─間章2─ 初任務②

 洞窟に入ってすぐ、伸たちは異変に気付いた。前を歩いていた班長が早々に足を止める。トカゲの謎の力のお蔭で視界が確保できていた伸だったが、その視界の端がほんのりと青白く色づいているような気がした。

(ねえ、あそこ、もしかして明るい?)

『一端切るね』

 心の中でトカゲと会話し、目の接続を切る。すると確かに、洞窟の奥の方からわずかに光が漏れていた。

 班長の合図で四人は隊列を組み、注意深く先へ進んだ。しばらくすると、前を歩く愛理あいりの首に小さなほくろを見つけられる程に、視界が明瞭になってくる。道は一本道ではなかったが、四人は自然と光の強い方へ導かれていった。

「班長、あれ見てください!」

 伸の前を歩いていた愛理が興奮した様子で前方を指さす。見ると、人ひとりが通れるか通れないかくらいの大きさの穴が地面に開いていて、そこから青白い光が束となって溢れ出ていた。

 少し不思議な光だった。強い光なのに目を覆うほどではなく、冷たい色なのに温もりが感じられる。

 班長と二人の先輩隊員は、足元に転がる大小の石に注意しながら穴の周りを観察し始めた。

「うーん、我々は通れそうにないですね、この穴」

「私、たぶんいけますよー」

藤城ふじしろくん、君はどうかね?」

 ぼうっとしていたところに急に名前を呼ばれた伸は、石に躓き──

「え、あ、あ……あっ」

 ──そして穴に落ちた。

「伸くんも、通れたみたいですね♪」

「……」

「……」



『伸、起きて』

 目を開けてすぐに、目元をちろちろと舐めるトカゲが目に入った。

「あ、伸くんおはよー」

 続いて少し離れたところから、愛理の声。

 背中の痛みに顔をしかめながら体を起こすと、愛理は伸の隣に駆け寄ってきて座った。

「ねえ、きみはどうして北鬼に来たの?」

 目線だけは前方に油断なく這わせた愛理が、唐突に訊ねた。足を滑らせて穴に落ちるような格好悪い姿を晒したばかりだったので、伸は一瞬言葉に詰まってしまう。

「……僕は、ここへ来るしかなかったんです」

 苦し紛れの、言い訳のような台詞。あの時、掲示板の前でわめき散らしたり、辞令を引っぺがして抗議に走ったりすれば、あるいは運命は変わったかもしれない。しかし伸はそれをしなかった。

 ここへ来るしかなかった? 違う。自ら選択の幅を狭めて、さも定められた運命か悲劇かのように装っているだけだ。

「へえ。じゃあ、本当は来たくなかったんだ?」

「まあ……。だって、死ぬかもしれないじゃないですか」

 どの口が言うんだ? そう突っ込まれてもおかしくない。伸は居心地の悪さを感じ、愛理に同じ質問を返した。

「あたしはね、都の外に出たかったんだ」

 そう答える愛理の目はここではないどこか遠くを見つめているようで、伸はその瞳に魅入ってしまう。

「同じような景色、同じような人たち、同じような生活。そういうのに飽きちゃったの」

 一瞬陰った表情に、いつもの悪戯っぽい笑みが戻る。そして愛理は、そのままごろんと後ろに寝ころんだ。

「きれいなとこねー! 北の地下道も、こんなふうだったら飽きないのに!」

 愛理に釣られて、伸も頭上を見上げる。

 天井は高くドーム状になっていて、伸が落ちてきた穴が隠れて見えなくなるほど、一面蛍光色の植物で覆われていた。白樹はくじゅの一種のようだが、このような形態は初めて見る。ツタのように岸壁に蔓を這わせ、指先くらいの大きさの実を無数にぶら下げていた。地面には実こそないものの、壁や天井と同じようにびっしりとツタが覆っている。

 都周辺の白樹とは違い、実が放つ光はそれぞれに色の違いがあった。青白く強い光を放つもの、黄色っぽい光を蓄えているもの、柔らかな緑色の光を発するもの……。じっと見ているとさすがに目がチカチカする。色のない白樹の光に慣れている伸にとっては、色彩の暴力だった。あの光は、まるで―――

「……まるで、鬼の核みたいだね」

 声のトーンを落とし、愛理が呟いた。

 鬼の「かく」。人間や動物の心臓部と同じく、鬼にも、その生命の源となり得る器官が存在する。それが「核」だ。

 そしてその「核」はとても美しく、宝石のようであるとも言われている。

 その美しさ故に、多くの人間の心を惑わせてきたという鬼の核。伸は東部にいたころ、核に魅せられて穢れていく人間を何人も見てきた。そのせいかはわからないが、伸自身は核に魅力を感じることがあまりない。否、全くと言っていいほどなかった。

