第18話 耕運機の石

「すみません。ちょっと相談に乗ってもらっていいですか?」


 3時の休憩時間を過ごしていた俺に声を掛けてきたのは、ユイトの父、この寺の副住職だった。しかし、今まであまり顔を合わせることが無かったので名前までは知らない。


「はい。なんでしょう」


 持っていた麦茶の入ったコップを置いて俺は立ち上がろうとした。


「いやいや、そのままで、どうぞお座りください。休憩時間なのにすみません」


 副住職はそう言って、本堂の上り口の俺の隣に座った。

 副住職は、薄いグレーのつなぎを着て、額には水色のタオルをねじり鉢巻きにしていた。歳は50歳くらいだろうか。ユイトの上に長女がいるらしいが1回も会ったことがない。いずれにしても、ユイトは遅くに授かった子だろう。縁無しの丸い眼鏡をかけているが、真っ黒に日焼けをしたその顔はユイトにそっくりだった。


「実は、墓地の端っこで小さい畑をやっているんですが、そこで耕運機を使って耕していたら大きな石を噛んでしまって、耕運機の刃が動かなくなってしまったんです。できたら、ええっと、お名前なんでしたっけ?」


「私、豊樹園の清水っていいます」


「あ、すみません、清水さんが普段使っている道具でその石を取り除いてくれるか、割ってくだされば、もしかして耕運機が動くんじゃないかと思いまして」


 副住職はいちいち身振り手振りを使いながら説明した。


「なるほど、どんな石かにも寄りますし、どんな感じで刃に噛んでいるかにも寄りますが、できない話じゃなさそうですね。じゃ、早速、畑に案内してください」


「いえいえ、清水さんは休憩時間だと思いますので、それが終わってからで」


「ええっと、こちらの副住職さんですよね。休憩はもう十分に頂きましたので大丈夫です。畑に案内していただけますか」


「重ね重ねすみません、こちらのことも名乗らずに。副住職の向井良俊といいます。いつも、豊樹園様にはお世話になりっぱなしでありがとうございます」


 副住職は、座ったまま上半身を折り曲げて深々と頭を下げた。


「こちらこそ、お世話になっています。じゃあ、私、道具を持ってきますので少々お待ちください」


 俺はそう言って、石垣の方に向かった。


 

「副住職様は、お目に掛ることがあまりないのですが、普段は他のお仕事なさっているんですか?」


 墓地のはずれにある畑に向かっている最中に俺はそう聞いてみた。


「はい。中学校の教員をしています」と俺の少し前を歩く副住職は短く答えた。


「そうでしたか。どうりで、普段、お目に掛れないわけですね。じゃあ、今日は夏休みで?」と俺は尋ねた。


 そういえば、寺の駐車場の隅に、普段は見たことがない英国産の4WDの車が停まっていたが、もしかして、それが副住職の車なのかもしれない。


「はい。まあ、それでも部活の仕事はあるんですけどね。今日は、枝豆を収穫した後の秋野菜を植えようと思って午後はお休みを取りました」


「なるほど。部活のご指導も大変でしょうね」


 俺は、自分の中学校の野球部時代のことを頭に思い浮かべながらそう言った。


「昨今の流れでは、そう言われてますよね。でも、私自身はそんなに嫌いじゃないんです。って、むしろ好きな方でして」


「ちなみに、何部の顧問の先生なんですか?」


「はい、ソフトテニス部の方です。女子なんですけどね」


「ああ、それで、そんなにいい色に焼けていらっしゃるんですね。ソフトテニス部って、昔の軟式テニスでしょ?」


「そうなんです。ええっと、清水さんは中学の時は何部だったんですか?」


 副住職は、真っ黒な顔をこちらに向けながらそう言った。


「私は、野球部でした。それも、補欠の中でも3番手で、どうしようもなかったんですわ」


 この暑さとこの話題で、一瞬のうちに当時の情景が目に浮かびながら俺はそう答えた。


「そうですか、清水さんも。私も元はと言えば野球の方でして。セカンドでした」


「ああ、そうだったんですか。でも、野球が専門なのにソフトテニス持たされるなんて、やっぱり、先生は大変ですね」


「まあ、この“業界”では、珍しくないことです」と副住職は苦笑しながらそう答えた。


 おそらく、この副住職は、俺の同級生の“赤黒ペンの教頭”とは違って、子どもとちゃんと向き合って指導する先生なんだろうとなんとなく思った。が、“職業が先生”という人は、どうも何か信じられないところがある、という印象が俺にはあった。もちろん、自分の出会った先生の歴史がそう思わせるのであって、まったくもって偏見に違いない。


 畑は、副住職の言う通り、墓地の端っこにあって、その奥は水田が広がっていた。十畳ほどの広さで、5つの畝が作られていた。手前の2つの畝は、とうもろこしで、もうだいぶ背丈も伸びていてしっかりとした実が付いていた。奥の3つ畝が、どうやら枝豆だったらしく、きれいに抜き取られたその畝は手前のとうもろこしの畝とは対照的な淋しい絵だった。

 耕運機は、畝の真ん中で音もなくぽつんと佇んでいて居心地が悪そうにしていた。俺は、早速、耕運機の後方の刃を見てみた。3本の円形の刃のうち真ん中と左側の刃の間に、手の平大の玉石ががっしりと挟み込まれていた。


