腐敗の王国軍 後編

「すいません私が余計なことを言ったばかりに……」


 歩きながら謝罪の言葉を告げる。


 途端オルドがぴたりと止まり、振りかえった。


 あたりには誰も人がいない陣地の隅で、緊張を緩和するかのようにさらりとした風が一度ふく。


 その中でただ黙り込んでいたオルドがニコリと笑いながらムランの両肩にバンと両手を置く。


「ありがとうございます!」


 突然のお礼の言葉にムランが口ごもっていると、オルドは早口で言葉を続けていく。


「彼らに全くやる気がないというのはわかっていましたが、あそこまでとは……内心忸怩たる思いがありましたが立場上言えなかったのです。でも貴方が私の思っていることを言ってくれて少しは気が晴れました。本当にありがとうございます!」


 はっきりとしたその言い草に思わずムランも笑い出してしまった。


 オルドも貴族のような気取った笑い方はせずに若者らしい馬鹿笑いをしている。


 誰もいない陣地の一角で二人の若者達の笑い声が響きわたっていた。


 事情を知らない者が見たら何事かと驚くほど痛快に笑いあって。


「あいつらの鼻を見返してやりましょうね、私達で…」


 力強く自身の手を両手で握るオルドにムランは、このやや年長の青年貴族への敬愛がさらに強くなっていくのであった。




「…それは本当なのですか?」


 スアピたちの元へ戻る道すがらに迷いはしたが、オルドに昨夜の少年が言っていた噂を話してみた。


「わかりません…ただ実際にその少年から聞いたことではありますが、そういう噂が広まっているようです」


「わかりました、それでは私の方でも一応探っては見ましょう。本当ならとんでもないことですからね」


 いくら自分を副官に任命してくれたとはいえ出会ってから日が浅く、ましてや低い身分の自分の聞いた噂を信じてくれるオルドにムランは感激を隠さずにはいられなかった。


 所詮は兵卒上がりの領主と父を侮蔑する貴族達を子供のころから見てきたムランにとって、貴族というのは傲慢であり、決して自分達のようなものとは解りあえないものと思っていたからだ。


