及川蘭子の見解

 中国にデボラが上陸した。

 先月に行われたこの報道は世界を駆け巡り、政府・民間問わずに大混乱を引き起こした。

 何しろ今や多くの人間……それこそ政治家さえも含む……が、デボラは中国が開発した生物兵器だという『陰謀論』を信じていた。勿論その陰謀がある程度の合理性 ― 何故か・・・今までデボラは中国を攻撃していないなどの ― を有していたというのもあるが、何より侵出と蹂躙を行う中国への恨みから、広く人々に受け入れられてきたのだ。

 だが、デボラは中国を襲った。

 あまつさえ、中国が開発していたという『対デボラ兵器』を破壊している。こうなると陰謀論者お得意の『自作自演説』も説得力が欠けてしまう。わざわざ対デボラ兵器なんか作って破壊させるなど、自作自演にしたってまどろっこしいのだから。勿論それでも頑なに信じる人も居た……そう、居てしまった。

 皮肉な事に陰謀論は、不安定化する世界情勢の中、国や人々を結び付ける『絆』となっていた。中国という共通の敵を前にして、世界がある程度団結していたのだ。ところがその敵だという認識が実は誤解だったかもとなれば、結束はあえなく解れてしまう。共闘していた国同士が意見を違え、地域同士の関係すらギクシャクする始末。中には陰謀論への『ツッコミ』が、内紛にまで発展した地域もあるという。

 根拠のない非合理な盲信は、一時的には人類を纏めていたが……今やそれが不和の要因と化し、人の世界を破滅へと歩ませていた。

 尤も、及川蘭子はこの事態に左程関心を持っていなかった。紛争や戦争にあまり興味がなかったし、何より、この事態は『想定内』である。

 それよりも気になる事がある。

「やっほー。遊びに来たわよー」

 だから蘭子は、その場所を訪れた。

 かつての同僚である霧島セロンの研究室へと。

「……やぁ、及川蘭子。久しいね。何ヶ月ぶりかな?」

「さぁ? 半年ぐらい?」

 表情を引き攣らせながら尋ねてくるセロンに適当な答えを返しながら、蘭子は室内をぐるりと見渡す。

 セロンの研究室は、無数の書類や本、それから開発中のものと思しきパーツが置かれていた。しかし無造作に放置されている訳でなく、きっちりと整理整頓されている。なんでも適当に置いている自分の研究室とは大違いだと蘭子は思った。

 ……思いつつ、座ろうとしていた椅子の上にあった書類を適当に、他の書類の上に置いてしまうのが及川蘭子という人間なのだが。セロンの眉間にぴきりと青筋が走ったが、蘭子は気付かなかった。

 セロンは大きなため息を一つ吐く。

「……まぁ、良い。それで、なんの用なのかな? まさか世間話をしに来た訳じゃないだろう?」

「んー、まぁねー」

 蘭子は椅子に座ると、自分の髪を弄りながら視線を虚空へと向ける。

「あなたの作った『メカデボラ』、アレで本当にデボラに勝てると思ってるのか聞こうと思って」

 そしてなんて事もないかのように、疑問をぶつけた。

 セロンは、一瞬口を強く閉ざした。が、すぐに不敵な笑みを浮かべる。

「ああ、当然だ。逆に訊くけど、君は勝てないと思っているのかい?」

「ええ。無理でしょうね」

「随分迷いなく語るね。根拠は?」

「アイツは私達の理解の外にあるから」

 問われる事の一つ一つに、蘭子はハッキリとした言葉で答えていく。

「あなたなら知ってるでしょう? デボラの遺伝子解析結果」

「……もう三年も前に出てるやつかい? 当然だろう。中国政府直轄の研究所が出したからと一般人無能共は信用しなかったけど、生物系の知識があるまともな学者ならすぐに本当だと分かるやつ」

