第18話 交渉

 王室側からの回答に対してストライキを実施する騎士団は反発し、結局、翌日にロックアウトが実施された。式典まで1週間ほどというのに全くもってその実施のめどは立っておらず、王室内はどこに行ってもピリピリしている。食事時には陽気な騎士と文官たちでにぎわう城内の食堂にさえ人が寄り付かなくなり、少ない客たちも声を潜め合って深刻そうな顔をしていた。


 ストライキが終わらないことには式典準備が進められないということもあって、秘書課の執務室内では所在なさげに職員たちが仕事をするふりをして過ごしていた。秘書課長は朝から会議でどこかに行ってしまっているし、周囲の職員たちもこそこそとうわさ話をしながら時間が過ぎるのを待っている。

 やることも無く手持無沙汰になった私は、執務室を抜けて一人中庭に向かってみることにした。中庭では大勢の騎士たちが体力錬成として走り込みや筋力トレーニング、格闘訓練などを行っている。ロックアウトにより剣と魔法の使用は不可能となったが体力強化や素手の訓練はどこでもできる。そのため向上心旺盛な騎士たちは少しでも練度を保とうと、できる範囲で訓練を続けていた。

 その中で一人、複数の騎士を同時に相手にして素手で圧倒している彼の姿があった。私は中庭に面した廊下の窓から、遠巻きにその姿を見つめる。


「どうした恋する乙女みたいな顔をして。まるで士官学校の訓練を除いている女学生みたいだぞ」


 アルディがそっと肩に手を置き後ろから声をかけてくる。


「果たして彼は何を考えてストライキなんかしたんだろう……。それも私に何の相談も無く……」


 私は振り返らずにささやくような声を絞り出した。それはまるで風に吹き飛ばされた木の葉のかすれるような音だった。


「それは彼のみが知るってやつじゃん? 彼と話したの?」


「いや、ストが始まってからは騎士団宿舎に寝泊まりしているみたいで、全く話せていなくて……」


「おいおいアンタ秘書官だろう? あいつをサポートすんのがアンタの役目じゃないのかい?」


 アルディが呆れたように言う。その手には何かよく分からない魔道具のようなものが握られていた。おそらく彼女も仕事の途中で抜け出してきたのだろう。


「そんなこと言っても……だったらなぜこんな大事な決断をするときに勇者様は私に相談してくれなかったのかしら? 確かに仕事で衝突することはあったけど、信頼はされていると思っていたのに……」


「いや、逆に巻き込みたくないから何も言わなかったんじゃない?」


「私が秘書官である以上巻き込まれないなんてことはあり得ないのに……」


「じゃあ聞くが、事前にストの情報を聞いていたらアンタは一緒にストに参加した?」


 そう言われると、即座に肯定できない。私は彼を信頼しているし、その理屈っぽいところもちょっと面倒くさいとは感じるが基本的に正論だと思っている。それに、今回のストライキも決して間違ったことを言っているわけではない。だけれどそれ以前に私は、王室職員として、王室に反抗することは許されないという強迫観念のようなものがあった。


「……分からない。多分ストにならない解決方法を探して、それでもダメだったら……相談した? でも相談できる相手なんて……」


「そこは私って言ってほしいね」


「忘れてたわ」


 そういって私たちは笑い合う。アルディのおかげで少し気が楽になったような気がした。


「それはともかく、今からでも遅くないんじゃないの? 何かできることがあれば協力するよ?」


「ありがとうアルディ。今はもう少し自分の気持ちと向き合ってみたい。彼が何を考えていたのか、私がどうするべきか……」


「そうか。まぁ私は研究所にいるから、何かあったら連絡ちょうだいよ。ストがあろうとなかろうと、研究者は研究するのみだから」


「アルディは本当に研究の虫だね」


「ホント、これじゃあアイツの言ってたシャチクってやつと変わんないよ」


 アルディはそういいながら笑って廊下を歩いて行ってしまった。その後姿を見ながら私は考える。そもそも彼は何がしたいのだろうか。いつも契約だの報酬だのにこだわっていたが、それは彼が金の亡者だからだろうか。一面的に見ればそうかもしれないが、何かが違うような気がした。

 彼の行動には、何か、統一的な原理があるような気がしてならない。それはきっと私たちが見過ごしていた、否、気が付いてないことなんだろう。彼はワイバーンを目の前にしても、討伐依頼の契約をすることにこだわった。ルシフェル戦の時には敵を前にして就業の鐘とともに帰ろうとしたし、ブルボン王国外遊の時には契約書の一部を変更するようゴネた。果たしてそれらは何を意味するのか。それに今回のストライキ。


 確かにモリソン騎士団長の言っていたように、この件に関してはどちらが正しいということが断言できない種類の問題だと思う。騎士たちに限らず私たち文官だって激務だし、残業代なんて出たためしがない。他方で王室の財源は限られているし、私たち王室職員が一般臣民と比べて恵まれた、いや特権的と言っても良い立場にあるのも事実だ。

 だから騎士団の主張も、王室の主張も、どっちかを選ぶことなんてできない。だけどそんな袋小路に居続けたらいつまでたっても答えが出ずに……このままじゃ王室が無くなってしまう。


