第3話 招かれざる招かれたモノ

 犬が歩いている。


 荒い息を吐き舌をだらりとたらし、脚を引きずり、体半分は火傷で毛が無く、皮膚は火傷でただれ血がジュクジュクとにじみ、顔半分も火傷で焼けた方の目は白く濁り、ひどく無残な状態になっている。

 あらぬ方向を向いた片方の後ろ脚は、道に擦られた足先が赤黒く染まっている。


 姿だけ見ても動いているのが不思議がられ、嫌悪から眉をしかめる者も居るだろう、可愛そうだと手を差し伸べる人もいるかもしれない。


 だが。

 この昼間に人の姿がない。

 初冬の時期だとしても。

 彼女の姿を見る者は居ない。


 脚を引きずり、一歩、また一歩。

 彼女自身でさえ、何処に向かっているか判っていない。


 その足が止まる。


 いつの間にか、深い森の中に居た。

 木々に囲まれた森特有の湿った枯れ葉の臭いがする。

 ヒンヤリとした湿った空気と、落ち葉の腐った臭い。


 それでも彼女が足を止めた場所は、何者かの通り道となっている場所。

 目の前にはそんな道、いや獣道すらない木漏れ日が照らし出す鬱蒼うっそうと生い茂った木々。


 血を流しすぎ朧になった意識でも、何かが警鐘を鳴らすのがわかる。


『これ以上はいけない』


 そして。


『この先にいけない』


 しばらく足を止めていた彼女は、進むのを選んだ。

 朦朧もうろうとしているせいもあるのかもしれない。

 舌をだらりとさせ、ずるりずるりと、脚を引きずり。


 おかしな事に、周りには彼女の荒い息と脚を引きずる音しか響いていない。

 虫の声も、鳥のささやきも、他の動物の気配さえも。


 どれほど歩いただろう、彼女の足が止まり、細い息も止まろうとした時。


 木々が開けた。


 地面は土が剥き出しになり、湿った土の香りがする。


 彼女の視界に入って来たのは、藁葺かやぶき屋根の古民家。

 人の住むところ、憎い人が住む場所。

 唸り声を上げようとするが、喉がつぶされヒュウと呼気がするだけだ。


 怒り、憎しみ。

 彼女は牙をむき出し威嚇をする。

 そして、本能が身体をすくませるほどの正体が判らない恐怖。

 それでも、なお足は進んでいく。


 古ぼけてはいるが、一抱えはある太い柱に支えられ、御屋敷と呼ぶに相応しい大きな家。

 庭木も何もない、ぽっかりと広がった地面の上に、まるで模型でも置かれているように立っている。

 まるで、模型のような御屋敷。


 その御屋敷の縁側に、人の姿があった。

 その人は、縁側に腰掛け、湯呑で茶をすすりながら羊羹をつまんでいるのだが、彼女にとっては、どうでも良い事だ。


 人が居る。

 子供たちを殺し酷い事をした、憎い相手本人ではないが、同じ人だ。

 歯を剥き出し、見える片目でにらみ付ける。


「あら? 珍しいお客様ね」

 長い艶やかな黒髪がサラリと音を立てるように肩から流れ、小さい桜色の唇から可愛らしいが落ち着いた声が響く。

 微笑みをうかべ、彼女に近づき手を伸ばしていく。

 彼女の威嚇など何事でもないように。


 カツン。


 乾いた固い音が響く。

 彼女が、近づき伸ばされた手に噛みついたのだ。

 あらん限りの力と思いで噛みついた彼女の牙は、その手を捕らえたはずだった。

 だが、まるでそこには何も無いように、その牙は空を切った。

 それなのに手が、憎い人間の手が彼女に触れる。


 焼けてただれた肌も、汚れた体も気にしないように。

 細く美しい指が触れたところから、熱も痛み苦しみも消えていく。

 彼女はいつの間にか地に伏せ、細いがやわらかい息をする。


「あなたがここに……、この場所にという事は、そう言う事なのでしょう」

 彼女の頭をなでる手を休めずに、人の女は話しかける。

 人の言葉なぞわからないはずなのに、その言葉は彼女に染み込んでいく。


「私に会えたのも、必然」

 白く細くしなやかな指が、彼女を撫でる。


「面白い子、あなたの望み……かなえてあげる」

 痛みと苦しみが消えた彼女は、かすかな灯火が消えていった。

 眠るように安らかに。


 人姿をした女は、細くしなやかな指を彼女から離し、音もなく立ち上がる。

 黒絹のような長い黒髪が流れるように揺れる。

 身を包むのは、黒を基調とした闇夜のような和服の着物、袖や裾に艶やかな赤い花の柄。


 この暗く深い森は、『魔女』の森、『魔女』を見つけ対価を払えば願いが叶う。

 暗く深い森は、人の姿にして、人ならざるモノの住処。


『魔女』は着物の裾で口元を隠し、まるで、新しい玩具を見つけた子供の様に、楽しげに笑った。

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