張って勉強して好成績を収めた結果なのだから、何も気にする必要なんてないのだ。

 けどそう言えば、夕べは夕食をとっている琴音ちゃんを見た心の狭い人が、「特待生がただ飯食べてる」なんて言ってたっけ。アタシが睨み付けると、それ以上は何も言ってこなかったけど、そう言う人がいる事が悲しい。

 本人は何も悪くないのに、窮屈な思いをする。その辛さが分かっているから、琴音ちゃんは昨日、エリカちゃんを放っておけなかったのかもしれない。


「そう言えば、エリカちゃんって今日は来てるのかなあ?」

「うーん、どうだろう?」


 このレストランは広い上に、桜崎の生徒でごった返していて、エリカちゃんを見つけるのはなかなか難しい。今日の自由時間、一緒に出掛けないかって誘いたいのに。

 本当は昨日の夕食の時にでも誘いたかったのだけど、生憎エリカちゃんの姿を見つけることは出来なかった。エリカちゃんと同じクラスだという女の子には話を聞けたけど、その子はエリカちゃんと話をしたことも無くて、もちろんエリカちゃんがどこにいるかも知らなかったっけ。


『あの子同じクラスなのに、一学期の間中、話もしなかったのかなあ?』

『うん。やっぱり悲しいね』


 話を聞いた後、そう言って琴音ちゃんと二人でしんみりした空気になっていた。本当にクラスで孤立してしまっているのだろう。

 そしてその後もアタシ達は手分けしてエリカちゃんを探したけど、結局見つからず。もしかしたら昼間の事がショックで部屋に引きこもっているのかとも考えた。


 部屋まで行ってみようかと思ったけど、生憎その部屋もわからずに。御門さんに聞いてみたら分かるかもしれなかったけど、生憎そんな気にはなれなかった。だって御門さんだもの。部屋を聞くどころか、面倒事に巻き込まれかねない。

 と言うわけで結局昨夜は誘う事ができずに、今日こうして探していると言うわけだ。


「お姉さんの方なら、すぐに見つかるのにね」


 そう言うと、琴音ちゃんは思わず苦笑する。実はさっきからどこからか、「おーっほっほっほ」という高笑いが耳に入ってきているのだ。確認するまでもなく、あのハイテンションな笑いは間違いなく御門さんだろう。何をそんなに笑っているのかは分からないけど、あの人の場合普段からああだから、探さなくても否応なくどこにいるかが分かってしまうのだ。

 しかし、そんな御門さんとは違って、肝心のエリカちゃんの方は……あれ?


「あ、いた。エリカちゃんだ」


 アタシが目を向けた先には、暗い顔をして項垂れているエリカちゃんの姿があった。何だか元気が無さそうだけど、やっぱり昨日の事を引きずっているのかなあ?朝からハイテンションなお姉さんとはえらい違いである。

 まあいいや、見つかったことだし、声をかけてみよう。アタシと琴音ちゃんはさっそくエリカちゃんに近づいていって、その肩をポンと叩いた。


「エーリーカーちゃーん♡」


 暗い雰囲気を吹き飛ばすように、明るい声で名前を呼んだ。だけど。


「―——ッ!ごめんなさい!」


 エリカちゃんはいきなり謝ってきて、深く頭を下げた。

 え、ごめんなさいって、何のこと?訳が分からなくて困惑したけど、顔を上げたエリカちゃんはアタシ達を見て「あっ」と声を漏らした。


「春乃宮さんと……倉田さんだったんですね。すみません、てっきりお母さんかお姉ちゃんかと。間違えてしまってごめんなさい」

「それは別にいいけど、何か謝らなくちゃならないような事でもあったの?」

「それが……昨日あの後、お母さんやお姉ちゃんには平謝りで。その後はクラスの皆から白い目で見られたので、また謝り倒して……」


 それでつい、反射的に謝ってしまったと言うわけか。何も悪い事をしていないのにそんなに謝りっぱなしだなんて、可愛そうに。


「何だか大変だったみたいだね。けど、別にそんなに気にすることなんて無いんじゃないの?元々エリカちゃんは悪くないんだから」

「ハハハ、良いんですよ、気を使っていただかなくても。って、ああっ。ごめんなさい、私のせいで先輩達にまで気を使わせてっしまいました。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

