─間章1─ 辞令②

 数時間前――


 白樹はくじゅの光が陰り始めた時刻、伸はいつものように東部派遣隊の拠点へ来ていた。もう一年近くも通っている場所。家からは遠いが、カリバネの扱いにも慣れ、幾分か通勤が楽になった気がする。

 まだこの時間は空いているはずなのに、廃寺の内部は何やら騒がしい様子。原因は掲示板にあるようで、その前には人だかりができていた。

 隊員の一人が伸の姿を見つけると、騒がしさは一段階上がる。

 心臓が脈打った。何か、よくないことが起こる気がする。

 伸が掲示板に近づくと、人だかりが左右に割れた。途端に喧騒が引く。掲示板には、文字面積の極端に少ない紙がいくつか貼られていた。

 掲示板に貼り出されていたのは、辞令。このたった一枚の紙で、伸の運命は大きく変わることになる。


【辞令 藤城ふじしろ伸殿 ――本日付で、北部派遣隊勤務を命ずる。 東部派遣隊事務官 龍神廉次】


 紙にある文字を一文字ずつ脳内で噛み砕いていると、何人か声を掛けてきた。

「藤城……頑張れよ」

「死ぬなよ、伸」

「まあ、お前なら、なんとかなるって……」

 背中を押しはしても、引き留める者はいない。それもそうだ。皆、自分でなくてよかったと思っているのだ。

 鬼と直接の戦闘になる機会が圧倒的に多い北部派遣隊は、常に死と隣り合わせの危険な任務についている。そのせいか、慢性的な人手不足にあえいでいた。自ら望んで入隊を希望する者はほとんどおらず、その上数少ない新入隊員は初任務で命を落とす。人手不足が解消される兆しは一向に見えなかった。

 そんな中、方針を変えたのか何なのか、他隊から人員を集め出した。伸が選ばれるあたり、どういう基準で選出しているのかはわからない。けれど、使役している鬼や、それまでの功績などが重視されているであろうことは想像がつく。

 誰かに文句を言ったところで、決定は覆らない。伸と同じように北部派遣隊行きの辞令を見て、その場でわめき散らしている隊員を真似る気にもなれず、伸は無言で掲示板に背を向けた。


 北部派遣隊の活動拠点は、北部大門前の灯台にある。大門といっても、今にも崩れそうな石壁に支えられたハリボテでしかない。その門が開くことは全くなく、隊員たちは北地区の地下に張り巡らされた地下道を通って、都の内外を行き来していた。

 東地区から北外地区への道は、一本しかない。伸もその道を通って北鬼拠点へ向かうつもりだったのだが。

『真っ暗だねー』

 胸ポケットから顔を出した小さなトカゲがぼやく。

 両地区を二分する堀、そこにかかる橋の上から北方を見渡してみると……まだ夕刻に差し掛かったばかりだというのに、行く手には暗闇しかなかった。

 一本道には白樹も街灯もなく、道は闇の中に消えている。普段から人通りのない道が、きちんと整備されているのだろうか。そもそもこの先、本当に道が続いているのだろうか。もしかするともう北地区は無法地帯になっていて、鬼が突然道に飛び出してくることも……。

『ねえ伸、あそこに明かりが見えるよ』

 伸の脳内を徘徊し始めた不安は、トカゲの声によって一掃された。確かに、道を少し進んだところに微かな光源が見える。

「ほんとだ。行ってみよう」

 明かりは、地面から漏れていた。取っ手の付いた厚めの板の隙間から、自然のものではない光が方々に放たれている。板を持ち上げると、暗闇に慣れてしまった目が眩んだ。

 それほど強い光ではなかったせいか、すぐに視界は戻ってくる。板の下には、長い階段が地下へと続いていた。

『これ、地下道の入り口かな?』

「とりあえず、下りてみよう」

 トカゲは呑気な声を伸の脳内に響かせる。伸の声も眼下の狭い階段に響いていったので、階段の先に空間が広がっているのは間違いないようだ。

 階段を下り、頭上で板を閉じる。余談だが、板には内側にもちゃんと取っ手が付いていた。

 階段の先には案の定道が続いており、通路には等間隔に小さな豆電球が吊るされている。ところどころ切れかけている電球もあったが、足元の明るさを確保するには十分だった。

 途中に分岐点はあるものの、道案内の標識などは一切ない。伸は、自分の方向感覚を信じて地下道を進むしかなかった。さらに、等間隔に設置された電球のせいで、自分がどれくらい進んだのかどっちを向いているのか次第に曖昧になっていき―――



 そして、時は今に至る。


『出口はまだー? 迷子の迷子の伸くん』

 来た道を戻ることもできずに、行き止まりで立ち往生。そんな伸をからかうように、トカゲがポケットから鼻先をのぞかせた。

「だから、君も手伝ってよ。二手に分かれれば、出口を見つけられる確率が上がるだろ」

 伸は胸ポケットに片手を突っ込み、トカゲの尻尾をつまんだ。

『嫌だよ。こんな迷路ではぐれたら、二度と会えなくなっちゃうじゃないか。っていうかしっぽ掴まないでよ!』

「僕と君は繋がってるんだろ? 離れててもすぐ会えるよ」

『離れすぎたら無理! ねえ、しっぽ離して!』

 トカゲは危険を感じると尻尾を切って逃げる……一瞬その光景が脳裏に浮かび、可哀そうに思った伸はトカゲの尻尾を離した。

「……君ってやっぱトカゲだろ」

『ヤモリもしっぽ切れるの! だから気を付けて。デリケートなんだから』

 伸の脳内に一瞬浮かんだ光景は、このトカゲの恐怖感情が見せたものだろうか。トカゲは大事そうに尻尾を抱え込み、ポケットの奥底に身を縮めてしまった。

 パートナーの協力は得られそうもない。伸は万策尽きた、というようにその場にへたり込んだ。


「あれー、きみ、こんなところで何してるの?」


 へたり込んですぐのことか、それともしばらくしてのことか。時間感覚さえ曖昧になった伸の耳に、澄んだ女性の声が届いた。

「……え?」

 しばらく脳内でトカゲの小生意気な声しか聞いていなかったので、耳からの伝達が遅れる。ゆっくり振り向くと、声の主はもうすぐそこまで来ていた。

「もしかして、迷子?」

 電球の光を受け、髪は健康的な艶を放っている。電球のせいもあると思うが、跳ね返す光はうっすらオレンジ色。張りのある声に似合う、活発そうな印象を受ける女性だった。

 歳は、伸と同じか、少し下くらいだろうか。まだあどけなさの抜け切れない悪戯っぽい笑みを浮かべ、女性は伸の手を取ると、力強く引き起こした。

「ほら立って。こんなところにずーっといると、叱られちゃうよ?」

「え、あ」

 伸がまごついていると、女性は伸の手を掴んで歩き出した。


 彼女は北部派遣隊の先輩隊員で、名を東雲しののめ愛理あいりといった。

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