 王室が無くなる? そんなこと想像したことも無かったけど、それが現実になるのだろうか。私の7年間過ごしてきたこの職場が……1200年の歴史を誇るアルビオン王国が。いや、人が必ず死ぬように、この国もいつかは滅びるんだろう。そう、そうするとこの仕事も……。


 その時、私の頭にかすかなイメージが閃いた。彼の考えはまだ分からないし、私の役人としての常識からすればこんなことあり得ない。しかし、今の事態を打開するにはそれしかないように思われた。もうこれでだめならその時だ。

 失敗したら仕事を辞めればよいし、そうすればきっと親が落ちぶれた商会の次男坊あたりを宛がってくれるだろう。とりあえず結婚して引きこもればきっと王室職員だったことも良い思い出くらいにしかならないだろう。

 この仕事は好きだけれど、それがすべてじゃないんだ。私は意を決し、廊下を戻り始めた。振り返るときに、かすかに彼と目があった気がした。


*****


 ハンナ様の執務室に着くと、秘書課の後輩が何事かと駆け寄ってきたので「急ぎの用ができた」と言ってそのまま部屋に突入する。ドアを開けると宰相、宮廷大臣、それに宮廷省の全課長がハンナ様を取り囲んで会議をしていた。いや、正確に言えば騎士団長以外の全課長級職員というべきか。全員の目線が一斉にこちらに向く。


「リリー君いきなり何だね! 許可はあるのかね!」


 秘書課長が立ち上がってこちらを指さす。


「許可はありません。今回のストライキの解決策のご提案に上がりました」


「そんなに簡単に思いつくならとっくに解決してるだろう! そもそも本来業務はどうした? あの勇者は未だ好き勝手やっているのか? アイツの手綱をきちっと握っておくのが君の仕事だろう!」


「お黙りなさいクソ課長。私の部屋で勝手に怒鳴るなんて、ペットのインコでもしないわよ。犬小屋からやり直しなさい。……で、リリー、いきなりどうしたの? アポなしで来るとはあなたらしくない。何か事情があるのかしら?」


 ハンナ様の氷のような声色に、秘書課長は真っ白を通り越して透明になってしまった。そんな上司を横目に、私は彼女に近づく。


「突然の訪問大変申し訳ございません。この度の件について勇者様の行動などを振り返って考えたところ、解決策をご提案できるのではないかと思い、失礼を承知で伺わせていただきました。どうかお許しください」


 私が早口で言い切って深く頭を下げると、ハンナ様は聖母のような笑みをしながら私の手を取った。


「あなたも勇者様の担当秘書官として責任を感じていたのね。辛い思いをさせてごめんなさい。私はいつでも歓迎よ。ぜひあなたのお話を聞かせて」


「はい。ご承知のように、現在、騎士団と王室では主張が真っ向からぶつかり合って出口が見えない状況です。騎士団は給料増額と残業代支給を要求し、王室は財源不足を理由にそれを拒否するという……。しかしお金が有るか無いかというのは表面的な話であり、問題の根本はもっと別のところに、私たちがあまりにも当たり前に考えており、疑いすらしなかった部分にあるのではないかと思うのです」


「当たり前……とは、どんなことですか?」


「私たちの仕事です。そもそも仕事量が多すぎるのです。この国は1200年にわたる長い歴史を持ちますが、そのせいで現在では不必要な慣習や制度が積み重なっています。それにそれらを限られた人員で維持しようとするあまり、騎士や文官に無理が来ているのではないのでしょうか。つまり、今いる人数で無理のない範囲で処理できる量の仕事のみを行い、それ以外の業務は思い切って止めてしまうのです」


「そんな! それこそ王国の歴史を否定するようなものだぞ! 先人たちの知恵をないがしろにするのか!」


「口を慎みなさい人事課長。オークの餌になりたいのですか?……なるほど、リリー。確かにこの国には無駄な手続きが多すぎるとは私も感じていました。しかし、それはどうやって行うのですか?」


「そこはぜひ、ハンナ様にご協力をお願いしたい部分なのです! ハンナ様が率先して仕事をしなくなれば、下も仕事をしなくなります。もちろん必要な仕事は続けなければいけません。取捨選択なんです。それを王室のみんな一人一人がやれば、確実に仕事は減ります!」


「そんな怠惰なことを許すと誰も仕事をしなくなってしまうではないか!」


「ちょっと消えなさい、総務課長。あなたの存在は夏の羽虫より不愉快です。……なるほど、職員の主体性に任せるのですね。しかし、そうすると本当に必要な仕事まで無くなってしまうことはありませんか?」


「その可能性も考えました。しかし、私たちはこの国の最高のブレーンとして、王室を支え続けているというプライドがあります。私も自分の仕事に誇りを持っていますし、それはきっと多くの王室職員も一緒だと思うのです。だからこそここは思い切って職員を信頼して、もっと大きな裁量を持たせてはくれませんか?」