「ええ、それで合ってる。アレに書かれていたでしょう……デボラが、遺伝子改良を受けていない『天然物』だって」

 蘭子は記憶を辿り、三年前の論文を思い返す。

 デボラの遺伝子配列は極めて独特なものであった。

 されど同時に、極々自然な産物でもあった。アミノ酸配列の変異率から推定される、現代見られるエビ類の共通祖先からの分岐は約五億六千万年前。軟殻綱エビの仲間が現れたと考えられている時期より少し前であり、系統的にはエビと異なる生物だと推察される。解析された塩基配列は現代のエビ類と大きく異なるもの。あまりにも異なり過ぎて、未だ九割はどんな機能があるのか、それとも無意味なものなのかも分かっていない。

 もしも人工的な生命であるなら、『解析可能』な遺伝子がごちゃ混ぜとなっているだろう。しかしデボラの遺伝子は謎めいていて、されど規則性がある。

 即ち、デボラは野生動物だという事だ。

 一体どんな進化を辿れば、デボラのような生命が誕生するのか? そもそもデボラは何故地上に来た? 生物がどうしてあれほど頑強な甲殻や、航空機も落とす攻撃手段を有しているのか?

 まるで分からない。

 そんな分からない生物を、どうして倒せると断言出来るのか。

「理解の外、ねぇ……負け犬らしい言い草だね」

 蘭子の沈黙から何かを察したのか、セロンは、蘭子を見下すように語る。

「あら、そうかしら? 謙虚なだけのつもりなんだけど」

「確かに、デボラは分からない事だらけだ。しかし人間には知恵がある。自然にはそれがない。馬鹿共は自然に『知性』を感じるそうだが、ボクには全くの逆さ。無秩序で、品性の欠片もない、ごちゃ混ぜのカオスだよ。そしてカオスが相手なら、知性は必ず打ち破れる」

 セロンの言葉に、成程、と蘭子は思った。実際彼の言う事は正しい。自然の秩序だった仕組みは、無限大のランダムの中から『不適合』が省かれた結果に過ぎない。何百回もダイスを振るい、その中で気に入った・・・・・値を選び出して表に書き込むようなものだ。規則正しく見えて、内実は数でのごり押しでしかない。

 しかし知恵であれば、そのランダムな変異に直線で挑める。

 目標を持って直進するのと、右往左往しながら真っ直ぐ進んだものだけを選ぶ……どちらが速く先に進めるかは一目瞭然だ。『競争』をすれば、自然は人類の叡智に勝てない。セロンの言う事は全くの正論である。

 だが――――

「仮に、だ。デボラが本当に人の手に負えない怪物だとして、じゃあどうするんだい? 黙って見ていろと?」

 セロンの意見に納得しつつも反論を組み立てていた蘭子だが、セロンは次の問いを投げ掛けてくる。

 蘭子は一瞬声を詰まらせた。

「……生態を解明し、可能なら共存の道を探るのが、今の私が出したベターな結論。勝てない奴に挑むより、諦めて折り合いを付ける方がマシだと思わない?」

「確かにベターな悪くない結論だね。デボラにより地球環境が激変している点に目を瞑れば」

 蘭子が答えると、セロンはすかさず反論してきた。その反論は想定内だ。蘭子自身、自分の持論への『ツッコミどころ』として悩んでいる部分なのだから。

 日本の関東圏で、四月に降った雪。

 あれは今や異常気象などではない。地球の平均気温はデボラ出現前と比べ、八度も低下している。ここまで気温が下がると大気循環そのものがおかしくなり、影響が大きかった日本では夏の気温が二十度近く下がった。昨年の八月はついに雪が振り、恐らくは今年も……

 原因は明らかだ。デボラしかない。

 デボラには熱を吸収する力がある。恐らくは地殻にいた時からこの力を使い、地熱を活力に変えていたのだろう。

 なら、その力を大気中で使えば?