 そもそもそんなものにいちいち魅力を感じていたら、トカゲの相手なんてできない。

『無駄だと思うけど、定期的に言っておくね。ぼくはヤモリなんですけど』

 湿ったツタの上が気持ちいいのか、トカゲは定位置の胸ポケットから出て、ツタの上を歩いていた。

 ドーム内に大きな水たまりがあるせいか、黙っていても肌がべたつくくらいの湿度がある。ツタが隙間なく岸壁を覆うのは、ドーム内の湿気を余すことなく吸収するためだろうか。こういう環境にさらされた事のない伸は、息苦しさを覚えて首のボタンを一つ外した。

 座った状態で天井を眺めていたので、首に痺れるような感覚が残っていた。伸は、愛理の隣に一緒に寝転がりたい衝動を押さえつけ、手元の柔らかなツタの葉に神経を集中させる。

『伸って、案外スケベだね』

「な」

 いつの間に移動したのか、地面を撫でる伸の手の甲に、体をくの字に曲げたトカゲが貼り付いていた。からかうように細めた目でこちらを見上げてくる。

 手の甲に、何か固いものが当たった。位置的に見えないが、それはこのトカゲが鬼である証拠。顎の下、人間で言うと喉仏のある位置に、緑色の小さな石がくっついている。

『定期。ヤモリね』

 ゴリゴリと、核を手の甲になすりつけてくるトカゲ。

(そんなことをして、ぽろっと取れても知らないからな)

「んー? どしたー?」

「あ……いや……その、ああ、そういえば、班長たちは」

 トカゲの声は愛理には聞こえない。伸は慌てて取り繕い、トカゲの尻尾を掴んで胸ポケットに放り入れた。ついでに、ポケットのボタンも留める。

「あそこにもう一つ入り口があるでしょ? 班長たちは別のルートからそこを目指すらしいよ」

 ガサゴソとうるさいポケットを手でおさえて、愛理の指す方を見ると、確かに普通に歩いて入って来れそうな穴がある。

 あとどれくらいで班長たちと合流できるか分からない。入り口からは、何の気配もしなかった。

「ねえ、伸くん」

 寂しいような、悲しいような、そんな目で天井を見つめる愛理。そんな彼女の顔を直視できずに、伸は思い切って寝転がった。

「なんですか」

「伸くんは知ってる? 鬼導部隊ができる前、鬼の核を壊す方法を知らなかった時代に、どうやって鬼退治をしてたのか」

 愛理の問いに、しばし思考を巡らせる。

 鬼は、核を砕くことで穢れの供給を断たれ、消滅する。人間は、心臓を突かれても肉体は残るが、核を失った鬼の体はやがて霧散して無くなってしまう。少なくとも伸はそのように学んできた。

 しかし、言われてみればそうだ。核を破壊せずに、昔はどうやって討伐していたのだろう。討伐する必要がなかった、ということはない。遥か昔に都は、多数の鬼に占拠され、壊滅的な被害を受けたことがあるのだ。

 愛理は続けた。

「お城の周りが海だったころはね、監視の網に鬼がかかると、みんなで叩いて追い払ってただけだったの。それでも入ってきちゃった鬼は、頑張って弱らせて、お城の下のふかーいところに押し込められたんだって。心情とも、感情とも、それこそ穢れとも無縁な、孤独で暗い、深い深い地の底にね」

 伸は真っ暗で何もない、深い穴を想像した。

 小さい頃、悪さをして閉じ込められた床下。いや、そこは感情と無縁なわけではなかった。自分の行為を反省する一方、そんなところに閉じ込めた祖母を恨みもした。それも次第に、恨みよりも寂しさが勝っていき──床下から出た時、恐怖から解放された喜びと嬉しさのあまり、祖母に飛びついて謝りながら泣きじゃくったものだ。

 感情のない世界……想像すらできない。

「──全てから断絶された鬼は、消えちゃうの。透明で、何にも色のない核だけを残して。そうして残った核をね、また深いところに埋めるんだって」

 ちらっと横を見ると、愛理は苦しそうな笑顔を張り付けていた。

「私、思うんだ。そんな暗いところに埋めなくても、鬼も人も一緒に、普通に平和に暮らせればいいのにね」

 愛理は徐に、伸の胸ポケットに手を伸ばす。突然のことに対応が遅れる伸だったが、時すでに遅し、トカゲは愛理の手の中にあった──妙に勝ち誇った表情を浮かべながら。

「この子も、鬼なんでしょ?」

「……はい」

「偉いね。こんなに小さいのに、伸くんの相棒なんだ」

「全く……。こういう時に限って、何も言わないんだから」

 愛理の指に撫でられるトカゲはとても気持ちよさそうに、目を閉じてじっとしていた。

 隠すつもりはなかった。寧ろ、初めに自己申告しなかったことを少し後悔していたところだ。

 鬼導部隊では重宝される生物鬼だが、やはり「鬼」ということに抵抗を感じたり、気味悪がったりする人も大勢いる。学校では、トカゲが原因でいじめられたことも……。

『ごめんね、伸……。でもぼくは今、伸についてきて心底よかったと思ってるよ……』

(おい、スケベトカゲ)