「どうです?なんとかなりそうですか?」と副住職が聞いてきた。


「はい。この感じだと、割るか押し出す感じで大丈夫そうです」と俺は答えて、石にたがねを当てる位置を探った。


 2回、に当てただけであっさりと石は挟まっていた刃から落ちた。


「さすがです!ありがとうございました!」と副住職は深々と俺に頭を下げた。


「副住職さん、念のためにエンジンをかけて刃を回してみてください」


 副住職は、チョークを引き上げてからエンジンから延びるコードを引っ張ってエンジンを始動させた。ガルルルルと大きな音を立ててエンジンが掛かり、耕運機は細かく身震いしたままのアイドリング状態となった。そして、刃を回すスイッチを操作すると、待ってました!と言わんばかりに3つの刃が前方にグルグルと回った。


「本当にお願いしてよかったです。どうもありがとうございました」住職は耕運機のエンジンを切ってから、ねじり鉢巻きまで取って、再び、上半身を深々と折って俺に礼を言った。


「いや、うちの道具がこんなところで役に立ってよかったです」と俺はそう言った。


 その後、とうもろこしをタヌキから守るために畝の周りに網を張る話だとか、何年も前から畑をやっていても、いまだに頭骸骨くらいの大きさの石が畝から出てくるという話を副住職から聞いた後に、俺は石垣の仕事に戻った。頭骸骨くらいの大きな石ならまだいいとして、ほんとの頭骸骨が出てくるよりはいいだろう、と不謹慎なことを思った。また、草取りの住職と畑の住職の気質は、やはり、どことなく似ている、と俺は思った。まあ、親子なんだから当たり前のことっていえば、当たり前のことだ。



 17時少し前に、俺は作業を切り上げて、玄関先で住職の奥さんに挨拶をし、駐車場に行ったら、先ほどの副住職とユイトがサッカーをしていた。


「おじちゃ~ん!おしごとおわったの?」とユイトが駆け寄ってきてそう言った。


「うん、終わったよ。今日も暑かったね」


「うん。あ、そうだ、おじちゃん、て、なおったよ」とユイトが右の手のひらを俺に近づけて見せた。


「あ、よかったね~治って」


「そうそう、清水さん、ユイトの手を冷やしてくださったんですってね。これまた、お世話になりました」と副住職が深々と頭を下げた。


「いえいえ、いいんです。ユイト君もいろいろと経験していきながら勉強ですね」


「まあ、こいつは、気だけはいい奴っていうか…」


「ところで、その、ランドローバーは副住職様のお車ですか?」と俺は聞いてみた。


「あ、はい、そうです。といっても、中古車ですけどね。新車なんてとても買えませんから」


 シルバーとグレーの真ん中くらいの色のランドローバー・ディスカバリーは、こちらに後ろ顔を見せて静かに停まっていた。国産の同じような4WD車に比べて車高が幾分高く、ラゲッジルームにはたくさんの物が積み込めそうだった。テールウインドウの右隅に俺がいつも朝、聞いている地元FM局の丸いステッカーが貼ってあった。ステッカーには、FM局の周波数が大きくプリントされてあった。


「いいですね~ディスカバリー。私も好きです。って、言っても乗ったことありませんけど、かっこいいですよね」と、俺はFM局のステッカーについては触れずにそう言った。


「いや、清水さん、これはあまりお勧めしません。私も好きで乗り始めたんですが、電気系統の故障がやたら多いですし、ハイオク仕様でリッター4.2kmなんですよ」


「4.2って、そりゃ、まさにガソリンをまき散らしながらっていう…」


「ぼく、このくるま、きら~い」とユイトが口を挟むように言った。


「こいつは後部座席に乗ることが多いんですが、この車、カーブの時のロールが大きくて、後部座席に座っていると酔いやすいんですわ」


 水色のねじり鉢巻きを額から取って、顔面の汗をぬぐいながら副住職はそう言った。


「そうなんですか。いや、かっこいいと思っていたけど、聞いてみないとわからないもんですね。いや、親子のサッカーのお邪魔をして申し訳ありません。私、これで失礼します」と俺は言った。


「清水さん、今日のお礼です。これ、うちの畑で採れたとうもろこしと枝豆なんで、どうぞ」


 スーパーの買い物袋の口を広げて2本のとうもろこしと枝から取った枝豆を見せながら副住職がそう言った。


「ああ、いや、かえってお気を遣わせて申し訳ありません。どちらも大好物なので遠慮なくいただきます」と俺は言ってビニル袋を副住職から受け取った。副住職の腕は、陽に焼けたせいでところどころ皮が白く剥けていた。


「おじちゃん、やけどにちゅういしてね!」とニコニコしながらユイトがそう言った。


「ふふふ、君もな。では、向井さん、御馳走さまでした。失礼します」


 俺はそう言って、トラックのエンジンをかけて駐車場を後にした。


(やれやれ、今夜の夕飯も、夏定番の酒の肴だ)



 まだ陽が高いこの時間の熱い空気を車内に呼び込みながら西に向かってトラックを走らせた。


(そういえば、前にラジオであの女が言っていた枝豆のゆで方はいまいちだったよな…)


 俺は、あの女パーソナリティが自宅でやっている枝豆のゆで方を反芻したが、すぐにやめて、代わりにピースをくわえてライターで火をつけた。

 俺の口から吐き出された白い気体は、何か急ぎの用事でもあるかのように一目散に窓から外に出て行った。

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