 推定質量百五十万トンもの巨体と、それを悠々と動かすほどの身体能力だ。生きていくだけで途方もない熱量を必要とする筈である。ただ一匹であっても、十年もいれば環境に大きな影響を与えるだろう。デボラを生かしておけば、この環境変化が更に悪化する可能性は高い。勝てる勝てないではなく、勝たねばならないという考えは、至極尤もなものだ。

 しかしながら蘭子が思うに、話はそこまで単純ではない。

 デボラが地上に来たからといって、地球が持つ熱の総量は変わらないからだ。デボラが今まで地殻で暮らしていたのなら、デボラが居なくなった地殻ではその分の熱が吸収されずに残っている。地殻の熱はじんわりと地表まで伝わり、デボラが大気中で吸った熱の『帳尻合わせ』をしてくれる筈だ。

 無論大気から直に莫大な熱を奪えば、気流の流れに変化を及ぼし、なんらかの気候変動を起こすだろう。されど世界の平均気温を八度も下げるのは、どう考えてもおかしい。

 デボラ以外の『原因』もある筈だ。そして原因となり得るものがあるとすれば、

「そのデボラによる気候変動を、人間が後押ししてるとしても?」

 人類以外にはないだろう。

「……」

「沈黙するって事は肯定よね? ま、思い付いてない筈ないけど」

 口を閉ざしたセロンに、今度は蘭子が言葉による追撃を行う。

「デボラの放つ放射大気圧、更には熱放射による防御……いずれも莫大なエネルギーを消費するでしょうね。そしてそれはきっと、地殻の中で放つような事はしてなかったんじゃないかしら」

 もしも地殻内で放射大気圧を乱射していたなら、人類が観測している筈だ。あんな出鱈目な破壊力を見落とすほど、十年前の人類は鈍感ではなかったのだから。地上に出てくるまで未観測だったという事は、平時は殆ど使っていなかったに違いない。

 ところが今のデボラは頻繁に放射大気圧を放ち、都市を吹き飛ばしている。

 何故か?

 人間の攻撃が、デボラを怒らせているからだ。何度も何度も、デボラが上陸する度に攻撃し、放射大気圧を誘発している。そしてその度に、デボラは大量の熱を吸収しているだろう。

 もしも人間がデボラを攻撃しなければ……

「……君の言いたい事は理解している。確かに、その通りだろう。人間が攻撃しなければ、デボラが地球にもたらす影響は最小限で済んだ筈だ」

 蘭子の考える『推論』。セロンは、それを認めた。

「だけど、じゃあどうするのが正解だったんだい? 何もしない事かな? デボラが上陸して町を津波で飲み込もうとも、踏み潰そうとも、見て見ぬふりをしろと?」

「そこを指摘されると弱いわねぇ。犠牲になる人からしたら、ふざけんなって話だし」

「そうだろう? 大体、もう手遅れなんだよ」

「手遅れ?」

 蘭子が問い返す。

 セロンは部屋に積まれている書類を一枚抜き、蘭子に差し出す。蘭子はそれを受け取り、読んで……目を見開いた。

「現在、世界の穀物生産の六割を中国の内陸部で担っている。この場所は現在まで、気候変動の影響をほぼ受けていないからね。国策で、多少強引だけど食糧を増産出来た。今や世界の胃袋はこの国が握っている」

「……けれども去年、気温の著しい低下が見られた。今年の気温は去年以上の低水準。生産量は前年度より三十四パーセントほど減るものと見られる」

「分かるかい? 世界の食糧生産能力が完全に潰えようとしている。今更共存しましょうなんて暢気な話を言える空気じゃないのさ」

 セロンの断言に、蘭子は言い返せない。渡された書類のデータは、彼の言葉の正確性を物語っていたのだから。

 中国による世界支配が不満だらけでも受け入れられている背景の一つが、食糧支援だ。食うに困らなければ、人間というのはそれだけで満足してしまえる。自力での食糧生産が難しいなら尚更だ。どれだけ腹の立つ統治でも、飢えて死ぬよりマシなら抗えない。いや、抗おうとする動きを潰そうとすらするだろう。機嫌を損ねて食糧供給を絶たれたら困るのだから。

