第11話 国外にて 2

 傭兵たちが私たちを深追いしてくることはなかった。彼を狙っていたというのは本当なのだろう。窓から不安げに森を見続ける私の肩に、アルディが手を置いた。


「何があったんです! なんで隊列が全速力で!? さっきの爆音は何ですか?敵襲ですか!?」


 ヤハギ草を取りに行っていたエリザベスが帰ってきたようで、馬車の扉が勢いよく開いた。


「ネルソンだよ。勇者が攫われた」


 アルディが森から目を離さずに言う。


「攫われた! あの勇者様が? 正面から戦えば負けるはずなんて無いのに、なんでやすやすと敵の手に落ちたんですか!?」


「多分だが、騎士団に少しでも犠牲を出したくなかったんじゃないか? 私たちの第一優先はハンナ女王の護送だから、まずは隊列を逃がすという勇者の決断は間違いじゃない。それに恐らく、アイツにはきっと奴らを倒す算段があるんだろう。私達が足元にも及ばないような力を持っているんだ。必ず何か考えて行動しているはずだ」


 アルディのその言葉は、エリザベスにではなく私に向けられたものである気がした。それでも私は窓の外から目が離せず、遠ざかっていく森を見つめ続けていた。



 10分ほどして、隊列は通常速度に戻った。馬車の揺れは相変わらず不規則であったが、それでも先ほどまでの荒波のような揺れは収まり、今は風の強い日の波といったところだ。私たち3人は言葉も無く、ただ虚空を見つめながら馬の蹄の音に耳を傾けるしかなかった。


「確かにアルディ研究員の言う通りでした」


 ポツリとエリザベスがこぼす。私とアルディは顔をあげて彼女を見た。


「今回の襲撃は傭兵団によるもの。勇者様が単身対応されたから被害がありませんでしたが、もし戦闘になっていたら騎士団にも少なくない被害が出ていたはずです。当然傭兵団は毒矢を使ってくるでしょうから、そういった事態を考えて本来ならもっとヤハギ草を用意しておくべきでした。申し訳ございません」


 エリザベスがアルディに向かって頭を下げた。


「幸いにも今回は負傷者が出なかったからね。ヤハギ草も採取できたんだろう?」


 アルディが先ほどとは打って変わって優しい声でエリザベスに語り掛ける。


「はい……加工はまだですが。私はまだ医務官になって2年目で、実は国外に出るのも初めてなんです。いろいろ不安があったけど勇者様がいてくれたから大丈夫かなって安心しきっていました。申し訳ございません」


「気にしないで、とは言えないけど、今後も随行はたくさんあるだろうから気を付けてね。私たちもこういった失敗をたくさんしてきたから」


 アルディがエリザベスの肩に手を置くと、彼女は泣きそうになりながらアルディを見つめていた。


「全軍停止!」


 いきなり騎士団長の声が響き周囲が騒がしくなる。私たちも窓から外をのぞくと、先ほど彼が連れ去られたあたりの森で大きな爆発があったようで、巨大なキノコ雲が立ち上っているのが見えた。数秒後、轟音とともに衝撃波が馬車を揺らし、驚いて床に転んでしまう。隊列は防御魔法で守られているから被害は無いはずだが、それでも騎士団は大騒ぎになった。


「第2小隊! 爆心地へ急行して勇者様の姿を探せ! その他各隊は防御を固めろ! 被害があればすぐに報告を!」


 騎士団長が叫んでいる声が聞こえる。馬の走る音が馬車の横を通り去り、騎士たちの鎧がぶつかる金属音が響く。


「アルディ、あの煙は一体……」


 私は黙々と立ち上る黒煙に視線を釘付けながら訪ねた。


「分からん。少なくとも物凄い魔力の魔法でなければあんな爆発は起こせないだろう。それこそSクラス冒険者レベルだ」


「というと勇者様が……」


「あの規模の魔法を使える人間といったら、アイツしかいないと思う。もっとも、ここからじゃどんな魔法を使ったのか分からないし、そもそもアイツが生きているかさえ分からない」