「うん?どうかしましたか?」


 自分の視線に気づいたのかオルドが問いかける。


「いえ……何でもありません……それよりあいつらは大人しく留守番してくれているのでしょうか?」


「ははは……ムラン殿は心配性ですね。大丈夫ですよ、まさかまた彼らがまた他の兵士達と揉め事を起こしているのではないかと思っているのですか?」


 自分の心配性を笑うオルドに苦笑しながらムランが答える。


「いえ…何しろあいつらはいつも私の予想を超える事をしてくるので、すっかり心配性になってしまいました」


「そういえばあの二人とは長いのですか?ずいぶんと昔から付き合っているように見えますが?」


「そうですね…二人ともかれこれ十年近く一緒にいます。そういえば出会った頃からあの二人は私の度肝を抜いていましたね」


 昔を思い出しているのか遠い目をするムランにオルドは興味を持ったようで悪戯っ子のような笑顔で質問をする。


「それは興味深いですね。二人はとてもただの従者とは思えないほどの剣技の持ち主ですし膂力も凄いですからね、どこで出会ったのですか?」


「剣技は二人とも私の所に来てから鍛えたのですが、膂力は昔からありましたね。まあ…出会いは……」


 言いにくそうに口をにごらすムランを見てオルドが話を変える。


「おや?訓練をしていますね。今日は確かガルム隊が担当をしていらっしゃるそうですよ?」


 きっと話しにくいことなのだろうと気を遣ってくれたのだろう。 その貴族らしからぬ気遣いがムランには嬉しかった。


「そうですね……あの真ん中にいるのが訓練教官ですかね?」


 見ると訓練をしている兵士達の前で槍を持って何事かを叫んでいる者がいる。


 そしてその横で赤い髪をした者が槍を構えている教官の突きを剣で受けている。


「あれ?何か…見覚えが…あるような」


 もう一度よく見ようと目を凝らして見ていると教官もこちらに気づいたようで大きく手をふり叫ぶ。


「お~いムラン~!」


 見覚えがあるのは当然で兵士達の訓練をしていたのはスアピであり、スアピの槍を剣で受けていたのはイヨンだったのだ。


 こちらに手を降るスアピを見ながらムランは自分の心配が当たったのを確信したのだった。





「だからよ?副長殿が不慮の事故で訓練をできなくなっちまったから代わりに俺が教官をやってたのさ」


「…そうなのかイヨン?」


「………………」


 じと目でスアピを睨みつけながら何も発しないのを見てムランは何かあったなというのを確信した。


 しかし今はその何かよりもこれがガルム将軍にばれないかどうかを気にしなければならない。


「さて…どうするか」


 ムランが一言呟いてまだのびている副長を見下ろす。


 人並み以上のでかい身体を精一杯大の字に伸ばし、白目を向いて泡をふいている  


 もしかしたら死んでいるのではないかと思わせるような状態だった。


「これ、死んでないよな?」


「そんなわけねえだろ。ほら、こうやって刺激を与えてやれば…」


 そういってスアピが副長の上体を起こして力を込めて背中を叩く。


 瞬間……『グブァッ』と声を出して副長の頭がブランという感じに下がった。


 ……静けさが辺りを包む。


 ヒューと一陣の風だけが場を吹き抜けた。


「い、今のは無し、なっ?無しだぞ!」


「……死んだ」


 イヨンが副長を指差して一言呟く。


「おまえ…なんてことを…」


 ムランが青ざめた顔でスアピを見つめる。


 オルドも暗い顔で見つめてくる。


「ばっ、ちょ、ちょっと待て!こいつが見た目より脆いのが問題なんだろうが!俺は悪くないぞ!あのガルムとかいう将軍の鍛え方がたりないから…」


「私がどうしたというのだ!」


 後ろからいきなりガルムが大きな声を出しながら顔を出す。


「うわっ!ガルム様…」


 ムランが驚いて声を上げる。 最悪のタイミングで最悪な人物が来てしまった。


「うん?…そこにいるのは私の部下か!どけ!一体何があったのだ?」


 じろりとムラン達を睨む。


「ええと…その…実は…ですね…」


 オルドが口ごもりながらどう誤魔化すか考えていると、


「実は…副官殿は敵の刺客に不意をつかれてしまい…その命を…」


 ムランが心痛な顔を浮かべて顔を下に向ける。


「命を…?こいつはまだ生きているが?」


「ええっ!本当ですか?」


「当たり前だ!少し気絶をしているだけだな…こうして…よっと!」


 ガルムがさきほどのスアピのように副官の上体を起こし軽く背中を叩く。


「うあっ?うぅ…」


 白目をむいていた目がグルンと動き副官の男が目を覚ます。


 状況を理解できないようで、辺りをゆっくり見渡しているが、ガルムの姿を見て取るとすぐさま直立不動で立ち上がり敬礼を始める。


「こ、これは…将軍!」


「敬礼はいい…何故こんなとこでのびていた?それを答えよ!」


 副官はキョトンとした顔を一瞬浮かべて思い出すように目線を上に向ける。


「ええと…確か自分は訓練の指揮をしていて…それから…ええと…」


 ふとムランやオルドの影に隠れているスアピの顔を見ると、一瞬怪訝な顔をして何かを思い出したように目を見開く。


「あっそういえば!」


「副官殿~!お身体は大丈夫なのですか!大事な身体ですからどうかご自愛を!」


 副官の口をふさぐようにムランがすがりついてくる。


「な、何だ…お前は!お、俺は…いや…自分は…そいつに…」


「副官殿~!ご無理をしてはなりません!ほら!見せてください!頭を打っているかもしれないのですから!」


 そういって顔を副官の後頭部に近づける。


「い、いい加減に……」


 ピタリと副官の動きが止まる。 慌てたようにガルムを見て、その後周りを見る。


その顔には何故かあせりが見て取れた。


「大丈夫だ…自分のことはわかっているから…」


 そういうとムランがホッとしたように離れた。


「それで?お前は何故ここでのびていたのだ?」


「はい、実は…」


 スアピがオルドたちの影に隠れながらゆっくりと後ろを向く。