 しかし逆に言えば、空腹を満たせなければ中国による支配などなんの価値もない。各地で反抗活動が盛り上がるだろう。いや、自国民への食糧供給が途絶えれば、内乱だって起こり得る。

 問題なのは、政府を打倒したところで何が変わる訳でもないという事だ。むしろ本格的な無政府状態となり、利権の争奪戦が起きる筈。破壊と略奪が至る場所で繰り広げられ、人の生存権を、人自らが削っていく。

 唯一この未来を変える方法があるとすれば、デボラを倒す事。

 デボラを倒し、これから世界は良くなるのだと人々に希望を与え……その間になんとかする・・・・・・しかない。

「……それで? あなたの方は具体案があるの? 『四型』は呆気なく破壊されたみたいだけど」

 自分の案よりもセロンの意見の方が『現実的』に人類を救えると思えた蘭子は、その上で問題点を指摘する。デボラを打倒しようにも、その矛がないだろう、と。

 するとセロンはにやりと笑った。予想通りの質問だと言いたげに。

「現在、『四型』の問題点を解消した『一式』を建造中だ。これでデボラを打倒する」

「実戦データを得た事で、具体的なスペックを決められた訳ね。で? 何時完成予定なの? この気候データから考えるに、二年もすれば中国最大の農地が穀物生産に適さない環境となるみたいだけど」

「八月末」

「……来年の?」

「今年の八月末さ」

 セロンの答えに蘭子は一瞬呆けた。呆けて、考えて……驚愕する。

 今年の八月末なんて、もう、あと二ヶ月しかないじゃないか。

「なっ……ど、どうやって!?」

「基礎フレーム自体は既に開発済みでね。外装に必要な機材も九割は集まってるし、最新型核融合炉も製造に着手している。必要なのは実戦データだけ。それがあれば、『一式』でデボラ倒せるか判断出来た。で、判断してOKを出した。それだけさ」

「でも、だからって二ヶ月は……」

「中国の国家体制は素晴らしいね。いざとなれば国民を総動員して兵器を製造出来るし、例え危険な兵器でも市街地の側・・・・・で開発出来る。民主主義国家じゃ到底出来ない事だよ」

 褒めるように、嘲笑うように、セロンは語る。蘭子はもう、何も論理的な言葉では言い返せない。かの国なら、それが可能だというのは分かっているからだ。

「……勝てると思う?」

 もう、言い返せるのはそんな問い掛けだけ。

「勿論。データは完璧に揃ってるんだ。なんの問題もないね」

 その問いに、セロンが答えを迷う筈もなかった。

「……分かった。なら、こちらから言う事はないわ。現状、あなたの考えの方が『合理的』なのは確かだし」

「そりゃどうも」

「聞きたい事は聞けたし、私は帰らせてもらうわ」

 蘭子は椅子から立ち上がり、研究室のドアの前まですたすたと軽い足取りで向かう。

 と、ドアノブを掴んだ状態でくるりと振り返る。横目で蘭子を見ていたセロンと目が合った。

「そうそう、一つ忠告をしておくわ」

「忠告?」

「叡智は真っ直ぐ走るのが得意だけど、自然はルールに縛られないのが得意なのよ。あまりデータを過信しない方が良いかもね」

 それだけ、と言い残して蘭子は部屋を後にする。

 どうせ、自分の忠告をセロンは聞き入れないだろう。

 聞き入れたところで、今更計画がどう変わる訳でもあるまい。デボラ打倒の計画は最早セロン一人のものでなく、無数の人間の思惑と利権が絡んでいるのだ。『納期』すらずらせまい。

 果たしてどのような結果になるのか。

 どちらかといえば人類存続を期待する蘭子の胸に、一抹の不安が残るのであった。

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