死を必とすれば即ち生く。

「ふっ、追いついたか」


 報告を受けてニンマリと笑うグランに周囲に居た部下達が色めきだつ。


 早速前線に出てみると、地面には無数の足跡がついていた。


「徒歩であの人数だ……そしてあちこちに転んで身体がついた跡がある以上、そう遠くまでは進んでいないだろう」


 ほくそえむグランの横から部下が近づいて耳打ちをする。


「やはり目標は釣り橋を越えて逃げ切ることでしょうか?」


「間違いなくそうだろうな、だがあの釣り橋は老朽化が激しい……渡れんよ、無理に渡れば橋は落ちる」


「それでは……」


 ギラリと瞳を光らせた部下に笑みで返す。


 言葉はもういらなかった。


「……それでは仇を討ちに行ってまいります」


「……ああ」


 肯定の言葉を合図に部下は他の仲間達に号令をかけて先頭になって駆け出す。 


 これならば、なんとか間に合いそうだな……。


 そう思ったところで、間に合う? 


一体何にだ?


 逃亡にか?


 ことここに及んでも自分の心配か……。 


 人の生への執着はなんとも怖ろしい。 


 恥と開き直り、その混合による逡巡。 


グランは未だ決断出来ずにいる。


「グバァッ!」


 瞬間、先頭に立っていた兵が落馬した。 


足跡によりデコボコになった地面でバランスを崩したか……粗忽な奴だな。


 仲間達が笑い、一人が近づいたところで悲鳴をあげる。


 なぜなら泥まみれになった『それ』には頭が無かったのだから……。


「敵襲か!」


 叫んだ一人がそう言った後にやはり同じように倒れていた。


 今度は頭は残っている……。


 かろうじて半分程だが。


「赤髪の悪魔か!」


「違えよ……」


 それを背後で聞いた兵ははじき飛ばされるように泥の上に転がる。 


気を失う寸前に彼が見たものは青い髪をした少年が自身の馬の上に立っている姿だった。


「赤い方じゃないぞ!」


 槍を肩に担いだ少年が不適に笑いながら馬の背中の上に立っている。  


「そうだよ……だが俺はあの馬鹿よりも強いぜ?」


 そう言って飛び上がると、すぐ前にいた兵を蹴り飛ばして彼を踏み台に空中で一回転した後、同じように馬の背中に着地する。


「ちっ……軽業師かよ!」


 後ろから馬に乗った別の兵が切りかかるが、足跡だらけの地面に足を取られて馬を制御できない。 


 てこずっているうちに少年の槍を顔面に突き立てられ、もんどりうって倒れる。


「違えよ……ただの使い古された槍さ」


 悠然とグラン達を睨みつけるその姿は赤髪の悪魔よりも怖ろしく見えた。 


 赤髪は荒れ狂う暴風雨のように全てをなぎ払うような存在だが、青髪は一本の矢のように確実に敵を仕留めていく。


 仲間の死に、怒り狂った三人の兵が同時に攻めかかる。  


 三方向から同時に繰り出された攻撃によって鉄と鋼がぶつかり合った音が響き渡るが、それは目標である少年には届かず、馬の背中の上で空しく交差していた。


「う、上か……ぐっ!」


 予想は当たっていた。 


少年は信じられない程の瞬発力で空に飛び上がり、そして見上げた兵の肩の上に飛び乗った。


 彼の頭に槍を突き刺して支えにして……。


「……お前らに言っておいてやるよ、今なら見逃してやるからこのまま退却しな、でないと『ムランの槍と剣』がお前らを全員ぶっ殺すぞ?」


 槍を引き抜いて、兵を蹴落とすと威嚇するように周囲を睨みつける。


「ふ、ふざけるなよ、貴様なんぞに……お、俺達が……あああああっ!」


 青髪の少年に切りかかった一人の兵が言いかけたところで馬ごと潰された。


 まるで料理に使われるかのように彼と馬は仲良く合挽き肉となって地面に突っ伏している。


 そして半分となった馬の残骸の上でやや危ういバランスで赤髪の少女が立っていた。


「……というわけで、赤髪の悪魔とこの『ムランの青き槍』がこの先追いかけてくるなら相手するからよろしくな」



 ニヒヒと笑う『槍』と静かに威嚇するような顔の『剣』はそういって彼らの前に存在していた。


「………………」


 兵たちが黙り込む。


 目の前の凄惨な仲間の死に怒りたいが、同時にこんな死に方はしたくないという本能がぶつかりあって誰も言葉を発せずにいた。