「エリカちゃん!ちょっと落ち着いて!」


 昨日もネガティブ思考ではあったけど、今日は昨日とは比べ物にならないくらい酷い。いったいあれから、どんなことがあったのだろう?

 アタシがどうフォローすればいいか分からずに困っていると、先に琴音ちゃんが口を開いた。


「と、とにかく嫌な事は忘れて、まずは朝ご飯を食べよう。私達も一緒に食べていいかな?それとも、誰かと食べる約束してる?」

「……いいえ。食べる約束どころか、学校ではまともに話をする人さえいませんもの」

「―———ッ!と、とにかくそれなら、一緒に食べても大丈夫なんだね。行こう」


 そうしてアタシ達は、エリカちゃんを連れて近くのテーブルに着く。もうしばらくしたら、壮一や空太もやって来るだろう。それまでの間、もうちょっとだけエリカちゃんとお話をする。


「エリカちゃん。こう言うのもなんだけど、御門さんやお母さんが、その……少々常識を逸脱してる人だっていうのは、分かっているんだよね?」


 姉やお母さんの事をこんな風に言うだなんて、我ながら酷いとは思うけど、本当の事なのだから仕方が無い。するとエリカちゃんは、小さくコクンと頷いた。


「分かってるんだね。でも、だったらそんな人達の言う事なんて、真に受ける必要なんてないんじゃないかな?」

「それは……頭ではわかっているんですけど、小さい頃から厳しく言われてきたせいか、どうしても気にしてしまうんですよ。お母さんやお姉ちゃんが言うには、私には人を動かすだけの力や、惹きつけるだけの優雅さが無いって。それでいつも、怒られているんですよ」

「人を動かす力ねえ。御門さんの場合動かすというより、自分勝手なことをして振り回してるだけだと思うけどなあ」

「優雅さ……あの笑い方の事なのかなあ?」


 御門さん達がこの子に何を求めているのかは謎だけど、絶対にそっち方面に染まってはいけないような気がする。何と言うか、人として大事な物を失いそうな不安があるよ。


「まあ御門さん達が何を理想としているかは置いとくとして、それにしたってやり方が間違ってると思うよ。エリカちゃん、お母さんやお姉さんの事、実は苦手でしょ?」

「はい、少し……いえ、だいぶ苦手です。最近では『ザマス』って言ったり『おーっほっほっほ』って笑い方をする人を見ただけで、怖いって思ってしまいます」


 でしょうねえ。『ザマス』と言ったり『おーっほっほっほ』なんて笑い方をする人が、あの親子以外にいるかどうかは別として、このままじゃこの子は一生窮屈な思いをするのではと不安になってしまう。


「ああ、何だか今でも、お姉ちゃんの笑い声が聞こえてるみたいです。さっきから幻聴が止まないんです」

「ええと、エリカちゃん。たぶんそれは幻聴じゃなくて……」

「御門さん、今絶賛高笑い中だから」


  さっきからレストラン中に、狂ったような御門さんの高笑いが響いているからねえ。まあ御門さんの場合あれが平常運転だから別段驚きはしないけど、妹であるエリカちゃんは恥ずかしそうに頬を赤く染める。

 うーん、いくら気にすることは無いと言っても、身内があんな奇行をしているのだから、この反応も仕方がないか。


「お姉ちゃんはまた、周りに迷惑をかけて。私は恥ずかしいです……」


 テーブルにうつ伏せて、エリカちゃんは泣き言を言うのだった。

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