第9話 異世界の巫女は異世界に帰る

 元旦の夕方。

 あたしはまた巫女装束に袖を通していた。

 日が変わった直後や、お昼よりはだいぶお客は減っていると思うけど、境内はまだまだ参拝客で賑わっている。繁忙期なので、けっこう無理なシフトを入れられていた。シロカがまだ手伝ってくれてるのは、昨日サボった従妹がやっぱり来ないから。

 身内で死ぬほど気まずくなっても知らない。

 ともかく、あたしは昨日と同じように社務所で参拝客の対応なんかをしている。脚はまだ治ってないから、巫女舞いは他の巫女にお任せしていた。

 そして、今、神楽殿で舞っているのは、シロカだ。

 今日はシロカと繋がっていない。練習もしてない巫女舞いを憶えられるわけがないって言ってたシロカだけど、あたしと繋がった一回で憶えてしまったみたい。

 それは練習じゃない。やっぱりいけるじゃん……。

 とにかく、シロカは見事な舞を見せていた。多分もうあたしよりもうまいと思う。

 もう神社は大丈夫だった。年明け直後に人数が足りていなかっただけで、今は十分な巫女がいる。

 ここまで乗り切ることができたのは、シロカのおかげ。

 巫女舞が終わって、拝殿に一礼するシロカを目で追う。

「……?」

 一礼から頭を上げようとしたほんの一瞬、シロカの表情からいつもの微笑が消えていた。

 違和感を覚えた時にはいつもどおりに戻っている。

 でも、あたしは確かに見た。


「お疲れ様でしたー」

 他のバイトたちが神社を出ていく。

 東武白山神社は元旦の夜には一度門を閉める。深夜に特別開放するのは、大晦日から元旦にかけてだけだ。

 あたしたちも帰る準備をしていた。巫女装束から着替えている。

 シロカは今朝の帰りとは違って、あたしの服を着ていた。ハーフコートにセーター、ロングスカート。サイズが少し大きいけど、あたしより似合ってる。むしろ、サイズの合わなさがあざとい。

 参拝客のいない境内は静かだった。今残っているのは社務所にいる宮司さんと、あたしたちだけだ。

 あたしたちは頷き合うと拝殿に向かう。

 参拝するわけじゃなくて、シロカの世界との繋がりがないかをもう一度ちゃんと調べるためだ。

 あたしには繋がりとか縁とかはわからないけど、シロカならそれを察することができる。

 シロカがここから現れた以上、きっと何かがある――。

「ないですね」

「ないの!?」

 あっさり否定された。

「でも、ここから出てきたよね」

「うん。正確にはあるんだと思います。でも、わたしに見えるものじゃないんです」

 拝殿の屋根を見上げる。

「今さらだけど。繋がりとかいうのがあると、帰ることができるの?」

「それは間違いないです。わたしの世界との繋がりを、縁を手繰り寄せて、わたしと結ぶ。それで帰ることができます」

 多分、心と身体を結んだ時みたいな感じ?

「ただ、わたしをここに送った方は、わたしよりもずっと強く、繋ぐ力を持っていたの人だと思います。それは、わたしの神様かも」

「どういうこと?」

「ここに送られたということは、わたしがいた場所と、この拝殿に何らかの縁があるのは確かなんです。でも、わたしの力ではその縁が見えない」

「よく見てもダメ?」

「目を凝らしてもダメです」

 シロカは吐息する。その顔から笑みは消えていた。巫女舞いの後、垣間見た表情に近い。

「……焦ってる?」

 思わず口にしていた。

 シロカは目を瞬かせ、それから「そう、ですね」と呟いた。

「もし、わたしがいない間に、あちらの世界で、他の巫女が攻めてきたら……。それが不安です。わたしがいないと止めることができる人がいないですから」

 巫女が命がけで戦わないといけない世界。日常的に命の危険があるとか、想像もできない。

 そんな世界に帰らないって選択肢もあるのかも。頭の端で考えていたけど、シロカがそういうのできそうにないのはあたしにもわかる。

「ゴメン。あたしのこと手伝わせて。時間なかったのに」

「ううん。それはやりたくてやったことです。それに、結局、ここにわたしに見える繋がりはありませんし」

「他の白山神社だったらどう?」

 八幡宮や天満宮、氷川神社と同じように、白山神社は他にもある。むしろ、東武白山神社はどこかのもっと大きな白山神社から分霊してもらうという形で、分かれた神社のはず。

「この近くにあるかどうかわからないけど……。調べたらわかるかも。例えば……シロカのいた神社と、似た拝殿とか教えてくれれば。というか、この神社はどう? シロカのいた世界が平行世界なら、シロカの神社はその世界での東武白山神社だったりするのかな」