「王国法の基本は王の絶対権力だぞ! その大原則を否定するのか!? 陛下への侮辱になるぞ!」


「法務課長、邪魔です。あなたの空っぽの頭は意味のないへ理屈しか生み出さないのだから、周りのために壁のシミにでもなりなさい。……リリー、私もあなたたち王室職員が心から頑張ってくれているのを知っているし、信頼してもっと裁量を与えたいとも思うわ。けど、それでも残業は残るんじゃないのかしら?」


「確かに、時期的な繁忙期はありますし、ある程度の残業は避けられないでしょう。しかし確実に今より良い状況にはできます。そうすれば残業時間も減るでしょうし、その分残業代も出しやすくなるかと思います」


「さすがに残業代を出すような余裕はありませんなぁ」


「目障りです財務課長……と言いたいところですが、確かに無い袖は振れません。やはり最後は財源問題に行き着いてしまうのですね。リリー、あなたの案は素晴らしいですが、それだと最後のお金の部分だけがどうしても解決できませんね」


 ハンナ様の優しい言葉が余計に心に響いた。やはり理想だけではどうしても解決できないものなのだろうか。私の言うことはあまりにも幼稚で現実離れした机上の空論なのだろうか。




「王女が自腹で払えばよいじゃないか」


 ぶしつけな声の方を見ると、ドアの脇に勇者が立っていた。


「……勇者! 不敬な! 貴様王女殿下に向かって何たることを!」


「大臣、あなたの存在の方が不敬です。一度馬糞に生まれ変わってからやり直しなさい。……で、どういうつもりかしら、勇者様?」


「どうもこうも、アンタの懐がずいぶん温かそうだからそれを還元すればよいと言っているんだよ。そこの秘書官の言うことはもっともだ。まず、アンタたちは考え方を根本から変えなくちゃならない。そのためには上から身を切る必要があるんじゃないか」


「宮廷機密費のことをおっしゃっているのかしら? その金額は極秘で全容は王族しか知らないのよ。あなたはそこに手を突っ込もうというの?」


「……先日のブルボン王国外遊時の傭兵ネルソンによる襲撃、主犯はアンタだろう」


 部屋の中の全員が目を見開いて彼を、その次にハンナ様を見た。


「そんなこと言って! ただで済むと思うなよ! 勇者だからって良い気になるな!」


「宰相、タマだけでなく口まで不能になりたいのかしら? その臭い口を二度と私の前で開かないで頂戴。……で、証拠はあるのかしら?」


「簡単なことさ。あの外遊は直前まで騎士団にすら知らされていなかった超極秘扱いの外遊。なのにネルソンは200人以上もの傭兵を集めて用意周到に隊列を襲った。これはずいぶん前からリークがあったとしか思えない。それができる立場と言えばかなりのトップの人間に限られる。さらには傭兵たちのあの統一された装備……かなりの金額が機密費から支払われたんじゃないか? そう思って試しに捕まってみれば、まぁよくもベラベラと喋ってくれたよ。あいつは軍事は一流かもしれないが交渉は三流だな。必要なことを聞き取るまで慎重に相手をしてたから怪我してしまったが、おかげで裏取引の契約書まで手に入れることができたよ」


 私だけでなく大臣や課長も信じられないものを見るような目で勇者を見ていたから、彼らも本当に知らなかったのだろう。ただ宰相だけが、真っ青な顔をして立ち尽くしていた。


「さすが、私が見込んだだけの勇者ね。そうよ、隊列を襲わせたのは私の指示によるもの。ネルソンとは騎士団じゃできないような仕事をお願いする間柄だったから、気安く受けてくれたわ。まぁ結構な額が飛んで行ったけど、おかげで無法者も一層できて一石二鳥ね」



「ネルソンに隊列を襲わせたのは、私の実力を試すためか?」


「もちろん。勇者様の判断力、戦闘力、胆力がどのくらいなのか見てみたかったの。そしたら予想以上の働きぶりじゃない? つい面白くなって、面接まで受けちゃったわ」


「こっちはいい迷惑だよ。……それでどうだい? この件についてはもう終わったことだし、私としては正直どうでも良いんだ。ただゴロツキにばら撒くくらいの金があるのなら、自分の部下に使ってやっても良いんじゃないかと思うんだがね」


「それは脅迫?」


「いや、あくまで王女陛下に対するご助言です」


 ハンナ様は少し考えるそぶりを見せた後、自分の机に戻って羊皮紙の束を取り出した。


「良いでしょう。正直私も魔王討伐の遠征に出る以上、王室機密費なんてどうでも良いと思っていましたので。テスコ財務課長、こちらが現在の機密費の状況です。精査の上、職員の残業代にいくら回せるか明日までに資料をよこしなさい」


「はい!」


 財務課長はハンナ様から紙の束を受け取ると大急ぎでドアから出て行った。


「それで勇者様、そういえばあなたは国王陛下と2人でお話がしたいそうですね」


「ええ」


「私も同席して構いませんか? よろしければ、このままご案内しますよ?」


「構わない。お願いする」


「では」


 そう言って2人は執務室から出て行ってしまった。後には石のように固まった幹部職員と私だけが部屋に残された。

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