足立哲也の疑念

「アダチ、今日の仕事は丸太を運び入れるところまでで良い。それが終わったら帰って良いぞ」

 がたいの良い五十代ほどの黒人男性に英語で言われ、哲也は両手で抱えていた丸太を一旦地面に置いた。

 哲也が居るのは、開けた平地だ。とはいえ広さはほんの縦横十メートル程度の小さなもの。周りには木材を組んで作られた家 ― というよりも小屋のような代物だ。尤も『現代』においてこれより立派な家なんて早々ないが ― が建ち並び、此処が所謂『空き地』なのだと物語る。

 哲也はこの空き地に木材を搬入していた。此処には新しい家が建つ。その家を建てるための建材が、今まで抱えていた丸太なのだが……丸太を持ち込んだだけでは家にはならない。この丸太を加工し、組み立てる必要がある。そして今日は最低限の土台作りまでは進める予定だった筈だ。陽もまだ高いので、中断する理由もない。

「どうしてですか監督。今日は土台作りまで進める筈だったと思うのですが……」

 理由が分からず、哲也は首を傾げながら黒人男性……この『建築現場』の監督に尋ねた。監督は顔を顰めながら答える。

「大工の奴等が来ないんだ。なんでも南地区と中央を繋ぐ橋が壊れて、そっちの対応をするよう『国』から言われたらしい」

「成程、ライフラインの復旧が優先された訳ですか」

「南と中央を繋ぐ道はまだ少ないからな。橋一本使えないだけで、物流にかなり支障が出ちまう。大工はまだ数も少ないから、総出で直さないと復旧が何時になるか分からんそうだ。だから仕方ないんだが……こっちも短納期だからなぁ。納期が長ければある程度融通が利くってなもんだが」

 ぽりぽりと縮れた黒髪に覆われた頭を掻き、監督は心底困ったようにぼやく。

 けれども哲也にはその顔が、少し、楽しそうにも見えた。

「……なんか楽しそうですね」

「楽しい訳あるか。だが、まぁ、パソコンを叩くだけよりは、今の方が仕事をしている感じはあるがな」

 ガハハと笑いながら答える監督に、哲也も釣られて笑う。

 監督は元々アメリカのとある金融会社に務めていたエリート社員、だったらしい。

 デボラによるアメリカ没落の影響で務めていた会社が倒産し、夜逃げ同然に世界を渡り歩いて……アフリカにあるこの『国』に辿り着いたそうだ。嘘か本当かは分からないが、彼は意外と教養があり、勉強熱心な事を彼の部下である哲也は知っている。全くの出鱈目ではないだろうというのが哲也の意見だ。

「ま、そんな訳だからお前はとっとと仕事を片付けて帰れ。待ってる奴がいるんだからな」

「……分かりました。さくっと終わらせます」

 監督のご好意に甘え、哲也は丸太運びを再開する。丸太運びをしているのは哲也だけでなく、監督は他の作業員にも説明をしていた。全員が今の仕事をさっさと終わらせようと躍起になる。

 仕事は、ほんの三十分ほどで終わるのだった。

 ……………

 ………

 …

 掘っ立て小屋のような建物が並ぶ、居住区。何百軒もの小屋……のような家が並ぶという事は、それだけの人が住んでいるという事の証である。

 哲也が暮らしているのは、そんな居住区の一角に建つ家。他の家と見た目の違いはなく、表札代わりに出している草の飾り付けが目印だ。哲也は鍵のない木製の扉を片手で押し、開けて中へと入る。

 中は、広々としたリビングのような部屋になっていた……というよりこの部屋しかない。寝室もキッチンもこのリビング的大広間に設置されている。二十年前にテレビで見た、とあるアフリカ民族の家のようだ……という感想はそのものズバリであろう。この家の基本的な設計は、とあるアフリカ人がしたものらしい。

 二十年前の日本人からすれば、シンプル過ぎる構造にも思える。が、しばらく住めば意外と良いところも多いと気付く。例えば形がシンプルなので掃除の手間がない、というのが哲也的に好印象だ。

 それと帰宅してすぐに、家族の姿が一目で確かめられる。

「テツヤ、おかえりなさい!」

 哲也の帰宅に気付き、一人の女性が笑顔と共に哲也の方を見る。二十代ぐらいの若い女性。顔立ちは東南アジア人のそれだが、瞳が碧い。ややふっくらとした容姿は温かみを感じられ、傍に居るだけで安らぎを与えてくれるだろう。

 そして彼女のお腹は、とても大きく膨らんでいた。少し覚束ない足取りで哲也の下に来る姿は大変健気で可愛らしいが、哲也からすると色々心臓に良くない。

「イメルダ! 身重なんだから無理をしたら……」

「無理なんてしてないわよ。妊婦でもちょっとは運動した方が良いって、テツヤの国では言われてなかったの?」

「む……いや、すまない。その手の知識はあまりなくて……」

「だから、そんなに気にしなくて良いの」

 真面目に謝罪する哲也の頬を、イメルダという名の女性はにこやかに笑いながらつんっと突く。ちょっとばかり子供っぽい仕草に、哲也も思わず笑みが零れた。

 イメルダは哲也の妻である。五年前、この『国』で暴漢に襲われていたところを哲也が助けたのをきっかけに交際するようになり、二年前に婚約を結んだ。交際時は「二十近く歳が離れていて果たして上手くいくのだろうか」とも思ったが、付き合えば付き合うほど馬が合うもので。収入的理由がなければ、交際一年で結婚していただろう。

