3章『サンシュウの街の主と従者』⑤

 夜の間は絶えること無い瞬きに照らされていたサンシュウに陽光とした朝日が降り注ぐ。

 

 そこから少し離れた草原に黒髪の少年が立っていた。


「どうしてこんなことになったんだろう?」


 呟きが草の上に落ちる。 そして溜息も。

 

 彼の後方、やや離れた先に数十人の兵士。 


そしてそこからおよそ百歩程離れた向こう側には同じ数の兵士たちがこちらに向かい合っている。


「いまさらジタバタしない!とにかく勝てばいいのよ」


 隣の少女が気合を入れるように彼の背中をバンと立てると、浮き立つように少年が一、二歩前によろけた。


「ね、姉さん…演習なんて無理ですよ」

 

 普段の領主の息としての顔ではなく、年齢相応の気弱な表情の少年を勝気そうな少女は尚も励ますように顔を近づける。


「ここまで来たんだから覚悟を決めなさい…勝てないまでも、一矢報いないとグラン家の名折れでしょうが」


 二言目は声を潜めて周りの兵士たちに聞こえないように潜めた。 


 その美しい外見とは裏腹の激発しやすいサンシュウの未来の領主もそれくらいの分別は持っている。


「そ、そもそも何で俺があの将軍の演習相手をしなければならないのさ」


「しょうがないでしょ!あの表も内面も真っ黒いアホ従者の陰謀なんだから…」


「そ、それこそこっちには関係ない話じゃないか!」


「言い訳は無し! 反論も無し! とにかく戦ってくればいいのよ! わかった!」


 叩きつけられるような物言いに圧倒されたムランが「でも…だって…」とブツブツ言っているのを無視してアルアが背中を向けて去っていく。


「ムラン殿は大分愚図っているようですな」


 整列する兵士達の先頭で禿げ上がった頭をピシピシ叩きながらソルガルが感情の読めない顔をしている。


「大丈夫よ、発破かけてきておいたから…なんだかんだ言ってもやるときはやるのよ、あれは」


「何にしても無事に終えれば良いですな、さすがにご子息が怪我をなさってはトール殿も決して愉快ではないでしょうから」


 ソルガルは決してムランを嫌いではない。 


若き日のトールとはタイプは違うがどこか似ている。


 まだ彼が若者だった頃。


共に戦場を駆け巡った姿と重なり、見果てぬ夢を追いかけた彼の父親を思い出す。


 しかし彼がもっとも優先しているのはカルメラ家の発展である。


 ゆえにムランが怪我をされるのは困るが、馴れ合いのような演習など求めていない。 


 父の才が子に受け継がれるとは限らない。 


果たしてグラン家の将来を見据えなければな。


 個人としての感情や感傷を別にして彼は冷静にムランとグラン家が今後も付き合っていくに値する存在かを見極めようとしていた。

  

「私は心配なんてしてないわ、唯一あるとすればあの真っ黒キザ従者が何かろくでもないことをしていないかというだけよ」


 言葉とは裏腹にやや苛立つような言葉にソルガルが頬を緩める。


「ほっほっほ、多少難のある部下を乗りこなすのも領主の器というものですぞ」


「まったく陰険な部下を持つのも大変だわ」


「その苦労も人の上に立つ者の醍醐味ですな〜」


 愉快そうな禿頭の老臣とアメリアはそれ以上の言葉は交わさず、高台にある観察場へと歩き出す。


 その先にはすでに件の従者。 バルクアが不適に笑って彼女らがやってくるのを待っていた。




 一方、そのころムラン達と対面するシザール達も渋い顔をしていた。


「シザール様、万事準備整いました」


「うむ、ご苦労だった」


 言葉はやや沈んでいる。 


「やはりあの男の言ったことが気になさっているのですか?」


 細面の副長は無骨な表情で彼の主の懸念を心配する。


「ああ、あの姫君の従者…彼奴の真意がわからんのでな」


 彼らの脳裏にその時の情景が思い出される。

 

 この演習の決定をシザールに報告したのはバルクアだった。


「…演習ですと?」


「ええ…誉れ高い貴殿に試すようなことをするのは重ね重ね礼を失するとは思いますが、どうか承諾を」


 その言葉にシザールの後ろに控えた部下たちが鼻白む。


 かなり強引であったアルア嬢への対面の際に男が見せた顔は明らかに嘲笑だった。


 彼らはもちろん非常識な行いであったことは重々承知はしていた。

     

 しかしそれに対する反感でもなく、失礼に対する憤りでもないあの侮蔑の表情に部下たちは怒りを隠せなかった。


 彼らの長であるシーザールもそれに気づいてはいる。


 しかし窮鳥の身である自分。 


そして名誉すら奪われ、流浪となった部下達のことを思えばあれくらいの屈辱など造作も無い。


「それは願っても無いこと…このシザールと我が頼もしき部下たちはこの機会を与えてくれたアルア譲とカルメラ家に深謝し、必ず期待に応えましょう」


 膝を屈し、騎士としての最上級の礼を表したシザールにバルクアはニコリと笑う。

 