「馬鹿者たちが!ありったけの弓と矢を持って来い!近づけぬのなら射殺せばいいだけだ、それに着地する場所が限られているのだから十分に当てられるだろうが」


 木々を揺らすかのような怒声が山に響き渡る。 


グランが消沈する部下達を怒鳴りつける。


「あの若造に言った言葉を忘れたか!帝国の精兵が二人の餓鬼に恐怖してどうなる!」 


「は、はい!」


 沈み込んでいた部下達を鼓舞する。


 そしてほぼ同時に後方から弓と矢が全ての兵たちに手渡されていた。


「やべっ、さすがにここであれだけの矢はマズイな……イヨン、戻るぞ」


 イヨンはコクリとうなずくと懐から煙幕玉を力いっぱい空へと投げる。 


 空中に飛ぶそれをスアピが器用に小刀を投げつけて割ると、白い煙がその場の全員へと降りかかる。 


 そしてその間に二人は飛び上がり、木々を伝って主の元へと帰っていく。


「へへっ思ったよりうまくいったな!まあ本当はあそこであいつらが尻尾巻いて逃げてくれれば大成功だったんだけどな」


「…………」


 イヨンは返事を返さず、スアピの方にも顔を向けない。


「なんだよ、ご機嫌ななめじゃねえか、まったくお前は良くわからんやつだぜ

「……イヨン、馬鹿じゃない……スアピより強い……」


「それが不機嫌の理由かよ……まったくお前は本当に地獄耳だよ、どうだっていいじゃねえか」


 飽きれた顔をしながらも器用に二人は木々の間を飛んでいく。

 

 そしてその間もイヨンはふくれっ面でスアピの呼びかけを無視していた。



 

 二人が戻るとムラン達は落とされた吊り橋の前で座り込んでいた。


「やあ、うまく奇襲は出来たかい?」


 疲れた顔の主を元気付けるかのようにスアピが、


「ああ、バッチリビビらせてやったぜ!」


 快活に笑って親指を立てて突きだす。


「イヨンも……怪我はないか?」


 無言で立っているイヨンに近づいて、優しく頬に触れる。


「うん……大丈夫」


 少し頬を染め、ニコリと笑うイヨンに、「まったく現金なやつだな」とスアピが苦笑した。


 三人で束の間の再会を喜びながらもスアピは油断なくムランの後ろで座っている義勇兵達を見ていた。


 橋が落とされることを彼らは知っていた。


 なぜなら吊り橋を破壊したのは自分達なのだから……。


 そして釣り橋が渡れないことを知って、絶望に駆られた義勇兵達が主を害さないかを心配していたのだ。 

  

 出発前、ムランから受けた命令は二つだった。


 一つは敵を奇襲して、これ以上の追撃を諦めさせるか遅らせるかということ、もう一つは目標である釣り橋が渡れるかどうかを確認し、無理そうならいっそのこと破壊すること。


 そして実際に吊り橋はあった。 


しかし長い間風雨に晒され、誰も管理するものの無いそれはかろうじて吊り橋であって、とても多数の人間が渡れるものではなかったのだ。


 故に完膚なきまでに破壊した。


 吊り橋を完全に『吊り橋だった』ものに変えた。


 「中途半端な希望を持たせるとそれを妄信して人間は動くからね」


 学んだ戦場心理をスアピたちに説明してくれるムランに、


「でも吊り橋があると思ってあいつらはお前の命令を今は聞いてくれるだろうが、これで実際にそれが無かった時に何をするかわからねえぞ?」


 スアピはスアピでムランとは違う冷徹な思考から、絶望した捌け口をこのお人好しの主に向けるのではないかという懸念を示した。


 ムランに出会う前に実際に見て、体験から学んだ『人間への絶望』から、彼は本当にそうなることを心配していた。


 イヨンも主の手を両手で掴んで不安そうな顔をしている。


「その時はその時さ。それくらいも御せないなら我の息子にあらず……って親父殿はそういうだろうね」


 こともなげにあっさりと言い放つので、スアピもイヨンもあっけにとられてしまいキョトンとなってしまった。


「それによしんば生き残ったとしても、まだ何の功も立ててないしね」


「お、お前……それで死んだら意味がないだろうが……」


 やや飽きれ顔のスアピにいまいち意味がわかっていないイヨン。


二人に向かい合ったムランはニコリとした顔から真面目な顔へと変えて、


「……最初は助かった喜びに包まれてもすぐにあの人たちは国に見捨てられたことを思い出すだろう……そしてそれは回りまわって色々な問題となって国の崩壊の一因となりかねない」