『もうスケベでもトカゲでもいいや……』

 伸は、だらしなく口を半開きにし始めたトカゲに軽蔑の眼差しを注いだ。全く、女性の指に優しく撫でられて口を半開きにする鬼は、このトカゲくらいなものだ。段々、鬼かどうかも怪しくなってきた。

 伸たちの内面でのやり取りをなんとなく察したのか、愛理はくすっと笑いをこぼす。

「鬼も動物も妖精も、そして人間も……。伸くんたちみたいに、こんなふうに仲良くできれば、穢れなんて生まれないのにね」

「仲良くなんか……」

 仲が良い悪いの関係ではない。単純に一緒にいる時間で言えば、家族よりも圧倒的に長い付き合いだ。プライベートもあったもんじゃない。

 伸は一端閉じた口を再び開こうとするが、愛理が突然立ち上がったので舌を噛みそうになった。

「班長たち来たみたい。ほら立って! 仕事中に寝てると、叱られちゃうよ?」

 本日二回目、伸は愛理に引き起こされた。トカゲが非常に残念そうにポケットへ戻ってくる。そのすぐ後に、愛理はドームへ入ってくる二人を迎えに走って行った。

 愛理の後に続いて行きながら、伸は考えた。

 穢れと無縁な生活をしたら、鬼は消えてしまうんじゃないか。自ら消えてしまうことを望む鬼なんて、いるのだろうか。

 伸の考えを聞いているはずのトカゲからは、何の反応もなかった。



「すげえな、ここ……」

「ああ……私も初めて見る……」

 一通りドーム内を見渡した石桁いしけた班長と中山。そこへ、愛理が手短に周囲の状況を報告する。

「このドームへの入り口は二か所、伸くんが落ちた穴と、班長たちが入ってきたあそこだけです。ドーム内には白樹の一種と思われるツタが繁殖しており、ご覧の通りです。あと、水の湧いている泉がありました。水のサンプルは取得済みです」

 愛理が差し出した試験管を、中山が受け取る。伸がうつつを抜かしている間に、愛理はちゃんと仕事していた。

「見たところ透き通っちゃいるな……白樹のサンプルは?」

「一応、葉っぱのところは採取しましたけど、実は採ってません」

「まあ、賢明な判断だ愛理君」

 白樹には様々な種類があるが、まだわかっていないことが多い。実を一つもいだだけで木が一本枯れてしまったという例もある。貴重な植物故に、素人判断で研究の機会を失わないように、細心の注意を払わなければならなかった。

「それで、君は?」

 班長の視線が伸に刺さる。

「君は、その地面に寝転がっていただけかね」

「あ……その」

 班長の視線を辿って後ろを見ると、人が横たわった跡のように、一部分だけツタの葉が沈み込んでいるところがある。

「伸くん、すぐ起きましたよ。何の説明もなく初任務だったから、起きてから班長たちが来るまでずーっと、私が色々レクチャーしてました」

 愛理が、伸と班長の間に割って入ってくれた。

「ほう。だが、そのレクチャーの成果は次回以降へ持ち越しになりそうだ」

「ですね!」

 班長は、伸たちに背を向けて二言三言呟いた。すると、洞窟へ入る前に聞こえてきたあの声が、再び脳内を走り抜ける。


『石桁班、探索任務終了。直ちに帰還せよ』


「ふん。いちいち面倒な……」

「りょーかーい」

「終わりだって! 帰れるよー!」

 今の声は、全員に聞こえていたらしい。愛理は伸の手を取り、ドームの出口へ走り出す。

『便利だね、このけだま』

 今度はトカゲの声だ。

「けだま……?」

 何のことかとトカゲのいる胸ポケットを見ると……トカゲが、ボンボン飾りのような白い毛玉を咥えていた。

(なんだ……それ?)

『こいつが、色々教えてくれたんだ。ほら、またアレやるよ。洞窟の外は真っ暗だからね』

 愛理に手を引かれるまま洞窟の外へ出ても、まるでドームの中にいるかのように視界ははっきりしていた。愛理や班長たちの顔もちゃんと識別できる。

「伸くん、気抜いてはぐれないでね。うちに帰るまでが任務なんだから」

 よく見ると、そう言う愛理の髪の毛に白い毛玉がくっついている。班長や中山の首元にも、同じような毛玉が。

(そういうことか……)

 この毛玉、よく見ると目とくちばしが付いている。この、毛玉のように見える小さな鳥が、本部からの指示を直接現場にいる班に伝えていたのだ。

 伸は、掲示板や伝言板のシステムが遥か彼方に置き去りにされていく気がした。

「初任務ご苦労さま、伸くん。さあ、みんなで生きてかえろ!」

 愛理の溌剌とした声が、洞窟に反響していった。まもなく、伸の長い長い夜が終わる。ほっと胸を撫で下ろすのにはまだ早いが、少しだけ肩の力が抜けた気がした。


 ―――みんなで生きて帰る。

この言葉の重みを、この時の伸はまだ知らなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る