 それは何とも軽やかで婦女子だけではなく男ですら魅了する表情だった。 

  

 だがその内面は冷めきっている。


 それに気づくシザールは表情を崩さず、内心で吐露する。


 この男は油断できない。 忠誠という概念からは最も程遠い。  


 反感とも危惧とも違う感情が心に渦巻く。


「それは僥倖…そのように快く受けてくれたのなら私も責任を持って主によしなに言っておきましょう…もう一つ協力してくれるのなら」


「……その協力とはどのようなことでしょうか?」


 目線を上げ問いかけるシーザール。


 一体何を願うのだろうか?


 場が緊張する。


 バルクアは普通のものなら蕩けるような笑みを浮かべて口をひらく。


 その表情は先ほどとは違う。 心からのように見えた。


「実は演習の相手のムラン殿のことなのですが……」


 

 

「まさかあのようなことを言われるとは…てっきり逆のことを願うのかと」


「…果たして罠なのかそれとも言葉どおりの意味なのか…真意が読めんな」


 演習の開始は迫っている。 すでにこちらの準備は整った。 


 あとはあちらが合図を出せばすぐにでも始まる。


 観察場に視線を向ける。 遠目からでも長身の浅黒い肌の男が立っているのが見える。


 一体何を望んでいるのか? あの男は…。


 


「ムラン殿を叩きのめせですと? 確かあのお方の家は貴殿の家とは長い同盟関係と聞いていましたが」


 バルクアの願いは演習の相手であるムランを完膚無きまでに突き崩せということだった。


 いぶかしむシーザールと部下たちにバルクアは涼しい顔で先を続ける。


「正確に言いますと同盟ではなく協力、いやむしろ寄り合い関係というのが正しいですな、当家は武力を向こうは内政を、足りない関係を補完しあうためだけに一時的に結ばれた盟にしか過ぎません」


 グラン家とカルメラ家の蜜月関係は周辺では有名だ。 その間柄は月と太陽のようにたとえられたこともある。


 確かにバルクアの言うように両家は歴史が浅いため、お家芸がいびつに偏っているということは事実だ。


 それでもここ数十年、目立った対立など聞いたこともなかったが…。


「もちろんそう思わせるように宣伝しておりましたので」


「…そうですか、何とも巧みなことです、見誤っておりました」


 話の流れが読めない以上そう答えるのが無難だ。


「ですがここ最近これを勘違いしているものが増えてきまして、当家も迷惑していたのですよ…とくに当事者であるグラン家がね」


「…………」


 返事は返さない。 後ろにいる部下たちも身じろぎもせずバルクアを見ている。


 なるほど彼の国で低い身分ながら騎士になっただけあって馬鹿でも無いし迂闊な人間でもないようだ。 

 

 そして部下の統率も出来ている。 確かにこれは買い得の将だな。


 どうやって説得しようかと言葉を慎重に紡いでいく。


「水も長く留まると淀むといいますが人の心も御家の関係も同じものです。我々は何年も前からこの淀んだ水を流しきりたいとは思っていましたがここに来て望外のお方がいらっしゃいました。それがシーザール殿、貴方とその方たちです」


 これは世辞だな。 だが決して嘘ではない。 


 シーザールが国を追われて最初にアルアの元にやってきたのは偶然ではない。 

  

 追放された我らを庇護できるだけの力を持つ家。 これが一つの理由。


 そしてもう一つは確固とした軍を持たない家。 


それにうってつけだったのがカルメラ家だったのだ。


 バルクアが言っていたように、また当事者たちが思っていたようにカルメラ家は隊商護衛程度のささやかな戦力しかないので軍事に関してはグラン家に頼り切っているのだ。


 そこに自分たちが入り込む余地があると踏んだがゆえに王都から次代の領主がやってくるのを待ち伏せていたのだ。


 その狙いは当たった。


 これでカルメラ家に断られるようなら名誉も金も無い傭兵集団に成り果てぬしかないと悲観していた。


「この演習は良いキッカケだと思いませんかな?貴方にとっても当家にとっても……ね?」


 悪魔じみたバルクアの慈悲深い声。 


今まで語られていたことが真実なのかはたまた大げさに脚色された事実なのかは判断できない。 


 だが彼も彼の部下たちもそれに乗るしかないということはわかっていた。


  

「演習とはいえ戦。戦場に出れば余計なことを考えずに敵を蹂躙すればいい、その後のことはそれからだ」


「御意」


 簡潔に答えた副長は、心中に沸いた不安も疑念も心の奥底に飲み込み、ただただ命令通りに動くことだけを考えた。


 つまり相対する敵をただただ倒せと。


 

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