第12話 再びの砂漠へ

 ルキウスが足早に病室から出て行く。

 背中を見てからカイルは病室を見回す。エデンの病院では見られなかった暖色の壁が少し目新しいその部屋には自分の他にも1人いるようだったが、その姿はカーテンに遮られて見えなかった。ルキウスと入れ違いに入って来た看護士に礼を言ってドアを出ると、律儀に近くで待っていたルキウスに連れられて格納庫へ向かうことになった。


「遅ぇぞ、カイル。もうおっさんが待ちくたびれてるかも知れない」

「ごめん、じゃあ行こう」


 それからデゼールロジエの街を2人で歩き始めた。昼から夕方の茜色に変わり始めている空の下、街は既に朝方起こった事件のことなど忘れたように――爆発によって自分の店をなくした『砂漠のバラ』の店主は例外として――夜の賑わいへとその熱を高めて始めているように感じた。

 何かが気に障ったのか、少しも振り返らないままエスタの所へ向かって行くルキウスの後ろ姿を見つめるうち、カイルはベッドで聞いた彼の呟きに思いを馳せていた。


『戻りたくない……!』


 刹那、いくつかの情景がカイルの脳裏をよぎる。

 中央収容所から自分を連れ出したときの自身に満ちた姿。エデンのことを知らないと言ったときの少し寂しげな表情。しかしそれ以上に外の世界との出会いを心から喜んでいる姿と、それを素直に表そうとしない言動。

 能力の使いすぎで倒れたときの、すぐにでも止まってしまいそうな儚い呼吸。追っ手が言った「お姫様」……きっとルキウスが「あの女」と呼んだ人物への隠しようもない怒りの声。

 そして意識が戻った瞬間に視界に入った、恐怖に戦き頭を抱える姿と、その呟き。

 すがるように重ねられた、少し冷たくて……たぶん自分よりも少し小さな手。

 今、自分の前を歩いている少年の抱えるもの。その全てを肩代わりできるなんて思っていない。自分にはそれほどの力はない。それでも、彼が自分を守ってくれていたように、自分も彼を守りたい、守れるだけの力がほしいと、カイルは心から思った。

 格納庫に着くと、エスタは愛馬「IAR‐3型02135」の傍らに立って荷物を積み終えようとしていた。

「おぉ、目が覚めたのかカイル。まぁ、色々言いたいことはあるが、とにかく行こう」

 エスタはあくまで穏やかな表情のまま、最後の荷物を馬車に載せた。馬車の中から、「師匠せんせい、これで全部?」という声とともにリシャールが顔を見せる。そして、カイルとルキウスに気付いてにこやかに手を振った。

「あらカイル、もう起きて大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。こいつ、安心してぶっ倒れただけなんだから」

 馬車から下りて心配そうに駆け寄って来るリシャールの言葉には、ルキウスが間髪入れずぶっきらぼうな口調で答える。カイルもその言葉に続いて「はい、もう大丈夫です」と頷きながら答える。

「そう? でも一応これ持っておくといいわ」

 そう言ってカイルに小包を手渡した。中に入っていたのは、いくつかの薬。リシャールはそれを覗き込んでいるカイルの耳元に近寄り、周囲には聞こえないような――話しかけられているカイルでも聞き取りにくいような――小声で囁いた。

師匠せんせいから聞いたわよ、あんたたちエデンから逃げてきたんですって? しかも収容所から。だったら、師匠の町に連れて行ってもらうのがいいと思うわ。あそこはたぶん安全だから」

 それまでになく真剣な顔で言うリシャールに、「ありがとうございます」と礼を言って離れようとしたカイルはまた肩を捕まれて引き止められた。

「カイル。……師匠せんせいのこと、よろしくね」

 そう言った後、「あっ、じゃあアタシお店の仕込みがあるから、もう帰るわね!」と足早に街中を戻っていった。リシャールの雰囲気を思うと、最後に抱きついたりしてきてもおかしくないと心の準備をしていたカイルは、その意外なほどあっさりとした別れに一瞬拍子抜けしたような気分になったが、ルキウスの「カイル、そろそろ行こうぜ!」という声に応じて、すぐに馬車に乗り込むことにした。