 結婚二年目の今では、第一子がイメルダのお腹に宿っている。父親になるという実感が、哲也の心を幸福で満たしていた。

「ところで、今日は随分と早い帰りね。どうしたの?」

「ああ、実は大工達が来られなくなってな。丸太運び以上の事が出来なかったんだ。なんでも南区の橋が壊れたらしい」

「ああ、その話は噂になってるわね。大工さん、南区に住んでいたの?」

「いや、橋の修理に駆り出されたそうだ。お国の命令だそうだよ」

「成程ね」

 哲也の説明を聞き、イメルダは納得したように頷く。

「悪いところをすぐに復旧しようとするのは、この国の良いところね。私の生まれ故郷の国より、政府はマシかも」

 それから冗談めかした言い方で、そう付け加えた。

 国。そう、此処は国だ。

 神聖デボラ教国という名の国である。

 二十年前に結成されたデボラ教。そのデボラ教信者が、今からほんの数年前に作り上げた国だ。一介の新興宗教が始めたものであるが、その内実はかなり本格的なものである。

 そもそもにして、現在の地球で国と呼べるものは殆どない。デボラにより地球全域が寒冷化し、世界中の農業が壊滅。食糧不足を起因とする暴動から社会秩序が崩壊し、国家機能が止まったからだ。

 アフリカはこの環境変化の影響を、あまり受けなかった。そのため農畜が可能な環境が残り、大勢の人を養える条件を保っていたのだ。そしてアフリカの土地は決して農業に不向きなところばかりではない。例えばジンバブエは植民地時代、世界でも有数の農業国だった。アフリカの農業が上手くいかない原因は、主に政治的なものであった。

 デボラ教が何時頃からアフリカ大陸に目を付けていたかは分からない。或いは世界中で国を興そうとして、アフリカだけが幸運に恵まれていたのかも知れない。なんにせよ気付けば彼等はアフリカの地に、立派な農業施設を作り出していた。農作物を狙う者も多かったが、『信仰心』によって結ばれた彼等は強固な軍隊のような統率も兼ね備えていた。外敵を尽く撃退し、地域はどんどん発展した。

 更に彼等は、広い範囲から『移住者』を求めた。来る者は基本拒まずに受け入れ、デボラ教への改宗も強いる事なく、職業の斡旋をして移住者の生活安定を図る。デボラ教国と名乗りながら、国民の八割は非デボラ教徒らしい。哲也も彼等に招かれ、デボラ教徒にならずに『国民』となった身だった。

 人が増えると社会はより発展する。職業が専門化する事で、小規模な集団よりも生産性が向上するからだ。生産性が高まればより多くの人口を養えるようになり、生活も豊かになる。そうするとまた人が増えていき……

 これを繰り返し、この国は国家と呼ぶに足る規模まで成長した。今も発展を続けている。

 デボラにより滅亡寸前まで追い込まれていた人類は、細々とだが再起を始めていた。それは哲也にとって嬉しい事だ。産まれてくる子のために、未来は明るいものであってほしい……哲也自身、希望があるから子供を作ってしまった訳で。

 しかし同時に、小さな違和感を覚える。

「(……デボラ教って、終末思想の類じゃなかったか?)」

 自警団に居た頃の知識を思い返す。デボラ教は、人類が穢した地球はデボラにより浄化され、地球の意思と一体化した者だけが綺麗になった地球で暮らせる……確かそんなものだった筈だ。

 しかし彼等がしている事は、文明の再建に他ならない。デボラ教のいう穢れがどんなものかは知らないが、人間が地球を穢したというのなら、文明を再建する事は穢れにならないのだろうか? 現に人が集まり、産業化が進んだ事でこの国の一部では大気汚染が起きている。汚染といっても炭焼きの煙であって、古代の人類もやっていた程度の事だが……

 何か、おかしい。

 おかしいが、何が目的かは分からない。デボラ教は何を求めてこんな都市を……

「もう、テツヤったらまた難しい顔してる」

「ふぐっ」

 考え込んでいたら、イメルダがほっぺたを両手で摘まんできた。思考を中断させられた哲也に、イメルダはにっこりと微笑む。

「それより、そろそろお昼よ。一緒に食べましょ。今日はあなたの好きな豆のトマト煮よ」

 そしてイメルダはそう言って、玄関口に立ったままだった哲也を家の奥へと連れていこうとする。

「……ああ、そうだな」

 哲也はイメルダの誘いを受け入れた。哲也は考えていた事を全て頭の隅へと寄せてしまう。

 十年前なら、食事など後にしていただろう。しかし今の彼は十年前とは違う。

 窓から見えるカメルーン山を眺めながら、愛する人と共にする食事は格別なのだと知ってしまったのだから……

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