「急に刺客に襲われてしまい…不覚を取ってしまいました!」


 直立不動になり副官が答える。


 その答えにスアピもオルドも固まったように驚いていた。


「ほう…顔は見たのか?」


「も、申し訳ありません!後ろから襲われたので顔は見ておりません!」


相変わらず直立不動でやや裏声で答える。


 疑うような目つきで見るガルムの顔を、冷や汗を垂らしながら副官が視線を上に向けて避ける。


「それでは…お前らに問う。この中で刺客を見たものはいるか?」


 ガルムが向き直り、若者達に問いかける。


 急なことに若者達が戸惑っていると、後ろの方で誰かが叫んだ。


「私が見ました!刺客は黒いフードを被っていました!」


 奥から出てきた少年が出てきてガルムの前に立つ。


「あいつは…昨夜一緒にいた…」


 先ほど自分と一緒にいた少年の相方だった。


 彼は緊張した顔で将軍の次の言葉を待っている。


「それで刺客はどちらに逃げたのだ?」


「あちらの方に…」


 そう言って平原の先を指差す。あちらの方は反乱軍のいる方向である。


「ふん…副長!」


「は、はい…!」


「刺客に襲われたとはいえ訓練を実施できなかったのはお前のせいである!よって職務怠慢によりお前を鞭打ち十回の刑にする」


「わかりました!」


 敬礼をして命令を謹んで受ける。


「うへえ、それだけで鞭打ちかよ。お堅い野郎だぜ」


 スアピが聞こえないようにボソッと呟く。


「そして…副長の罪は将軍の罪である!よって私に鞭打ち二十回の刑を出す。誰か準備をしろ!」


 あっけに取られるムランたちを尻目に将軍の部下達は着々と準備を始めていく。


 やがて台が運び込まれ、最初に鎧を脱ぎ、半裸になった副長が寝かされた。


 いかにも武人といったようなたくましい背中だ。


 そして革で巻いた棒を口にくわえ、両手を台のふちで掴んで突っ張る。


 将軍が部下から鞭を渡され、それを副長に叩きつけていく。


「副長、棒をしっかり咥えて力を入れておけ…いくぞ!」


「はい!お願いいたします!」


 将軍が一発目を副長の背中に叩きつける。


 瞬間、背中には赤い線が走り、脂汗が一気に浮き出てくる。 将軍はかまわずに二発目を叩きつけ、間髪入れずに三発目、四発目を入れていく。


「ぐっ…!」


 低いうめき声を出しながら副長の身体が震える。


 まだ半分もいっていないというのに背中全体が紅潮していて、まるで血が浮き出ているようだった。


「コワイ…」


ムランの背中に隠れながらイヨンが目を逸らす。 ムランも険しい顔で見ている。


「…八!…九!…十!…副長、よく耐えたな」


「ハアハア…このくらい大丈夫です」


 その答えに満足そうに一瞬だけ微笑み将軍が鞭を副長に渡す。


 そしてさっきまで副長がいた台に乗り、鎧を脱ぎ副長ほどではないが鍛え上げられた背中を見せる。


「副長!手加減はするなよ!」


 大きな声を上げて本気で叩けと命令する。


「は、はい!」


 命令どおり、副長は誰よりも強い力で将軍の背中を容赦なく鞭で叩き続ける。


 あっという間に背中は赤くなり、やがて鮮血が迸る。そこまで至ってもまだ二十回までは半分を残していた。


「っぐ…、どうした?鞭を止めるな!」


「し、しかしこれ以上は将軍のお身体に…」


 躊躇する副長を将軍が睨みつける。


「身体がどうした?私はお前に罰を与えお前はそれを立派に受けた。ならば隊長である私が私自身に課した罰を受けなくてどうしてお前らの上に立てようかりそれに他の部下や義勇の民達も見ている。お前がそれを遣り通してくれねば私だけでなくお前等が彼らに笑われてしまうのだぞ」


 そこまで言われてしまってはどうしようもない。


副長は意を決して鞭を振り上げると続きを始めた。


「………鞭打ち二十回終了しました」


「うむ、よくやった」


 ふらりと立ち上がりながら、将軍が鎧を着込みムランたちのところにやってくる。


「副長がああ言ってしまった手前、あの処置をしたが、今度同じことを起こしたら許さんぞ」


 そういってフラフラと立ち去っていく。


「…ばれてたのか」


 冷や汗を流しながら将軍の背中を見送る。


「ああいうところが部下に慕われるところなのでしょうね、やや頑固なのがたまに傷ですが」


「それよりお前、あの副長に何を言ったんだ?」


 スアピがそっと耳打ちしてくる。


確かにあの副長が自分達を庇ってくれるとは思っていなかったので、驚いてしまったのだ。


「別に…。公務中に寝ていたというので将軍がお怒りですと言っただけなんだけど、まさかあんな事になるとは…」


 そっと副長を見ていると、彼は背中を丸めて黙り込んでいる。


落ちこんでいるようだ。


 だが、すぐに頭を上げてムランの横を通りすぎ…ようとして立ち止まる。


 スアピとイヨンが間に入って身構える。


 が、二人をどかしてムランが一歩進み出る。


「どうも余計なことをしてしまったようで、申し訳ありません」


 副長は黙り込んでいたが、ゆっくりと口を開いた。


「将軍に嘘をついたのは自分。お前の従者にやられたのも自分。それを民間人になするほど腐ってはいない。そこの槍男、いずれこの借りは返す」


「おう、望むところだぜ」


 そのまま副長は無言で去っていった。


「将軍の部下もなかなかの者がいるようですね」


 オルドが羨ましそうに呟いた。


「そんなことより…これからのことを話あいましょう」


 疲れたようにムランが話しかける。 実際に彼は疲れていた。


 いきなりの副官任官に、前線勤務を命じられ、従者達はガルム将軍の副長ともめていて、彼の神経は擦り切れそうだった。


 しかしまだやらなければならないことがある。


 そのことを考えると倒れそうだが、どうにかやりきらなければ……。


 一つ深呼吸をしてムランがスアピたちに命令をする。



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