「それこそお前には何の関係もないことだろうが」


 理解できないという顔のスアピ、その表情を見てイヨンが可愛らしく首を傾げる。


「忘れたのか?俺だっていずれはサンシュウの街を統べることになるんだぞ?国の危機を未然に防ぐことだって俺の使命の一つだよ」


 悲しげに笑い、イヨンの頭を撫でる。


 そんな主の姿を見たスアピは何かを言いかけて……黙り込む。


 イヨンは嬉しそうに撫でられている。


「……お前の心配性はもう病気だな」


 ふっきれたように笑うスアピに今度は困ったような照れたように微笑む。


「しょうがないさ、これはもう性分だよ。治しようがないんだ」


 一瞬の沈黙の後に、噴き出す様にお互いに笑った。 


そしてイヨンも安心したようにニコニコとしている。


 その姿は遠目からは遊んでいるように見えるのだろう。


 その真意は余人には誰も分からない。


 当の本人達だってはっきり言葉に出来るものではない……そんな覚悟だ。


 そして戻ってきたスアピは自分の心配はとりあえず杞憂だったことに内心ホッとした。


「それで、次はどんな作戦なんだ?説明してくれよ」


隊列から少し離れた場所であえて意地悪な質問をするスアピに、ムランは苦笑を浮かべながら答える。


「……この周辺を探索して濡れていない砂をかき集めたよ、みんな本当によくやってくれた」


 確かに二人が立っている地には砂がまかれていて、底なし沼のようだった地面は僅かに感触を感じさせる程度には固定化されていた。


「なるほどな……この場が最後の砦ってわけか」


 察したのか、頬にタラリと冷や汗を流し、引きつった顔で笑う。


 スアピとムランが立ち尽くす場所は右側に谷があり、左側にはやや盛り上がって  丘のようになっている。


 そしてそこを越えた先は平坦な道となっていて本来なら橋を超えることによって谷を越えて麓へとつながるはずだったが、今は谷を渡ることは出来ない。


 よって行き止まりだ。 つまりグランの兵がこの場にやってくればこの地で彼らは最後を迎えることとなる。 


 殺されるか、自ら谷に落ちて死ぬかの選択くらいは出来るが……。


 いやもう一つあった。 というより死にたくなければそれを選ぶしかない。


「そう……ここが決戦の地だよ、文字通り死ぬか生きるかって意味でね」




 決戦の時間はそれから数十分後にやってきた。


 彼らは無言でやってきた。


 しかし集団から発せられる殺気によって、大きな殺意の塊が近づいてくるのを何となしにムラン達は気づいていた。


やれることはやったというある種の諦観で、彼らがやってくるのを座って待っていたのだ。


「……来たね」


 無感動な顔でイヨンが呟くと、


「ああ……そうだね」


 優しくムランが返事をした。


「……それじゃ、はじめるか、あんたらは前に話した通り、俺らが逃がした奴をやってくれればいいからよ?」


 スアピの口調はぶっきらぼうだが、彼らを気遣っているようにも聞こえる。


「本当に……大丈夫なのか……勝てるのか?」


「さあな……」


「なっ……そんな……あっさり……」



「まあ聞けよ?俺には難しいことなんざわからねえ、ただ人生ってのは無数にある何かを選んでいくことなんだってのは分かる」


 油断無く敵陣を見据えながら、穏やかに言葉を紡ぐ。


「だから結局は自分が決めたモノを信じて動くしかねえんだよ……どうもうまく言葉にできないんだが……」


 苦悩するような表情を一瞬出し、今度はさわやかに笑う。


「そして俺はあいつを信じるって決めた……だからこの場に立ってる。あんた達だってそうなんだろう?」


「……ああ」


「へへ…そうか、ありがとうよ、あいつを信じてくれて」


 その言葉を最後にスアピは前へと走り出す。


 地面は彼らが砂を撒き、踏み固めてくれたおかげでしっかりと動くことが出来る。


 それだけでいい……。


この上にあのお人よしで危なっかしくて見てられない弟のような大将を信じてくれたなら命を懸けて戦う理由になる。


 結局は無数の選択の中で『選ぶ』か『選ばない』の二つしかないのだ。


 そしてその選択を後悔させないために彼は『殺し殺される場所』へと向かう。


「しっかしまあ……なんだな」


「うん……どうした?」


「この状況なのに何故か死ぬ気がしねえってのはどうなんだろうな?」


「奇遇だな、俺もだよ」


「……うん」


「三人ともそう思うんならこりゃ確実だ……それじゃ、援軍が来るまできばって戦おうとすっか」


 すでに宣戦布告も交渉も済んだ。


 死闘が始まる。


 敵の先頭はすでにムラン達の目前に迫っていた。

 