 自分で言っててだんだんわからなくなってくる。でも、何かヒントがほしい。

「うーん」と、シロカはまじまじと、闇に浮かぶ拝殿を見上げる。

「何もかも違います。拝殿の形も古さも、この神社の周りも」

 きっぱり言った。

「やっぱり別の白山神社のほうに繋がりがあるのかなー」

「でも……。わたしの白山神社も、この街にあったはずなんです。東武町に」

「そうなの?」

 あったんだ、同じ町。

 シロカは眉を寄せる。

「地図、見せてもらえませんか?」

「あ、うん」

 スマホで地図を出す。

 じっと見つめて、首を傾げて、シロカは眉間のしわを深くした。

「やっぱり違います。菊花のお家に行く時も、変だなーって思っていたんですけど」

「神社の場所が違うってこと?」

 シロカが肯定する。

 シロカの世界には白山神社がひとつしかない。その神社は同じ東武町にある。でも、町内での場所が違う。

 世界が違うのだから当然だって気もするけど、何か引っかかる。

「古さって言ったけど、シロカの神社の建物って、うちより古い?」

「そうですね。こちらのほうが新しい建物です」

 もしかして……と、あたしは境内を出る。

 鳥居の傍に、この神社の由緒が書かれている。

 祭神の話なんかはさておいて、気になったのはひとつ。

 この神社は戦後、ここに遷座している。第二次世界大戦でもともとの神社が焼けて、戦後の立て直しで色々あって、この場に移転した。

「シロカの世界って、第二次世界大戦ってあった? 名前が違うかも。外国との大きな戦争とか」

 シロカはきょとんとする。でも、察してくれた。

「そういうの、あるんですね。わたしの世界にはないです。人同士の勝手な争いを、神様は罰するので。むしろ、そういうのは巫女に委ねられます」

「だから、違うんだ」

 拝殿を振り返る。

「ずれてるんだよ。シロカの世界の神社と、この神社の場所が。シロカの世界の神様が、自分の神社の繋がりから、この神社に送った。別の場所に送ることができたのは力が強いから」

「でも、菊花の世界の神社が本来の場所と違う場所にあるので、縁が弱い。わたしの力では読み取れない。そういうことですね」

「……って、思ったんだけど。そういうの、ある?」 

「あります! 地縁はかなり強い結びつきですから。わたしの神社と同じ土地のほうが、繋がりはずっと強いです」

「それなら……!」

 社務所には電気が点いている。宮司さんはまだ帰ってない。

 あたしとシロカは駆けだしていた。脚の痛みも忘れていた。


 元旦の夜の住宅街は静かで寂しくて、なんだか空気が澄んでいるように感じる。

 十字路の角に祠があった。何も知らずに見たら、お地蔵さんか何かかと思いそうな小さな祠。近所の人が手入れしているのか、古いわりにきれいだった。

 そこに『東武白山神社旧社地』とある。

 あたしたちは宮司さんにこの場所のことを聞いて、そのままやって来た。

 今の東武白山神社から三十分ほど歩いた場所と、けっこう遠かった。

「ここまで、建物なんかは違いましたけど。でも、坂や道、途中の川はわたしの世界にもありました」

 シロカは確信をもって言った。

「繋がりは?」

「あります」

 祠に手を差し伸べる。

 シロカの手は人の身体に潜り込む時と同じように、祠の戸に潜り込んでいく。

 戸をすり抜けているはずなのに、戸の向こうに指先は見えない。

 シロカが指を抜くと、そこには赤い紐が絡んでいた。

「わたしの世界の、白山神社との繋がり……」

 いつもの微笑に、あたしが見てもわかる安堵が混じっている。

「帰ることできるの?」

「うん。これで大丈夫。あとはわたしと結びつけるだけです」

「そっか……」

 何か言葉を続けようと思った。

 出てこなかった。

 シロカと会って、まだ二十四時間も経ってない。関係としてはバイトの穴埋めをしてもらっただけだ。

 だけど、別れが惜しかった。同時に、止められないというのもわかってた。

 シロカはあたしの知ってる巫女とはまったく違う巫女をしている。

「菊花」

 シロカは変わらず、優しく、柔らかく微笑んでいる。

「この一日、すごく楽しかったです」

 声は弾んでいた。

「別の世界に来たからとか、そういうのじゃなくて。菊花と話をするのが楽しかったんです。徹夜明けのどん兵衛もすごくおいしかった」

「あたしも……。手伝ってもらえて、すごく助かった。シロカがいなかったら、どうしようもなかった」

 それ以外は全部、シロカが先に言ってしまった。

 言いたいこと自体はもっとあるはずだけど、言葉が出ない。

「それじゃ、菊花。本当にありがとう。さようなら」

「うん。さよなら」

 シロカが自分から引き出した紐を、祠のものと結びつける。

 たったそれだけだった。

 瞬きする間もなく、姿が消えた。

 祠から伸びていた紐も、シロカも、全部。最初からそこには何もいなかったかのように消えていた。

 そういえば……あたしの服を着たままだった。

「持っていかれちゃったな」

 とはいえ、気づいても脱げとは言えなかっただろうと、思わず苦笑してしまった。

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