 だから、少し離れた所からその様子をリシャールが悲痛な目で見ていることには気付けなかった。



  * * * * * * *


 その日も、デゼールロジエは。その中に微かに存在する夜闇に溶けそうなほど憔悴した大柄な男が路地裏に構えられた移動式バーカウンターで頭を抱えていた。

「アタシは、何てことを……!」

「リシャールさん、もうそれくらいにしてください。あなたが酔ったら……」

 傍らに立つ青年――リシャールが店主を務める『ラパン・エキャルラット』のウェイターが彼をなだめるように手を置くが、その手はすげなく振り払われた。

「大丈夫よ、直伝の薬飲んでるんだから……。むしろ酔えたらどれだけいいか」

 リシャールの声音に、自嘲の影が濃くなる。それを聞いた青年はむしろ必死な口調で、まるで自分が弁解するかのように「あれは仕方のないことじゃないですか!」と声を上げる。リシャールは、その大柄な体が小さく見えるほどに気分を沈ませていた。

 その姿を見たウェイターが、更に声を荒らげる。

「リシャールさんが責任を感じることじゃない! むしろあなたは、」

「うるさい!」

 一喝。

 泣きそうな怒声が、泣きそうな顔で反論する青年の口を閉ざす。

「何て言ってくれたって変わらないの。アタシは、師匠せんせいたちを……ううん、あの子たちを裏切った……!!」

 そう言って、とうとう泣き崩れたリシャール。傍らに立つウェイターは、その姿を少しの苛立ちと、そして激しい悲しみともに見下ろす。


 どうしてこの人は、自分が助かったことを喜べない……!?

 ウェイターには、その理由がわかっている。

 それはきっと、それほどまでにあのエスタという薬師のことを想っているからだろう。そしてそれと同じくらい、エデンから命からがら逃げ出してエスタに保護されたという、自分とまったく同じ境遇を持つあの2人の少年に同情しているからなのだろう。

 そんなところに自分は救われたし、惹かれている。きっとその性格こそがリシャールの魅力なのだろう。それでも、あの場面で自分たちに選べる道など、それしかなかったのだ。そう割り切れない性格が、彼の魅力であり、弱さでもあるのだ。

 ウェイターの脳裏には、そのときの場面が蘇る。


 それは、謎の少年から襲撃を受けて意識を失った後のこと。

 リシャールはエスタから荷物を馬車に積む仕事を言いつけられて、先に向かっていたエスタから数分ほど遅れて病院出て、格納庫へ向かっていた。そのときには、リシャールの体調を心配したウェイターの青年も付き添っていた。

『リシャール=ヴィビランシュ』

 冷たい声が、背中に投げつけられた。

 その声が、普段この街で耳にする浮かれたような声でも、病院を訪れる者のほとんどが発する浮かない声でもなく、ただ「止まれ」と命令するような声音に、まずウェイターが噛み付こうとして、リシャールになだめられる。

 振り返った2人の前には、いつからそこにいたのか、数人の――見ただけでどこかの看守をしているだろうと推測できる服装の――男が立っていた。

『えっと、何の用かしら? アタシたち急いでるんだけど……』

 何か厄介な予感を感じたリシャールはすぐその場を離れようとしたが、男たちは彼を呼び止めた時と同様、「決して逃がさない」という意志を感じさせる声音で『待て』と声を上げる。無論、声で引き止めるだけではない。中央に立つ男が声を発すると同時に、2人の周囲を看守が取り囲む。

『我々はこの街に脱走者がいると通報を受け、テラから来た者だ。心当たりがあるはずだが』

 テラ――エデンに存在する、中央収容所。そこはかつて、リシャールの日常となっていた場所だった。男たちが誰を探しているか、病院でエスタから全てを聞かされていたリシャールにはわかっていた。かつての自分と同じ境遇にある彼らを見捨てるわけにはいかない。リシャールはいつもそうしているように、とぼけてやり過ごそうと軽口を叩くために口を開きかけた。

『貴方に拒否権はない。もしも我々への協力を拒めば、脱走を手助けしたエスタ=グラディウスの命を保証することはできない。もちろん、彼の補助で脱走に成功している貴方自身の命もね』

 その一言は、リシャールの口を噤ませるのには十分だった。

 かつての友人であり、何より自分に未来を与えてくれた恩人でもあるエスタの命をかける天秤など、リシャールには存在しなかった。

 沈黙を自分たちに好都合のものと看破したのだろう、中央の男は笑いながら言った。

『なに、貴方が直接あの少年たちに危害を加えなくてはならないというものではないさ。ある場所に彼らを誘導してくれさえすれば、貴方の師が関わった件については見逃してさしあげよう。』

 そして男が示した「ある場所」は、リシャールの知る限り最も安全なはずの場所だった。

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