第十二話 人事を尽くして婚礼を待つ

 季節は移り、夏が近付いてきた。今年は幸運なことに気候も良く、雨もたくさん降り、今のところ領地の作物はすくすくと育っている。収穫も数年ぶりに見込めそうである。


 アナはジェレミーと婚約したとは言え、結婚などもっと先のことだろうと家族の誰もが思っていた。アナも式の時期は話題にしたことはなかったからである。


 しかし、彼女が王都に戻ってしばらくして来た文によると、夏の終わりに式を挙げることになったとのことだった。この度ジェレミーが父親から侯爵位を継いだこともあり、ジェレミーの両親の勧めもあって結婚を決めたらしい。


 そのため婚約披露の晩餐会をルクレール侯爵家で開くのでジョエルとルーシーにも招待状が来た。晩餐会の日付は既に一週間後に迫っている。


「私は花嫁の父親として式には何としてでも駆け付けるけれど……」


「お父さま、晩餐会が一週間後では礼服を仕立てる時間もありませんね」


 アナからは二人が晩餐会に出席してくれるなら衣装代の心配はするな、もう日が迫ってきているのに申し訳ないと文にも書かれていた。しかも高額の小切手まで送られてきた。


 ルクレール家の面々は急に晩餐会を開こうが、舞踏会に招待されようが、すぐに相応しい装いが出来るのだろうが、ボルデュック家ではそうはいかない。ルクレール家との格差についていけないのはアナも同じであろう。


 ルーシーはジョエルが欠席するのなら殆ど誰も知らない場にわざわざ王都まで出掛ける気もしなかった。


 王都では伯父の家に滞在させてもらえるにしても、旅費もかかる。アナが送ってくれた小切手を眺めながらルーシーはつぶやいた。


「このお金はもっと有効に使えるはずですよね。お姉さまはルクレール家で肩身の狭い思いをされていないかしら……」


 ジョエルも同じ意見だった。


「私たちは夏の結婚式だけに出席しような、ルーシー。このお金はその時のためにとっておこう。アナはルクレール家の人間になるからいいかもしれないが、私たちまであちらのお世話になるわけにはいかない。まあそうとは言ってもルクレール家に恥をかかせるような格好も出来ないし、背に腹は変えられないなぁ」


「お父さまのおっしゃる通りですわ」


「晩餐会だなんて華やかな場には出ていきたくないのが本音だしね」


「私も気後れしてしまいそうですわ」


「アナは一人で大丈夫だろうか……ルクレール様がいらっしゃるからまあ心配いらないか。彼はああ見えても優しい人のようだし」




 ステファンもジョエルも、アナとジェレミーの仲のことをそこまで疑っていないようである。テオドールとルーシーが無駄な勘繰りをしているだけなのだろうか……二人の関係がどうであろうと、この夏にはもう婚姻の誓いを立てることになってしまった。


 こうなったらルーシーはなるべく早くボルデュック領の再建を実現させたかった。自分には何が出来るのだろうと模索中だった。




 ある日の食卓でジョエルはぼやいていた。


「ステファンの持ってきてくれた葡萄酒は実に美味しかったよなあ。私もあまり飲む方ではないがねぇ。まだある瓶を勝手に開けるとアナが今度帰ってきた時に大目玉だね……」


 その言葉に皆が笑った。


(そうよ、だったらボルデュック領で葡萄酒を作ればいいのよ……)


 ルーシーは咄嗟に口を開いた。


「ボルデュック領で葡萄を栽培したらどうでしょう、ステファンさん。新しい産業になりませんか?」


 ステファンはにこやかに笑って答えた。


「ルーシー、葡萄酒の産地はどこも王都よりずっと南なんだよ。冬の始まりの早いこの辺りでは葡萄の収穫前に霜が降りてしまうからね。その代わり、ここでは例えば林檎栽培が盛んだ。あれもこれも、というわけにはいかないよ」


「そうですよね……それでも冬になる前に収穫すればいいのでは?」


「葡萄の木に霜が降りる前に熟れろと言っても無理だよ」


「そうか、ここじゃあ葡萄栽培は出来ないのか……」


 ジョエルまで残念がっているようである。


「……」


 ルーシーは少々落ち込む。ステファンはルーシーを傷付けないようにやんわりと意見を否定してくれるのは分かっているが、また子供が何の思慮もなしにと言外に言っているようである。