 まず先頭の数人がスアピの槍で突き殺される。


 彼らのすぐ後ろに居た兵士達は横に広がってムランたちを包囲しようとするが、彼らもスアピ、イヨンが左右に広がる彼らごと包囲をなぎ払う。


 包囲の真ん中にいた兵士がムランに切りかかり、ムランはその攻撃をすり抜けて切り捨てる。


 数百人もの兵士がたった三人に切りかかるが、誰も彼らを殺すことが出来ない。


 三対数百の戦いでもムラン達が善戦できているのは後ろに義勇兵が待機していた為、後背を疲れるのを恐れた兵士達がムラン達の前面だけに集中していること。


 そしてもう一つあった。


それはイヨンやスアピが単独で戦うよりもはるかに強かったことだ。


イヨンが大剣で兵士達をなぎ払う。


 それを避けた者達の隙を突いてスアピが槍で仕留める。


 そして反撃しようとする兵たちをムランが剣と隠し武器で牽制し、反撃を防ぐ。


 各自が様々な動きで、互いをフォローしていた。 


 まるで一個の生き物のように動いて戦う。


イヨンスアピの両名だけでも脅威だが、そこにムランが加わると全く違う動きになってしまうのでグラム隊の兵たちは攻めあぐねていた。 


 これらのお陰で信じられない奇跡を彼らは起こしていたのだった。


 しかし奇跡はいつまでも続きはしないものだ……。


ムランたちはひたすら目前の敵を倒していくが、いくら幸運な条件が重なっただけとはいえ、やはり多勢に無勢……徐々にムラン達は後退し追い詰められていった。


「アウッ!」


 激闘の最中にイヨンが足元の死体に足を取られて転んでしまった。


 すぐにスアピがフォローに入ろうとするが、数人の敵に阻まれてそれが出来ない。


 ムランも目前の敵と渡り合っていてどうしようもできない。


 幾人もの兵士達が起き上がろうとするイヨンの背中に武器をつきたてようと振りかぶったとき、シュッっという音が聞こえ、一人がそのまま後ろに倒れる。


 間髪居れずにまた別の兵の顔に矢が刺さってその兵も地面に倒れこむ。


 なんとか自分と戦っていた兵を切り捨ててムランがイヨンの元へと駆けつける。


 その間にも周囲にいた敵達に容赦なく攻撃は降り注いでいた。


「て、敵だーーーーー!」


 兵の一人が言ったその声にムランたちが顔を向けると、ちょうどムラン達を攻めようと一直線な隊列を組んでいた敵兵の側面を突くように丘の上から別の集団が攻めこもうとするところだった。


「え、援軍か……?でも誰が……」


 何とか立ち上がったイヨンに肩を貸しながら、ムランが現れた兵達の旗印を確認する。


 旗には二匹の竜が絡み合っている絵が表示されていた。


「ま、まさか……あれは……」


 突然の奇襲によりグラム隊の兵たちは浮き足立って四散していく。


 それを見逃さないように、側面を突いた軍とムラン達の後ろに待機していた義勇兵達も動いて敵の殲滅をしている。


 周囲に敵の居なくなったムランたちは呆然とその様子を見ていた。


 そんなムランたちの所に立派な鎧をつけた騎士が馬に乗って駆け寄ってくる。


「遅れてしまってすいませんでした……ムラン殿」


「…オルド様」


荒い息を吐き、ひたすら山を駆け上っていたのかところどころに泥がこびりついた姿でオルドが駆け寄って来る。


「本当に間に合ってよかった……今回のことはどう詫びていいものか」


 馬から降りて頭を下げるオルドにムランは状況が飲み込めずにポカンとしていた。


「とにかく……今は敵を殲滅させることが先決です。後で詳しく説明を」


 それだけ言い残してまた馬に乗り、指揮をするため三人の前から走り去っていた。


 とにかく命拾いしたということはわかったので三人ともヘナヘナとその場に座り込む。 


「た、助かった…やっぱりイヨンの勘は頼りになるな」


「それにしても、俺達を見捨てて逃げやがった奴らがどうしてここに来たんだ?」


「まあいいじゃないか……後でゆっくり聞かせてもらおう。それより疲れてしばらくはこの場から動きたくないよ」


 そう言ってイヨンに背中を預けてムランは空を見上げる。


 視界の隅でイヨンの赤い髪がまるで世界を守る壁のように囲っていた。




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