 いつになく真剣な表情のアルディが爆発のあった方を凝視している。私たちの後ろではエリザベスがオロオロしながら立ち尽くしていた。私はいてもたってもいられなくなって馬車の扉に手をかけると、その手をアルディに掴まれた。


「今は騎士団に任せておけ。私たちは文官だ。戦場に出るのが仕事じゃない。それに、アイツがそう簡単に死ぬとは思えない。ここで待とう」


「でも……」


 私が言葉をつづけようとしたとき、どこからか「勇者様だ!」という声が上がり、あたりがさらに騒がしくなった。私は扉を開けて馬車を飛び下り、声のする方向に走った。


 彼は左手に怪我をしていたが、それ以外はいたって普通の状態で道を歩いていた。


「何をやっているんですか!」


 私が声をあげて駆け寄ると、彼は少しバツの悪そうな顔をしながらごまかすように頭に手をやった。


「いや、ちょっと調子乗って雷魔法使ったら、やりすぎて自分も食らっちゃって……」


「勇者様はまだ魔法の制御が完璧じゃないって言われていたじゃないですか! なんでそんなに危ないことするんですか!」


 彼が無事でいたことによる安心感と先ほどまで心を占めていた不安感とがごっちゃになって、ついつい声を荒げてしまう。そんな私を、彼は困ったように見ていた。


「すまないな……。まぁ傭兵団は全滅したし、大丈夫だろ」


 ケロっという彼の笑顔を見ると、それ以上怒る気にもなれなかった。後ろから追いついてきたエリザベスが彼の左手にヒール魔法をかけ、アルディは雷魔法の使用について彼に尋ねてきた。私は彼の右手をつかんだまま、治療が終わるまで彼の顔を眺め続けた。



*****



 その日の夜も野宿だったが、今回の外遊において野営は全く苦にならなかった。というのも、使節団の中ではハンナ様を除けば女性は私達だけなので、食事の準備からテントの設営まで、全て騎士団が至れり尽くせりの対応をしてくれたからだ。当然夜間の歩哨も免除されているため、食事が終わると自然と3人でテントの中に集まることになる。昨日まではどことなくよそよそしかったエリザベスも、日中の襲撃事件が起こってからは積極的に私たちとコミュニケーションをとるようになっており、テントの中はまるで女学校時代の寄宿舎のようであった。


「それで、何でエリザベスは勇者君にお熱なわけよ? やっぱり結婚したいの?」


 毛布に寝転がりながら乾燥レーズンをつまむアルディが問う。


「そりゃ王室中の女の子が噂しているじゃないですか。格好いいし優しいし、それでもって王国一番の英雄でしょ? 女の子だったら憧れません?」


 エリザベスも乾燥プラムを口に入れながらしゃべる。


「まぁその考えは否定しない。けどさ、来月式典で存在が公になった後、アイツは本格的に魔王討伐の遠征に行かなきゃならないんだよ? それで生きて帰ってこれるかもわからないし、そもそも帰ってくるまで何年かかるやら。前回魔王討伐の時は確か5年がかりの遠征だったって聞くよ」


「そりゃ分かりますよ。20代の一番良い時期に結婚生活も楽しみたいし、子どもだってたくさん産みたいですよ。けど王室の下っ端職員でしかない私が一発逆転できるチャンスって、もう勇者様をゲットするしかないじゃないですか! そんなチャンスが目の前にあって、みすみす逃せますか?」


「ずいぶんとアグレッシブね……」


 アルディが呆れたようにつぶやく。


「これが普通ですよ! 逆に先輩たちは勇者様ゲットして一気に英雄の妻になろうって気迫は無いんですか? リリーさんなんていっつも一緒にいるんですよね? 可能性一番高いじゃないですか?」


 いきなり話を向けられた私は口の中のホットワインを飲み込んで少し考える。


「いや、そりゃ私だって最初の頃はちょっといいかなって思ったりもしたよ? 顔もいいし、肌もきれいで背も高くって言葉遣いも丁寧だし。けど、仕事で付き合っていると嫌な部分も目に入ってきちゃってね……。友人として付き合う分にはちょうど良いのかもしれないけど、結婚となるとなぁ……」