「お嬢様は私たちが思いもつかないようなことをおっしゃいますな」


「私、咄嗟にひらめいたことを口に出しただけなのです……」


「ルーシーが領地のことを思っているのは他の大人と何ら変わりませんよ」


 ルーシーは益々この言葉に落ち込んでしまった。




 しかしその後、ジョエルは何を思ったか何処からか葡萄の木を手に入れてきて、離れのアトリエの横に植えた。ステファンの言う通りにまともに葡萄が出来るはずはなかったのだが、ジョエルは気にすることなく一人せっせとその木の世話をしているのだった。この葡萄は後に金のなる木となるのだが、それはもう少し後に述べることにする。




 さて夏になり、ルーシーは一度王都に出ることになった。アナの結婚式のために採寸してドレスを仕立ててもらうためである。父のジョエルは昔の礼服がまだ着られるからと言い、結局ステファンの送り迎えでルーシー一人王都に出たのだった。


 ステファンもついでに王都での用事を済ませることとなった。ルーシーは初めて訪れる王都への旅がステファンと道中二人っきりということで始終興奮気味だった。子供っぽいと思いながらもはしゃがずにはいられない。


「まあ、王宮って本当にお城だわ! ここからでも見えるあの塔ってどのくらい高いのですか?」


 いつも王都の様子はステファンから聞かされていたがやはり自分自身の目で見るのは違った。ボルデュックの町の何十倍も大きい。王都の北部には王宮が位置しており、街のどこからでも見えるのだった。


「こんなに沢山の人が住んでいるのですね……私、迷子にならないように気を付けます!」


「王宮があるのが北だと覚えておけばまず迷わないよ。それでもまあ、はぐれないようにした方がいいね」




 王都ではアナとテオドールが居候している伯父の家に滞在させてもらうことになっていた。伯父の屋敷に着くとすぐさまアナと伯母に仕立て屋に連れて行かれた。


「ルーシーには目の色と同じ青色のドレスがいいかしら。アナは式の後の晩餐会では青は着ないでしょう?」


 ドレスのデザインも伯母に決めてもらった。アナとルーシーは最近の流行やドレスのスタイルなどまず分からないからである。


「私にはもったいないくらいの素敵なドレスになりそうですね。伯母さま、お姉さま、ありがとうございます」


 残念ながらルクレール家と付き合いのないステファンは式には呼ばれていない。彼にも是非ドレスを見てもらいたかったルーシーだった。


(綺麗なドレスに身を包むとステファンさんも少しは私のこと、大人のレディとして見てくださるかしら……でも彼は女性を見た目で判断するような人ではないのよね……)




「式が楽しみね、ルーシー」


 そう言ったアナ自身はそれほど楽しみにしているようには見えない。


(私だったら……愛する男性と結婚できるなら、式の前なんて興奮して指折り数えて待つわ)


「お姉さまはルクレール家に嫁ぐのが不安なのですか? いわゆるマリッジブルーですか?」


 アナはルーシーの予想に反し毅然と答えた。


「いいえ。不安なんてありませんよ。ルクレールさまと結婚できるなんて、私はとても幸せです」


「でも……」


 ルーシーは何と言っていいか分からない。


「ルクレールさまは私と夫婦の誓いを立てたら私のことは妻として尊重し、大切にして下さる、そんなお方よ」


「それはそうでしょうけれど……」


 彼のように他の女性にやたら人気があってキラキラの王子さまのような人でなくてもいいから、ルーシーは自分だけを生涯愛し続けてくれる人がいいのだ。


 アナは遠くを見つめていた。ルーシーの目には彼女が何かを諦めているように見えなくもない。


(お姉さまはルクレールさまがボルデュック家のために大金をポンと出してくれるから結婚するのですか?)


 その言葉が出かけるが、いくら実の妹でもそれは言ってはいけないだろうと思いとどまる。


(もしルクレールさまが外に愛人を……男か女か知らないけれど……囲ったりしても正妻の座は安定だとお姉さまはおっしゃりたいのかしら?)


 ルーシーがアナの結婚式で着る素晴らしいドレスも、アナから送られてくる生活費も、全てアナの犠牲の上に成り立っていると思うといたたまれない。


 アナは口を開いた。彼女の覚悟がルーシーにはひしひしと伝わってくる。


「これだけははっきり言えるわ。私はルクレールさまを深く深く愛しています。私は望んで嫁ぐのよ」




***ひとこと***

家族は婚約したばかりと思っていたのですが、アナとジェレミーは結婚を決め、式の日が近付いてきました。ジョエルとルーシーが招待されて欠席することにした婚約披露の晩餐会とは、本編「奥様」で一悶着も二悶着もあったあの晩餐会ですね。

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