「じゃあ逆に考えたらどうです? どうせあと数か月すれば魔王討伐の遠征でいなくなっちゃうんですよ? それまでの間我慢すればあとは自由に過ごせるじゃないですか」


 私は唖然としてエリザベスの顔を見る。いったいどういう思考回路をすれば物事をそうポジティブに解釈できるのだろう。


「まぁ私もリリーも王室に採用されてからは仕事一筋だったからね。実際王室の仕事って面白いし、給料もそれなりにあるから、ぶっちゃけ結婚しなくとも何とかなっちゃうんだよね」


 アルディが自虐的な笑みを浮かべた。


「それで保健省の大臣みたいになっちゃうんですよね? あなたたちはそれでよいかもしれないけど、私は結婚して退職したいんです!」


 保健省の大臣はアルビオン王国初の女性大臣であり、女性職員の憧れの的であった。他方で貴族の中にはそんな彼女を疎ましく思う人も少なくないようで、年配の男性職員が陰口を言っているのをよく聞く。


「まぁエリザベスちゃんはまだ若いんだし、いろいろ見ておいた方が良いと思うよ。結婚して家に入るにしても、執事とか家政婦長とかと上手くやるのに王室での経験って生きるみたいだし」


「リリー、あんたおっさんみたいなこと言うようになったね。どうやらずいぶんあの勇者君で苦労しているんじゃない?」


 アルディ―が肩を寄せてくるので、溜息を吐きながら乾燥ベリーをかじった。


「とにかく、今の話からすると、先輩方は私のライバルじゃないってことで良いんですよね?」


 エリザベスが目を輝かせながら私たち2人を交互に見てくる。


「まぁ私は今は魔法の研究の方が好きだし、勇者君の魔力には興味あるけど、男としてはどうでも良いかな」


「私は今そんなこと考える余裕無いです。とりあえず何とか式典まで終わらせないといけないし……」


「じゃあぜひ先輩たちも協力してくださいよ! 私の恋路が実れば勇者様もリリーさんに無理難題言わなくなるかもしれないし、アルディさんの魔法研究にもっと協力するように言うこともできますから!」


「それはヤダ」


 アルディが冷たく言い放つ。


「えー何でですか!?」


「だって、私らより5つも若い子がちゃっちゃと幸せになるのを協力するのって癪じゃん。勇者にアタックしたいなら勝手にやればいいと思うけど、協力はしないよ」


「そんなぁ……。アルディ先輩がダメでもリリー先輩なら協力してくれますよね?」


 可愛いらしい瞳でこちらを見つめられるとつい「良いよ」と言ってしまいそうだけれど、当然ながら他人の恋愛に首を突っ込んでいる時間は無い。


「残念ながら、私は今それどころじゃないからパスかな。まぁ式典が終わって勇者が私の手を離れたら、協力してあげても良いよ」


「えー! その頃にはもう勇者様は遠征行っちゃうじゃないですか。5年したら私も25歳ですよ! そしたらホント売れ残りじゃないですか」


「オイこら私らに喧嘩売ってるのか!? その言葉、王室女子職員の少なくない数を敵に回すぞ」


 アルディがそういいながらエリザベスに絡みつく。私はそんな光景を眺めながら彼のことを考えていた。試用期間が終われば彼は正式に王室職員となり、同時にパーティーを組んで魔王討伐の遠征に行くことになる。そうすれば専属の秘書官としての私の業務も終わり、晴れて通常業務に戻ることができるのだ。

 本来なら仕事が減って嬉しいはずなのに、どうしてもモヤモヤしたものが晴れなかった。あまりに忙しすぎて通常業務というのを忘れてしまっているのだろうか。そういえばここ最近は休暇もロクに取っていなかったことを思い出す。


「温泉行きたいな……」


 ポツリと私が呟くと、じゃれ合っていた2人がこちらを見た。


「たまには良いな! 式典終わったらバスーにでも行くか!」


「そうしたら私も連れて行ってくださいね! 先輩達だけはずるいです!」


「じゃあ混浴のあるところ探して勇者でも呼ぶが?」


「キャー! ……アルディ先輩何考えているんですか!」


 こうして私たちの夜は更けていった。

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